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  群馬の旅行記1日目-2  仲條拓躬2024/07/02(火) 20:22 
  群馬の旅行記1日目  仲條拓躬2024/07/02(火) 20:21 
  小話2024年6月分下-2  仲條拓躬2024/06/28(金) 08:34 
  小話2024年6月分下  仲條拓躬2024/06/28(金) 08:34 
  小話2024年6月分上-2  仲條拓躬2024/06/28(金) 08:32 
  小話2024年6月分上  仲條拓躬2024/06/28(金) 08:32 
  財団人との意識の落差  仲條拓躬2024/06/26(水) 16:53 
  差別や区別など  仲條拓躬2024/06/26(水) 16:52 
  イスラム歴を理解できれば  仲條拓躬2024/06/26(水) 16:51 
  日本の民主主義とは  仲條拓躬2024/06/26(水) 16:50 






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群馬の旅行記1日目-2
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/02(火) 20:22
No. 7502
 
  見学後は、総会会場である水上温泉「座山」に向かいました。谷川岳の麓に位置する群馬県でも指折りの知名度で、利根川沿いに大型旅館が立ち並びます。室町時代に発見されたと言われ、かつては湯原温泉と呼ばれていたそうです。

昭和初期の上越線開通までは質素な宿のみの小さな温泉だったようですが、新幹線や関越道の開通などで、交通アクセスが格段に向上し、関東の奥座敷として栄えましたが、バブル崩壊後、多くの大型ホテルが経営不振に陥り、現在営業している旅館は10件程度です。

水上館は利根川沿いに建つ水上温泉でも有数の大型旅館です。かつて皇族も宿泊された、まさに水上温泉を代表する旅館のひとつです。水上温泉の三大旅館といえば、水上館、聚楽、松乃井ですが、バブル崩壊の不況の波で、水上館も事業再生により経営が変わり、2023年3月に坐山(ざさん)水上という名前に変わっています。

立派な旅館なのですが、外観はだいぶくたびれていて、廃墟だと思う人もいるかもしれません。駐車場が貧弱です。上越線と利根川に挟まれて建っているのでしょうがないのですが、あれだけの規模の旅館なのに、玄関前にはほとんど駐車スペースがありません。

ロビーに一歩足を踏み入れると、お香のいい香りがしていました。大きな窓からは谷川岳が見えます。お部屋は最上階の特別室という雰囲気の強いお洒落な部屋でした。景色を楽しむというポイントはありませんでしたが、立地的に難しいようでした。 施設面は自販機やお酒の販売が少なかった点が個人的に残念でした。

客室には洋室・和室・応接室などがありました。大きなお風呂が付いているお部屋で最高でした。トイレも3つ付いていたので安心でした。まずは総会を開催しました。満場一致ですべての報告・議案が承認されました。その後は温泉に向かいました。水晶の湯と牧水の湯と奥利根八湯を夜と朝にかけてすべて入りました。

フリードリンクにコーヒーや紅茶などが用意されていました。エレベーターの場所がちょっと分かりにくく、奥利根八湯に行くのは大変でした。朝は入ったのですが、8つの風呂を私一人で貸し切りでした。水晶風呂と牧水の湯は並んでいます。

巨大な水晶が展示されていました。水晶は時計にも使われているとおり、電磁波を規則正しい一定の周波数帯に置き変える作用があり、これは人間の体から発する不規則な電磁波も整えてくれるのだとか。お風呂はかなり大きく、入り口から入って、右側と左側に分かれています。渓谷にちょっとせり出した形で窓が設けられています。

泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉。旧泉質名では含食塩石膏泉となります。群馬北部の温泉は石膏泉が多いです。ちなみに石膏泉は痛みを和らげる鎮静作用があります。加水加温、循環消毒もありで、温泉らしさはあまりありません。

温泉を上がった後は、個室のお座敷で御食事です。広いお座敷に大きなテーブルです。私はコンパニオンさんがお薦めという地酒、八海山・水芭蕉・赤城山を呑みました。お酒が来て乾杯したところで外国人の従業員がすぐに釜めしに火をつけたので残念でした。

前菜の塩辛で地酒を呑んでいると上州牛のサーロイン陶板焼がすぐに出来上がってしまいました。釜めしもスタートから30分位で炊き上がりました。外国人の従業員は味噌汁もすぐに持ってきてしまうのですべて冷めてしまいました。何のための蠟燭なのか。さっさと切り上げてコンパニオンたちとカラオケで昭和の歌を熱唱していました

 





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群馬の旅行記1日目
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/02(火) 20:21
No. 7501
 
  東向島から一杯やりながら、魚沼の里に向かいしました。車を走らせ、魚沼の里に近づくにつれ、天気が悪くなってきました。雨がポツリポツリと降っていたのですが、駐車場に着いた時には、だんだん、お天気が回復してきました。魚沼の里は、霊峰・八海山の麓、南魚沼市長森の一角にあるのどかな里山の中にあります。

地酒八海山を製造する第二浩和蔵を中心に、カフェや売店、キッチン雑貨店等を併設した「八海山雪室」、「そば屋長森」、菓子処「さとや」、「つつみや八蔵」などのお店が、点在しています。八海山は、新潟県内でも割とポピュラーなお酒で、のど越しの良いすっきりとしたおいしいお酒です。私は父の日に子供たちから頂いたばかりです。

駐車場に車を止めた後は、蔵の脇を通って、園内へ入っていきます。店内には、日本酒や焼酎など、色々なものが売っています。まずは、「そば屋長森」に向かいました。満席だったので椅子席は座れませんでした。古い大きな家をリフォームしたとても綺麗なお店でした。入って直ぐに 囲炉裏が見えます。なんだか 落ち着きます。

お店で薦められたキンキンに冷えた地酒とビールを注文しました。おつまみは、冷ややっこと玉子焼き・茄子の漬物を。玉子焼きは、お店でも一軒一軒みんな味が違います。こちらは 甘さ控えめのあっさりした味わいです。お酒にピッタリなおつまみです。お蕎麦には 天ぷらが付いてきます。十割新蕎麦を味わいました。

とてもしっかりとした 噛み応えあるお蕎麦。十割なので香りもしっかり 美味しかったです。ここはお蕎麦を頼むと「田舎」と「江戸前」、どちらの蕎麦汁にするか訊かれます。「田舎」は、どっぷりとつける用。全体には一般的な蕎麦汁より薄いのですが、鰹の風味の強い、天汁のような汁でした。

「江戸前」は、ちょいとつける用。かなり塩分が強く甘さもしっかり、濃い汁。試しに蕎麦をつけるとより甘さが際立って感じられた。もちろん、両方頼みました。私としては「江戸前」がとてもおいしかったです。とにかく満席大賑わいなので、飛び回るスタッフのおばさま達は大忙しでした。

地酒と蕎麦を堪能した後は「八海山雪室」に向かいました。日本酒以外にも、色々なものが売っていました。エントランスには八海山の酒樽が積まれていました。入ってすぐの1階部分は売店とカフェスペース。正面に見えているユキナカキッチンでは、壁一面にディスプレーされたピクルスや豆の瓶詰がカラフルでとても素敵でした。

見学体験ツアーは、1回の店員を先着15名程とし、30分毎に日に8回行われています。所要時間は1回約15分。予約が必要でした。雪室とは、雪と共に暮らしてきた先人たちの、知恵と工夫から生まれた天然の冷蔵庫のことです。

雪を使った貯蔵方はいろいろありますが、食品を直接雪の中に埋めて冷やす「かまくら型」と、庫内に貯蔵することで、大まかには、その空間ごと冷やす「氷室型」の二通りがあり、八海山雪室は後者の「氷室型」に分類されます。電気エネルギーを用いる事なく、雪からの温度でゆっくりと日本酒を熟成させることを目的とした、環境にも優しい施設なのです。

雪室についての説入った先は日本酒貯蔵庫。雪室内部は通年5℃以下が保たれていますが、貯蔵庫の中は3.5℃程度でした。分厚い扉が開けられ、内部へと案内されます。日本酒貯蔵庫内には、雪中貯蔵用の原酒、約二千石が貯蔵可能だそうです。近代的なシルバーのタンクが並び、数年間(最長5年)の時をかけて日本酒の熟成中。

低温熟成させることで、酒の味がさらにまろやかになるそうです。空間自体が冷蔵庫なので、出荷前の瓶詰めされた日本酒も置かれていました。日本酒貯蔵庫から移動した隣の部屋に、大量に蓄えられた一山の雪があります。ここに雪山があるにも関わらず、この部屋の温度は少し高い4.2℃でした。

建物には特殊な断熱材が使用されていて、それで熱が逃げないわけですが、携帯電波も繋がりにくくなっているといいます。最大時は、千トンの雪を貯蔵可能だそうです。一方に大きな扉が設けてあり、そこから除雪機で雪を飛ばし入れ、この部屋に積みこむそうですが、今年は少雪だったこともあり、町中から雪をかき集めて入れたのだという事です。

雪室の中には日本酒だけでなく、下に見える木柵の向こうには、野菜や果物、にいがた和牛などが貯蔵・熟成されています。低温・多湿(湿度はほぼ一定で70%程度)・暗所環境を保つことにより、でんぷんが糖に変わり、甘みが増し、まろやかな味わいになります。

また、雪室内の冷たい空気はパイプを通り、併設された「千年こうじや」の低温室をはじめとした各店舗内に送られ、食料の保存や熟成にも活用されています。雪室を出て階段を下りた先にあるのが焼酎貯蔵庫です。扉を開けると通常の世界に戻るので、その快適温度にホッとします。出た先で真っ先に目に飛び込んで来るのが立派なオーク樽の数々です。

新しい試みとして、いまだ世に出回ることなく、ここで静かに熟成中の米焼酎です。そして反対側の一面には、ここだけ限定のメモリアル焼酎がずらっと並んでいます。購入者が記念日に乾杯するため、今は大切に保管されているといいます。

瓶に貼られたラベルには、購入者の一言メッセージが書かれていて、最長で5年間、ここで保管・熟成されますと、案内役の説明はここまでです。この後は八海山の試飲ができます。酒に渋みが無く、ふわーっと丸く口の中に広がるお酒でした。やわらかな米の甘みも広がって、驚くほど芳醇に感じました。甘酒も用意されています。

男性スタッフがガイド役でしたが、対応も丁寧で、質問したら何でも答えてくれました。ショップのスタッフたちも、気持ち良い挨拶、丁寧な接客で、社員教育など徹底している様子も伺えました。「猿倉山ビール醸造所」のビールというものも気になりました。


 





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小話2024年6月分下-2
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/28(金) 08:34
No. 7500
 
  人は「しくしく」泣きます。そして「ハハハハ」笑います。4×9=36 8×8=64 答えを足すと100になります。人生を100とすると悲しいことは「36」 嬉しいことは「64」で倍あります。人生とは泣いて笑って「100」になる。

病人を介護する家人や看護人への感謝心は、病床にある病人の精神の成長にたいへん役立つと、自分の経験からそう思います。愛は、これを提供する側にも、また受ける側にも、病に耐える力を発揮するのです。このことは、新約聖書のコリント人への第1の手紙13章4〜7節に記されています。「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛はたかぶらない、誇らない、無作法をしない、・・・・・・不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」

日本は無宗教の国と言われ、多くの日本人は宗教を持ちません。キリスト教、イスラム教など世界中の多くの民族は宗教を持ち、その教えを元に行動します。今の日本人のなかには自分の行動指針とするような教えがないのです。民族的に共通した教えがないから、自分勝手なことをする人が増えてきているのではないでしょうか。日本には日本固有のすばらしい価値観はあったはずです。一昔前なら武士道です。武士道が人々の価値観であり日本人に共通した教え、行動指針だったのではないでしょうか。戦後も半世紀を過ぎ、日本人は日本固有の共通した価値観を再検証する時期に来ているのです。今日の欧米化された社会にあっては、あたかも世界中が同じサイクル、価値観で動いているかのように錯覚してしまいます。それは、現代社会の落とし穴です。伝統を欧米に踏みにじられたと被害者意識をもって、自らのアイデンティティを確かめる意味で、民族の意味あるときに「テロ」を計画する者もいるということなのです。つまり、世界を、そして民族を理解するということは、ひいては、国際社会にあって、自分を守るということでもあるのです。

21世紀に生きる我々は「嫌い」「違い」の原因を注視し、たとえ相手を一時は不愉快にさせても、礼をつくし、真摯な態度で意見をぶつけ合うことも時には必要だと思うのです。そうすれば、そこに政治的、歴史的背景も公正に見えてくると思うのです。そして、そこから民族の相互理解も生まれれば素晴らしいことでしょう。恒久平和を目指しましょう。

アメリカの核に対する本音は人類に対する冒涜、思い上がりもはなはだしいと確信します。過去、テレビで戦後の特集で被爆者が広島原爆ドームでアメリカ人の本音をただしていましたが、逆に「真珠湾を思い起こせ!!」と言われ、被爆者の目から涙が零れるのを見て何とも痛ましい気持ちになりました。

2024年6月25日、貸し切りバスに乗車して、東芝未来科学館に向かいました。東芝未来館は、1961年11月に東芝小向地区に「東芝科学館」として開設、2014年1月に移転し「東芝未来科学館」への名称変更を経ながら、今年で62年です。科学技術の凄さ・面白さを楽しく伝え、東芝の最先端技術が生み出す豊かな社会をPRしています。今般、東芝の事業ポートフォリオがBtoCからBtoBへ移行していることに伴い東芝未来館の役割を見直すこととし、東芝未来館は2024年6月29日(土)をもって、一般のお客様向けの公開を終了することとなりました。

 





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小話2024年6月分下
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/28(金) 08:34
No. 7499
 
  NPOと名のついた団体が、社会で活躍していますね。NPOとは(ノン・プロフィット・オーガナイゼーション)の頭文字で、日本語訳は「特定非営利活動法人」です。

武蔵野大教授の杉原誠四郎は、著書「杉原千畝と日本の外務省」(大正出版)の中で、責任を不問とする外務省の体質について言及しています。真珠湾攻撃の「宣戦布告」を指定時間までに米側に通報できず、日本に騙し討ちの汚名を着せることになった外務官僚は、処罰を受けるどころか次官にまで昇格しました。この甘やかしの体質が大きなトラウマとなり、その後の外務省の劣化をもたらした、と杉原先生は言います。

田中眞紀子が暫く外相の椅子にとどまっていれば、外務省の悪事はさらに暴露されていたでしょう。小泉首相と外務省は、機密費に絡んだスキャンダルの真相究明を恐れていたので、外務省は田中眞紀子の足を引っ張り、内部情報をリークして辞任に追い込んだのです。

同じ商品でも店によって値段が違うのはよくあります。買う前に最安値を調べることができれば、当然節約することができますね。問題はどうやって調べるかだが、これはインターネットで簡単にわかります。例えば、「価格.com」(http://www.kakaku.com/)というホームページでは、家電や電子機器関係を中心に、機種ごとに価格を調べることができます。

水は、生命の維持に欠かせない大切なものです。その水に起因する事故がよくテレビや新聞等なので報じられています。原子力発電所から発生している汚染水やレジオネラ菌、O−157などです。

掃除の基本は上から下です。だから、最初に掃除する場所は天井です。ホコリっぽいのでハタキや棒などにストッキングを巻いてホコリを取りましょう。天井の材質は吸水性があるので水と一緒に汚れも吸着してしまう可能性がある為天井を拭くならば乾拭きです。

空母は滑走路を保有している軍艦のことを指す。第二次大戦以前まで最強の軍艦といわれていた戦艦を引きずり下ろして、海上兵力の中核になったのは、空母である。パールハーバーの映画を観て頂ければ空母の重要性が一目瞭然でわかります。

最初、月は地球に近いところにあったのが、段々、遠ざかり、潮汐の作用で、今のように同じ面を向けるようになったと考えられます。地球と月は共通重心を連星のように回っていて、段々お互いが離れていき、今の月がにらめっこしている状態が安定しているのだと思います。

二・二六事件は、昭和史上の重大事件で、このときの戒厳司令官香椎浩平中将の「兵に告ぐ」の戒告は有名です。
兵に告ぐ
二十九日午前八時五十五分 戒厳司令部発表兵に告ぐ。勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶対服従をして誠心誠意活動して来たのであらうが、既に天皇陛下の御命令によって、お前達は皆復帰せよと仰せられたのである。此上お前達が飽く迄も抵抗したならば、夫は勅命に反抗することとなり、逆賊とならなければならない。正しいことをして居ると信じていたのに、それが間違って居ったと知ったならば、徒らに今迄の行懸りや義理上から、何時までも反抗的態度を取って、天皇陛下に叛き奉り逆賊として汚名を永久に受けるようなことがあってはならない。今からでも決して遅くはないから直に抵抗をやめて、軍旗の下に復帰する様にせよ。そうしたら今までの罪も許されるのである。お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈って居るのである。速かに現在の位置を棄てて帰って来い。

先日は、帝国ホテルで海江田万里衆議院議員副議長と石原莞爾や年金委員会の思い出話が出来ました。光陰矢のごとしと申しますが、文字通り矢のようにあっという間に過ぎ去った数十年でした。いまさらながら、その間を無為に過ごして来た事を反省し、何か恥ずかしさを感じさせます。せめてこれからは、諸先輩方々の助言を頂き仕事らしい仕事を残してご期待にこたえていきたいと思っております。


 





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小話2024年6月分上-2
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/28(金) 08:32
No. 7498
 
  石原莞爾は、満州に新生命を与え、満州人の衷心からの要望である新国家の建設によって、まず満州の地に日本人・中国人の提携の見本、民族協和による本当の王道楽土の建設の可能性を信じ従来の占領論を放擲して、新国家の独立を主張するまでの転向となったのです。

日本はアングロサクソン世界制覇の機関即ち世界旧秩序維持の根城たる国際連盟からの脱退を敢行し、一挙英米依存を超克して自主的精神を其の外交の上に発起することを得たのです。日本は国内に於けるアングロサクソン勢力を少なくも原則として蹂躙し去れるのみならず、国際的にアングロサクソン勢力に挑戦し、ヴェルサイユ体制に対して最初の且つ甚大なる打撃を加えたのです。第一次世界戦以後の世界秩序の一角は、かくして先ず満州事変によって打破られました。

安藤大尉は石原大佐に「大佐殿、今日はこのままお帰りいただきたい」と言った。それに対して石原大佐は「貴様何をいうか。陛下の軍隊を私するとは何事か。不届千万な奴だ。この石原を殺したかったら臆病なまねをするな。貴様ら直接自分の手で殺せ、臆病だから自分の手ではできない。それで兵隊の手を使って人殺しをしようなどとは、何たる卑怯な奴だ」と怒鳴りつけたという。安藤大尉はあっけにとられて、ただ石原大佐を見ていたという。戒厳令が布かれると、石原大佐は戒厳司令部参謀長に任命されたのです。石原大佐の事件解決の方途はまことに鮮やかなものでした。

誰も発言する者もなく、死のように重苦しい空気がこの部屋を支配した。突然大きなテーブルの方にいた石原莞爾が立上った。静かな声で「直ちに攻撃、命令受領者集まれ」と言い残してそのまま部屋を出た。それからドアの前で、各隊の連絡者に向って「軍は本28日正午を期して総攻撃を開始し叛乱軍を全滅せんとす」と。続いて爆撃隊の出動、重砲の砲撃、地上部隊の攻撃要領等について、落ちついた調子で整然と戒厳命令を口達した。命令の下達を終った石原莞爾は側にいた小藤大佐と満井中佐を顧みて、「奉勅命令は下ったのですぞ。御覧の通り部隊の集結は終り攻撃準備は完了した。飛行機も戦車も重砲も参加します。 降参すればよし、しからざれば殲滅する旨をはっきりとお伝え下さい。大事な軍使の役目です。さあ行って下さい」。と語ったのです

高いIQを持っている人達は健康に気を付け、良い食事を食べ、喫煙しなく、健全なライフスタイルを維持した傾向があった。それより高いIQを持っている人たちは物理的に安全な仕事をする傾向があり、ケガや事故に遭わなかったというのです。

卵は、一般的に、生鮮食品の1つですが、常温でもかなり保存できる食品です。卵の卵白にはリゾチームという酵素があり、この酵素が細菌の細胞膜を溶かすため、細菌が侵入しても、死んでしまいますので、予想以上に日持ちがよいのです。

岸田総理は所得税の減税額を給与明細に記載するよう義務化するのに、子育て支援の負担額は記載を義務化しないのか。減税の恩恵を実感してもらおうという岸田文雄首相は、恩着せがましいのです。減税をアピールしているが、電気代の補助金を打ち切りにしたのでステルス増税はこれからずーとですから国民はさらに苦しくなることでしょう。

企業は成長へ黄金の法則が浮かび上がっています。
社員全員参加の経営(エリートを育てるのでなく、地位や役割に関係なく、すべての社員がルーティンの作業に加えて問題を見つけ、解決するための仕事をする

日本企業の多くは中国を市場として見るのではなく、賃金が安い生産の拠点という狭い見方をしていました。中国の発展はアジア諸国の発展につながっていきます。 マレーシア、タイ、インドネシア、そしてインドといった新しい市場の誕生を自社の成長に活かした日本企業は、多くはありません。

イラク戦争を検証するとかつて日本が追い詰められた大東亜戦争と同じような末路をたどっているように思えます。米国は世界各国へ嘘を言いイラクに侵攻した事が暴露されました。米国の高官が、文書が偽造だと知りながら放置したのです。

外務省の研修生は、ロジスティックス、すなわち閣僚たちの滞在期間中の世話役を行うそうです。ちなみにロジスティックスとは、軍事用語で、輸送、宿営、糧食などの後方支援を意味する言葉です。物流会社では「ロジ」と略称されています。「ロジ」と呼ばれるものはサミットなどの要人往来の際の重要な裏方の仕事となっています。

小泉純一郎氏は、強烈な個性で、言い出したら米国の圧力以外、自分の意見を曲げない性格なので、周囲から嫌われてしまうところがありましたが、忍耐力や統率力は尊敬するところでした。さらに、親分肌で、激情家で涙を流すところなどはとても好感が持てるのだが、外務省の筋書き通りアメリカ寄りの政策や大手の企業を優遇して弱者が苦しむ政策は納得出来ませんでした。プライド高くワンマンな行動でも弱者に優しく情に厚ければ文句もありません。困難に負けずにまともにぶつかって行くファイトは素晴らしいものですから。もっとも失敗だったのは、郵政民営化で、330兆円の郵貯や簡保の資金が米国企業に流れてしまったことです。黒字だったのに。

2001年の流行語大賞に選ばれた「ショー・ザ・フラッグ」とは、米国の飼い犬外交で国民を欺いたものでした。日本の自衛隊の戦艦を戦争域内に派遣するという日本の安全保障政策は、憲法違反の恐れがありました。だが日米同盟を最優先に考える外務省は、法律議論を避けて政治的判断を優先したのです。

 





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小話2024年6月分上
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/28(金) 08:32
No. 7497
 
  日本の政治を振り返って見ますと、今ほど政治が空虚になり、政治家が、無責任になった時代はないように感じます。日本は、毎年右肩上がりに成長してきましたが、バブル崩壊後は、国と地方を合わせて、世界一の借金国になり、国民は増税への不安を抱えています。さらに物価高騰に給与が上がらずに自信を失い、社会全体が冷え込み様々な凶悪事件が起きています。一体、日本国はどうなっていくのだろうか。

実は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、アダムからこのアブラハムまで、まったく起源が同じなのです。このあと、イスラム教では、アブラハムと息子イシュマエルがメッカのカーバ神殿を建てたとし、アブラハムが祭壇を築いた岩のドームは、預言者ムハンマドが昇天した場所となっています。

報道によると、アメリカはテロに対する攻撃のために、小型核兵器開発の研究を認める法案を議会に提示しました。アメリカが使いやすい核爆弾の開発に関心を持ち始めたことは明らかです。小型核兵器の開発が現実のものとなった時点で、核の拡散は一挙に拡大するでしょう。テロリストが小型核兵器を持つようになるかもしれません。唯一の被爆国・日本が、アメリカの戦略に荷担してよいのであろうか。アメリカ追随の安保政策の危険がここにあるのです。

禁煙運動を実施している国が、外国に大量にたばこを輸出しています。自国の若者は守りながら、外国の若者の未来を滅ぼそうとしています。これと同じような自己中心的な行為を日本はやっていないと言えるでしょうか。日本の悪い文化は外に出さない。逆に悪い文化を押し付けられたら、断固として拒否する。そんな自粛と強さを日本人に持って欲しいのです。その強さと感謝する謙虚さがいつの日か世界中に広まったなら、戦争などおこるはずはないと信じています。

日本一古い橋は、日本橋420年。次は長崎県のメガネ橋390年。

消費税を減税し、ガソリン税凍結する、世界では100カ国以上が実施している政策です。

今やらねばいつできる。俺がやらねば誰がやる。


 





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財団人との意識の落差
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/26(水) 16:53
No. 7496
 
 
アメリカの財団の魅力は、アメリカの戦後の知性を代表する数多くの人物が財団に関わっている事だそうです。財団人が関係した財団は、戦後アメリカが生んだ最高のスーパーエリートの1人と言われる元国防長官ロバート・マクナマラです。

また、ニクソン大統領の下で初代通商代表を務め、日本バッシングという言葉を定着させるほど日本叩きに熱中したウィリアム・エバリーが理事に名を連ねていたそうです。会合などで、その本音を自由に聞く事が出来るのが魅力だといいます。

それ以外にも農務長官を務めたオービル・フリーマンや上院委員で外交通のジョセフ・タイディングス、さらに、ダバコで財を成しデューク大学を創立した名門財閥のアンディー・デュークなどのメンバーが揃っていたのです。

こうしたパワーエリートたちは、それぞれ持論を持っているのですが、知的好奇心を刺激するという意味ではマクナマラを凌ぐ人物はいないといいます。後世、歴史家が20世紀の歴史を概観するにあたり、マクナマラの名がそのどこかに書き残されるほどの役割をはたしたことは間違いないでしょう。

70歳を過ぎても毎日学習にいそしみ、新しい境地を開いていくエネルギーと柔軟な思考、ひいては人間として社会貢献をしようと努力している姿には、本意がどこにあれ、感心させられることが多かったと言います。

戦後、防衛研究所の所長を経て野村総合研究所の社長になった故佐伯喜一は、席上でこう述べています。「戦後、私はマクナマラの思想、行動を逐一追いかけたものです。そして、彼の言動を改めて自分なりに判断、再解釈し、それに基づいて私は発言し、ものを書いてきました。彼の発言を下敷きにしてきたのですよ。あとは世界でも有数なブランド戦略研究所が出すペーパーを読んで、それでまあ、私の日本におけるキャリアーが支えられてきたのかな・・・・。それほど彼の発言は私にとって斬新だった」と。

財団に身を置き、アメリカの代表と話をしているうちに分かったことは、誰一人として広島、長崎の被爆地を訪問していないことだと言います。ある程度、予想はしていましたが、それは驚きでした。さらに日常、何気なしに話す会話からも彼らが人類に向かって原爆を直接投下した罪の深さを少しも感じていないことも気になっていたと言います。

日本人の意識との落差は歴然です。アメリカの核に対する本音は人類に対する冒涜、思い上がりもはなはだしいと確信します。過去、テレビで戦後の特集で被爆者が広島原爆ドームでアメリカ人の本音をただしていましたが、逆に「真珠湾を思い起こせ!!」と言われ、被爆者の目から涙が零れるのを見て何とも痛ましい気持ちになりました。

 





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差別や区別など
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/26(水) 16:52
No. 7495
 
 
人間の世界では2人以上が存在する限り、大なり小なりの「差別」「区別」は生まれてしまいます。ほとんど同族の小さな村社会の中でも、本家だの分家だの、外から入ってきただの、金持ち、貧乏、利発か愚鈍か、長生きだ、短命だ、結婚した離婚したなど、様々な事が、差別化、区別化する材料になってしまいます。

また、表向きは人当たりのいい京都の人が、山のものとも、海のものとも分からぬものをひどく警戒して、差別化するのは有名な話です。しかし、それは国際観光都市として当たり前の自衛手段だともいえるでしょう。それを歴史的に優位にあった国と、そうでなかった国とを対比する世界を代表する国同士ではどうでしょうか。

ちなみに、G7の中で、「人種」が異なるのは日本人だけです。様々な会議などで、体の小さな体格の日本人が白人の間にいる様子は、どのように見られているのでしょうか。しかし日本人は、直ぐに自分たちが差別されている方に目が行きますが、実は日本人も、欧米人を含む外国人を無意識のうちに「差別」しているのです。

ある限度以上は、決して白人を内側に入れることはないのです。フランス人とイギリス人はプライドで争っています。イギリス人の食生活について、イギリス人の大航海時代の繁栄は、普段、粗食しか縁がないから、どこにいっても生き延びられたのだといいます。一方、フランスのイメージはというと、好色、下品、失礼ということらしい(笑)。

有名なところでは、French kissがあるし、気取った料理に対してFrenchといえば「肉を薄く切る」事です。18世紀頃にあった、フランス人は会っていても挨拶なしで帰るという習慣があり、French leaveといえば「無断で中座する」とされるが、これと同じ意味で、フランス語にも「イギリス式の退席法」というのがあるから、どっちもどっちでしょう。

英単語になっている点では、オランダ人の悪口も多いのです。ヨーロッパでケチの代名詞がオランダ人なのです。狭くて資源の乏しい風土にあって、オランダ人の節約主義は生活の知恵なのですが、オランダ人は招くのに夕食後の時間を指定し、コーヒーとサンドイッチ程度のものしか出さない、というエピソードもよく聞きます。

Dutch treatまたはgo Dutchは「割り勘にする」ことだし、Dutch actionは「値下げ競争」、Dutch metalは「金箔、上辺だけの中身のないもの」のこと、get in Dutchは「恥さらし」という意味で使われています。こうした感情はポーランドに対してもあり、ポーランドといえば貧しくて不潔、さらに間抜けということになるそうです。

イギリス人のオランダ人に対する悪感情も17世紀の大航海時代に起源があり、オランダ艦隊、オランダ商船をライバル視するあまりに、オランダ人のことを悪く言い、軽蔑する言葉を探した結果のようです。

この他、ロシア人やドイツ人に対しては病的に嫌悪感をもっている人もいるようで、Russo-phobiaまたはRussophodeはロシア恐怖症、Germanophodeにはドイツ恐怖症という意味があります。これなどは、過去の悲惨な歴史に起因するものでしょう。

また、アイルランド人については、怒りっぽいというので、get one’s Irish upは「癇癪をおこす」という慣用句にもなっているのです。「民族問題」「民族差別」の問題はきわめて微妙であり、しかも難しいのです。そこで、つい、避けて通ってしまうのですが、それも文化であり、紛れもない事実なのです。

21世紀に生きる我々は「嫌い」「違い」の原因を注視し、たとえ相手を一時は不愉快にさせても、礼をつくし、真摯な態度で意見をぶつけ合うことも時には必要だと思うのです。そうすれば、そこに政治的、歴史的背景も公正に見えてくると思うのです。そして、そこから民族の相互理解も生まれれば素晴らしいことでしょう。恒久平和を目指しましょう。

 





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イスラム歴を理解できれば
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/26(水) 16:51
No. 7494
 
 
「世紀末」「新世紀」「ミレニアム」という言葉があります。冷静に紀元○年がどこに設定されたかを思い返してみると、それがあらためてキリスト教起源であることを知るでしょう。かつて中国では、「暦を征する者が世界を征する」とされていたことがありました。

現代は、その言葉のままに、キリスト教を信仰する人々が世界情勢の主導権を握り、絶対的な価値観を世界に押しつけています。しかし、このようにキリスト教起源の暦があたかも世界共通の暦であるという錯覚のうえに立っていると、思わぬところで衝突が起ったりします。

日本人に身近な韓国、中国、台湾などでは、新年を祝う儀式は旧暦(陰暦)に基づいて、2月3日の節分を過ぎてから行われていますし、イスラム世界でもイスラム暦(陰暦)に従い宗教儀式を行っています。いずれの国も国際交流上、便宜的に西暦を使っているに過ぎないのです。

イスラム暦は、預言者ムハンマド(マホメット)が信仰を広げるため、メッカからメディナへ避難したヒジュラが行われた年を起源とし、以来、年が刻まれ続けています。その起源が、西暦による622年にあたるのです。イスラム暦は、実際に月の運行、朔望を観察して決められ、閏年はないので西暦(太陽暦)とは、当然、ズレが生じます。

西暦で新世紀を迎える2001年はイスラム暦では1422年にあたり、平凡なのです(笑)。逆に、西暦ではなんでもない年、月、日が、イスラム世界では重要な意味を持っていたりするのです。ビジネスがラマダン(断食)月などにあたってしまうと、まったく交渉事が進まず、悲惨なことになるのです。

国際的に影響ある事件、1979年2月11日に成就したイラン・イスラム革命では、人々は1920年以来、60年近く続いたパフラヴィー朝の国王独裁体制を打倒し、ホメイニ師の指導のもと、イスラム政治体制を樹立しました。

米ソ冷戦状態にあって、イラン国王はアメリカの支援を受け、民主主義を抑圧してきたため、国民戦線と宗教指導者が反発したもので、ホメイニ師は革命の象徴的な存在だったのです。ホメイニ師は当初、国王によって追放され、イラク、そしてフランスに亡命しており、イスラム暦で1400年にあたる西暦1979年に帰国したのです。

イスラム暦における新世紀を迎える年に師が帰国したことは、救世主の再来を意識したものだった、と考えられています。また1981年秋、その10月6日、サダト大統領が凶弾に倒れました。実はこの暗殺は、1981年のはじめ、エジプト、イスラム原理主義集団のひとつ「アル・ジハード」最高機関によるものでした。

カイロ市郊外、ナセル・シティにあるスタジアムで、第4次中東戦争開戦8周年記念の軍事パレード中、4人の軍人が貴賓席に手榴弾を投げ込み、自動小銃を乱射してサダト大統領を暗殺したのです。このあと、アル・ジハードは政権を倒し、イスラム共和国を興す予定になっていたのですが、1981年、この年はイスラム暦では15世紀の最初の年、1401年にあたるのです。

これらの事件は、イスラム暦に視点を変えるだけで、彼らが行動を起こすべくして起こしたことが見えてくるのです。暦に限らず、今日の欧米化された社会にあっては、あたかも世界中が同じサイクル、価値観で動いているかのように錯覚してしまいます。

それは、現代社会の落とし穴です。伝統を欧米に踏みにじられたと被害者意識をもって、自らのアイデンティティを確かめる意味で、民族の意味あるときに「テロ」を計画する者もいるということなのです。つまり、世界を、そして民族を理解するということは、ひいては、国際社会にあって、自分を守るということでもあるのです。

 





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日本の民主主義とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/06/26(水) 16:50
No. 7493
 
 
戦後、日本は米国GHQの占領下のもと日本人が長い年月をかけて培ってきた日本人の価値観を否定されました。戦前の日本の価値観が全て正しいとは思いませんが、昔からの日本人固有の価値観を否定されたのは事実です。

敗戦国とはいえ、憲法までGHQの監視下の元に創られました。それまでの日本は民主主義国家とは言いがたい面が多々あったことは否定できませんが、敗戦国となり占領されたことで米国の民主主義を押し付けられてしまいました。

米国の民主主義は誰でもが平等だから、多くの人たちが一斉に米国式の民主主義を指示しました。米国には米国の歴史がありその中から培われてきた価値観なのに、敗戦と同時に受け入れてしまったのです。

米国は自由のイメージがありますが、民主主義のもとでの自由には一定のルールがあり、そして自己責任が必ず伴います。日本人はその自由を勘違いしています。日本人の自由にはルールもなければ自己責任もないし、自分勝手が自由とうい言葉になってしまっているのです。

日本は無宗教の国と言われ、多くの日本人は宗教を持ちません。キリスト教、イスラム教など世界中の多くの民族は宗教を持ち、その教えを元に行動します。今の日本人のなかには自分の行動指針とするような教えがないのです。民族的に共通した教えがないから、自分勝手なことをする人が増えてきているのではないでしょうか。

日本には日本固有のすばらしい価値観はあったはずです。一昔前なら武士道です。武士道が人々の価値観であり日本人に共通した教え、行動指針だったのではないでしょうか。戦後も半世紀を過ぎ、日本人は日本固有の共通した価値観を再検証する時期に来ているのです。

 






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