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昨日,3月11日の午後2時46分は、 息子と2人、ヒルメシの支度慌ただしくしていた。 テレビで追悼式典を見ながら、残っていた豚肉を 甘く煮る。 息子は番組を楽しいものに変えたいという態度を あちこちに振りまきながら、少し乱暴に食器を 出している。
お父さん始まるよと、息子がテレビに写った時計を指差したので バタバタと支度を中断し、遅れて目をつぶった。
黙祷の瞬間、テレビが沈黙すると、通りの喧噪のその向こうから、 糸島中のあちこちのサイレンが一斉になりだした。
それはとても立体的で、その作用が手伝ってなのか、以外にも涙が湧き出て来た。
原発についての様々な講演会やイベント、座談会や、東北・福島の話、 東京にいるアズサや契やスーさんやシェフ& more...友人たちの不安や、 福島のちづるさんと学童の話の事、女川の友人の心配、 エネルギーを語った友人たちのこと、 世界は変わっていかないという、不充実感、 フェイドアウトさせたくないというあせり…、激論、不一致、共感、理解・・。
この1年で出会った、様々な人たちとの精神交流の密度は、深く高く充実していた。
ボクはボクで,いろいろあったんだな。
この黙祷のサイレンの1分間という必然性を,突然再認識することになったけど、 なんとしても息子には悟られたくないので、 番組をなんでも鑑定団に変え、早々に台所で背を向けた。
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