マイクロ日記



あんぐりら 佐川嘉博のマイクロ日記です。

 2025年5月21日  ..sagawa     
RES
  
基本的に割り箸を使っているけれど、そこに同梱されている楊枝を使わずにとっておいたら入れ物がいっぱいになってきた。 
本腰を入れて楊枝の使い道を考えないと、永遠に増え続けそうだ。 
とりあえずは猫とネズミの髭かな。そちらのデザインを進めよう。
..2025/05/22(木) 04:59  No.7028



 2025年5月20日  ..sagawa     
RES
  
気温30度。 
この暑い中、汗だくになりながら鍋のフタをバーナーで焼く。 
焼杉するときは庭の石の上でバーナーであぶるのだけど、バーナーの火に向かってなぜか蟻達が寄ってくる。 
ナンダ熱いじゃねえかと逃げてくれれば良いものをなぜか火の周辺を走り回っている。 
下手にバーナーを動かすと蟻を焼きそうになり、空いている手で払いのけながらの作業になるのでひと手間かかる。 
そんな蟻達を見ていたら、昔々セルスターズというバンドに「ハチのムサシは死んだのさ」という歌があるのを思い出した。ムサシというハチが「お日様めがけて剣を抜き たたかいやぶれて 死んだのさ 焼かれて落ちて死んだのさ」という歌詞だった。 
当時盛んだった学生運動の思想が入っている歌詞だということなので、ウチのノンポリな蟻達とは縁遠い歌ではありますが、虫には火に向かって行く習性があるのだろうな。 
 
で、「竜の鍋ぶた」ができた。煮えた鍋に乗せれば鼻から湯気がでてくるように作った。 
すぐにでも試したいところだけど、この陽気でナベはちょっと辛いわ。
..2025/05/21(水) 05:29  No.7027



 2025年5月19日  ..sagawa     
RES
  
犬猫ものを作れるようにしておこうと思う。 
ついでにネズミも考えとくか。 
初期のミッキーマウスは著作権が切れたけれど、それはあくまでも初期のモノクロ作品であって、その後の手袋をしたカラーのミッキーマウスの著作権は残っているのだそうだ。モノクロで手袋をしていないネズミでないと訴えられる可能性があるということでしょうか。黒い丸を三つ並べただけで「ミッキーマウスを連想させる」と訴えて来るのがディズニーなので注意が必要です。
..2025/05/20(火) 23:46  No.7026



 2025年5月18日  ..sagawa     
RES
  
昨日よりはマシだけれどまだフラフラする。 
時々薄日が差す曇り空。一度すっきり晴れてくれないと体調は戻らんかな。 
熟考などすると気が遠くなってしまう体調なので、作りかけの鍋のフタに時間をかけてのんびりと目鼻を入れる。「恐竜」か「ワニ」かと思ったが、これに髭をつければ「竜」になるかなと思ったところで本日の作業は終了。 
 
栄養不足な気がしたので近所の回転寿司屋で夕食。 
空腹だった割には6皿でお腹いっぱいだ。本調子にはまだ遠い。
..2025/05/18(日) 22:45  No.7025



 2025年5月17日  ..sagawa     
RES
  
早朝に起床。 
まだ電動工具を使える時間ではないので手作業で試作品のマグネットを仕上げる。 
ツートーンにしてマグロを表現したいのだけれど基本的に丸過ぎるか。 
 
朝飯中に雨が降り始め、雨脚が強くなるにつれて体調が悪くなっていった。 
ボワーッとした中途半端な目眩のような状態が続く。微熱もあるようだ。 
今日の予定を全部キャンセルさせてもらって寝続ける。 
すっかり雨が上がった夜にいくらか調子が良くなってきたのでカレーに目玉焼きを乗せて夕食。 
寝て過ごしたのでもう眠くはないけれど、大事をとってベットに横になったままダラダラ過ごす。
..2025/05/18(日) 22:29  No.7024



 2025年5月16日  ..sagawa     
RES
  
一輪挿しを作り始めたはずが、あらぬ方向に進みはじめた。羽をつけると鳥の様にも見える。 
どうしたもんだか。
..2025/05/18(日) 03:35  No.7023



 2025年5月15日  ..sagawa     
RES
  
物置の隅に転がっていた角材をひっくり返してみたら表札だった。これは父親の字かな。 
私が生まれる前、両親が東京に出て来て最初に住んだところかな。 
少し調べてみると文京区大和町というのは今の本駒込6丁目になるのだそうだ。六義園を内包し、近くには小石川植物園がある。 
江戸時代は武家屋敷がならぶ地域で、そもそも六義園は徳川綱吉時代の大老柳沢吉保の下屋敷跡だそうだ。 
ずいぶん良いところに住んでたなと思わなくもないが70年くらい前の話だから江戸時代とも現在とも風景は違うだろう。当時の山手線の外側は、西は武蔵野の林で東は下町を経てその先は湿地帯のようなものだから、父親のような勤め人が住むにはほどほどの場所だったのかもしれない。 
最寄りの駅は駒込駅だけれど、今では都民でも駒込駅という駅があることを知らない人がいるらしい。高輪ゲートウェイ駅よりは風情のある地名だと思うけれど、これは昭和の感覚なのかしらね。
..2025/05/16(金) 00:43  No.7022











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