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ハンガーに着ていたものをかけるのは、ひとつの大仕事です。夜中に帰って来て、しかも酔っ払っていると、作業は難航を極めます。季節が冬だと、さらに大変だ。身に装着している量が違う。冬のハンガー掛けは大事業である。酔ってフラフラしながら、取あえずハンガーをその辺の鴨居に引っ掛ける。まずコートを脱ぎ、その辺に脱ぎ捨てる。
次にマフラーをはずし、これをハンガーに掛ける。上着を脱いでハンガーに掛ける。酔っ払っているから、左右対称に掛からない。次にズボンを脱いで、酔っ払っていてキチンと折り目を揃え、すでにかかっている上着の前を開いてハンガーの下側の棒のところに押し込み、ズボンの平衡がたもたれるところまで、ズリズリと引っ張る。
この作業が実にわずらわしい。何回やっても慣れるということがなく、習熟するということがない。ズリズリと引っ張っているうちに、いい加減に引っ掛けておいた上着が、ハンガーから外れて落ちそうになる。落ちそうになるのを、なだめすかし、按配をはかりながらズリズリと引っ張る。面白くも何ともない。
こんな事やらないで済むなら絶対にやりたくない。そうやってようやく、上着とズボンがハンガーに装着される。そこで今度は、脱ぎ捨てたコートを拾い上げて、背広の上着の上から着せかける。こうしてようやく、1つのハンガーに、背広の上下と、マフラーとコートがかけられたことになる。この時は、心の底から、やれやれという気持ちになる。
大仕事を、無事やりとげたような気になる。ところが、やれやれと、言いも終わらぬうちに、ズボンがズルッと落下の気配をみせ、あっ待って、と取りすがったときはすでに遅く、ズボンは足元にグシャグシャになって落ちている。この時の怒りといったら。暫くは、なすすべもなく、怒りに手足をワナワナと震わせているだけである。
これまでの、細心の注意と、地道な努力がすべて、いま水の泡となったのだ。これまでの、あの忍耐は一体何だったのだ。足元のズボンを見て手足を震わせ、もう一度見つめ直しては手足を震わせる。また見つめて手足を震わせ、どうしてくれよう、と手足を震わせ、しかしどうにもならないと思い手足を震わせる。ハンガーが憎い。張本人はこいつだ。
この仕打ちは、どう考えてもわざとやったとしか思えない。暫くの間、唸りながら手足を震わせた後、ようやく気を取り直して、第二次ズボン装着計画に取り掛かる。まずズボンを拾い上げ、また折り目をキチンと合わせる。こみ上げてくる怒りを、「まあ、まあ」となだめつつ、ハンガーにかかったコートと上着の前を押し広げる。
上着とコートをいっぺんに押し広げるから、かなりの圧力がかかっている。その間にズボンを押し込み、横棒にひっかけ、向こう側にまわったスソをつかんでズリズリと下に引っ張る。今度こそ落下しないように、何回も何回も調整し、微調整する。
今度こそ、うまくいきそうだ。これでよし、万事OK、いや待てよ、もうひと引っ張りだな、と思い、もうほんの3ミリほどスソを引っ張った途端、今度はハンガー全体が、鴨居から外れてドサリと足元に落下する。
この時はもう、世の中を呪い、恨み、喉を掻き毟り、床を叩き、仰け反り、蹲り、柱に頭突きをくらわし、OH、NO!と叫び、暫くは崩れ落ちた衣類の周りで色々な事をしなければならなくなる。
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