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世界地図を見て読んで貰えるとよくわかるかも(笑)ブルトン人のほかに「フランス人ではないな」とイメージされるのはノルマンです。英国風に言えばノースマン(北人)です。スカンジナビア方面から来たのでそう呼ばれていました。
今で言えばスウェーデン人、ノルウェー人、デンマーク人です。これは全くの「海賊」です。自分たちで「バイキング」と称して威張っていました。ノルマン人集団の襲撃、略奪の被害は、定住したアングロ・サクソン人も、ブルトン人も受けています。
さらにフランセーも、9世紀半ばにシャルルマーニュが没したあとはやられます。ノルマン集団はセーヌ河を遡ってパリに攻め込み、ノートルダムのあるシテ島に火を放ったりしました。1年も包囲され、賠償金を払って立ち退いてもらったのです。
弱体化していた第二王朝のフランク王国としては困って、西北2つの半島の上の1つを領地として与えて、族長を公爵にしてあげたのです。「ノルマン」の土地だから「ノルマンディー」という名になったのです。911年に、ノルマンディー公爵の始まりです。
一応フランス国王の家臣という形でしたが、幾世代もしないうちにゲルマン語は忘れ、当時のフランス語に同化しました。ところが王権は家来筋の第三王朝に移り(987年)。ユーグ・カペーは公爵の家系だが、チャンバラ好きなのか、いつも頭巾つきカペーを着ていて、あだ名が家名になりました。
ノルマンディー公爵家が新王家と対等のつもりになっても仕方ない。そして、フランスに来て5世代目で、7人目のノルマンディー公爵ギヨーム(英語形でウィリアム)がイングランドを征服して、王位を奪ってしまいます。(1066年)。
アングロ・サクソン人の王が親戚に王位を奪われたとき、ウィリアムは縁戚関係で自分の方に権利があるとして海を越えて攻めこみました。このウィリアム・ザ・コンケラーが征服王として、現英国家のご先祖様です。1066年、ケン・シックスティ・シックスは英国の学校で最初に教える年代だそうです。
王家は当然フランス語しか話しません。ノルマン貴族たちもそうです。アングロ・サクソン人の貴族も生きながらえるためには新王家の言語フランス語を話したのです。こうして300年、やっとアングロ・サクソン語でもない、フランス語とも違う言葉がイングランドにできあがり、イングランド語(イングリッシュ英語)と呼ばれるようになったのです。
チョーサーの「カンタベリー物語」が書かれた14世紀(日本では足利時代だから、英国の中学生は楽です、国文学の範囲が短い)ノルマン人は威勢がいい。別な一派が11世紀にはシチリア島を征服、12世紀にはナポリにまたがる王国を作ってしまいます。
この「両シチリア王国」の王位はのちにヨーロッパの大貴族が奪いあったり、嫁入り財産としてあっちこっちへ行ったりします。なんだか、ブルトン人の話もノルマン人の話も半分英国史みたいです(笑)
この頃はまだ近代的な意味での「英国」などはありません。半分以上フランスなのです。フランスにしても、まだ近代的な意味でのフランス王国ではありません。「フランク王国」に毛が生えたようなものです。
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