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1918年の秋に世界で猛威を振るったインフルエンザは、5000万人もの命を奪ったと言われています。これは、第一次世界大戦の死者数を上回る途方もない数字です。この流行は人々にとって思いもよらない出来事だったことでしょう。それまでのインフルエンザは恐れるほどの病気ではなかったからです。
幼い子供や高齢者、何らかの免疫疾患を持つ人たちを除けば、インフルエンザで人が死ぬことはほとんどありませんでした。しかし、1918年に状況は一変しました。健康な若者もインフルエンザでどんどん亡くなっていったのです。こんなことは初めてでした。
「第一号患者」は誰だったのか?歴史学者の間では、不幸にもこの病気にかかった最初の一人のせいで、その後の世界的な惨禍がもたらされたとする意見があります。その「犯人」つまり、このインフルエンザにかかった患者第一号と目されているのが、カンザス州の米軍基地で料理番をしていた兵士、アルバート・ギッチェルです。
ギッチェル本人がどこから病気をもらってきたかについては、これといった定説はありません。1918年3月11日、ギッチェルは喉の痛みと頭痛、発熱などの症状を訴えました。数時間のうちに軍の診療室は似た症状を訴える兵士たちであふれかえり、1ヵ月後には患者全員を寝かせる場所を確保するために、飛行機の格納庫を開放する事態になりました。
その間も、健康状態に問題がないとされた兵士たちはヨーロッパ戦線へと送られていきます。彼らの一部がウイルスを運んだ可能性は否定できません。「ギッチェル患者第一号説」は状況をうまく説明できそうですが、もちろん異論もあります。
1917年にフランス北部のエタプルに駐留していたイギリス海外派遣軍の一時滞在キャンプから流行が始まったとする説もあります。大勢の人間が滞在するキャンプのすぐそばでは豚やニワトリが飼われていたため、 新型インフルエンザウイルスが誕生するには絶好の環境だったようです。
ヒトのインフルエンザウイルスの主な保有宿主は人間ですが、豚などの人間以外の哺乳類や、ニワトリをはじめとする鳥類もまた、ある種のヒト型インフルエンザウイルスの発生源となっています。 閉め切った空間に大勢の人間が集まると主に空気感染により広がる。
さらに、ウイルスは宿主の体外に出ても数日間は生き延びることがあるため、ドアノブの表面なごウイルスが付着したところに触れた手を介して感染します。だから、現代社会では会社勤めをしていたり、公共交通機関を頻繁に利用する人がインフルエンザにかかりやすいわけです。
1918年のインフルエンザの世界的流行がどこから始まったにせよ、流行はすべての大陸に拡大し数千万人の命を奪い、ウイルスはその強毒性と伝染速度によって世界中を恐怖に陥れた。ロンドンの国立歌劇場で舞台公演を行ったロシアのバレエダンサー、レオニード・マシーンは、インフルエンザの恐怖に怯えた経験を記しています。
公演では腰布だけをまとった姿で舞台に横たわる場面があり、「寒さが骨までしみてきた」という。マシーンは舞台を無事にこなし、特に不調を感じることもなく翌朝を迎えましたが、劇場に到着したところでいつも入口を警備していた「図体のでかい」 警察官が昨晩死んだことを知った。
インフルエンザは、「ずるく、すばしこく、人をあざむく病気」だとされる。「ずるい」と言われる理由は、インフルエンザによる死亡率はかなり低いものの、感染者の絶対数が多いために合計すれば膨大な数の死者が出ていること、さらに他の多くの感染症と違って獲得した免疫が有効である期間が短いことが挙げられる。
流行のピークには大勢の人々が感染するが、中には感染しても症状が出ない人もいる。過去の大流行インフルエンザが定着したのは、世界各地で人々が家畜を飼いながら集団で生活するようになった紀元前5000年頃だと考えられています。
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