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  北方領土の現状  仲條拓躬2024/11/22(金) 17:38 
  ヨーロッパ人種の歴史  仲條拓躬2024/11/22(金) 17:37 
  ニートの現状とは  仲條拓躬2024/11/22(金) 17:35 
  清には4つの顔がある  仲條拓躬2024/11/19(火) 16:20 
  戦わずして領土を広げる  仲條拓躬2024/11/19(火) 16:18 
  没収された書籍  仲條拓躬2024/11/14(木) 16:10 
  日本国憲法第9条の行方  仲條拓躬2024/11/14(木) 16:08 
  フランスと日本を比較する  仲條拓躬2024/11/14(木) 16:06 
  重力と加速運動とは  仲條拓躬2024/11/11(月) 18:53 
  相対論と宇宙論とは  仲條拓躬2024/11/11(月) 18:52 






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北方領土の現状
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/22(金) 17:38
No. 7652
 
 
ドイツは分割。中ソは国境不確定。日中は、間に朝鮮半島分割。そして、日本とソ連の間には、北方領土問題。第三者によってケンカさせられています。それが北方領土問題です。この認識無しに、北方領土返還と叫んでも、埒があきません。

意地悪なAさんは、体の大きいSさんとお金持ちJさんが仲良くなるのが気に食わないです。気弱なJさんの宝物を体の大きいS君にあげました。
Jさん・・・ボクの宝物
Aさん・・・悔しかったら、Sさんから取り返せばいい。
Sさん・・・Aさんから貰ったのだ、返す必要が無い。

Aさんに助けを求めること自体が、無理な話です。問題は、一体誰のせいでケンカさせられているのか?正しい認識を双方が理解する事です。Sさん、宝物で得したと思っているけど、本当は僕がSさんにお菓子をあげるのが気に食わなくて、Aさんが僕らをケンカさせられているのだよという認識を広めなくては宝物は返してもらえないでしょう。

北方領土問題解決と引き換えに、日露平和条約締結。仮に返還したら世論や議会から弱みとして突き上げられます。返還したときのメリットが見えないので、まず経緯の認識、それを広めることが必要です。

単に平和条約ではなく、貿易のメリットなど、双方の得になる具体的な形が必要です。更に、他国が日本に言うように、日ソ不可侵条約破棄について、シベリア抑留などの一応解決済みでも、しつこくやるのが外交です。

中国、韓国、北朝鮮だって、少しでも引き出したいからこそ、戦後半世紀以上経った今でも、色々持ち出して来ます。世論の矛先を外に向けたいからこそ、細かいことを取り上げるのです。

 





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ヨーロッパ人種の歴史
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/22(金) 17:37
No. 7651
 
 
ブルトン人は5世紀に「ブルターニュ」から来ました。その「ブルターニュ」は今のイギリスの本島、古代ローマ人が「ブリタニア」と呼んだ島のことだそうです。彼らが住み着いたのでこの半島が「ブルターニュ」と名を変えたのです。彼らがもといた島の名がどうなったかは次の通りです。

ローマは1世紀からブリタニアを治めていましたが、現地のケルト人との接触が少なかったのか、ブリタニアのケルト人はラテン語に同化せず、ケルト語を話し続けていました。衰退したローマ帝国は407年、ローマ軍をブリタニアから撤退させました。

ガリアに進入した「蛮族」と戦うため、と歴史の本には書いてありますが、ローマ軍の去った後のブリタニアには同じ「蛮族」であるゲルマン人のサクソン族とアングロ族が今の北ドイツから進入するのです。この2つの部族はここで混じってしまったのか、このあとは今日にいたるまでアングロ・サクソン人と呼ばれています。

5世紀の間にブリタニアの平野部分を押さえ、伝説的なケルト人の首領アーサー王を敗退させます。以後ロンドンを中心とする地方をアングルランド、それが訛ってイングランドと称するのです。これがアングロ・サクソンの王国として育つのです。島の北部スコットランドにはスコット族などと混じっているがケルト人が住み続けています。

西部のウェイルズ、西南部のコーンウォールも同じです。いずれも中世からイングランド王国の支配を受け、英語が支配者の言語で、ケルト語は地方語となり、18世紀にコーンウォールでは絶滅したが、スコットランドのゲール語、ウェイルズのウェリッシュ語として健在です。

1999年からスコットランドは独自の議会を持ち、ウェイルズではすでに40年以上前から道路標識の地名はウェリッシュ語を上に書き、イングランド語を下に書くと法制化しました。

アイルランドはもっと古い別系統のケルト人が住み、ローマの支配は経験しなかったが、中世からイングランド王国に支配され、20世紀、日本の大正から昭和初期に猛烈な独立戦争を戦って、今やアイルランド共和国となっています。ケルト人唯一の独立国です。

だが、北アイルランドだけは18世紀からやたらにアングロ・サクソン人(プロテスタント)が移住して、多数派で裕福で、主権はイングランドに帰属したままです。そこで貧しいケルト人(カトリック)が独立(つまりアイルランド共和国への帰属)を求め、1960年代から武力抗争を繰り返しているのです。日本のマスコミではプロテスタント住民とカトリック住民の争いと説明しているのです。

 





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ニートの現状とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/22(金) 17:35
No. 7650
 
 
これから行われようとしている増税で将来に対する金銭的な不安、共働きや親の介護などで子育てをする余裕がなくなっています。さらに、子どもよりも自分自身だけが楽しみたいという若者が増え結婚が晩婚のため出産の高齢化が少子化に拍車をかけています。

増税による将来に対する金銭的な不安が、子どもを諦める結果に結びついているのは確かなことだと思います。終身雇用の崩壊、公的年金に対する不安、相次ぐステルス増税で生活するだけが、ギリギリの状態では子どもは作れないでしょう。

さらに、共働きや親の介護などで子育てをする余裕がない方も大勢います。子どもを育てるという崇高な仕事よりも自分自身の楽しみしか考えない方の心変わりはかなり難しいことです。これがニートなどが増加した要因ではないかと思います。

ニートは親のもとにいますが、これから先、親が年老いて死んだりしたらどうするのでしょうか。闇バイト犯罪に走るニートが大勢現れるのではないでしょうか。自分たちがニートになったのも政府のせいだと思うかもしれません。

「ひきこもり」は家から出られない理由ですが、ニートは働く意欲がなくお金が無いだけで、お金が無いから家から出ない。家から出ないから世間との溝ができてしまうと思うのです。ニートの方は自分自身が確りしなくてはいけないとは思いますが、社会も悪いと思います。親もさらに悪い。

子どもを育てるって事はお金だけがかかる事だと信じている親とか、何でも金で解決できると思っている親が、ニートを抱え込んでいるのに問題があると思うのです。部屋から出て来なければ、食事を与えない。働かないものに小遣いは与えない。

親元で暮らしている以上、生活費を請求するなど甘やかしてはいけないと思うのです。ニートの方には甘えがあります。仕事はいくらでもあるのだが、自分に合う仕事を探している。要するに仕事を選び妥協しないのです。

一日中部屋の中にいて自分に合う仕事など見つかるわけがありません。叱れない親が多過ぎます。子どもを殺しちゃう親も、親殺す子どもも、自殺する人もその根底にあるものはニートの文字が出てくる事が多くなっているのです。

 





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清には4つの顔がある
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/19(火) 16:20
No. 7649
 
 
16世紀末に中国東北部の満洲で、女真族のヌルハチがマンジュ国を建国していました。17世紀になると、ヌルハチの跡を継いだホンタイジは、チンギス・カアンの一族から妻を迎えます。そして北元から大元ウルスの玉璽を譲られてカアンとなり、国の名前を清 (大清グルン)に変えました。

その後、明が滅亡すると、中国は清の時代になるわけですが、最盛期の清は四重帝国でした。中国人にとっては「清の皇帝」である人物が、同時に「満洲族の大将」であり、チンギス・カアンの流れをくむ 「モンゴルのカアン」であり、やがて「チベット仏教の大旦那」 にもなり、4つの顔を持つようになったということです。

1637年、ホンタイジは朝鮮を完全に服属させます。ホンタイジは、明と戦争していたので、明の豊かな物資が入ってきません。その代わり、明と交易があった朝鮮を経由して物資を得ていました。朝鮮は生命線だったのです。

ホンタイジは明を倒そうと、何度も南下しますが、どうしても北京に入れないまま死にます。なぜかというと、万里の長城に山海関という、昔から難所とされる要塞があって、そこを呉三桂という明の大将軍が守っていたからです。

明は1644年、李自成によって滅ぼされます。李自成は、農民反乱のなかで頭角を現し、 北京を攻め落としました。そのとき、呉三桂はかわいいガールフレンドを北京に残していました。そのガールフレンドを、李自成が拉致したという噂が流れます。

すると、呉三桂は何を血迷ったか、山海関の門を開け、これまで敵だった清軍と一緒に北京に直行して、李自成を倒してしまいます。李自成と呉三桂のおかげで、清軍は楽々と北京を手に入れました。人間って、 愚かな動物です。呉三桂は清に恩を売ろうという狙いもあったのだと思いますが。こうして、清によって中国全土が再統一されました。

 





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戦わずして領土を広げる
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/19(火) 16:18
No. 7648
 
 
ルイ11世は、シャルルの死に乗じてブルゴーニュを奪います。ついでにフランドルも狙いましたが、 頓挫します。そしてブルゴーニュ公家のシャルルの一人娘のマリアが、ハプスブルク家のマクシミリアン1世と婚約して、ハプスブルク家がフランドルを獲得します。

ここからハプスブルク家の幸運が始まり、有名な言葉が生まれます。「汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」です。オーストリアの幸運なるハプスブルク家は、結婚で領土を広げていけばいい。戦争など、よそに任せておきなさい、というわけです。

イベリア半島ではカスティージャの王女イサベルとアラゴンの王子フェルナンドが結婚してスペイン王国が誕生しました。 2人は、イベリア半島からイスラム教徒を追放するレコンキスタの運動を一所懸命やりました。

そして1492年、アルハンブラ宮殿で有名なグラナダを陥落させ、レコンキスタを完成します。イサベルとフェルナンドは、「ローマ教会が正しい。異教はけしからん」と思ってレコンキスタをやっていました。

だから、レコンキスタでイスラム教徒を追い払ったら、次はユダヤ人だということで、ユダヤ人をスペインから追放してしまいます。ユダヤ人は、スペインの金融を一手に引き受けていました。 レコンキスタの戦費を賄ってくれたのもユダヤ人です。

そんなユダヤ人を追放したら、国力が弱くなるのは目に見えています。しかし、2人は経済より宗教の方が大事だと思っていて、判断を誤ります。ローマ教皇から「カトリック両王」という称号を与えられて2人は喜びましたが、のちにスペインがおかしくなる種は、このときにすでに撒かれていたのです。

レコンキスタが完成した1492年は、コロン(コロンブス)がバハマ諸島に到達した年でもあります。コロンが新大陸に到達したことで、大変なことが起きます。ペスト大流行でペスト禍で生き残ったヨーロッパ人はめちゃ強い免疫を持っています。

そんな人間ばかりのコロンの船隊がバハマ諸島に到着して、そこでくしゃみをしたらどうなるか。ヨーロッパの旧大陸からやってきた、めちゃ強い病原菌が新大陸に蔓延します。こうして、新大陸の人々は、旧大陸から船が到着しただけで、天然痘やはしかにかかってバタバタと死んでいきます。免疫を持たないわけですから。

あまりにもたくさんの人が死んでいくので、旧大陸の人々は領土を得られても、耕す人がいないということで困りました。そこでアフリカから黒人を連れてくることになりました。 すると、働き手を奪われたアフリカが衰退します。

コロンの新大陸到達は「コロン(コロンブス) 交換」とも呼ばれます。新大陸と旧大陸でいろいろなものが交換されたという意味です。農作物の交換では、旧大陸はジャガイモやトウモロコシ、タバコなどを得ました。

新大陸も小麦などを得たものの、どちらが得をしたかといえば、旧大陸の圧勝です。これが病原菌の交換となるともう、新大陸は旧大陸に0勝100敗くらいで負けたように思えます。でも、実際には1勝99敗ぐらいです。旧大陸に梅毒を輸出して、一矢報いた格好です。でも、被害の規模が違いすぎます。

 





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没収された書籍
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/14(木) 16:10
No. 7647
 
 
読売新聞に掲載されていましたが、「アジアに叫ぶ」(土井晩翠)、「航空対談」(菊池寛)、「大東亜戦争私感」(武者小路実篤)、「米国人の観たる満州問題」(新渡戸稲造)。とても読んで見たい本です。学術的にも文学的にも素晴らしい本だということですが、GHQにより没収されたのです。

東京・赤坂で芸能プロダクションを経営する澤さんは2000年2月、神田の古書店で「没収指定図書総目録」(1982年・文部省社会教育巨編)を見つけて、戦後、連合国軍事総司令部(GHQ)が「軍国主義的」などとして日本政府に没収を命じた図書約7000書籍のリストがあるといいます。

この一覧表の中には我々の石原莞爾平和思想研究会の前身である「協和会」や「東亜聯盟」の書籍も掲載されているといいます。我々はマッカーサーによって発禁に追い込まれた本や東条英機に没収された本、石原莞爾が書き記した日記を長い間、私の父が隠し持っており後世に残すべきと判断して世に出した。

幸い、石原莞爾平和思想研究会の同志には作家や書店・出版社、流通業者などがいるので多くの資料が集まっています。私などは保管するだけで、理解も出来ず目を通せませんが、個人所有の本だけでも莫大な資料が保管されています。

今も古本屋や図書館に寄贈した本まであります。古い本は、朽ち始めてしまいます。価値のある史料として、恒久平和の礎を築くためにも多くの方と研究を重ねていきたいと思っています。

 





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日本国憲法第9条の行方
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/14(木) 16:08
No. 7646
 
 
サンフランシスコ講和条約が、ポツダム宣言を終了させる形で1951年9月に調印されたのですが、同時に日米安保条約が調印されました。なぜ同時だったのかといえば講和条約が成立した時点でアメリカ軍が日本を占拠する大義名分はなくなったからです。

しかし、アメリカにとってアメリカ軍の日本駐留は、共産主義勢力との世界的戦略の観点から必要でした。つまりアメリカ軍はこの時に、日本占領軍から在日駐留軍に変貌したのです。駐日米国大使を務めていたマイク・マンスフィールドは、日本経済新聞の「私の履歴書」(1999年9月)の中で、次のような発言をしています。

「日本から朝鮮半島に回した米軍の穴を埋めるため、吉田茂首相に7万5000人の警察予備隊の創設を命令した」これが現在の自衛隊になるわけですが、マッカーサーは連合国軍総司令部(GHQ)が作成した「米国製」の日本国憲法第9条を伺うものともいえます。

戦争放棄を定めた日本国憲法第9条は、マッカーサーの直接の指示を受けてGHQの民生局のチャールズ・ケーディス次長を中心に作成した条項で、どこから見ても米国製です。日本に戦争を放棄させ、安全保障をアメリカ頼みにさせたのはアメリカです。アメリカ人はこの条項を批判すべきはおかしい。

今後どう判断すべきは、日本の国民が判断すべき問題なのです。マンスフィールド大使といえば、日本でも最も尊敬し慕われた大使です。その大使の口からこれほど明確に日本国憲法がアメリカ主導で作成されたこと、そしてその後アメリカが対日政策を大転換させ、当初の憲法から逸脱して違憲的存在である自衛隊を日本に作らせたことが語られたのは衝撃的なことです。

占領下にアメリカの手によって起草された日本国憲法は、その後、冷戦が表面化したため、起草者であるアメリカ自らの手で拡大解釈され、平和憲法の趣旨を大きく逸脱させられてしまったのです。

しかもその後の国際情勢の変化とアメリカの世界戦略の変化により、憲法第9条の拡大解釈は歯止めなく進み、もはや憲法第9条は蔑ろにされているのです。この状態を放置しておくことは、法治国家としての日本をモラルハザードに追い込むばかりか、アメリカの軍事戦略に沿った日米同盟体制を、黙って許すことになるのです。

憲法第9条の改正を口にすると、直ちに軍国主義化という批判が出てきますが、しかしこの状態では、平和憲法を守るためにこそ憲法改正が必要だという認識を持たねばならない時期にきています。

憲法第9条を擁護し続ける人たちは、皮肉にも憲法改正を頭から拒否し続けることによって、政権政党と官僚による違憲行為をなし崩し的に許しているのです。自民党と官僚がアメリカに言われるままに日本の軍事力を増強してきたことに、どんな効果的な対抗策も打ち出せなかったのは事実なのです。

 





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フランスと日本を比較する
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/14(木) 16:06
No. 7645
 
 
フランスの国を見ると大きな半島に見えます。現在の国土は、3つの海に囲まれています。北に英仏海峡、西に大西洋、南に地中海です。海流が暖流なので人が住みやすいそうです。日本はオホーツク海と日本海の海流を浴びます。

2月の平均温度はパリと東京でほぼ同じですが、パリの緯度は樺太(サハリン)なみで、東京の緯度はモロッコなみです。だが、パリは北なので冬の学校は1時間目が夜明け前の暗さです。4月になり冬が終わると5月はすぐに初夏なので春は殆どありません。

夏の夜は、最低気温25度以上はないので、家庭用クーラーは必要ないし、車も夏は窓を開けて走っています。南フランスの海浜でも湿度が低いので、家庭用クーラーはいりません。浴室のある家庭が日本より少ないので、毎日シャワーで体を洗うフランス人は26%です。だが、近年は地球温暖化の影響なのか異常気象に悩まされています。

フランスの国土を語ることは日本との違いを列挙するに等しいと言います。森林は国土面積の4分の1の25%です。ちなみに日本は森林が70%です。平野と海抜250メートル以下の台地が3分の2の70%弱です。日本は逆に山地が80%です。

そして農地、牧場、牧草地として使える面積が57%もあります。日本の農地は14%です。全面積は54万7000平方キロメートルで、日本の37万8000平方キロメートルと比べれば、1.5倍だが、フランスの場合大きな島はコルシカだけなので、フランスの国土は1カ所にまとまっているのです。

それが、ヨーロッパではロシアの次に大きい面積で、その7割が平らで、人口は日本の半分なので、フランスの田舎を列車や車で走ると日本よりかなり大きく感じてしまいます。フランスと日本が1つだけ国土感覚で似ている点は、飛行機で国内のどこへでも2時間以内で行けるということです。フランスの国土を描くのは簡単です。

平べったい六角形を書けばよいのです。その向かって左上の角に2つ耳をつける。上の耳は少し小さくする。これがノルマンディー半島です。下の耳がブルターニュ半島です。下の半島の上部の北は英仏海峡岸で下部の南は大西洋岸になります。

その脇の下の線を下がって真ん中辺の海沿いがボルドーです。ここから内陸へ真横に見ると、中央山塊にぶつかってその向こうがリヨンで、そこから斜め上に行った方向はスイスのジュネーヴがあります。

その辺は縦南北にアルプス山脈です。その真北にジュラ山脈、そのまた北にヴォージユの森林があります。その東はドイツです。高山はほかには西南のスペイン国境をずっと区切っているピレネー山脈があるだけです。

 





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重力と加速運動とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/11(月) 18:53
No. 7644
 
 
現在、自然界には4種類の力が知られています。重力、電気や磁気の力をまとめた電磁気力、原子核の中の陽子や中性子をつなぎ止めている「強い力」、そして中性子を陽子に変えると同時にニュートリノが放出されるなどの現象を引き起こす「弱い力」です。

実はこの4つの力のうち、重力だけが持つ特筆すべき性質があるのです。それは、重いものも軽いものも、重力によって生じる運動の加速度は同じであるというものです。塔の上から重い球と軽い球を同時に落とすと、どちらが先に地面にぶつかるか。

これが、ピサの斜塔で行われたという有名な逸話が残るガリレオ・ガリレイの実験です。空気抵抗などの効果を除いた理想的な実験なら、両者は同時に地面に到着するというのが正解です。物体の運動を決めるのは加速度であるから、この事実は重力によって発生する加速度が物体の重さによらないことを示しています。

このような性質を持つ力は、実は重力だけです。例えば電磁気力を考えると、同じ電圧で陽子と電子を加速すると、両者は同じ電荷(ただし符号は逆である)を持つので同じ大きさの力が加わるが、電子は陽子のおよそ2000分の1の重さのため、はるかに動きやすく、2000倍大きな加速度が生じます。

重力のこの奇妙な性質について、ニュートン力学による説明はやや回りくどいものです。物体にかかる重力は、その物体の質量(重さ)に比例して大きくなります。万有引力の法則です。一方、質量が大きいと、同じ力が加わってもその分だけ動きにくい、つまり加速度が小さくなります。

結局、この二つの効果が相殺して、物体の質量によらず同じ加速度が生じるというわけです。一応、これで説明にはなっていますが、なんだかすっとしない気分にならないだろうか?「すべての物体が同じ加速度で運動する」という、ごく単純で美しい事実を説明するのに、物体ごとに異なる力の大きさや質量を持ち込むのは美しいとは言えません。

科学者はそんなところに、より深い物事の本質が隠れていることがあるといいます。この場合もまさにその一例で、一般相対論はこの性質に注目することで、より深い重力の本質をとらえた理論が得られたものなのです。

この重力の性質のために、「加速運動する観測者の周囲の物体が逆向きに加速して見える現象」と、「重力が加わることで物体が加速される現象」は実は区別がつきません。どちらも、観測者の周囲のすべての物体が同じ加速度で運動することになります。

別の言い方をすれば、重力が働いていても、その重力による加速度で周囲の物質と一緒に落下する観測者から見れば、周囲の物体には加速度が働かない、つまり重力が消えることになります。落下するエレベーターに乗った人は、その中で無重力状態を観測することになるのです。

スペースシャトルの中で宇宙飛行士がふわふわと浮かび、無重力状態になっている映像をよく見かけます。では、「スペースシャトルの中はなぜ無重力なのか?」という質問に、どう答えるだろうか。多くの人は「スペースシャトルは地球から遠いところを飛行しているので、地球の重力が及ばないから」と答えます。しかしこれは完全な誤りです。

スペースシャトルの典型的な地表からの高度はたかだか数百キロメートルに過ぎない。名古屋の間の距離ぐらいで、地球の半径に比べれば小さなものです。つまりスペースシャトルは、宇宙から見ればほとんど地球にへばりつくように飛んでいるのです。

地球の重力の大きさは地球の中心からの距離で決まるから、地上にいる我々と、軌道上のスペースシャトルで重力の大きさは実はほとんど変わらないのです。ではなぜ、無重力となるのか? 正解は「みんな一緒に落ちているから」です。

スペースシャトルが「落ちている」というのは変に聞こえるかもしれないが、地球の重力に引かれて進路が変わっているという意味では、木から落ちるリンゴと変わらないのです。ただ、スペースシャトルは地球の表面に沿って高速で運動しています。スペースシャトルの落ち方が地球の表面の曲がり具合にぴったり合っていれば、スペースシャトルは永遠に地球の周りを回りながら、落ち続けるのです。

すべてのものが重力に身を任せて自由落下する場合、加速度は同じなので、相対的な加速度はすべて消滅して無重力状態になるのです。つまり、スペースシャトルの中の無重力状態とは、エレベーターが降り始める時に一瞬体が浮くように感じる、あの日常的な現象となんら変わりはないのです。

 





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相対論と宇宙論とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/11(月) 18:52
No. 7643
 
 
相対性理論はご存知の通りアルベルト・アインシュタインによって構築され、物理学に革命をもたらした理論です。1905年に発表された特殊相対論は、光の速度がどの観測者にとっても不変という衝撃の観測事実を説明するために、運動している人と静止している人では時間や空間が異なると考えた理論です。

人類が長らく抱いていた、時間と空間についての概念を一変させたと言えます。一方、1915年に発表された一般相対論は、特殊相対論を重力が含まれるように拡張したものです。その拡張のカギとなったのは、重力は時空のゆがみ(曲がっていること)であるという独創的なアイデアでした。

特殊相対論は仮にアインシュタインがいなくても、誰かがいずれ同じような理論にたどり着いたように思われます。事実、運動している人にとって時間と空間がどのように変わるかという数学的な変換は、特殊相対論に先立ちヘンドリック・ローレンツによって導かれたもので、ローレンツ変換と呼ばれています。

しかし一般相対論の「重力は時空のゆがみ」という発想は、おそらく自然科学の歴史の中でも最も独創的でユニークな発想の一つとも言うべきものです。一般相対論が物理学者の常識となっている現代の学者が想像しようとしても、正直、どうしてこんなことを思いついたのか、およそ見当がつかないレベルのものでしょう。

多くの凡庸な科学者にとっては、こういうところに天才と凡人の間の越えられない壁を感じたりするものだといいます。いずれにせよ、この一般相対論によって時間や空間は永遠不変ではなくダイナミックに変化するものとなり、しかもそれが物理学の法則によって記述できるようになったのです。

宇宙というのは結局のところ時間と空間であるのだから、科学史上初めて、宇宙そのものが自然科学の対象になりうる状況が出現したわけです。この一般相対論をその基礎に置いて、ビッグバン宇宙論は誕生しました。

ということで、宇宙の果てを考える上で相対論を避けて通るわけにはいかないのです。相対論に関する書籍は数多く出版されているので、宇宙論を理解するための最低限の説明にとどめようと思います。特殊相対論の出発点は、「光はなにに対して一定の速度で伝搬するのだろうか?」という問いかけでした。

物体の運動速度を測定することを考えよう。我々の日常感覚では、観測者が静止しているか、あるいは運動しているかで測定される物体の速度は異なります。地面に立っている人にとっての電車の速度と、それに並行して走る自動車に乗った人にとっての相対的な電車の速度は異なるという、誰でも経験することなのです。

 






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