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☆★☆最新情報7☆★☆


 
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  アメリカとサウジの関係  仲條拓躬 2026/04/14(火) 17:55 
  エボラ出血熱の感染経路の特定2  仲條拓躬 2026/04/14(火) 17:53 
  エボラ出血熱の感染経路の特定  仲條拓躬 2026/04/14(火) 17:53 
  赤痢の流行について2  仲條拓躬 2026/04/14(火) 17:49 
  赤痢の流行について  仲條拓躬 2026/04/14(火) 17:48 
  何度も繰り返している筋書き  仲條拓躬 2026/04/08(水) 17:00 
  B型肝炎と天然痘  仲條拓躬 2026/04/08(水) 16:58 
  日本人の情報源とは  仲條拓躬 2026/04/07(火) 07:25 
  重大事故を風化させるな  仲條拓躬 2026/04/07(火) 07:23 
  子供たちが危ない  仲條拓躬 2026/04/07(火) 07:22 






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アメリカとサウジの関係
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/14(火) 17:55
No. 8219
 
 
純粋に軍事的な観点から見ると、イラクは中東で最も戦略的な価値の高い国でした。クウェート・サウジアラビア・ヨルダン・シリア・トルコ・イランの6カ国と国境を接しています。既にアフガニスタンには米兵力が駐留していました。

イラクを支配下に置けば、米国の影響力は、東はヒマラヤから西は地中海まで、北は黒海とコーサカスから南は紅海・アラビア海まで及ぶようになるので、米国にとってイラクは中東の大事なキーだったのです。

米国がイラクを占領していることは、サウジアラビアにとっては耐えがたい状況を生み出す事でしょう。既にサウジアラビア国内及び周辺諸国にはアメリカの空軍と海軍が展開し、それに加えて隣国に陸軍の大部隊が駐屯しているのですが、サウジアラビア政府は、米国がイランを軍事占拠する可能性を真剣に考えた事はないようです。

強烈な挑発でもしない限り、米国が軍事行動をとることはありえず、もし軍事行動に踏み切る場合には、サウジアラビア国内の基地使用や領空の通過が不可欠だと思い込んでいたのです。サウジアラビアは、アメリカの戦略を読み誤っていました。

アメリカがサウジアラビア政府を同盟国ではなく、解決しなくてはならない戦略上の問題だと考えている事をサウジアラビア政府は理解していません。サウジアラビア政府は、アメリカとの友好関係を危うくするようなことは決してないと信じています。

だが、アメリカは繰り返し警告シグナルを発してきたにもかかわらず、9・11自爆テロ事件以後の煮え切らない行動で、信頼をすっかり失ってしまったことに気づいていなかったのです。対アルカイダ戦でサウジアラビアがしきりに米国の足を引っ張っていたことを思えば、米国にとって最も直線的な選択肢は、サウジアラビアを攻撃することです。

だが、領土が広大なサウジアラビアは攻めるのが難しく、しかも米国としてはサウド王家を潰すつもりはなかったのです。もし米国がサウジアラビアに対して軍隊を動かせば、サウジアラビア国内のアルカイダに対する支持は爆発的に強まっていたでしょう。

アメリカとしては、サウジアラビア政府が行動を改めてアルカイダ打倒に協力してくれれば、それでよいのです。こうした計算に、アメリカへの石油供給が危うくなる可能性も重要ですが、アメリカは迂回戦略をとって、イラクからサウジアラビアに圧力をかけることにしたのです。

アメリカ側からすると、イラク占拠はサウジアラビアに対する重要なテコを2つもたらすことになります。第1の重要なテコは、アメリカ陸軍数個師団がイラクに駐留しているというのは事実です。もちろん、サウジアラビアにとって隣国イラクは常に脅威だったのだが、これまではイラクの脅威からは、常にアメリカ軍が守ってくれていました。

アメリカ軍が国境線の向こう側に移って自国の脅威になる可能性は、サウジアラビアの戦略思考を根底から覆すものだったのです。第2のテコは石油です。イラク戦争に反対した者の多くが論じるのとは、別の理由によってですが、実はアメリカは、湾岸地域の石油の流れを直接コントロールしようとしたことはありません。

石油の安定した供給を求めていただけです。湾岸地域で直接、軍事行動を起こすことのコストは、油田地帯を掌握したことで得られるいかなる利得よりも高くつくであろうことを、アメリカは理解していたと言います。

 





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エボラ出血熱の感染経路の特定2
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/14(火) 17:53
No. 8218
 
  何よりも優先すべきは、感染経路の特定です。それには足を使った調査が必要になります。つまり、患者が出た現場に出向いて病気がどのような経過をたどったかを調べ、犠牲者に共通する要因を探すわけです。そうすることで手がかりが得られる可能性があります。チームがヤンブクに到着した頃には、さらに54人の犠牲者が出ていました。

最終的な死者数は280人、死亡率は88%にのぼりました。感染の中心地となった教会病院は、小さな教会の隣にあり、シュロの木と芝生に囲まれた中庭がある、きちんと整えられた清潔感のある場所でした。チームが建物に近付こうとした時、叫び声が聞こえた。「それ以上近付かないでください。私たちのように死んでしまいます」。

生き残った修道女たちは、小さなゲストハウスに閉じこもり、死を待っていたのです。彼女たちは「防疫線」というものについて読んだことがあり、それを文字通りに解釈していました。建物の周囲にはロープが張りめぐらされ、来訪者に呼び鈴を鳴らすように指示した標識があり、木の根元にメッセージが残されていました。

17人いた病院の従事者のうち9人と、教会で生活をともにしていた60人のうち修道女4人と聖職者2人を含む39人がすでに死亡していました。専門家チームは現地の人々に話を聞き、死者が誰だったか、いつどのような状況で死亡したかについての情報を収集していきました。そうしたことを踏まえて、エボラが空気感染する可能性は低いと判断した。

感染には、ある程度の濃厚接触(患者の世話をする、直接触れるなどの行為) が必要であるように思われたからです。これは喜ばしいニュースでした。麻疹やインフルエンザのように空気感染する病気は非常に感染力が強いです。その後の数日間で、2つの重大な要因が浮かび上がりました。第一に、調査チームは葬式どの関連に注目しました。

エボラの犠牲者の葬式が行われると、その1週間後に参列者の中からまとまった数の新たな患者が出ます。それが何度も繰り返されていました。地域の葬式では家族が死者を素手で清める習わしがあり、体の開口部をすべて洗うことになっていました。儀式は数日間にわたって続く。その間に大勢の人々が集まり、密接な接触が増えます。

もう一つの手がかりは、流行初期に村で出た犠牲者のほぼ全員が妊娠中の女性で、教会病院の助産所でビタミン注射を受けていたことでした。修道女たちはガラス製の注射器を毎朝煮沸していた煮沸時間が短く、適切に消毒されていなかった可能性が高かったのです。しかも、注射器は患者ごとに滅菌水で簡単にすすぐだけで、1日中使い回されていました。

これらのあらゆる事実が示唆するのは、エボラ出血熱が血液、尿、便、唾液、精液、膣液などの体液から感染する可能性です。つまり、エボラ出血熱は比較的感染しにくい病気であることがわかりました。

感染の危険があるのは、患者の看護にあたる医療従事者と、近い関係、特に性的な関係、エボラの感染経路にある人々に限定されました。判明しさえすれば、予防が可能になります。だが、現地の人々は医療チームの説得を聞き入れようとしませんでした。

とりわけ、予防のために地域の伝統に従った葬式をやめることについては激しく抵抗したのです。しかし、2014年になって、葬式ばかりに目を向ける姿勢が問い直されました。葬式だけでなく、末期エボラ患者の看護は病気の感染源として等しく考えるべきだとわかってきたからです。

 





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エボラ出血熱の感染経路の特定
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/14(火) 17:53
No. 8217
 
  初めて公式に記録されたウイルス性疾患エボラ出血熱の患者は、ベルギー人修道女シスター・ビータでした。彼女は大量出血などの恐ろしい症状に苦しめられた後、1976年9月に現在のコンゴ民主共和国キンシャサの病院で死亡しました。その数日後、シスター・ビータを病院に運んだ別の修道女にも同じ症状が現れました。

彼女も入院しましたが、やはり命を落としました。さらに、彼女の看護にあたっていた若い看護師も同じ病に倒れました。シスター・ビータが死亡する直前に血液検体が採取され、ベルギーのアントワープにある熱帯医学研究所に送られました。彼女の病気はどうにも説明がつかなかったからです。

医師の診断は「出血を伴う黄熱」だったのですが、シスター・ビータは最新の黄熱ワクチンを接種しており、出血は黄熱ではめったに起こらない症状でした。 やがて、キンシャサの3人以外の修道女にも患者が出ていたことがわかりました。

シスター・ビータが拠点としていた、コンゴ川沿いのエクアトゥール州の人里離れたヤンブク村にあるキリスト教伝道所で、複数の修道女が死亡していたのです。彼女たちはみな同じ病気のようでした。そして、やはり黄熱の予防接種を受けていました。

アントワープの科学者たちは血液検体を調べ、抗体を探しました。黄熱などの感染症にかかっていたなら、感染症と闘うために体内で抗体が作られたはずです。西アフリカの一部地域ではウイルス感染症のラッサ熱がよく見られたし、アジアや南米、東欧に多い細菌性感染症の腸チフスの可能性もありましたが、検査の結果はすべて陰性だったのです。

だが、電子顕微鏡で細胞検体をのぞくと、ミミズのような姿のものが見えました。ほとんどのウイルスに比べるとかなり大きく、これまでに発見されたことのない未知のウイルスでした。黄熱ウイルスとは似ても似つかなかったが、アフリカ固有のマールブルグ病と呼ばれる致死率の高い出血性の病気を引き起こすウイルスにいくらか似ていました。

マールブルグ病は、その9年前にドイツで発見されたばかりで、ウガンダから輸入したサルを扱った製薬企業の従業員が病気になったことが発端でした。サルから直接感染した25人のうち7人が死亡し、患者と接触があった6人が新たに発症しました。

ウイルスが見つかった頃には、ヤンブク村で謎の病気が猛威を振るうようになってから3週間が経っており、死者は200人以上に達していました。世界保健機関(WHO)は、熱帯医学研究所に対し、検体をイギリスのポートンダウン国立研究所に提出するよう要請し、6日後には出血性ウイルスの国際的な基準試験所となっている米国疾病管理予防センター(CDC) にもウイルスが送られました。

シスター・ビータの死から3週間後、CDCは病原性がきわめて高い新種のウイルスを発見したと発表しました。このウイルスはヤンブク教会の近くを流れる川にちなんでエボラウイルスと命名されました。エボラウイルスは、現在までに5種類のウイルスそのうち4つは人間に病気を株が発見されています。

引き起こすウイルスで、ヤンブクで発見された株で最も病原性の高いザイールエボラウイルス(zaire ebolavirus) のほか、スーダンエボラウイルス (Sudan ebolavirus)、タイフォレストエボラウイルス (Tai Forest ebolavirus)、ブンディブギョエボラウイルス (Bundibugyo ebolavirus) があります。

5番目のレストンエボラウイルス(Restonebolavirus) は人間以外の霊長類やブタなどに病原性を示すが、人間には症状が出ないのです。最初の症例が確認されてから、欧米諸国はただちに疫学やウイルス研究の専門家を集めて対策チームを結成し、新たに出現したこの恐ろしい病気に対抗する方法を探り始めました。


 





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赤痢の流行について2
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/14(火) 17:49
No. 8216
 
  船医のフィリップ・フシエーレは「20人を安い値段で買い取った」が、1人として生き延びた者はいなかったといいます。1672年のジャマイカからの別の報告では、3カ月の航海を終えて入港したばかりの船から奴隷を買った、 ジェームズ・タラーズという船長の話です。

「ほぼ全員が飢えと赤痢に苦しんでおり、船長はカビの生えたトウモロコシ以外に奴隷たちにほとんど食べ物を与えていなかった」とあります。しかし、それだけでは状況の説明がつかず、報告書には次のような意見が付け加えられています。「これほど大勢が命を落としたからには、何か尋常ではないことがあったに違いない」

赤痢の流行はこのような限られた場所だけではなく、一般社会にも広がっていました。1840年代にアイルランドで起こったジャガイモ飢饉の間には、赤痢など発疹チフスが貧しい人々の間で蔓延し、飢餓赤痢と呼ばれるようになりました。19世紀後半に牛乳を飲む習慣が広まり始めると、赤痢が流行しました。

加熱殺菌されていない牛乳は赤痢菌の格好の温床となり、赤痢の主因の一つになりました。 トーマス・シデナムもロンドンの赤痢について書いています。1669年には10年間で最悪の流行があったといいます。1658年以降のロンドンの死亡統計表では赤痢による死亡が際立っており、「腹痛」の項に死因として記載されています。

赤痢の英語名 dysentery は、ギリシャ語で「悪い腸」を意味します dysentra に由来します。これは腸の炎症や細胞壊死などを引き起こす病気を総称する言葉です。血や粘液が混じった下痢が症状として表れ、世界保健機関(WHO)は「はっきりとわかる鮮血が混じった軟便または水様便を伴う下痢症」と定義しています。

治療をしなくても自然に治癒する軽症もありますが、命を落とすこともあります。赤痢は大きく分けて2種類のタイプがあります。一つは赤痢菌によって引き起こされる細菌性赤痢で、西洋諸国で一般的な赤痢はこちらです。もう一つのアメーバ赤痢は、赤痢アメーバと呼ばれる単細胞寄生虫が原因で、主に熱帯地域で発生しています。

アメーバ赤痢は、感染者の殆どが無症状ですが、血性下痢、倦怠感、体重減少、場合によっては発熱などの症状が表れることがあります。アメーバは腸以外の臓器(たいていは肝臓)にも広がり、腫瘍ができることもありますが、死に至ることは滅多にないです。例外はHIV患者がアメーバ赤痢にかかった場合で、重篤な症状を引き起こすことがあります。

志賀赤痢菌1型は最も重症化しやすく、流行の原因となる細菌です。日本で赤痢が大流行していた1897年に細菌学者の志賀潔が発見したことでこの名が付いたのです。実際、19世紀末の日本では赤痢がよく流行しました。1897年には半年の間に9万1000人以上の患者が出て、2万人が亡くなりました。

赤痢は熱帯地方からヨーロッパに入ってきたと長らく考えられていました。しかし、2016年に世界中から集めた300種類以上の赤痢菌の研究結果から、症状が最も重篤で地域的な大流行を引き起こす志賀赤痢菌1型は、ヨーロッパで誕生した可能性が高いことが明らかになっています。

この赤痢菌は19世紀の終わりに出現し、世界中に広がったようです。おそらくは、移民労働者たちによって米国へ、植民地への入植者たちによってアフリカ、アジア、中米へと運ばれたと考えられています。現在、赤痢は世界各地で風土病となっています。

毎年およそ1億6500万人の重症患者が発生し、100万人以上が死亡していると考えられています。患者の大多数は途上国で発生しており、5歳未満の子供たちが犠牲になっています。アメーバ赤痢も世界中で報告されていますが、衛生状態が悪い地域で発生しやすく、特に熱帯地域に多いのです。

1960年代後半以降は、サハラ以南のアフリカ、中米、南アジア、東南アジアの、政変や自然災害が起こった地域で流行してきました。 1994年のルワンダ虐殺では、ザイールに逃れた難民のうち約2万人が最初の1ヵ月で赤痢により死亡しました。

米国では毎年50万人前後の赤痢患者が発生しています。2010年の流行ではシカゴ近郊の小さな町で328人の患者が出ました。感染源は地元のファストフード店で働く2人の店員でした。他の感染症にも共通することですが、最近では薬剤耐性菌の出現が懸念されています。

ルワンダの難民の間で流行した赤痢菌は、これまで使われてきた一般的な抗生物質すべてに耐性があることがわかっています。抗生物質への耐性を持つ菌は現在では珍しくなく、その場合は別の薬を選択することになるのですが、最近では新しい薬にも耐性を持った新種の菌が増えてきています。赤痢菌は驚くほどの勢いで耐性を獲得しているのです。

 





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赤痢の流行について
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/14(火) 17:48
No. 8215
 
  1812年のナポレオンによるロシア遠征の時、フランス側で赤痢や発疹チフスが流行し、数千人の兵士が命を落として遠征の失敗につながったと言われています。1861〜1865年の南北戦争でも、赤痢は北軍で4万5000人、南軍で5万人の死者を出したと思われています。

1853〜1856年のクリミア戦争ではコレラと同時に赤痢が兵士たちの間に蔓延しました。1854年にフローレンス・ナイチンゲールらの看護団が戦場に到着した時には、恐ろしいことに2000人の赤痢患者が一つの病院に集められ、不衛生な状態で回復か死を待つばかりの状態で放置されていました。

20世紀に入ってからも、1914〜1918年の第一次世界大戦でやはり赤痢が流行しました。戦争と赤痢の関係は古く、紀元前480年頃、ペルシャがギリシャに侵攻したペルシャ戦争の時代からあったようです。

正確な死者数はわからないのですが、戦争中に数十万人の兵士たちが病気で命を落としたと考えられており、その病気は赤痢かペストだったというのが歴史学者たちの意見です。権力や地位なご意に介さず、赤痢は代々のイングランド王を襲ってきました。

1216年にイングランド東部の戦いに出たジョン王を死に追いやり、1307年にスコットランドと戦っていたエドワード1世の命を奪ったのです。百年戦争のさなかの1422年には、ヘンリー5世がパリ郊外のバンセンヌ城で明らかに赤痢と思われる病気で死亡しました。

エリザベス1世の時代にスペインの無敵艦隊を打ち破ったフランシス・ドレーク卿も赤痢で命を落とした1人で、1596年1月にパナマのポルトベローの沖に停泊していた船で死んだのです。ドレークは船室に閉じこもって、激しい下痢を訴えていました。アイルランドの農村部では、 昔から赤痢が風土病となっていたようです。

17世紀イングランドの学者アンソニー・ウッドは、オリバー・クロムウェルのアイルランド遠征に従軍した兄弟のトーマスが、1649年に「赤痢と呼ばれる風土病で生涯を閉じた」と書いてあります。17世紀イギリスを代表する医師トーマス・シデナムも 「アイルランドの風土病赤痢」についての記述を残しています。

歴史をさらにさかのぼると、のちのジョン王を伴って1185年にアイルランドへの軍事遠征に出た聖職者で歴史家のジェラルド・オブ・ウェールズも「アイルランドの風土病」に言及しています。

クロムウェルの軍隊は1655年にカリブ海地域の一部の植民地化を試みるも、再び赤痢とおぼしき病に襲われました。 イギリス艦隊が4月にサントドミンゴに到着してまもなく、彼らは 「激しい下痢に悩まされ、具合が悪くなり、死者も出て、数百人が途中で脱落した」。

2週間後の文書には次のような報告があります。「雨がひどくなり、兵士たちは弱り、下痢で死んだ者もいる」。こうして作戦は中止されました。他の多くの伝染病と同様に、赤痢も栄養状態が悪い人々が罹患することが多い。

赤痢は通常は汚染された食物や水を介して感染します。時にはハエが媒介したり、患者の排泄物からうつったりする可能性もあります。この為、予防には手洗いが欠かせないのです。人が過剰に集中し、衛生状態が悪い場所ではすぐに感染が広がるため、難民キャンプや福祉施設、戦場の野営地な狭く不衛生な空間では感染のリスクはきわめて高くなります。

包囲戦などは、包囲する側にとっても包囲される側にとっても特に危険が大きいのです。 17〜18世紀の奴隷船は特に環境が劣悪で、赤痢や他の伝染病にまつわるおぞましい話がいくつも残っています。1664年にはカリブ海の島、バルバドスからこんな報告が上がっています。

奴隷の間で大量の死者が出た。王立アフリカ会社 (イギリスが奴隷貿易を目的に設立した会社)の医師は、病人や衰弱した者をみな一緒に閉じ込めていた為に悪性のジステンパーにやられたに違いないと断言しました。奴隷たちの状態はあまりにひどく、買い手はほとんどつかなかった。


 





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何度も繰り返している筋書き
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/08(水) 17:00
No. 8214
 
 
過去、イギリスでの大規模なテロ計画は、世界中どこでもテロが起きる事を改めて認識させられました。英国ロンドン警視庁は大規模テロ計画を察知して、21人を逮捕したところ、容疑者はパキスタン系イギリス人を中心で警備担当者も含まれており、アメリカに飛ぶ旅客機を、液体で爆発する計画だったのです。

国際テロ組織であるアルカイダの関与が疑われ、イギリス政府はテロの危険レベルを最高に引き上げたので、飛行機への手荷物の持ち込みは原則として禁止となり、夏期休暇を利用している旅行客に大きな影響を与えました。コンタクトレンズの保存液や赤ちゃんのミルクまで対象となる始末で、免税店なども深刻な状況でした。

アメリカも警戒を強化して、当時のブッシュ大統領はテロ戦争と位置づけました。イギリスの発表では、アメリカに飛ぶアメリカン・ユナイテッド・コンチネンタル航空の飛行機を爆破する計画だったといいます。だが、詳細はいまだに不明なのです。

爆発物には液体を使用する計画だったと情報が流れましたが、真相や詳細は不明のままです。事件が発覚した直後から、犯人はアルカイダと言っていましたが、果たして本当なのだろうか。アルカイダからの声明などはなにもないのですが、失敗したからでしょうか。

主犯格とされて逮捕されたのはラウフ容疑者ですが、本当にやったのかは不明で、911事件のように謎です。テロ計画を、ロンドン警視庁やアメリカ当局などが連携して、突き止めたと言いますが、この捜査の詳細は公表されていないしこれからも明らかにされることはないでしょう。

パキスタン政府は容疑者の逮捕に協力すると発表しましたが、情報はイギリス・アメリカ当局がマスコミに流し、検証をしないまま情報が拡大されました。責任の所在が明確でない情報を流布して、国民の怒りを煽る情報操作はイラン開戦のように、過去に何度も繰り返している筋書きです。

アメリカは、イスラム過激派と戦争状態にあると強調していたので、イスラエルVSレバノン問題も拡大する恐れもあります。果たして、今回のイランへの攻撃もアメリカやイスラエルの陰謀なのであろうか。

 





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B型肝炎と天然痘
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/08(水) 16:58
No. 8213
 
 
ワクチンによって予防できる病気はVPD(Vaccine Preventable Diseases) と呼ばれています。これらのワクチンを打つことで、ひとたび感染すれば命を落としたり重篤な後遺症が生じたりするような病気を、高い確率で予防できます。B型肝炎ウイルスとヒトパピローマウイルスは、ともに人にがんを引き起こすウイルスです。

よって、そのワクチンはがんを予防できるという特別な性質を持っています。B型肝炎ウイルスは、B型肝炎から肝臓癌を引き起こし、劇症肝炎など重篤な肝炎で命を奪うこともあります。ヒトパピローマウイルスは、子宮頸がんを含む様々な癌を引き起こすウイルスです。これら以外の多くの癌は、その原因が単一ではない為、薬で予防することはできません。

どれほど食生活に気をつけ、どれだけ規則正しい生活を送っても、大腸がんや乳がん、前立腺がんや膵臓がんなどにかかるのを未然に防ぐことはできないのです。だが、感染症が原因のがんであれば、感染を防ぐことによってガンを予防できる点で、ワクチンが我々に与える影響は極めて大きいです。

B型肝炎ウイルスを発見したアメリカの医師バルーク・サミュエル・ブランバーグは1976年に、ヒトパピローマウイルスを発見したドイツのウイルス学者ハラルド・ツア・ハウゼンは2008年にノーベル医学生理学賞を受賞しています。

意外なことに、ワクチンの誕生は、実は細菌学やウイルス学の勃興よりはるかに古いのです。細菌やウイルスの存在が明らかになる前に、ワクチンは実用化されていたのです。「ワクチン (vaccine)」の語源は、牛を意味するラテン語「vacca」です。

なぜ「牛」なのか? ワクチンの誕生は、牛と大きなかかわりがあるのです。18世紀、世界中で天然痘が大流行しました。全身に発疹が広がり、3人に1人が亡くなりました。天然痘は、ポックスウイルス科に属するウイルスが原因の感染症です。

天然痘は紀元前から知られた病気ですが、もちろんウイルスの存在は長らく知られておらず、予防法や治療法も全くなかったのですが、一つだけ古くから経験上知られていたことがありました。「もし天然痘から回復できたなら、その人は二度と天然痘にはかからない」という事実です。現在、「免疫」として知られる現象です。

こうした経験から、人痘接種と呼ばれる予防法が十世紀頃から行われました。人痘接種とは、天然痘患者の皮疹から膿を抜き取り、これを健常者の皮膚の傷から体内に入れ、抵抗力をつけさせるという手法です。一定の効果があったものの、接種した相手に感染させてしまうリスクがあるなど、不安定な方法でした。

一方で、イギリスの農村では、「牛痘という牛の病気にかかった人は天然痘にかからない」という古い言い伝えがありました。牛痘にかかっても皮膚に軽い腫れものができるだけで、重い症状を引き起こすことはないのです。しかし、この病気にかかると、なぜか天然痘への感染は免れるというのです。

イギリスの医師エドワード・ジェンナーはこの現象に注目しました。牛痘患者の膿を人に接種することで、天然痘を予防できるのではないかと考えたのです。ジェンナーは、23人に対してこの手法(種痘と呼ばれた)を用いて、1798年にその研究結果を発表しました。

この23人の中には、ジェンナー自身の11ヵ月の息子も含まれていました。当初その効果を信じる人は少なく、ジェンナーは笑い者にされました。しかし、種痘の効果は確かなものだったのです。種痘が体内でどのように作用するのかは知られていなかったのですが、事実上これが世界初のワクチンとなったのです。

天然痘ワクチンは世界中に急速に広まり、天然痘の発生は劇的に減りました。1849年、方洪庵によって大坂に除痘館が建てられ、日本でもワクチン接種が広く行われました。1858年には江戸に種痘所が建てられ、これが東京大学医学部の前身となったのです。それから一世紀余りのちの1980年、WHOは天然痘の撲滅宣言を行ったのです。

天然痘患者は世界に一人もいなくなりました。かつて人類を脅かした病気が、地球上から消え失せたのです。人類の歴史上、ワクチンほど多くの生命を救った薬はないでしょう。現代に生きる我々は、医学の進歩が生んだ奇跡の技術を享受しているのです。

 





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日本人の情報源とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/07(火) 07:25
No. 8212
 
 
東京裁判や靖国神社問題の焦点のひとつであるサンフランシスコ講和会議は当時、日本の大新聞のすべては始め全面講和だったのです。全面講和というのは、交戦したすべての国との講和条約で、単独講和というのは米国を中心にした、言いなりになる国々との講和です。当時の新聞社全部が全面講和推進論者だったのです。

昭和24年から25年にかけて、そういう論調が出始め、南原繁という東大総長が米国に遊説に行き、全面講和が正しいという事を米国の有職者に説いて回ります。もちろん日本の学者たちも全面講和論者が圧倒的に多かった。その南原総長を吉田茂は攻撃するのです。

吉田茂は、南原繁を支持する学者たちを、学に曲げて世に阿る「曲学阿世の徒である」と言った。そこで、逆に痛烈な南原支援の側から反撃を受けるわけです。その時に、高田保が全面講和論を声高に訴え、当時の夕刊紙に毎日のように書いていたのです。

しかし、高田保はひどい結核でした。結核は戦後の暫くの間、日本人の死因第1位の病気です。高田保の主治医の宮田重雄(画家としても有名)が、両肺ともぼろぼろで、大喀血を何度も繰り返していたと言います。

だが、吉田茂の単独講和論は「単独講和は次の戦争への道だ。ソビエトや中国や、そうしたものを敵にする恐ろしい方向だ。これは日本の国を売る道である。吉田は売国奴である」と真っ向から罵るのです。

高田保の意見に、マスコミたちが始めはエールを送って応援するのです。そして高田は死ぬ間際まで全面講和を主張し続け、俺を大八車に乗せて数寄屋橋へ連れていってくれ、数寄屋橋の公園で全面講和がいかに真実の行き方であるか、それを死ぬまで訴えたいということを言って、その後で大喀血して死んでしまうのです。

高田保と吉田茂との関係というのは非常に鋭く対立していて、日本の将来を見据えた論争を繰り広げていたのは事実です。そして講和問題は、吉田茂とマッカーサーとの圧力により、昭和25年後半、全面講和は敗退したのです。

その直後、当時を生きた方は新聞記事を見て目を疑ったと言います。それは、朝日、毎日、読売という天下の三大新聞が一面に「我が社は、単独講和を支持します」という社告を打ったのです。社告というのは業務命令の一番強いものです。社告に違反したらクビです。

社内を2分した分裂状況を、社告によってまとめて、単独講和へと突っ走っていくという新聞社の力が働いたのです。日本の新聞社は、言論・表現の自由を獲得していません。与えられた言論・表現の自由で満足しているのです。

当時を生きる国民の大半は、日々のニュース情報を新聞から得ています。朝日新聞社が実施した全国世論信用度調査によると新聞84%で、日本人は約80%以上の人が新聞を信じています。日本の新聞は政・官・財の記者クラブで公表されたニュースをただ記事にするだけで、そのニュースの情報源は政・官・財からの一方的な情報提供でしかないのです。

そのことを考えると日本では国民に本当の情報が提供され難いシステムが出来上がっているのです。新聞社も情報を流すだけで国民からの情報や意見を積極的に取材すると言う姿勢はあまり見られません。

新聞記者は難しい言葉を並べ、ジャーナリズムを論じる学者化してしまい、その学者のような記者を書く新聞は学術論文化しているのが現状ではないでしょうか?新聞とはあくまでも情報源であって、自分の考えではないのですが、日本では80%以上もの人が新聞に信頼を置いているのです。

確かに、新聞記事には正確さが求められ、記事の出来事に間違いがあることはまれかもしれません。しかし、その論説はその機関の主観によって編集、加工されるのです。国民としては疑いの念をもって読む必要もあります。

インターネットが普及する前、日本で一番発行部数の多い新聞が読売新聞で約1000万部、世界でも1位、ギネスブックにも認定されるほどです。多くの国民がその新聞のニュースや論調をそのまま受動的に受け入れてしまっています。

日本では記者クラブで政・官・財から発表された一方的なニュースを記事にした新聞を内容で選択せずに、同一の新聞を長く読むことで国民はある意味では洗脳されてしまっていると言えるかもしれません。

現在は、SNS及び新聞を読んでも考えることをしなくなることは、政治への関心が薄れている原因の一つではないでしょうか。そもそもSNS及び新聞すら読まない、読めない国民が増えれば日本国は近隣諸国に馬鹿にされ続けるでしょう。


 





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重大事故を風化させるな
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/07(火) 07:23
No. 8211
 
 
2006年8月12日、520人を乗せた日航ジャンボ機が御巣鷹山に落ちた事故は、とてもショッキングでした。このような凄まじい事故が、日本国で実際に起こるとは驚きでした。色々な意味でショックだった、というのが正直な感想です。

落ち行く飛行機の中で書き残された遺書や体の一部分でしか残らなかった遺体の身元確認、さらに絶対に死なないと思っていたスチュワーデスの落合さんや親子で助かった話など、胸が締め付けられる思いでした。

日航ジャンボ機が墜落事故を起してから、かなりの時が経ち、墜落現場の群馬県にある上野村「慰霊の園」では追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の18時56分に全員で黙祷を行っていましたが、遺族も高齢となり山に登ることが困難になっています。

日本航空=JALの歴代社長は式典終了後、「上野村は安全の原点、慰霊のため今後もできるだけ努力していきたい」と語っていますが、最近の日本航空は生意気でお客に対する態度もとても悪く迷走しているのです。

日本エアシステムとの経営統合から、運行のトラブルが相次ぎ、経営責任を巡る対立が表面化して、日経リサーチが実施している企業のブランド調査では、289位まで転落したことがありました。イメージのダウンはそのまま業績悪化に繋がります。

安全に関するトラブルの影響で利用客離れが続いているのに加え、原油高による予想以上の燃料費の負担増に見舞われ、さらに株価は厳しい状況になっています。JALの内輪もめをマスコミでも大きく取り上げられたことがあります。

日航ジャンボ機の墜落事故の教訓は、今日様々な乗り物の安全運行に関して影響を与えました。また、この事故を扱った安全マニュアル本も数多く出版されました。決してこの重大事故を風化させてはいけない大切な教訓として、我々も細かく知る権利があります。何よりも専門的な解析と豊富な経験と追求を通して二度とこのような事故が起こらない様、分析する必要があると思うのです。

 





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子供たちが危ない
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/04/07(火) 07:22
No. 8210
 
 
大人と比べると赤ちゃんは、発がん性物質の影響を受ける可能性が10倍高いと言う研究結果に基づいて、アメリカ政府は発がん性についてのガイドラインを打ち出しました。このガイドラインが実施されると、環境保護庁の政策が大きく変わることになり、日本の人工化学物質政策にも影響が及ぶ事になりました。

対象としているのは遺伝子に突然変異を起す可能性がある物質に限られています。今後、研究の進展に応じて対象となる物質の種類が増えてくることは考えられるとしています。胎児や乳児も考慮に入れるなら、これから先は、少しでも危ない食品添加物は、今よりも厳しい規制を必要とする物質が続々登場することになるかもしれません。

さらに子どもが危ないと言えば、犯罪に巻き込まれる事でしょう。子どもが危ないと不安を感じている人が70%を超えている事が、内閣府が公表した「子どもの防犯に関する特別世論調査」でわかりました。

地域の防犯活動に参加したいと思っている人達も70%を超え、多くの人が、子どもが危ないと危機感を持ち、防犯対策の強化を求めている実態が浮かび上がっています。子どもが被害に遭う凶悪事件が続発しています。テレビや新聞などで報道される児童虐待で苦しむ子どもたちも続発しています。

訴えることができない子供の声、殺されている子供が、可哀想でならない。一番多いのが、母子家庭で男ができて子供が邪魔になり虐待される、親に頼る子ども、この親は、厄介から逃れたいと思う怠慢さと、無責任しか見当たらない。思いやりのない人は、自分中心の考えが強い人です。ようするに我儘な人です。

我儘な人が、行動するときは自分本位に動きますから、他人の気持ちを思いやるだけの心のゆとりが育っていないのです。最近の世の中はそのような方が、お母さん、お父さんと呼ばれるようになり、その子供は大変迷惑しますし、様々な人格の歪みを与えています。子供は年齢が低ければ低いほど、思いやりを受ける中で養育される必要があるからです。

最近の調査によると、結婚したので、1人ぐらいは子供をつくっておこうと思い、子供を産んだとか、子供がいないと寂しいから、という理由で、子供をつくったというお母さんがいます。つまり、それはアクセサリーという意味での子供でしかないわけです。このようなお母さんの場合、お父さんにも同様の考え方があることもわかりました。

このような親は、自分中心的な考え方が強いのです。子供のために貴重な時間を費やすというより、自分達の楽しみを求めようとしているのです。自分中心的の考え方が強い親にとって、子供に手をかける事は嫌で邪魔となるわけです。そこで、子供を実際にいじめる親がいます。子供好きでない親の子供の心は冷たく閉ざされていくでしょう。

思春期になり、非行を繰り返したり、簡単な動機で自殺したり、精神病を疑いたくなるような行動をする危険制をはらんでいるのです。子供のためには、自分のしたいことも我慢するという「思いやり」の心とかかわりを持っています。これは、お母さんに求められるだけでなく、お父さんにも求められるべきです。

逆に一流会社に勤めるエリートの子供や医者の子供などが突然凶悪事件を引き起こす、という事例が最近よく見られます。小さいときから孤独に育てたことがその原因ではないか?働きながら子供をしっかり育てるのは非常に難しいことだと思う。女性が少なくとも子供が小さいうちは育児に専念できるような仕組みが必要ではないでしょうか?

人格の問題は、幼児期の両親による虐待や苦しい出来事のトラウマが原因となり対人関係が結べなくなったり、平気で人を騙したり嘘をついたり、親の暴力になどに耐えて育った人が、自分の子供に対して、あるいは社会に対して憎んだり、両親と全く同じような行動に走ってしまう人格障害の方が急増しています。

もっとも問題となるのは、インターネットなどの普及でネット上の人格を作り上げる境界性人格障害と言われるタイプです。この場合は些細な一言や出来事に過敏に反応して爆発し、中傷などを始めるのです。必要以上に謝罪を繰り返したと思うと、ほんの一言で憎悪が噴出すと言った人間関係の繰り返し、ネット以外の社会での対人関係は築けないのです。

人格障害に特徴的なことは、どんなに攻撃ひどくても、他人から見捨てられたくないと言う理性をもっていることや、あるストレスによって簡単に心理的にネットでの解離現象に陥ってしまうことなのです。この様な人と出会ってしまい驚きました。

 



 

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