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阿草の熊野神社サンへ〜
中井さん作の匂いがする、此処の狛犬に会いたくて…
京都与謝郡の中井役所(徳川幕府公認の宮大工集団)より中井道源とその弟が宮大工として派遣された。 塔は1615年から1619年にかけて完成したが、道元はそのまま柏原に居を構え、柏原中井家の祖となった。 徳川幕府が各地に多彩な建造物を建立する中で、4代目の言次君音から彫物師としての本格的な活動が始まり、 特に宝暦年間(18世紀中頃)における柏原八幡宮摂社、五社稲荷の竜を中心とする多彩な彫物はその嚆矢と評価される。 5代目正忠以降も「青竜軒」の屋号を名乗ってその技量を十二分に踏襲。 1815年に落雷により焼失した三重塔の再建に当たっては、一族の宮大工が建築を、正忠、正貞が彫物を担当した。 9代目貞胤まで6代に亘って続いた彫物の作品は、丹波(兵庫県と京都府を含む)初め、 丹後、但馬の北近畿一円及び播磨地方にまで及び、300近い神社、仏閣に残されている。(Wikipediaより)
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