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イギリスとフランスの百年戦争は、1396年に一時休戦になっていました。それまでの前半戦では、シャルル5世という賢い王様がフランスを仕切って、イングランドを追い返しました。しかし、そのシャルル5世の子どものシャルル6世が精神に異常をきたし、これを機にフランスの王室が内輪揉めを始めます。
それを、イングランドのヘンリー5世はチャンスと思い、戦争を再開しました。百年戦争の後半戦です。 ヘンリー5世は、1415年のアジャンクールの戦いでフランス軍を撃破。 フランスのブルゴーニュ公と同盟を結んで、パリを占領してしまいます。
このときに、シャルル6世は、トロワ条約という屈辱的な講和条約を結んでしまいます。 パリを明け渡して、娘のカトリーヌをヘンリー5世に嫁がせ、自分の次の王位はヘンリー5世が継ぐという内容です。シャルル6世の息子のシャルル7世は、廃嫡されます。
この条約を結んだ後、ヘンリー5世とカトリーヌの間に、男の子が生まれます。のちのヘンリー6世です。ヘンリー5世はめちゃめちゃ喜びます。自分はイングランド王で、フランス王位の継承権も持っている。そのうえ、跡継ぎも生まれた。
これで英仏統一帝国ができると喜んだのも束の間、疫病で死んでしまいました。その直後、シャルル6世も没します。これによって、わずか1歳のヘンリー6世が、イングランドとフランスの王様になったわけです。当然、政治はできないので、ヘンリー5世の弟が摂政になってフランスを仕切ります。
このときフランスでは、廃嫡されたシャルル7世がブールジュを拠点に抵抗していました。これを潰そうと、イングランド側は、オルレアンに大軍を送ります。そこに現れたのが、 ジャンヌ・ダルクです。
ジャンヌ・ダルクはイングランド軍を撃退し、シャルル7世をランスで戴冠させます。しかし、その後、火あぶりにされてしまいます。百年戦争は一進一退を続けました。それからジャンヌ・ダルクは長く、忘れられます。ジャンヌ・ダルクを「再発見」したのはナポレオンです。フランス革命の後、ヨーロッパの国々は大騒ぎになりました。
「とんでもないことだ。 ルイ16世を殺した」「こんな国は潰さんと自分たちも大変なことになる」と。どこの国にも王様がいます。だから、ヨーロッパ中の国々がフランスを潰しにやってきました。そのときにナポレオンが、新聞に書かせまくるわけです。
「フランスはえらい危機です。四方八方、全部が敵です。でも、昔にもそんなことがあった。パリを取られてフランスが滅びそうになったとき、田舎からジャンヌ・ダルクという乙女が現れてフランスを救ったのです」と言ったわけです。ナポレオンもコルシカという田舎から出てきた無名の若者です。
だから、オルレアンという田舎から出てきたジャンヌ・ダルクを再発見して、自分と重ねあわせることで、フランスのナショナリズムを煽ったわけです。ナポレオンによってジャンヌ・ダルクは救国の英雄になり、やがてローマ教会の聖人にもなります。ただし、聖人になったのは1920年。20世紀になってからです。
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