| |
1918年のインフルエンザ流行は「スペインかぜ」と呼ばれていますが、最初の感染がスペインで起こったわけでも、特にスペインで猛威を振るったということでもありません。 こう呼ばれた背景には第一次世界大戦があります。参戦国それぞれで厳しい情報統制が敷かれ、士気の低下につながるような情報や国としての弱みをさらす報道は封じられました。
中立の立場を保っていたスペインでは、こうした情報統制はなかったのです。スペインかぜの流行が始まった当初は、罹患率は高かったものの死亡率は低く、過去の流行とあまり変わらないように思われました。しかし、秋になると様相が変わります。流行の第二波が押し寄せた時には罹患者は数億人にもなり、数百万人が命を落としたのでした。
年末にかけていったん下火になりましたが、年が明けると再燃し、春になっても収束のめごが立たなかった。この頃になると、死者の約半数を二十代から四十代の患者が占めるようになっていきました。南半球でもほぼ時を同じくして流行が始まり、その死亡率は北と比べても大差なかったのです。
オーストラリアについては、周りを海で隔てられていることに加え、政府が入国時の検疫強化に乗り出したことで事情は異なります。これらの要因がどの程度影響したかを評価することは難しいのですが、2002年の試算によれば、南アフリカの死亡率はオーストラリアの15倍、米国でも2.5倍高かったのです。
インフルエンザは1920年にも再び世界中で猛威を振るいました。依然として死亡率は高かったが、先の流行ほどではなかった。1920年代はインフルエンザ研究にほとんど進展が見られなかった。当時はまだ顕微鏡の性能が低かったうえに、インフルエンザは人間だけの病気と考えられていたせいで動物実験も行われていなかったからです。
しかし、1930年代になると豚やフェレットなどインフルエンザに感染する動物がいることがわかり、研究に新たな道が開けました。さらに電子顕微鏡が登場し、それまで見えなかったウイルスを観察できるようになったのです。 研究の結果、ウイルスは100年間のうちに何度も表面構造をがらりと変えていることが明らかになりました。
いわゆる亜型の変化です。新しい亜型ウイルスが出現するとそれに対して抗体を持つ人はほとんどいません。このために、インフルエンザは爆発的な流行を繰り返してきました。1930年代になると、インフルエンザを引き起こすウイルスが特定されました。大流行を引き起こしていたのは「A型」インフルエンザウイルスであることもわかりました。
ただ、ウイルスが変異するせいで流行しますが、何がきっかけでそうした変異が起こるのかは謎のままでした。ウイルス性の呼吸器感染症は冬に流行することが多く、インフルエンザも例外ではありません。さらに、インフルエンザは毎年流行し、10年から40年に一度は世界的な大流行が起こります。
21世紀に入っても、1918〜19年の大流行でなぜこれほどまでの被害が出たのかについての議論は続いています。一説には、この時のインフルエンザウイルスは細菌感染を併発しやすく、命に係わる重篤な肺炎を引き起こしていたのではないかとも言われている。
スペインかぜのウイルスは体の反応を過剰に引き起こすタイプで、炎症と組織の浮腫により、窒息死する患者が出たのではないかという説もあります。最近の流行では、1957年に中国で新しいウイルス株が出現し、「アジアかぜ」 と呼ばれる世界的大流行を引き起こしました。ウイルスはあっという間に世界中に広がりました。
シベリア鉄道に乗ってロシア西部に運ばれ、香港から海を渡ってシンガポールや日本にも上陸しました。まず5月にインド、6月に西ヨーロッパと米国沿岸部、7月にオーストラリアとアフリカ、9月になるとイギリスに到達しました。イングランドとウェールズでは最初の12週間で約600万人がインフルエンザを発症しました。
最初はイングランド北部に流行が集中しましたが、やがて南下して2週間後にはイングランド南部とウェールズにも広がりました。イギリス中部の都市、ブラッドフォードでは、本格的な流行が始まる前にパキスタン人のコミュニティ内で小規模な流行があったという報告が残っています。
おそらく、パキスタンからイギリスへの渡航者の中に感染者がいたのでしょう。現地の開業医らは、短期間のうちに流行が広がった原因は、病人を大勢で見舞うパキスタンの習慣にあったのではないかと考えられました。
限られたコミュニティの中で小規模な流行が起こった後に、続いて本格的な流行が発生するという「ダブルピーク」は、イギリスのシェフィールドの製鋼所やバーンズリーの炭鉱でも報告されています。現在は、インフルエンザの罹患率も死亡率も1918年以前の水準に戻り、若くて健康な成人のリスクも当時に比べればかなり低下しました。
それでも、インフルエンザが世界的に流行する感染症であることに変わりはないでしょう。 A型ウイルスが1918〜19年のような流行を引き起こす可能性は残っています。危険なインフルエンザウイルスが次にいつ、どこから現れるかは誰にもわかりません。
インフルエンザウイルスは人間だけでなく野生の動物や鳥、家畜も感染し、ウイルスのやり取りが繰り返されていくため、どんなウイルス株が出現するか予測することはきわめて困難です。人間と豚が近い距離で生活している地域が多い中国では、いつ新型インフルエンザが現れてもおかしくないと言われているのです。
|
|