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大切な何かを失った時、あるいは何かが終わりを向かえる時、心の中にポッカリと穴があいてしまったように感じてRPGで言えば、HP(ヒットポイント)が失われるような空虚な状態に陥ってしまった事はないでしょうか。
家族や友人、自分の能力、他人からの評価、思想、健康、家、大切な持ち物、仕事、地域社会など自分の存在をどこかで支えてくれています。その何かがなくなったり、終わったりする事は、自分のHPを失うような事であり、それは自分自身を支えてくれていた柱が障害を受けるようです。
時に感じる怒りや悲しみ、孤独感、無力感、絶望感あるいは虚無感は、何かをなくしたからだけではなく、HPに表されている物理的なものだけではなく精神力などを失った苦しみから生まれてくるのだと思うのです。
心の中に存在する喪失感と向かい合う事を、自分は恐れているので何としても避けようとします。多くの場合は、回避方法は次のうちのどちらかではないでしょうか。ひとつは、何らかの刺激によって喪失感を消し去ろうとする心、もうひとつは、自分の意識を麻痺させる事により、苦しみから逃れようとする事です。これは特別な事ではありません。
もし自分を素直に見つめてみれば、このような傾向性は日常の中に溢れている事に気付く事でしょう。孤独に対する恐れ、時間を持て余しているような感じ、あるいは隙間なく組まれたスケジュールの背後にさえ、喪失感から逃げ出したいとの衝動がある事を感じられるのではないでしょうか。
自分の心中にある喪失感を誤魔化したり、そこから逃げ出す時、自分は現在起きてしまった事を否定しているのです。あまりのショックの大きさにそれを認める事が出来ないのです。もし我々が意識的に自分の中の喪失感を見つめる事が出来るのであれば、既に今までのようには自分のエネルギーを奪われる事はないでしょう。
逃げ出したり、誤魔化したりする事は、自分の中の喪失感をそのまま放置して暗闇に陥ってしまうかもしれません。表層ではうまくいったように感じるかもしれません。しかし、いつかまた、同じところに戻ってくるのです。自分のエネルギーは、その間奪われ続けてしまうのです。日々の拷問から、抜け出る事は出来ないのです。
それを避けようとする事が、実は苦しみを最も生きながらえさせてしまうのです。自分の中にある喪失感を見つめるために、既に起こってしまった事をいつかは起こるのだと認めて受け入れるのです。自分のエネルギーを奪い続けるのは、起こった出来事はもちろんのことですが、その出来事の周辺に自分の頭がネガティブに思考する物語なのです。
一体自分は何を否定しているのか?もしこの内なる否定を見つめることが出来るのであれば、それを自分の心中に感じる事が出来るのであれば、それは自分のエネルギーが回復し始めているのだと思います。
もし、自分の中の喪失感を十分に見つめていく事が出来るのであれば、その中に安らぎと平安をきっと見いだされると思います。それは、時間の流れは最も大切なものを失われたものを癒してくれるでしょう。
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