| |
我々の求めているものは何か、未来の子供達のためにはエネルギー問題を締めくくらなければならないと思います。第二次世界大戦後、社会民主主義運動の先導者でもあった化学哲学者カール・ポパーは、哲学は宇宙論であるべきだと言いましたが、人間学として考えるとまず求めているものは「平和」です。
インドの哲学者で駐日大使が「宗教とは命を大切にすることだ」と言いました。それは、殺さないと言うこと戦争をなくすということです。日本に原爆が投下されて以後、1発も投下できない核兵器が、いまだに世界各地に存在するなど論外です。
殺し合いをなくすには、人間同士の激しい論争を何倍にも強めるべきだと考えています。我々が「命」の次に求めているのは「自由」ではないでしょうか。人間の本心は、気ままに生きたいのだと思います。自由は底知れず深遠な命題です。
孔子の「心の欲する所に従って矩を踰えず」という境地や、老子の「無為自然」には、その深遠な自由があります。しかし、現世の我々は、深遠な自由をつかみ人里離れて暮らす仙人にはなれませんが、文明を謳歌満喫しつつ自由に振舞いたいのです。
その人たちの「平和」と「自由」を保障するのはエネルギーです。食物も、あらゆる意味での環境も、そして労働が関わる時間もみな、エネルギーに依存しています。自由な存在を許す地球を我々は望んでいるのではないのでしょうか。
エネルギーの供給を充分にと言うと、「無駄づかいをして地球を壊す」と真剣に批判されます。一理はありますが、ものは充分あれば無駄使いするものでしょうか。ある面ではそうなるかもしれませんが、たとえば、充分ある空気を無駄使いしてはいません。
電力が充分に得られる状況になったら、きっと何かが起こるでしょう。少なくともエネルギー不足で人が餓え、殺し合い、地球が砂漠化して行くよりは良いと信じます。このエネルギー問題解決への挑戦に、戦争体験を背景に提案されています。
戦争を世界から一掃するには世界の若い科学技術者たちに、その開発を実行してもらわなければなりません。文明は、飽く事もない創造で支えられるものです。支えるのは人間の努力であり、智慧です。
智慧とはまさに科学精神です。科学は地球を破壊しているではないかと否定的な人が多い時代ですが、科学とは、人間が平和に自由に生きたいと願い、世界が共同で共有して努力するものだと思います。
|
|