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18世紀から19世紀にかけて、アイルランドは伝染病の流行に悩まされてきましたが、そのすべてにジャガイモの不作が関係していました。当時、ジャガイモは貧困層の主食でした。
ジャガイモ飢饉と呼ばれる大飢饉が発生した1847年、アイルランドからリバプールに大勢の移民が押し寄せましたが、病人や飢餓状態の者が多かったため、リバプールでは病院のベッドが不足しました。
発疹チフスの患者は波止場近くの倉庫に作られた急ごしらえの「熱病小屋」で看病を受けた。一時はリバプールで6万人が病に伏しましたが、患者の大半はアイルランド人だったため、発疹チフスはアイルランド熱と呼ばれるようになりました。
一部の地元住民たちは、アイルランド人は酒を飲んで自堕落な生活をしているせいで病気になった、いわば自業自得だと噂した。カナダでも同じようなことがありました。1847年の発疹チフスの流行で2万人以上が死亡しました。
その大部分はぎゅうぎゅうに人が詰め込まれ、とても航海できるような状態ではなかったおんぼろ船の中で病気にかかったアイルランドからの移民でした。コロンブスが来る以前に、アメリカ地域に発疹チフスが存在していたかどうかはわかりません。
ただ、16世紀後半のどこかの時点で大西洋を渡った可能性があります。メキシコの山岳地帯で流行し、200万人が犠牲になった悪性の伝染病 「ココリットリ」は、発疹チフスだった可能性があります。
15世紀から16世紀にスペインからやってきた侵略者たちが悩まされた「モドッロ」と呼ばれる病気の正体も、発疹チフスだったのではないかと考える歴史学者もいます。米国北東部のニューイングランド地方で1629年に入植者と先住民を襲ったのは正真正銘の発疹チフスで、 その後200年以上にわたってじわじわと東に勢力を伸ばしていきました。
深刻な被害を被ったのは海軍も同様でした。だが18世紀のイギリス海軍では、船医のジェームズ・リンド (柑橘類の果汁で壊血病を予防できると主張したことで有名な医師)が船乗りたちに、服を脱いで、体を念入りに洗って、ひげをそり、清潔な服を着るように命じたおかげで、発疹チフスを媒介するシラミを軍艦内に寄せつけずにすんだのです。
1910年にチュニスのパスツール研究所で、発疹チフスはコロモジラミが媒介することをシャルル・ニコルが発見したことで状況は大きく変わりました。第一次世界大戦の西部戦線では各国がシラミの駆除を行ったため、一度も流行は起こらなかったのです。
だが、東部ではやや事情が異なっていました。セルビアでは戦争が始まってからの半年間で15万人が発疹チフスで命を落とし、革命後のロシアでは何年もの間、発疹チフスが蔓延しました。
1918〜22年の間にソビエト連邦と東ヨーロッパで合計3000万人が発疹チフスにかかり、推定300万人が亡くなりました。ソビエトの指導者ウラジーミル・レーニンは次のように発言したといいます。「社会主義がシラミを打ち負かすか、シラミが社会主義を打ち負かすかだ」
第二次世界大戦中の1939年に、イギリス政府は軍に入隊するアイルランド人の適性検査を開始しました。シラミ持ちは体毛をそられ、裸で浴槽の中に立たされたまま、ゴムエプロンとゴム長靴を身につけた付添人に消毒剤をかけられます。
主席医務官は彼らの「羞恥と恐怖と激しい怒り」が手にとるように伝わってきたと述べています。確かにやり方はひどかったのですが、方向性は間違っていなかったのです。1943年には北アフリカから帰国したイタリアの部隊がナポリに発疹チフスを持ち込みました。最初は囚人たちの間で流行し、やがて市民にも広がっていったのです。
ナチスがアムステルダムに隠れ住んでいた14歳のアンネ・フランクとその家族を見つけたのはその翌年で、 ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られたアンネと妹のマルゴットは、4カ月後、発疹チフスで命を落としました。
第二次世界大戦中には強力な殺虫剤ジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)がシラミ予防に使われるようになり、奇跡の薬として称賛を浴びました。薬を人間に直接吹きかけることすらあったのです。DDT は発疹チフスから人間を守ってくれました。
だが、不運なことにその効果はコロモジラミだけに発揮されるわけではなく、人間を含む多くの生物にも害を及ぼすことがわかったのです。現在ではDDTは世界のほとんどの地域で使用が禁止されていますが、アフリカの一部ではマラリアを防ぐために効果がリスクを上回ると考えられる場合にのみ、ごく限られた範囲での使用が認められています。
2006年に米国ペンシルバニア州のキャンプ場で働く従業員の1人が森林発疹チフスと診断されました。森林発疹チフスはシラミが媒介する普通の発疹チフスと病原体は同じですが、モモンガと密接に接触することとの関連性が認められています。
過去2年間にさらに3人の従業員が同じ病気に感染していたことが判明しました。彼らは同じ山小屋で寝泊まりし、ベッドのすぐそばの壁の内側でモモンガの姿を見るか、物音を聞いていました。
森林発疹チフスが最初に見つかった1976年から2002年までの間に米国で報告された患者数はわずか41人に過ぎません。モモンガを調査した結果、71%が発疹チフスリケッチアに感染していました。
保菌したノミやシラミがモモンガについていたことが原因で人間に感染したのではないかと考えられていますが、正確な感染経路はわかっていません。現在では発疹チフスは世界的にもまれな病気となっていますが、アフリカの中央から東部、中南米、アジアの山岳地帯や寒冷な地域では完全には姿を消していません。
最近の流行の殆どはブルンジ、エチオピア、ルワンダで報告されています。ブルンジでは数年の空白期間を経たのち、1995年にンゴジ刑務所で発疹チフスの流行が発生し、内戦で76万人が劣悪な環境の難民キャンプで生活していた1997年にも再流行しました。
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