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本日の歴史ヒストリアは紫式部が書いた源氏物語のもう一人の作者がテーマ。 主人公は「藤原定家」であった。実は定家は幼い頃から源氏物語を読んで育ち、和歌を人一倍嗜む家に生まれて「和歌を作るものは源氏物語を読め」と言われていたという。 藤原定家が60歳の時には紫式部の書いた源氏物語はもう世に残っていなかったという。定家は貴族として和歌に精通し、天皇から勅撰和歌集の編纂を命じられ、その「古今和歌集」の方で有名であるが、源氏物語を後世に伝えるという思いに駆られて一念発起したという。60歳から写本集めに奔走。写本は人から人の手に渡って見つからなかったり、いろんなものが当時書かれて内容もかなり違っていたようで作業は難航したという。どれが紫式部の書いたわからなかったようで、定家が分析を重ねて選別し、それが、現在、コンピューターで解析したものに一致するというからすごい事である。 結果、80歳で亡くなる20年間に目が見ええなくなっても、歯がうずいて書けない時も虫歯を抜いて書き続けたという。我々が学校時代に習った定家のイメージはがらりと変わった。貴族として生き抜き、武家時代へ移行した動乱の時代に貴族文化を守り、紫式部の世界を現在につなげた天才歌人であり、源氏物語のもう一人のの作家と言われるゆえんであろう。
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