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  小話2026年1月分上  仲條拓躬2026/01/27(火) 18:07 
  ダイナモ理論について  仲條拓躬2026/01/26(月) 20:31 
  地球について  仲條拓躬2026/01/26(月) 20:27 
  メンデルのエンドウマメ  仲條拓躬2026/01/20(火) 14:37 
  バビロフが守り抜いた植物の種子2  仲條拓躬2026/01/20(火) 14:34 
  バビロフが守り抜いた植物の種子  仲條拓躬2026/01/20(火) 14:33 
  飢饉で亡くなった人々  仲條拓躬2026/01/17(土) 08:43 
  緑十字銀賞を頂いた時の高市総理の動静  仲條拓躬2026/01/17(土) 08:25 
  飢饉で亡くなった人々  仲條拓躬2026/01/13(火) 16:50 
  地球と生物の誕生の仮設  仲條拓躬2026/01/13(火) 16:49 






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小話2026年1月分上
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/27(火) 18:07
No. 8118
 
  JERAは2021年6月から、愛知県の碧南火力発電所の燃料にアンモニアを混焼させる実証実験を始めており、2024年に20%へ混焼割合を引き上げることを目指しています。そして最終的には、2050年までにアンモニアだけを燃やす 「専焼」につなげて、CO2排出をゼロにしたい考えです。

三ツ星レストラン ベスト3 1位 日本 2位 パリ 3位 香港

昭和100年で心に刻まれた ベスト10
第10位 美空ひばり 第9位 藤井聡 第8位 田中角栄 第7位 きんさんぎんさん 第6位 坂本九 第5位 神戸連続児童殺傷 少年 A 第4位 長嶋茂雄 第3位 麻原彰晃 第2位 安倍晋三 第1位 大谷翔平

100歳以上の高齢者は9万人以上 います。88%が女性です。

ジングルベルのベルは馬のしっぽ についている鈴である
クリスマスソングではありません

時計の時刻は世界中にあるおよそ400台のストップウォッチの平均値から決めている
セシウム原子時計で1秒を決めている 量子力学である

中国の上海には、いろんな租界がありました。いわば列強の植民地です。租界には中国の権力が及ばないので、自由がありました。だから 中国共産党は1921年、上海のフランス租界で誕生しています。韓国の若き独立運動の志士で、やがて大統領になる李承晩も1919年、やはり上海のフランス租界で臨時政府をつくっています。上海はある意味、自由な街でした。

明治維新のグランドデザインは、阿部正弘が開国に際して示した「開国・富国強兵」です。この3大方針のうちの「開国」、すなわち国際協調を、日本は捨ててしまい、張作霖を殺害した日本軍は、満洲でさらに柳条湖事件を起こします。1932年には、清朝最後の皇帝の溥儀を添えて、満洲国の建国を宣言するのです。

蒋介石はものすごく執念深い人で、自分を監禁した張学良を許さず、その後、長く拘束しました。第2次世界大戦後に台湾に逃げたときも、蒋介石は張学良を連れていき、拘束を解きませんでした。

ヒトラーは電撃戦でフランスを押し込み、パリに進軍します。それを見ていたムッソリーニのイタリアが参戦します。イタリアはなかなか賢いところがあって、いつも戦争に入るのは遅くて、出ていくのは早い。リアリズムの国です。

ムッソリーニが失脚して、イタリアは9月に降伏し、10月にはドイツに宣戦布告します。賢い判断です。ドイツが勝ちそうなときに戦争にぱっと入って、ちょっとおいしい汁を吸い、負けそうになったらいち早く降伏して許してもらう。こういうところがイタリアの賢さです。

1946年、中国では、蒋介石の国民党政府と毛沢東の共産党がまた喧嘩を始めました。 国共内戦です。普通に考えれば、国民党政府が勝つはずでした。国民党政府は国土の3/4を押さえていましたし、アメリカの支援で武器弾薬も豊富でした。しかし、この頃の共産党は大変しっかりしていて、毛沢東が「三大紀律八項注意」というルールを軍に守らせていました。 例えば、「お百姓さんからは何一つ奪ってはいけない」といったルールです。 一方、蒋介石の国民党は戦争のためといって村から物資を勝手に持ち出します。ですから共産党の方が支持されて、蒋介石を台湾に追い払ってしまいました。

戦後日本の幸運が始まりました。中国がソ連と組むまで、日本に対するアメリカの方針は「もう二度と馬鹿な戦争をさせない」でした。だから、工業を発展させる必要はないと考えていました。しかし、北京を共産主義陣営に奪われ、ソ連に近い東アジアで人口が多く、近代的な国といったら、もう日本しかありません。だから、国共内戦の終結後、アメリカは手のひらを返すように、日本の復興を助けてくれるようになります。

サンフランシスコ講和会議で結ばれた平和条約には、日本全権団のメンバー全員がサインしていますが、日米安保条約にサインしたのは吉田茂1人です。いわば、吉田茂1人で安保条約発効させている格好です。これで日本はアメリカの犬となってしまいました。

アメリカのフロリダ州は 全ての ワクチンの接種を全面廃止しました
ワクチン接種をした方から スパイク タンパクが出て打たない人にも感染するから

ニューヨークの市長はウガンダ 生まれのイスラム教徒の市長で両親とも インド人です
 
過去100年間で一番若い 34歳の主張です
皇室が活躍した1年でした 韓国の大統領が 逮捕は驚きました
戸籍にふりがな 登録 キラキラネームの削除が行われました
ゾンビ タバコ カスタマー ハラスメント問題 USスチール 買収 問題
カムチャッカ 大地震で日本にも津波 ロサンゼルス 山火事 岩手県大船渡市で山林火災
ちゃん付け セクハラ認定 オンラインカジノ問題 日本郵便運送事業許可 一部取り消し
和歌山のパンダ 中国に返還 特進税がSNSで話題になる 戦後80年

 





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ダイナモ理論について
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/26(月) 20:31
No. 8117
 
 
地球に磁極があるのはダイナモ理論のおかげです。地球の自転で、地球内部(外核) の溶けた鉄が動くことによって電流が発生します。この考えを「ダイナモ(発電機)理論」と言いますが、この電流の働きによって、地球全体が磁気(地磁気)を持つのです。

つまり、地球を南極がN極、北極がS極の巨大な磁石と考えることができるのです。 ちなみに、過去にはN極とS極が入れ替わっていた時期もあります。昔の地磁気がなぜ分かるのとかというと溶岩に痕跡が残っているからです。

溶岩には鉄鉱物が含まれており、固まるときの磁気の方向がそのまま溶岩に残ります。その磁気の性質を調べることで、溶岩が冷えて鉱物が固定された時代の磁場の強さや向きが分かるのです。

地球に磁場がなかったらどうなっていたのかというと強烈な太陽風が地表に届いてしまいます。磁場は地表の環境を太陽風から守ってくれています。太陽風は、太陽から出る放射線のことで、地表に届くと、地球上の生物は生きていられません。ちなみに、地球のこの磁場は100年に5%の割合で弱くなっていると言われています。

オーロラはなぜ発生するのかといいますと太陽風が大気圏の酸素や窒素とぶつかることで発生します。磁場に沿って移動した太陽風の粒子が、大気圏の酸素や窒素とぶつかることによってオーロラは発生します。

太陽風が磁場のバリアを避けて大気圏に入り込みやすい場所が北極圏や南極圏なので、これらの地域でオーロラが観測されるのです。オーロラは惑星に磁場があれば発生するので、地球だけではなく、木星や土星でも見られます。

北と南が逆になるとは、地球の磁場のS極とN極は、過去360万年の間に11回逆転していたことが分かっています。磁場の逆転は地殻活動が不活発なときに起こり、そのペースは1万年だったり50万年だったりと不規則です。この磁場の逆転は火山岩を調べることで分かった事実です。

 





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地球について
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/26(月) 20:27
No. 8116
 
 
我々の暮らす地球は、ガスやちりから生まれたといいます。宇宙の誕生は約138億年前のビッグバンによるものとされています。その後、約92億年を経て、生涯を終えたある星が爆発。そのガスやちりのなかから原始太陽が、ついで地球をはじめとする惑星が生まれたと考えられています。

なぜ地球が46億歳だと分かったのかというと地球に落ちた隕石の解析によって分かりました。見つかっている隕石や月の岩石を解析したところ、最も古いものが約46億年前のものであることから、そう推測されています。というのは、地球は微惑星や隕石が集まってできたと考えられているからです。

地球はどうやって生まれたのかといいますと無数の微惑星が衝突し、合体して生まれました。原始太陽の周りを回っていたガスやちりが集積して微惑星ができました。その微惑星同士が衝突・合体を繰り返し、8つの惑星が生まれました。

そのうちの1つが地球です。8つの惑星は太陽の周りを回っていることから、「太陽系惑星」 と呼ばれます。太陽系には、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星の8つの惑星と火星と木星の間に存在する小惑星帯などがあります。

太陽系の惑星はすべて地球と同じ構成なのかといいますと違います。大きく3種類に分かれます。太陽系の8つの惑星は、構成物質によって「岩石惑星 (水星、金星、地球、火星)」 「巨大ガス惑星 (木星、土星)」「巨大氷惑星(天王星、海王星)」の3種類に分類されているのです。

 





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メンデルのエンドウマメ
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/20(火) 14:37
No. 8115
 
 
作物でも家畜でも、丈夫な個体を選んでかけ合わせるとさらに強い個体が生まれます。この事実は1000年ほど前から知られており、人為選択と呼ばれています。ただし、強く好ましい形質がどのようにして次世代に受け継がれるかは、全く謎のままでした。

生き物が自然選択で進化する仕組みをチャールズ・ダーウィンが解明したあとも、わからないままだったのです。1859年、ダーウィンが『種の起源』を出版して世界を新たな光で照らすと同時に激しい怒りを買ったその頃。現在のチェコ共和国、ブリュンの聖トマス大修道院の司祭グレゴール・メンデルは科学教師を目指していました。

しかし資格試験に2度も失敗し、代用教員にしかなれませんでした。メンデルは職務の合間にエンドウマメの研究に取りかかります。異なる種類をかけ合わせながら数万株を栽培してはスケッチし、それぞれの背丈のほか、さやと種子と花の形状、色を細かく記録していったのです。

背丈の高いものと低いもの、豆が緑色のものと黄色のものをかけ合わせたらどうなるのか。それを正確に予測できる交配法則を見出そうとしたのです。緑豆の株と黄豆の株をかけ合わせても、黄豆しかできない。黄豆が緑豆をしのぐわけですが、それを表現する言葉はなかったのでメンデルが考案しました。「顕性(優性)」です。

さらにメンデルは、その次の世代で何が起こるか予測できました。黄豆の入ったさやが3個続いたら、4個目のさやは開くまでもなく緑豆なのです。エンドウマメは4株のうち1株は緑豆が実る。かけ合わせた次の世代でひょっこり出現するこの形質をメンデルは「潜性 (劣性)」と名づけました。

エンドウマメ自身が、特性を生み出す隠れた「因子」をもっています。ニュートンが重力を公式にしたように、メンデルは因子の働きを単純な式で表しました。生命が次世代にメッセージを送る法則が見つかったのです。

代用教員は全く新しい科学の分野を切り開いた。しかし世間がそのことに気づくのは35年もたってからでした。エンドウマメの交配実験の論文は1本だけです。メンデルは、科学史最大の貢献者の1人という後世の評価を知ることなく世を去ったのです。

彼の業績は1900年に再発見されました。英国の動物学者ウィリアム・ベイトソンが、動植物の新品種開発にメンデルの公式を活用しています。メンデルのいう「因子」は遺伝子という別の名前を与えられ、ベイトソンはこの新しい分野を遺伝学と命名しました。

ベイトソンは科学と自由は不可分という信念の持ち主で、サウスロンドンのマートンにあるジョン・インズ園芸学研究所にある自分の研究室には、ケンブリッジ大学ニューナム・カレッジ出身の女性研究者を数多く登用しました。女性たちに混じって、ロシアから客員で来ている若い植物学者がいました。彼は飢饉のない世界、飢えで死ぬ者のいない世界を科学でつくりたいと夢見ていたのです。


 





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バビロフが守り抜いた植物の種子2
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/20(火) 14:34
No. 8114
 
  研究員たちはぎょっとしましたが、すぐに金属の棒を振り回して追い払おうとしました。 エレナ・キルプは部屋を飛び出し、自動小銃を持ってきてネズミに発射しました。整然と分類されていた種子や木の実や米が、作業台の上で無残に散らばります。作業は一からやり直しでした。バビロフがいてくれたら。 同志よ、彼の不在が重くのしかかります。

同志よ、バビロフはもうこの世にいない。つらいけど受けいれなくては。研究員たちはそう言ってお互いを励ました。だがバビロフは生きていたかろうじてですが。サラトフの刑務所に移送されていて、1942年のクリスマスもどうにか迎えることができたのですが、骨と皮ばかりになって、壊血病にもかかっていました。

この頃、狭い独房で残る力を振り絞って嘆願書を書いています。「私は5歳で、植物交配の分野では豊富な経験と知識を有しております。国のために尽くすことができれば幸せに存じます・・・・・たとえ初歩的なものであっても、自分の専門分野で仕事をさせていただきたい。ぜひともお願いします」だが、回答はありませんでした。

飢饉と飢えをなくそうと誰よりも尽力した男に対して、国家は銃殺ではなく、もっと残酷な運命を用意していました。バビロフは意図的に時間をかけて餓死させられたのです。1943年のクリスマスが来ました。特殊部隊にはまだ攻撃命令が下りない。土のうを積み上げ、大砲を乗せた陣地で待機が続いていました。

レニングラード市民は包囲の中で3度クリスマスを迎えました。市民の3人に1人、30万人が既に餓死していましたが、それでも容赦ないドイツ軍の攻撃に懸命に耐えていました。バビロフの研究所では、1日パン2切れの乏しい配給もとっくに途絶えていました。凍えるほど寒い暗い建物の中で、研究員たちは作業台の前で次々と息絶えていきました。

気高い彼らは、大量に保存されていたピーナツ、エンバク、エンドウマメの標本には一切手を付けませんでした。全員が餓死したけれども、残った標本はすべてが完璧に分類され、記録されていました。バビロフの宿敵トロフィム・ルイセンコはどうなったのか? 彼はその後20年間、ソ連の農業と生物学の発展をはばむ足かせとなりました。

しかし1967年、ロシアにまたも大飢饉が起きたのをきっかけに、著名な科学者3名がルイセンコのエセ科学とその他の罪を公に非難しました。スターリンが死去し、ルイセンコが国に与えた損失が認識されるにつれて、バピロフの名がようやく話題に上るようになりました。植物生産研究所はバビロフの名前が冠され、現在も活動を続けています。

一方、最近のロシアの世論調査で最も偉大な人物を尋ねたところ、ウラジーミル・プーチンをわずかな差で抑えてスターリンが1位になりました。2008年、ノルウェーとスウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランドが共同でスヴァールバル世界種子貯蔵庫を開設しました。バビロフの種子標本の現代版です。

場所はノルウェーと北極のあいだに浮かぶ島で、かつては石炭採掘が行なわれていました。現在この貯蔵庫には100万種近い種子が保存されています。ただ最近になって、気候変動で永久凍土層が急速に融ける危険があることがわかり、ノルウェー政府は地下貯蔵庫の断熱強化など対応に追われています。

バビロフの研究所では、標本をひと粒でも口にする者はいませんでした。2年以上ものあいだ、レニングラード市民が餓えて死んでいても、保管している種子や木の実、種芋を提供することもなかった。いったいなぜ?

今日あなたは食事をした? 答えが「はい」なら、研究者たちが生命と引き換えに守り抜いた種子の子孫を口にした可能性が高い。私たちにとって、未来は現実であり、かけがえのないもの。それはバビロフや研究員も同じだったのです。

 





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バビロフが守り抜いた植物の種子
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/20(火) 14:33
No. 8113
 
 
1940年8月5日の夜、バビロフがいたウクライナ西部の実験農場に1台の黒い車がやってきました。バビロフはモスクワに連行され、NKVD (内務人民委員部) 秘密警察のルビヤンカ刑務所の中でも、奥まった区域に収容されました。

最初のうちバビロフは、科学的な見解の相違だけで罪は犯していないと主張しました。だが国家保安委員会のベテラン将校アレクサンドル・グリゴリエビチ・フバートは、こういう頑固な容疑者の扱いには長けていました。まずは10時間、12時間ぶっ通しの尋問です。夜中にベッドからたたき起こすのも当たり前でした。

拷問もあったと思われます。両足が腫れて歩けず、引きずられて監房に戻ったバビロフは、床に倒れたまま動けなかった。400回以上、1700時間に及ぶ尋問で、ついにバビロフは力尽きて供述書に署名しました。逮捕から1年後、銃殺刑が宣告されました。年秋、モスクワのブトイルカ刑務所の死刑囚棟に入りました。

バビロフは独房で執行を待つ日々でした。その年の冬、独房の扉がついに開いて看守に引き出されました。ところが処刑は行なわれない。ドイツ軍機甲部隊がモスクワに迫っているので退避するというのです。ヒトラーはスターリンと結んだ不可侵条約を反故にして、戦車を含む大軍勢でソ連侵攻を開始していました。

ドイツ軍がモスクワの手前まで接近するころ、バビロフたち囚人はさらに内陸へ移送されていました。モスクワの空は黒い煙に覆われ、ドイツ軍機の巨大編隊が市街地に影を落とします。爆撃の音は鳴りやむことがない。ただそれでも、史上最大の激烈な市街戦となったレニングラード包囲戦に比べれば何ほどでもなかった。

バビロフの植物生産研究所は中心部の聖イサアク広場にあり、爆風に備えて窓はすべて板で覆われていました。暗くて寒く、天井からほこりが舞い降りてくるような建物に、農業が始まってから1万年ものあいだ、遺伝子を受け継ぎながら人類の生命を支えてきた世界中の植物の種子が保存されていました。

その計り知れない価値を知っていたのは、スターリンではなくヒトラーでした。この建物の地下に、バビロフの忠実な研究員が集合しました。ゲオルグ・クリエル、アレクサンドル・シチューキン、ディミトリ・イワノフ、リリヤ・ロージナ、G・コバレスキー、アブラハム・カメラズ、A・マリギナ、オルガ・ボスクレセンスカヤ、エレナ・キルプです。

彼らは寒さに震えながら、バビロフは自分たちにどうしてほしいだろうと考えました。バビロフの生死はわからないが、彼ならどうしただろう。それは研究を続けることです。バビロフが尊敬してやまないマイケル・ファラデーのように。包囲戦が長引けば市民は飢えます。この研究所には食用の標本がたくさん保管されているのです。

世界が正気を取り戻すまで、種子を最後のひと粒まで守り抜く手段を考えなくては。1941年のクリスマス、ドイツ軍によるレニングラード包囲は既に100日を超え、餓死者は4000人に上っていました。気温は零下4度で、都市基盤は崩壊しています。もう時間の問題だとヒトラーは思ったに違いない。

この状態で長く持ちこたえられる都市などない。ヒトラーは祝勝会の招待状を印刷し、晩餐のメニューまで考えていました。会場は聖イサアク広場に面したレニングラード随一のアストリアホテルと決め、広場は標的にしないよう爆撃機のパイロットに指令を出していたのです。

レニングラードにはエルミタージュ美術館があり、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロなど古今の名画を所蔵しています。それを案じたスターリンは人員を投入し、作品を鉄道で避難させたのです。バビロフの種子標本はスターリンに見向きもされなかったのですが、ヒトラーが欲しかったのはむしろそちらだった。

パリのルーブル美術館を手中に収めているから、絵画はもう十分。それよりバビロフの財宝の方が、はるかに価値が高いと考えたのです。何カ月にも及ぶ作業で、研究員たちは、日に日にやせ細り、寒さで青ざめていきました。

それでも大きなテーブルに集まっては、ろうそくの光を頼りに、白い息を吐きながら種子や木の実、米を分類し、目録を作成していく。ヒトラーは、生きた財産である種子標本を押収し、第三帝国で利用することを見据えて親衛隊に特別部隊まで編成していました。

引き綱を放たれるのを待ち構えるドーベルマンのように、部隊はいつでも出動できるよう待機しています。一方、研究員は1日にパンを2切れという乏しい配給に耐え、仕事を続けていました。ある意味、研究員にとって町の外側を固めるドイツ軍は脅威ではなかった。 ある日、種子を入れた皿がずらりと並ぶ作業台にネズミの一群が上がってきました。


 





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飢饉で亡くなった人々
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/17(土) 08:43
No. 8112
 
 
エリコの塔には世界最古の階段があります。どれぐらい古いかというと、エジプトのピラミッドより5000年も昔です。あまりに古いので、地球がゆっくりと少しずつ飲み込む時間は十分にありました。かつては2段上って最上段に出れば、ヨルダン川とその周辺が一望できたはずですが、今は地中深くに埋まっています。

エリコの塔は侵略者から町を守るための監視塔だったのでしょうか。あるいは夜空の星にもっと近づくための手段だったのか。いずれにせよ、建設にのべ1万1000の労働日数を要したという大工事は、農業が生み出す余剰食糧がなければ不可能でした。

この塔に上れば、300世代にわたる人間の足跡をたどれるでしょう。放浪生活を終えるか終えないかという時代に、これほど持ちこたえる建造物をよくつくったものです。一説には初期のテル・エッ・スルタン時代(新石器から旧約聖書の時代)に建てられたともいわれていますが、多くは謎です。

アナトリア平原のチャタル・ヒュユクと同様、エリコの塔をつくった人びとも死者の頭蓋骨を自宅居間の床下に埋葬し、いつでも取り出せるようにしていました。 しっくいで生前の顔を復元し、貝殻の目を入れ、小石の入れ歯もはめる。いったい何のために?

頭蓋骨は崇拝の対象なのか、芸術作品なのか、それとも「ここで死んだ祖先に守られているのだから、この土地は私のもの」という斬新な宣言なのか? その可能性があるということは、誰のものでもない場所がいくらでもあった時代から、既に土地所有の意識が芽生えていた証拠かもしれません。

エリコとチャタル・ヒュユクは、歴史のなかで同じ時代に繁栄していました。だがエリコには、チャタル・ヒュユクにはない危険がありました。小さな町に大勢の人間が暮らすと病気が蔓延しやすい。 収穫や城壁も足かせとなります。

新しい生活様式は、階級間の闘争や性差別を助長しました。出土した骨や歯を分析すると、奴隷や身分が低い者には栄養不足が見て取れます。早くも格差が生まれていました。狩猟・採集生活では、食べ物の幅が植物や昆虫、鳥などの動物と広かったが、農業によって数種類の穀類が中心の炭水化物食に切り替わりました。

日照りやイナゴの襲来、カビによる病害は、飢饉を引き起こします。ときには地球の反対側で起きた自然現象が原因となることもあり、そうなると防ぐ手立てはない。1600年2月1日午後5時、ペルー南部でワイナプチナ火山が噴火しました。

記録に残る限り南米で最大級の噴火です。火山から勢いよく吐き出された石、ガス、塵は大気中に吹き上がりました。対流圏、成層圏も過ぎて、ダークブルーというよりほとんど真っ黒な中間圏に達したところでようやく降下を始めました。

大量の硫酸と火山灰は太陽光線を遮り、冬がやってきた火山の冬です。ロシアは6世紀ぶりの猛烈な寒さとなり、それから2年間は夏でも夜は気温が零下になりました。大飢饉が発生し、当時の人口の3分の1にあたる200万人が死にました。

人びとは凍える顔にぼろ布を巻いて巨大な穴を掘り、死体を埋めたといいます。ツァーリ (君主)だったボリス・ゴドゥノフの治世は終焉を迎えました。すべては1万3000キロメートル離れたペルーの火山のせいでした。「地球は一つの有機体である」という表現は、多くの人が感傷的な言葉のあやととらえますが、れっきとした科学的事実なのです。

18世紀のインドでは、度重なる干ばつで飢饉が発生し、英国の植民地運営の不手際も手伝って1000万人が死にました。中国では19世紀に何度も起きた飢饉で1億人以上が死んだといいます。

1世紀のアイルランドで起きた大飢饉は、またしても英国の植民地運営が一因であり、100万人が餓死し、200万人が国外へ脱出しました。ブラジルで 1877年に起きた干ばつと疫病もすさまじく、一つの州では飢餓と、免疫力が低下した人がかかる日和見感染で人口が半分以下に減りました。

20世紀に入ってからも、エチオピア、ルワンダ、それにサハラ砂漠の南では大きな飢饉が頻発しており、死者の数はいまだ確定していません。記録に残っているだけでも、この2000年間に地球のどこかで必ず大量の餓死者が発生していました。

近代科学は目覚ましく発展し、新たな発見や技術の進歩のおかげで、人びとの暮らしは完璧なものに近づきつつありました。ならば農業も科学の一分野となって、ニュートン力学の重力と同じぐらい確かな交配予測理論を確立できないだろうか。そうすれば干ばつや病気に負けない品種を生み出せるはずでしょう。

 





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緑十字銀賞を頂いた時の高市総理の動静
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/17(土) 08:25
No. 8111
 
 
(1月14日)時事通信社から引用
午前7時57分、宿泊先の奈良市のJWマリオット・ホテル奈良発。
8時49分、奈良県斑鳩町の法隆寺着。
9時5分から6分まで、韓国の李在明大統領を出迎え。
7分から59分まで、法隆寺を視察。
10時から3分まで、李大統領を見送り。
4分、同所発。
11時21分、伊丹空港着。
午後0時10分、全日空24便で同空港発。
0時56分、羽田空港着。
1時15分、同空港発。
1時39分、官邸着。
2時23分、官邸発。
2時43分、東京・春日の文京シビックホール着。
49分から58分まで、玄葉光一郎衆院副議長、関口昌一参院議長、赤間二郎国家公安委員長。
59分から3時34分まで、大ホールで交通安全国民運動中央大会に出席し、あいさつ
3時35分、同所発。
3時54分、官邸着。  
4時20分から30分まで、磯崎仁彦自民党参院議員、大山一郎香川県議ら。
4時54分から5時19分まで、片山さつき財務相、市川恵一国家安全保障局長、赤堀毅外務審議官、三村淳財務官、経済産業省の成田達治貿易経済安全保障局長、伊吹英明製造産業局長。
20分から29分まで、片山氏。  
5時30分から6時44分まで、吉村洋文日本維新の会代表と与党党首会談。木原稔官房長官、鈴木俊一自民党幹事長、藤田文武維新共同代表同席。
7時34分から35分まで、報道各社のインタビュー。
36分、官邸発。
37分、公邸着。
10時現在、公邸。(了)

このタイトなスケジュールの中、シビック大ホールにてお言葉を頂けたのは感激の極みでございました。


 





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飢饉で亡くなった人々
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/13(火) 16:50
No. 8110
 
 
エリコの塔には世界最古の階段があります。どれぐらい古いかというと、エジプトのピラミッドより5000年も昔です。あまりに古いので、地球がゆっくりと少しずつ飲み込む時間は十分にありました。かつては2段上って最上段に出れば、ヨルダン川とその周辺が一望できたはずですが、今は地中深くに埋まっています。

エリコの塔は侵略者から町を守るための監視塔だったのでしょうか。あるいは夜空の星にもっと近づくための手段だったのか。いずれにせよ、建設にのべ1万1000の労働日数を要したという大工事は、農業が生み出す余剰食糧がなければ不可能でした。

この塔に上れば、300世代にわたる人間の足跡をたどれるでしょう。放浪生活を終えるか終えないかという時代に、これほど持ちこたえる建造物をよくつくったものです。一説には初期のテル・エッ・スルタン時代(新石器から旧約聖書の時代)に建てられたともいわれていますが、多くは謎です。

アナトリア平原のチャタル・ヒュユクと同様、エリコの塔をつくった人びとも死者の頭蓋骨を自宅居間の床下に埋葬し、いつでも取り出せるようにしていました。 しっくいで生前の顔を復元し、貝殻の目を入れ、小石の入れ歯もはめる。いったい何のために?

頭蓋骨は崇拝の対象なのか、芸術作品なのか、それとも「ここで死んだ祖先に守られているのだから、この土地は私のもの」という斬新な宣言なのか? その可能性があるということは、誰のものでもない場所がいくらでもあった時代から、既に土地所有の意識が芽生えていた証拠かもしれません。

エリコとチャタル・ヒュユクは、歴史のなかで同じ時代に繁栄していました。だがエリコには、チャタル・ヒュユクにはない危険がありました。小さな町に大勢の人間が暮らすと病気が蔓延しやすい。 収穫や城壁も足かせとなります。

新しい生活様式は、階級間の闘争や性差別を助長しました。出土した骨や歯を分析すると、奴隷や身分が低い者には栄養不足が見て取れます。早くも格差が生まれていました。狩猟・採集生活では、食べ物の幅が植物や昆虫、鳥などの動物と広かったが、農業によって数種類の穀類が中心の炭水化物食に切り替わりました。

日照りやイナゴの襲来、カビによる病害は、飢饉を引き起こします。ときには地球の反対側で起きた自然現象が原因となることもあり、そうなると防ぐ手立てはない。1600年2月1日午後5時、ペルー南部でワイナプチナ火山が噴火しました。

記録に残る限り南米で最大級の噴火です。火山から勢いよく吐き出された石、ガス、塵は大気中に吹き上がりました。対流圏、成層圏も過ぎて、ダークブルーというよりほとんど真っ黒な中間圏に達したところでようやく降下を始めました。

大量の硫酸と火山灰は太陽光線を遮り、冬がやってきた火山の冬です。ロシアは6世紀ぶりの猛烈な寒さとなり、それから2年間は夏でも夜は気温が零下になりました。大飢饉が発生し、当時の人口の3分の1にあたる200万人が死にました。

人びとは凍える顔にぼろ布を巻いて巨大な穴を掘り、死体を埋めたといいます。ツァーリ (君主)だったボリス・ゴドゥノフの治世は終焉を迎えました。すべては1万3000キロメートル離れたペルーの火山のせいでした。「地球は一つの有機体である」という表現は、多くの人が感傷的な言葉のあやととらえますが、れっきとした科学的事実なのです。

18世紀のインドでは、度重なる干ばつで飢饉が発生し、英国の植民地運営の不手際も手伝って1000万人が死にました。中国では19世紀に何度も起きた飢饉で1億人以上が死んだといいます。

1世紀のアイルランドで起きた大飢饉は、またしても英国の植民地運営が一因であり、100万人が餓死し、200万人が国外へ脱出しました。ブラジルで 1877年に起きた干ばつと疫病もすさまじく、一つの州では飢餓と、免疫力が低下した人がかかる日和見感染で人口が半分以下に減りました。

20世紀に入ってからも、エチオピア、ルワンダ、それにサハラ砂漠の南では大きな飢饉が頻発しており、死者の数はいまだ確定していません。記録に残っているだけでも、この2000年間に地球のどこかで必ず大量の餓死者が発生していました。

近代科学は目覚ましく発展し、新たな発見や技術の進歩のおかげで、人びとの暮らしは完璧なものに近づきつつありました。ならば農業も科学の一分野となって、ニュートン力学の重力と同じぐらい確かな交配予測理論を確立できないだろうか。そうすれば干ばつや病気に負けない品種を生み出せるはずでしょう。

 





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地球と生物の誕生の仮設
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/13(火) 16:49
No. 8109
 
 
我々が住む天の川銀河は、若いときは実に多産で、現在の30倍もの星々を爆発的に誕生させていました。今から30億年ほど前、年齢が数十億歳だった頃のことです。太陽が誕生したのはもっと後、それから50億年後のことです。そのおかげで我々は存在しています。先に生まれた重い星々が死に、重元素を後世に残したのです。

太陽と、太陽系の惑星や衛星が重元素を取り込んで誕生しました。我々の体も星々の残骸からできています。生まれたばかりの星々を、ピンク色に輝く水素ガスが包み込む。重力の働きでガスから星々が生まれたのです。

星団の中で明るく輝く青白い星々が周りの塵やガスを照らし、水素がピンク色に光ります。そのような星団同士が集まり、より大きな星の集団、天の川銀河へと成長していきました。宇宙の中で銀河が生まれ、銀河の中で恒星が生まれます。

そんな恒星の一つが超新星爆発を起こし、その衝撃波がガスと塵の雲にぶつかります。衝撃を受けた雲の一部が収縮し、回転して瞬く間に円盤ができます。円盤の中心が十分に高温高密度になると、核融合反応の強烈な光が発生します。太陽が生まれたのです。

恒星が高速で噴出するエメラルド色の宇宙ジェットは、雨のように円盤に降り注ぎます。こうしてダイヤモンドやかんらん石といった、物語の主役でもある貴重な鉱物が周囲にもたらされます。回転を続ける円盤の中にいくつもの同心円状の溝ができます。

その一つで塵が集積して成長し、そこにガスが集まり大きさを増していき、やがて巨大な惑星となります。これが太陽系の中で最初にできた惑星、木星です。恒星の周りで惑星、衛星、彗星が生まれます。ほかの溝でも、自動車激突レースのように塵の衝突と合体が繰り返され小天体となります。

これらはほかの小天体を集めて雪だるま式に成長し原始惑星となり、太陽を巡る軌道から残された小天体は姿を消します。こうした原始惑星やその衛星には、有機分子、つまり生命の材料が豊富に含まれています。

先に死んだほかの恒星から受け継いだ重元素でできた分子です。恒星や惑星は自然の成り行きで出来上がったが、生命も同様にすんなりと誕生したのだろうか? 今から40億年以上前、地球がまだ若かったころのことです。

高さ15〜30メートルの塔が林立する海中都市がありました。海底にしっかり根を下ろした塔が、この高さになるまで何万年もかかっています。当時の地球に生命は存在していなかったのです。では、この海中摩天楼は誰がつくったのか? 答えは自然です。母なる自然が、貝殻や真珠と同じ成分である二酸化炭素と炭酸カルシウムでこしらえました。

休むことなく大地が割れて、灼熱のマントルに冷たい海水が流れ込む。緑色のかんらん石をはじめ、さまざまな有機分子や鉱物が海水に溶け出す。海水の温度が上昇して激しく荒れ狂い、後に摩天楼となる炭酸塩の岩石の孔にも入り込んだのです。

孔の内部で有機分子や鉱物はどんどん濃くなり、孵化器のような役割を果たしました。生命の最初の住まいは岩石だったといわれるゆえんです。宇宙に比べるとほんの小さな我々の地球で、鉱物と生命の関係はこうして始まりました。我々の体も含めてすべての物質がそうですが、有機分子も原子でできています。

有機分子の中で素早く動いているのが、陽子という光るエネルギーの点です。無生物である分子に生命を吹き込むにはエネルギーが必要です。石塔に閉じ込められたアルカリ水と、海洋の酸性水が反応して発生したエネルギーで、自己複製できる分子が誕生したと考えられています。RNAやDNAの前身となる分子です。

石塔の孔の内壁には、ほかの分子がすき間なく並んでいます。それが後に脂質となり、細胞膜を形成していきます。熱水作用でできた石塔は多孔質で、時間とともに崩壊していきました。だが、そこで生まれた複雑な分子は生き残り、地球最初の細胞となりました。

それが進化を遂げて、繁殖できる微生物になりました。生命の起源を説明する科学的な創造の物語として、この説はいちばん説得力があるといいます。長らく分かれていた科学の4分野、生物学、化学、物理学、地質学の大統一が求められる仮説だというのです。

 






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