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「実弾と空砲の区別がつかない」肛門の手術を受けたことがある知人は、自分の悩みをこう表現しました。肛門の機能が落ち、おならと便の区別がしにくくなったというのです。表現はユニークですが、笑いごとではないでしょう。
肛門は、精密機械のようによくできた臓器です。降りてきたのは固体か液体か気体かを瞬時に見分け、気体のときのみ排出するという高度な選別ができるからです。固体と気体が同時に降りてきたときは、固体を直腸内に残したまま気体のみを出すという芸当もできます。こうしたシステムを人工的につくるのは不可能でしょう。
おならと便を識別できないと、生活はとても不便になります。なぜなら、毎度トイレに行って便座に座らないとおならができなくなるからです。日頃トイレに行きづらい職業の人なら、オムツが手放せなくなってしまうでしょう。
このような話をすると、必ず少数の人から、「私の肛門はたまに気体と液体を間違える」と指摘を受けます。確かに肛門が健康であっても、水のような液体の便は、気体と出し分けるのがやや難しいこともあります。だが、その頻度は高くないはずです。せいぜい、お腹を壊して下痢気味のときくらいでしょう。
それはともかく、肛門の素晴らしい機能は他にもあります。直腸に溜まった便を無意識にせき止めておき、好きなときに排出できるという機能です。もし直腸に少しでも便が降りてくるたび、肛門に力を入れて漏れるのを防がなければならないとしたら、どうだろうか?とても生活は成り立たないでしょう。ゆっくり眠ることすらできないはずです。
肛門には、出口を常に締めている括約筋が二種類あります。一つは外肛門括約筋、もう一つは内肛門括約筋です。外肛門括約筋は、自分の意図で動かせる筋肉、すなわち随意筋です。一方、内肛門括約筋は不随意筋、つまり意図とは関係なく動く筋肉です。
肛門をぎゅっと締めるよういわれれば、従うことはできるはずです。このとき動かすのは外肛門括約筋(と恥骨直腸筋)です。もちろん、直腸の容量に限界はあるため、十分な量の便が降りてきて直腸の壁が引き伸ばされると、排便反射によって内肛門括約筋が弛緩する(ゆるむ)。このとき、意識的に外肛門括約筋を弛緩させれば排便できるのです。
乳幼児は、これらを調節する機能が未熟なため、反射的に排便してしまいます。一方、成人は大脳皮質からの指令によって外肛門括約筋を収縮させ、排便しようとする無意識の反射に意識的に逆らえるのです。これらの高機能な筋肉と、極めて繊細なセンサーが、我々の日常生活を支えているのです。
普段の生活では肛門のありがたさを実感しづらいのですが、実は替えのきかない優れた臓器なのです。性的な目的で肛門にコップや瓶などを挿入し、取れなくなって病院を受診する、というケースは比較的多いといいます。直腸や肛門を傷つけて出血したり、穴が開いて重篤な腹膜炎になったりすることもあります。
手術が必要になるケースも少なくないといいます。肛門への異物挿入については、これまで多数の研究報告が記載されているので紹介します。患者は20〜90歳代と広い年齢層に及び、男性は女性の17〜37倍多い、とされています。挿入された異物は家庭内で使用する日用品が多く、ボトルやグラスが約42パーセントを占めます。
その他、歯ブラシやナイフ、スポーツ用品、携帯電話、電球などの報告もあります。他にも、遊び半分でエアコンプレッサーの空気を同僚の肛門に吹きつけ、相手を死亡させるという事故が何度か報道されたこともあります。いずれにしても非常に危険な行為です。
また、肛門を使用した過剰な性交渉によって肛門や直腸に怪我をする事例も少なからずあります。特に、直腸の表面はやわらかい粘膜でできているため、乱暴に扱うと裂けたり出血したりします。膣に比べると、肛門や直腸の壁はデリケートなのです。
肛門や直腸をひどく損傷すると、治るまでしばらく使えなくなります。その場合は、手術で人工肛門をつくり、便の通り道を変更しなければならなくなってしまいます。無事に治療ができても、術後に肛門の機能が完全に回復せず、後遺症が生じることもあるのです。
肛門の機能が落ちると、日常生活に甚大な影響を与えるというのは、前述の通りです。もちろん、こうした事態が起こるのは肛門外傷だけではありません。直腸がんや肛門がんなど、直腸や肛門の病気に対する手術後にも肛門の機能障害は起こります。病巣を切除するためには、肛門周囲の筋肉や神経を傷つけざるをえないことがあるからです。
また、交通事故やスポーツ中の事故などによる脊髄損傷も、こうした神経障害を引き起こすことがあります。直腸や肛門の外傷のほか、お腹の中のさまざまな病気が原因で人工肛門が必要になることがあります。人工肛門を持つ人は、日本に20万人以上いるともいわれています。
だが、服に隠れて見た目ではわかりにくいため、その実態はあまり知られていません。ペースメーカーや人工関節のような器具だと誤解している人もいます。人工肛門とは、お腹の壁に孔を開けて大腸の切れ端を外に出し、大腸の中と外界とが直接繋がった状態にするものです。お尻の肛門とは別に出口を設けるだけであり、器具を埋め込むわけではない。大腸の一部が皮膚の外に見えている状態です。
ここにパウチを装着し、その中に便が溜まるようにします。便意を感じないため、便はパウチの中に自然に溜まります。これを定期的にトイレに捨てに行く、という流れになります。一方、人工膀胱は、腸を使って膀胱の代わりをつくったものです。やはりお腹の壁に開けた孔から腸の端を外に出し、尿を排出できる状態にします。
見た目や原理は人工肛門と似ており、これらを合わせて「ストーマ(stoma)」と総称するのが一般的です。装具は防臭加工されており、適切に使っていれば臭みはなく、漏れもない。防水テープなどをつけ、装具をつけたままの入浴も可能です。残念なことに、温泉施設等で人工肛門を理由に入浴を拒否される事例があるといいます。
きれいなパウチに覆われた人工肛門が汚いというなら、その人自身の肛門は一体どのくらいきれいなのだろうか。お尻に露出した肛門を直接お湯につけるほうが、よほど汚いかもしれません。ちなみに、お尻にある肛門は、人工肛門と対比して「自然肛門」と呼ぶ。
自然肛門を残したまま人工肛門を一時的につくることもあり、この場合は「肛門」が二つになります。こうしたケースでは、それぞれを呼び分ける必要があるのです。(※障害者手帳交付数に基づいた数字であるため、一時的に人工肛門を造設した人〔のちに閉鎖する予定の人〕の数は含まれておらず、全体数はこれよりかなり多いと推定される。)
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