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自然はいちばん大事な秘密を光に込めました。我々の恒星である太陽からの光は、地球の全生命の源です。植物は光を食べて糖をつくります。光は宇宙の物差しでもあり、空間と時間に輝く目盛りを刻みます。光が閉じ込められた所はブラックホールです。
暗黒物質や暗黒エネルギーは光を発さないので、その正体の理解が進んでいません。「光を見る」というと宗教的な意味で使うことが多いのですが、光にいちばん執着するのは天文学者です。だが光の探究は、一流の天文学者や物理学者さえも困惑させます。
ニュートンもそうでした。20代のニュートンは1665年から1666年の冬を故郷のウールスソープで過ごしました。英国リンカンシャーの寒村です。彼は寝室にこもり、光と色の物理的性質の解明を試みます。思い詰めて、針で目を突いてみた事もあったという。
このころニュートンは、既に微分積分学という数学の新しい分野の基礎を築いていました。そして一連の実験の結果、色は光の一つの側面であると結論づけました。我々の目に映るものは、どこまでが光の特性で、どこからが神経活動の産物なのか。
色は光の中に隠れているのか、それとも我々の目の中にあるのか。ニュートンはそれを突き止めたかったのです。知りたい欲求が高じるあまり、ニュートンはボドキンと呼ばれる千枚通しを手に取り、左目の下のほうに押し当てました。
光学研究のノートには「眼球に圧力をかける実験」と淡々と記し、図まで添えてあります。この実験は明るい部屋で行なったが、両目をしっかり閉じていたにもかかわらず、まぶたを通して光が入ってきて、大きな「青みがかった円」が見えたといいます。
苦痛の割に大した結果は得られなかったようです。それでも、こうした単純で身近な実験を積み上げた結果、ニュートンは虹の正体を明らかにし、白い光はすべての色の足し合わせでできている事を説明しました。
ニュートンが探究したのは、熟したリンゴが木から落ちたり、窓から光線が差し込んだりといったありふれた現象です。でも、その「当たり前」のことに、まるで4歳児のように「なぜ」「どうやって」という疑問を向けたところが偉大でした。 光の成分は何だろう。
光を限界まで分割したら、そこに何があるのか。影のできかた、雲間から差す光、皆既日食の暗闇を考えると、光は直進することがわかる。ニュートンは、光は粒子の流れだと考えました。コーパスルと彼が呼んだ微粒子が次々と目の網膜に当たることで、我々は光を感知するのです。ところがオランダに、粒子説に真っ向から反論する研究者がいました。
それは誰あろうクリスティアーン・ホイヘンス、土星に環があることを確かめ、最大の衛星タイタンを発見した天文学者です。彼もニュートンと同じで、身近な現象に好奇心と疑問を向ける人物でした。終生うつ病を抱えながらも、好奇心の結果世界を変えることに長けていました。
振り子時計を発明したのもホイヘンスです。正確に時を刻む振り子の振幅を割り出す公式も考案しました。振り子時計はそれから3世紀のあいだ、最も正確な計時装置として世界に君臨しました。
ホイヘンスは「マジック・ランタン」と名づけた新しい装置の原案を残しています。それが映写機として実現するのは数百年後ですが、ホイヘンスは17世紀当時既に映画の概念をもっていました。その「映画」は本人の陰鬱な気質も関係していただろう内容です。
ホイヘンスのペン画には、骸骨がダンスを踊る様子が描かれています。おどけた挨拶のあと、自分の頭蓋骨をはずして山高帽のように腕に抱え込む。そして頭のないまま得意げに胸を張り、また頭を戻してにやりと笑いかけるのです。
ホイヘンスもニュートン同様、数学の新しい領域を開拓しました。ゲームの結果を予測する理論、つまり確率論です。光に関してもホイヘンスは独自の説を打ち立てましたが、それはニュートンと全く異なっていました。
光は一直線に次々と飛んでくる粒子ではなく、あらゆる方向に広がる波だと考えたのです。音が波のように移動することは、当時既に知られていました。扉が少し開いているだけで、向こうの声がよく聞こえるのは、音が水のように回り込んで入ってくるからです。
音叉をたたいて持ち上げ、音を聞きながらその振動を見ていると、音波が四方八方に発散するのが見えるようです。光もこれと同じだとホイヘンスは考えました。ニュートンとホイヘンス、2人の天才はどちらが正しいのか。光は粒子か波か。この問いの答えは一筋縄ではいかないのです。
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