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満州国に関する限り、満州は決して単なる傀儡国家、植民地国家ではなく、欧米の帝国主義支配を排してアジアに理想国家を建設する運動の場でありました。満州国建設は一種のユートピア実現の試みです。
1945年以降、存在し続けてきたこともまた紛れもない事実なのです。林房雄氏は「この短命国家の背後には、200年にわたる西洋諸国のアジア侵略史があり、それに対するアジア最初の効果的抵抗として明治維新があり、この抵抗線の延長上に満州国が出現した。」
「……これを西洋政治学のプペット・ステート(傀儡国家)の概念でかたづけることはアジアの歴史そのものが許さぬ。満州国はまだ世界史の進展に生きつづけている」(満州国史編纂刊行会編『満州国史・総論』)として、満州国の評価は100年後に定まるであろうと書いています。
また、満州港総務庁次長を務め、戦後総理大臣となった岸信介氏は、満州国建設においては、「民族協和、王道楽土の理想が輝き、科学的にも良心的にも、果敢な実践が行われた。それは正しくユニークな近代的国つくりであった。」
「直接これに参加した人々が大きな希望のもとに、至純な情熱を傾注しただけでなく、日満両国民は強くこれを支持し、インドの聖雄ガンヂーも遥かに声援を送った。当時、満州国は東亜のホープであった」(満州回顧集刊行会編『あゝ満州』)と回想しています。
さらに満州国の終焉に総務庁次長として立ち会った古海忠之氏は、「満州国の建国育成は、歴史上前例のない1つのトライアルであった。……侵略、植民地化万能の歴史的時代にあって、満州の地に民族協和する理想国家を作ろうとしたことは、日本民族の誇りであり、当時の日本青年が名利を超越して理想に邁進努力したことは日本青年の誇りでもある」
(「満州国の夢は消えない」『挫折した理想国』)と確信し、民族協和の理想すなわち満州国建設の理想は歴史の発展とともにますます輝きを増し、永く生きつづけて行くと信じて疑わなかったのです。
この他、満州国建設を推進した関東軍参謀片倉衷氏は、満州国を王道楽土と民族協和の高き理想を掲げたヒューマニズムの発露として、「何れも東亜の安定への礎石として、実りある開花でもあった」(『回想の満州国』)と断言しています。
総務長官を務めた星野直樹氏は、満州国建設を「ひとり主導的地位に立った日本人のみならず、ひろく東亜諸民族が力をあわせて開発・発展せしめ、その恵福をひろく等しく各民族の間に分かち、ここに新たなる楽天地を作り上げよう」(『見果てぬ夢―満州国外史―』)としたものと讃えてやまなかったのです。
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