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フランスの植民地と言えば、ルイ15世の18世紀からナポレオン戦争の19世紀初頭までの英国との百年戦争で、フランスはインド・カナダでの植民地を失いました。ナポレオンは欧州大陸での覇権確立を優先して、北米の広大なルイジアナにあるルイ王の植民地をアメリカ合衆国に売却してしまいました。
英国艦隊に制海権を奪われている状況では、やむを得ない処置だったのかも知れません。第二次世界大戦にドイツに占領されていたフランスは、ド・ゴールの代表する亡命政権が認められて、国連安全保障理事会常任理事国になっています。
「普仏戦争」までの間に政体は移り変わりました。欧州列強の植民地獲得競争にフランスが再び参加するのは、アルジェ征服からで、シャルル10世の末期です。3万6000の大軍を派遣して、征服は成功しますが政体は滅びたわけです。
ルイ=フィリップ政権は初めアルジェリア沿岸部だけの経営にとどまっていたのですが、政権末期には内陸まで侵攻します。その後、セネガル征服が完成しアジアではサイゴン周辺のコーチシナ、カンボジアを支配します。これは日本では明治になる前です。
ところがナポレオン3世の第二帝国の崩壊後、第三共和国も植民地獲得を続けます。スーダンとモロッコ、コンゴがアフリカで、アジアでは1885(明治18)年に清帝国と「仏清戦争」で勝ち、中国に手を引かせ、ベトナムとラオス全部を支配し場所により植民地だったり保護領だったりします。
征服完成は1893(明治26)年、日清戦争の前年です。17世紀から基地にしていたマダガスカルで反乱があり、それを鎮圧して1896(明治29)年保護領から併合とします。明治の日本人が抱いた切迫感はよくわかるのでないでしょうか。
「こちらが日本国から出ていかないとアジアが取られる」という論理から独立保全を助け石原莞爾将軍指導の満州合衆国だけを建設しておけばよかったのですが、軍の暴走があった事は残念でなりません。
現在、残っているフランスの植民地と言えばカリブ海、南太平洋、インド洋の島に過ぎません。だが植民地を失ったという喪失感があるのでしょうか。植民地を持っていたということが国民生活に痕跡を残しているか。
パリで日本人が変にくだけたフランス語で話すと、ベトナム人かカンボジア人と思われるそうです。英国人がインド所有の結果、1日に食事は4回と、4時に紅茶を飲む習慣ができたと言います。
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