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今、大河ドラマで明智光秀の生涯を扱った「麒麟がくる」が人気である。あの本能寺の変はなぜ起こったのか?あの信長がなぜ、あの夜、手薄な本能寺に宿泊していたのか?疑問が残る。用意周到な光秀の包囲網に「是非もない」と言って切腹し火を放ったとしている。ただこの時信長の遺体は見つかっていない。このことが光秀の悲劇となり、光秀に加勢する武将は出てこずに、山アの合戦の悲劇となる。これに対して秀吉はこの変を疑うこともなく、まるで光秀が謀反を起こす事を知っていたかのごとくに信念の大返しで姫路経由で尼崎に入って、山アの合戦で光秀を討ち果たす。 光秀は将軍のために本能寺の変を起こし、将軍家か朝廷に天下をお返しするつもりであったという説もある。三日天下と言われるが、この変のあと、何かを待っていた節があるとも言われている。自分で天下を治める気はなかったのかも知れない。いずれにしても、この事件の裏には黒幕がいると言われている。歴史上からは光秀の記録は抹消されていることも、何かありそうで光秀一人に謀反人という汚名を着せて時代は流れてきた。(写真は岐阜城訪問の際に撮影した斎藤道三と思われる)
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