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日本人の命と世界中に住む人々の命はどちらが重いのだろうか?中東に住む人々の命より、日本人の命の方が、重いのであろうか?罪なき人を虐殺してもアメリカ人は許されるのだろうか?劣化ウランの放射能で苦しむ人。頭を砕かれ脳がつぶされる人。腹を切られ内臓が破裂している人。アメリカの手によってその一生を終える人々がいるのです。
無残な姿で地にたたき付けられ、そっと息絶える人が数限りなくいます。一人一人の死者は皆、我々と同じ人間なのです。アメリカ・イスラエルはイランを攻撃してイランの子供たちの命を奪いました。イラクやアフガニスタンへの武力攻撃も行いました。
またイスラエルのレバノンへの攻撃はイランやシリアに対しての米国の愚行を許す布石であったのだろうか。人々の偏見や相互の理解不足が暴力という形になって表れ、無実の人をも巻き込んでしまっているのです。今こそ日本国は戦争反対の声をあげるべき時ではないだろうか?
我々は地球の命あるひとつの有機体として機能している以上、安心の概念を見直す必要があるのです。1人1人の人間も、人類全体も、同じ地球に生きるあらゆる生物も、地球を舞台に繰り広げられる化学反応と、生命を支える緻密で複雑なプロセスを通して絡みあっているなら、我々の誰もが、地球全体が健全であればこそ生きていけるのです。
同時にその健全さを保つ責任を未来の子供たちのためにも負っていることになるのです。この責任を果たすには、自分達の暮らす生物圏のために、戦争を行ってはならないのです。このまま戦争を続けているようであれば、地球が壊れてしまいます。
近年の大地震などは、人類が地球の痛みも無視して、戦争に没頭し環境破壊を行い、拍車をかけて地球を怒らせているのではないでしょうか。地球上の生きるひとつの生命体として、かつて経験したことのない異常気象、地震、津波、火山の爆発によって打撃を受けています。全く予想がつきません。戦争などを行っている場合ではないのです。
アメリカ軍が広島と長崎に原爆を落としたとき、人類は、自ら地球を滅ぼす事の出来る力を手にしたことに気付きました。我々はたった1つの地球に暮らしているのです。60年代に宇宙から見た地球の写真を初めて見たとき、人間は広大な無限宇宙の片隅で、小さな星を回る実に小さな惑星に寄り集まって住んでいる事を、写真を見て思い知らされました。
我々は「安心」を考え直さざるを得なくなったのは、化石燃料を奪い合い燃やし続けてきた為に地球環境が変化始めた時かも知れません。今を生きる我々は、ゆっくり流れてきた時の流れを一気に加速させ、科学とテクノロジーと商業における大革命のど真ん中にいるのです。我々はひと昔前の地球を戦争で壊そうとしているのです。
人の命の重みは平等です。平等とは、人間は生まれや身分で差別されないことを表しています。それは太陽から届く光において、陰日向がなく平等であるということです。あらゆる人間の命はかけがえのないものであり、その命の尊さは差別されないという精神です。人間という存在そのものの価値に差をつけないようにしなければいつまでも戦争はなくならないのです。
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