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  イスラエルVSレバノンとは  仲條拓躬2026/03/09(月) 18:15 
  SARSとMERSについて  仲條拓躬2026/03/05(木) 17:37 
  発疹チフスの歴史  仲條拓躬2026/03/03(火) 15:44 
  細菌とウイルスの違いとは  仲條拓躬2026/03/03(火) 15:43 
  血糖値を上昇させる食べ物  仲條拓躬2026/02/24(火) 17:04 
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  小話2026年2月分下-2  仲條拓躬2026/02/24(火) 16:56 






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イスラエルVSレバノンとは
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/03/09(月) 18:15
No. 8168
 
 
過去の話になりますが、日本が北朝鮮への経済制裁に躍起になっている地球の裏側では、イスラエルとレバノンの戦いが始まりました。戦争の原因は、レバノン南部にいるシーア派武装組織ヒズボラが、国境を越えてイスラエルに攻撃を開始したものでした。

戦闘中、イスラエルの兵士2人がヒズボラ武装勢力に捕まり捕虜となり、イスラエルは捕虜奪還のため、レバノン国内の空港及び発電所、さらに幹線道路などに大規模な爆撃を行い、ベイルートの港を海上封鎖したので、レバノンは危機に陥りました。

イスラエルの破壊した理由については、イランやシリアから支援を受けられないようしたと言っていますが、ヒズボラへの支援は山道を通って行われているので、空港及び幹線道路などは関係がないようなので、レバノンの無辜の民が犠牲になったのです。

イスラエルの右派は、アラブと徹底的に戦いパレスチナ人をも追い出そうとします。米国を陰の力で動かして周辺のアラブ並びにイスラム諸国を弱体化させて、中東をイスラエルが支配できる地域にしようとしているのです。

米国の政権やマスコミの中枢にはネオコンやユダヤ秘密結社が君臨しています。イスラエル右派の戦略は、米国の戦略と合致しているのです。イスラエルを敵視しているアハマディネジャドのイラン政権転覆を何とか実現しようと、イスラエルはレバノンとの戦争に突入したのではないかと言われています。

レバノンを攻撃しながらも敵は、その背後にいるイランやシリアだといいます。アメリカで活動しているユダヤの秘密結社は、米国で選挙が行われる度に影響力を行使しています。米国の政治家は今や誰もイスラエルに逆らう事が出来ません。

トランプ大統領でも逆らえないのです。だからイスラエルがイランと戦争に突入したら、米国は真っ先にイスラエルの味方をするので、日本は巻き込まれることになるのです。現在勃発した戦争はどうなるのでしょうか。

停戦の努力は、どの国が行うのであろうか。この状態がいつまで続くのか、イスラエルの戦略が成功して、イランだけでなく中東全域を巻き込んだ全面戦争が起きるのかによっても地球の裏側にある日本国にも影響が起きるのです。石油もどんどん値上がりしています。どこまで耐えられるでしょうか。

 





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SARSとMERSについて
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/03/05(木) 17:37
No. 8167
 
 
ウイルスは患者の咳やくしゃみをした時に飛び散る飛沫によって広がることが多いです。飛沫が付着した表面や物体に触れた手で口や鼻、目を触ったときにもウイルスに感染します。広い範囲の空気感染や他の経路による感染が起こっている可能性もありますが、完全には解明されていません。

2003年4月23日、北京郊外で1000床のSARS専門病院が開院しました。この小湯山医院は迅速に患者に対応しましたが、治療した患者はわずか680人で、6月の終わりにはもはや必要がなくなりました。

WHOは中国でSARSの危機が去ったと判断し、7月初めにSARS患者が出た29カ国でのSARSの終息を宣言しました。 北米、南米、ヨーロッパ、アジアの諸国を巻き込み、8098人の患者と774人の死者を出し、世界を震撼させたSARSの大流行は突如として始まり、あっという間に終息したのです。

最初の感染源を含めて、SARSについてはまだわかっていないことが多いのです。中国で流行が始まった地域で捕獲されたハクビシンからSARSに似たウイルスが単離されたと発表されると、中国政府は駆除を開始し、1万頭以上のハクビシンアナグマ、タヌキが処分されました。中国に生息するキクガシラコウモリも感染源になった可能性が指摘されています。

2018年の時点で、2004年以降にSARSの報告はありません。しかし、2012年に米国はSARSウイルスを国民の健康や安全にとって重大な脅威となる可能性がある「特定病原体」に指定しました。

そして同じ年に、別の新型コロナウイルスがサウジアラビアに現れました。サウジアラビアの都市ジェッダの病院で、1人の患者が急性肺炎と臓器不全のため死亡しました。病院では病原体を特定できなかったため、オランダの研究所に喀痰検査を依頼したところ、中東呼吸器症候群コロナウイルス (MERSコロナウイルス)が検出されたのです。

このウイルスこそ、中東呼吸器症候群、略してMERSの原因でした。MERSはSARSに似た病気で、致死率は約40%にも達しました。2018年現在、米国、イラン、フィリピンと、英国などヨーロッパの数カ国を含む合計27カ国でMERSの発生が報告されました。

だが、患者の約80%はサウジアラビアに集中しており、人から人への感染以外にヒトコブラクダからの感染も疑われました。 MERSはコウモリが持っていたウイルスがラクダに広がった可能性があります。

中東以外で発生した患者は、同地域に旅行して感染したケースが殆どでした。WHO はすべての国に対し、その国で感染が発生したか否かにかかわらずMERSに警戒するよう呼びかけました。特に中東との行き来が頻繁な地域では注意が必要だったのです。

さらにWHOは、確定例だけではなく疑わしい発症例と対応策の取りまとめを報告するよう求めています。「最適かつ国際的な対応策を周知するために」はこうした動きが必要になってきます。

普通の風邪の原因となるヒトコロナウイルスは何百年もの間、重篤な症状を引き起こすことはありませんでした。それが、なぜ今になって突如として致死性の高い新型ウイルスが出現したのか。SARSの流行後、 専門家はこれを「実に憂慮すべき問題」だと評しました。SARSと入れ替わるように致死性の高いMERSが出現したのは、 そのすぐ後のことでした。

 





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発疹チフスの歴史
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/03/03(火) 15:44
No. 8166
 
 
18世紀から19世紀にかけて、アイルランドは伝染病の流行に悩まされてきましたが、そのすべてにジャガイモの不作が関係していました。当時、ジャガイモは貧困層の主食でした。

ジャガイモ飢饉と呼ばれる大飢饉が発生した1847年、アイルランドからリバプールに大勢の移民が押し寄せましたが、病人や飢餓状態の者が多かったため、リバプールでは病院のベッドが不足しました。

発疹チフスの患者は波止場近くの倉庫に作られた急ごしらえの「熱病小屋」で看病を受けた。一時はリバプールで6万人が病に伏しましたが、患者の大半はアイルランド人だったため、発疹チフスはアイルランド熱と呼ばれるようになりました。

一部の地元住民たちは、アイルランド人は酒を飲んで自堕落な生活をしているせいで病気になった、いわば自業自得だと噂した。カナダでも同じようなことがありました。1847年の発疹チフスの流行で2万人以上が死亡しました。

その大部分はぎゅうぎゅうに人が詰め込まれ、とても航海できるような状態ではなかったおんぼろ船の中で病気にかかったアイルランドからの移民でした。コロンブスが来る以前に、アメリカ地域に発疹チフスが存在していたかどうかはわかりません。

ただ、16世紀後半のどこかの時点で大西洋を渡った可能性があります。メキシコの山岳地帯で流行し、200万人が犠牲になった悪性の伝染病 「ココリットリ」は、発疹チフスだった可能性があります。

15世紀から16世紀にスペインからやってきた侵略者たちが悩まされた「モドッロ」と呼ばれる病気の正体も、発疹チフスだったのではないかと考える歴史学者もいます。米国北東部のニューイングランド地方で1629年に入植者と先住民を襲ったのは正真正銘の発疹チフスで、 その後200年以上にわたってじわじわと東に勢力を伸ばしていきました。

深刻な被害を被ったのは海軍も同様でした。だが18世紀のイギリス海軍では、船医のジェームズ・リンド (柑橘類の果汁で壊血病を予防できると主張したことで有名な医師)が船乗りたちに、服を脱いで、体を念入りに洗って、ひげをそり、清潔な服を着るように命じたおかげで、発疹チフスを媒介するシラミを軍艦内に寄せつけずにすんだのです。

1910年にチュニスのパスツール研究所で、発疹チフスはコロモジラミが媒介することをシャルル・ニコルが発見したことで状況は大きく変わりました。第一次世界大戦の西部戦線では各国がシラミの駆除を行ったため、一度も流行は起こらなかったのです。

だが、東部ではやや事情が異なっていました。セルビアでは戦争が始まってからの半年間で15万人が発疹チフスで命を落とし、革命後のロシアでは何年もの間、発疹チフスが蔓延しました。

1918〜22年の間にソビエト連邦と東ヨーロッパで合計3000万人が発疹チフスにかかり、推定300万人が亡くなりました。ソビエトの指導者ウラジーミル・レーニンは次のように発言したといいます。「社会主義がシラミを打ち負かすか、シラミが社会主義を打ち負かすかだ」

第二次世界大戦中の1939年に、イギリス政府は軍に入隊するアイルランド人の適性検査を開始しました。シラミ持ちは体毛をそられ、裸で浴槽の中に立たされたまま、ゴムエプロンとゴム長靴を身につけた付添人に消毒剤をかけられます。

主席医務官は彼らの「羞恥と恐怖と激しい怒り」が手にとるように伝わってきたと述べています。確かにやり方はひどかったのですが、方向性は間違っていなかったのです。1943年には北アフリカから帰国したイタリアの部隊がナポリに発疹チフスを持ち込みました。最初は囚人たちの間で流行し、やがて市民にも広がっていったのです。

ナチスがアムステルダムに隠れ住んでいた14歳のアンネ・フランクとその家族を見つけたのはその翌年で、 ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られたアンネと妹のマルゴットは、4カ月後、発疹チフスで命を落としました。

第二次世界大戦中には強力な殺虫剤ジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)がシラミ予防に使われるようになり、奇跡の薬として称賛を浴びました。薬を人間に直接吹きかけることすらあったのです。DDT は発疹チフスから人間を守ってくれました。

だが、不運なことにその効果はコロモジラミだけに発揮されるわけではなく、人間を含む多くの生物にも害を及ぼすことがわかったのです。現在ではDDTは世界のほとんどの地域で使用が禁止されていますが、アフリカの一部ではマラリアを防ぐために効果がリスクを上回ると考えられる場合にのみ、ごく限られた範囲での使用が認められています。

2006年に米国ペンシルバニア州のキャンプ場で働く従業員の1人が森林発疹チフスと診断されました。森林発疹チフスはシラミが媒介する普通の発疹チフスと病原体は同じですが、モモンガと密接に接触することとの関連性が認められています。

過去2年間にさらに3人の従業員が同じ病気に感染していたことが判明しました。彼らは同じ山小屋で寝泊まりし、ベッドのすぐそばの壁の内側でモモンガの姿を見るか、物音を聞いていました。

森林発疹チフスが最初に見つかった1976年から2002年までの間に米国で報告された患者数はわずか41人に過ぎません。モモンガを調査した結果、71%が発疹チフスリケッチアに感染していました。

保菌したノミやシラミがモモンガについていたことが原因で人間に感染したのではないかと考えられていますが、正確な感染経路はわかっていません。現在では発疹チフスは世界的にもまれな病気となっていますが、アフリカの中央から東部、中南米、アジアの山岳地帯や寒冷な地域では完全には姿を消していません。

最近の流行の殆どはブルンジ、エチオピア、ルワンダで報告されています。ブルンジでは数年の空白期間を経たのち、1995年にンゴジ刑務所で発疹チフスの流行が発生し、内戦で76万人が劣悪な環境の難民キャンプで生活していた1997年にも再流行しました。

 





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細菌とウイルスの違いとは
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/03/03(火) 15:43
No. 8165
 
 
顕微鏡の発明によって目に見えない微生物の存在が明らかになり、19世紀にコッホが病原菌を発見して以来、瘴気説はほとんど滅び去りました。感染症とは、体外からやってきた微生物が体内で増殖し、それが引き起こした病気であることが常識になったのです。

だが、さらに後に「顕微鏡を使っても見えない微生物」の存在が明らかになりました。それが、ウイルスです。しばしば混同されがちですが、細菌とウイルスは全く異なる微生物です。まず大きさが全く違います。

ウイルスは細菌の約100分の1と極めて小さいため、通常の光学顕微鏡で観察できないのです。ウイルスを初めて観察できたのは、ドイツで電子顕微鏡が発明された1931年のことです。

レーウェンフックが「微小動物」を発見してから、実に200年以上も後のことです。微小な環境のことはよく「ミクロの世界」と呼ばれますが、ミクロ(マイクロメートル)は一ミリメートルの1000分の1です。おおよそ細菌のサイズです。

一方、ウイルスのサイズは「ナノ」で表現します。1ナノメートルは1マイクロメートルのさらに1000分の1です。また、細菌とウイルスの違いは大きさだけではないのです。「自力で生きることができるかどうか」にも違いがあります。

細菌は、環境さえ整っていれば細胞分裂によって自力で増殖できます。生きるために他の生物に寄生する必要はないのです。一方、ウイルスは自力で生きることができません。DNAやRNAと、それを包み込むタンパク質のみでできたシンプルな構造で、自らを複製する力を持たないのです。

こうした性質から、ウイルスは生物ではないとされることも多いのですが、微生物学の学問領域には含むのが一般的だといいます。では、ウイルスは一体どのようにして増えるのだろうか?

実は他の生物の細胞に自己のDNAやRNAを送り込み、その複製システムを乗っ取ることで増えていくのです。DNAやRNAは、生物の設計図です。ウイルスは自己の設計図を相手に送り込み、代わりに自己をつくってもらうことができるのです。

感染された細胞の身になってみれば、いわばプラモデルをつくっている最中に、いつの間にか設計図の途中が別の頁に差し替えられ、本人も気づかないうちにせっせと違うプラモデルを量産しているようなものでだといいます。

ウイルスが感染した細胞はウイルスを量産してしまい、細胞内で増えたウイルスはじきに細胞を破壊して外に飛び出す。そして、次々と他の細胞に感染しそれを破壊しながら増殖していくのです。

人間にとっては細菌もウイルスも目に見えないがゆえに、「微生物」とひとまとめで呼んでいます。だが細菌にとってウイルスは、自らの生命を脅かす存在です。ウイルスは細菌に侵入して増殖し、細菌を破壊するからです。

また、当然ながら抗菌薬(抗生物質)はウイルスには全く効果がないのです。抗菌薬は細菌に対してのみ有効な薬であって、それ以外には効力がないからです。細菌より小さな微生物の存在が初めて知られたのは、1890年のことです。

ロシアの生物学者ドミトリ・イワノフスキは、タバコの葉にモザイク状に斑点ができる植物の病気を調べていました。何らかの感染症であるようだが、その原因がはっきりしない。驚くべきことに、タバコの葉をすりつぶして細菌を取り除くフィルターを通しても、なお感染性は残っていました。

この実験結果は、細菌よりはるかに小さな感染源が存在する可能性を示していたのです。その45年後の1935年、アメリカのウイルス学者ウェンデル・メレディススタンリーは、初めてタバコモザイクウイルスの存在を明らかにしました。

この世界で初めての功績で、スタンリーは1946年にノーベル化学賞を受賞しました。その後、人間に病気を引き起こすウイルスが次々と発見されることになります。細菌やウイルスといった病原体が発見されると、病気の予防法や診断法、そして治療法の開発が可能になります。ウイルスに対する治療薬は、種々の抗ウイルス薬です。

だが、抗菌薬とは違い、ウイルスを死滅させられる抗ウイルス薬は少ないのです。多くは増殖を抑え、症状を軽くする作用を持つものです。例えば、タミフルに代表される抗インフルエンザ薬の効果は、「発熱期間を約一日短縮させること」です。

インフルエンザをたちどころに治せる薬ではないのです。また、治療薬そのものが存在しないウイルス感染症も多いです。例えば、誰もがよく知る麻疹や風疹はいずれもウイルス感染症ですが、抗ウイルス薬はないのです。

ひとたび罹患すれば、症状を抑える薬を使いつつ治るのを待つしかない病気なのです。一部は重症化して命にかかわり、後遺症を残すこともあります。風邪の原因となるウイルスも新型コロナウイルスもそうです。治癒に導ける抗ウイルス薬は、いまだ存在しないのに、新型コロナウイルスでは3か月ぐらいでワクチンを開発したという。

コロナウイルスでは子どもは亡くなることはありませんでしたが、ワクチンを接種して亡くなっている子どもいるのです。最近はコロナワクチンを接種して24時間以内に亡くなった方に国が補償を始めていますが、テレビや大手メディアでは放送していません。週刊誌や地方新聞ではとりあげているので気付いてほしいと願います。

 





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血糖値を上昇させる食べ物
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/24(火) 17:04
No. 8164
 
 
糖質過多の食事は、インスリンの分泌量を増やし、膵臓の細胞を疲弊させるだけではなく、血糖値が高い状態が続くために、グルカゴンやソマトスタチン、成長ホルモン、プロゲステロンといった血糖値を上げるほうのホルモンの分泌量を減らしているかもしれません。

そのことで隠れた弊害が起こっている可能性も否定できません。ただし、糖質をゼロにしていいかというと、そうではないと思います。我々人間は、米や小麦を作り、定期的に糖質を食べられるようになってから、他の動物よりも長生きできるようになりました。

糖質の登場が人類の寿命を延ばしたという事実がある以上、糖質が完全に悪者であることはあり得ません。炭水化物もタンパク質も1グラムあたり4カロリーです。カロリーとは、1ミリリットルの水の温度を1度上げるのに必要なエネルギーのことです。

炭水化物が定期的に手に入るようになったことで、手軽に効率よくエネルギーをつくり出せるようになったとも言えます。また、糖質制限食を勧める人のなかには、「糖質を一切摂らず、ブドウ糖を遮断しても、体は脂肪を分解して生み出した「ケトン体」をエネルギー源に使うから大丈夫」と主張する人もいます。

このケトン体も、ここ数年の間にすっかり人気になりましたが、本当にケトン体だけで体を維持できるのでしょうか、長期的に調べたデータはありません。良いとも悪いとも現時点ではまだ判断できないのです。 私自身は、一切の糖質を断つ糖質制限食には反対です。

脳はケトン体そのものを使うことはできないので、TCAサイクルと呼ばれる別の経路を使ってエネルギーに変換する必要があります。そのため、余計なエネルギーを使うのです。糖質制限をすれば、確かに体重は落ちますが、体力も落ちます。

長期間続ければ、どこかに問題が生じるでしょう。そもそも、我々の体を形作る遺伝子の組み合わせが決まった1万年ほど前にも、ドングリなどの木の実を食べていたのですから、人類は糖質をまったく摂っていなかったわけではありません。

糖質が悪いのではなく、糖質を摂りすぎることが悪いのであって、適度に摂ることが大切だと思われます。具体的には、白米や白いパンといった精製された炭水化物は控えること。つまりは、白米よりも玄米や十穀米を選ぶ、白パンよりもライ麦パンや全粒粉のパンを選ぶことを意識してください。特に白いパンは、白米以上に、急激に血糖値を上げます。

一気に血糖値が上がり、そのために大量のインスリンが分泌されるので、今度は急激に血糖値が下がり、血糖値の乱高下を招くのです。今、空腹時血糖値は正常でも、食後に血糖値が異常に高くなる「食後高血糖」が問題になっています。

白いパンはまさに食後高血糖を招きやすいのです。パンを食べるとすぐにお腹いっぱいになりますが、しばらくするとお腹が空きます。ご飯(米)のほうが、腹持ちが良いと思います。それは、パンに比べると、ご飯のほうが血糖値の上昇が緩やかな分、緩やかに下がっていくからです。ただ、だからこそ、パンは美味しいと感じるのかもしれません。

あっという間に血糖値が上がり、脳が満足するので、「美味しい」と感じるのです。でも、日本では、パン食派の人が増えてから、肥満と糖尿病が増えました。精製された小麦のパンは、なるべく控えていただきたい食べ物です。

もともと小麦文化の欧米では、健康志向から、精製された白いパンよりも全粒粉のパンが増えています。でも、日本のパン屋で並べられているのは、精製された白い小麦の食パンや菓子パンばかりです。生まれもった遺伝子に合った食生活に近づけるための第一のコツは、精製された炭水化物、特に白いパンを控えることだと思います。

 





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生活習慣病が急増した理由
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/24(火) 17:02
No. 8163
 
 
血糖値を上げる役割を担うホルモンは複数ありますが、血糖値を下げる役割を担っているホルモンは、インスリンしかありません。その理由を考えていくと、人類は糖質をどう摂ってきたのかという歴史に思いを馳せることになります。

今の我々の体形を作っている遺伝子がつくられたのは1万年ほど前ですが、当時は糖質を食べる機会なんてほとんどありませんでした。 狩猟・漁労で捕まえた動物や魚を食べたり、植物の葉っぱを食べたり、ドングリなどの木の実を拾って食べたりという食生活だったと考えられています。そのなかで糖質はと言えば、ドングリなどの木の実くらいでしょう。

それが、弥生時代に入り、稲作が定着すると、朝・昼・晩と定期的にお米を食べられる生活に様変わりしました。そうした変化を遂げたのは日本だけではありません。ヨーロッパやアフリカでは小麦を大量に食べるようになり、マヤ文明やアステカ文明が栄えた中米ではトウモロコシが主食になりました。

それまでは毎日十分な食糧を確保できるわけではない、飢餓との戦いの連続だったのですが、定期的に糖質が食べられるようになり、人類は大きな変化に遭遇したのです。ところが、我々の体というのは、飢餓との戦いを続けていた頃に合わせてつくられています。

当時の環境に合わせて遺伝子の組み合わせと機能が決まったのです。だから、ドングリ程度しか糖質がなくても血糖値を維持して、生命活動を営めるように、血糖値を上げるホルモンは複数用意されたのでしょう。

その一方で、血糖値を強制的に下げる必要はほとんどなく、むしろ血糖値が下がって動けなくなることのほうが問題で、死に直結することだったので、血糖値を下げるホルモンはインスリンしか用意されなかったのだと思います。

ちなみに、それは人間だけではありません。ほとんどの動物が血糖値を上げるホルモンは複数備わっているにもかかわらず、下げるほうのホルモンを三つも四つも持っている動物はいません。

では現代の食生活はと言うと、飽食の時代になり、ごはんもパンも甘いものもなんでもたらふく食べられるようになりました。その結果、遺伝子が暴走して、肥満が増え、こんなにも糖尿病が増えてしまったのです。つまり、今の時代の食生活が、我々人間が生まれ持った遺伝子の機能と組み合わせに合っていないのです。

糖尿病がこれほどまでに増えた一番の原因は、現代の食生活が、自分たちが生まれ持っている体質と合っていないことだと考えています。例えば、トンガやサモアといったポリネシアの人たちと言えば、お相撲さんのように大柄の人が多い印象があります。

実際、2014年にWHO(世界保健機関)とトンガ政府が発表した調査によると、25〜64歳のおよそ7割がBMI(体重を身長の二乗で割ったもの。体格指数) 30以上の肥満体型で、ウエストのサイズの平均は男女ともに100センチを超えていました。

ところが、戦前には太っている人はほとんどいなかったそうです。タロイモなどの主食と野菜、果物、魚を中心とした昔ながらの食生活を続けていた頃には肥満の人は少なく、ファストフードやパン食、加工食品といった手軽な食文化が海外から入り、安く簡単に大量に食べられるようになってから、こんなにも肥満が増えていったのでしょう。

なおかつ、肥満の増加とともに、糖尿病や心臓病といった生活習慣病が急増したそうです。まさに、食生活がポリネシアの人たちが元々持っている遺伝子(体質)と合わなくなった結果、肥満が増え、糖尿病が増えたのです。我々も、食生活をはじめとした生活習慣を見直し、遺伝子ができた頃の生活に近づければ、遺伝子が落ち着きを取り戻すことでしょう。

 





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ペニシリンの誕生の経緯
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/24(火) 17:01
No. 8162
 
 
20世紀初頭、戦地で多くの兵士たちが傷の感染症で命を落としていました。傷の感染は、皮膚の表面にいるブドウ球菌や連鎖球菌などの細菌から起こります。エールリヒが「魔法の弾丸」を生み出してもなお、これらの一般的な細菌を殺せる「弾丸」は、当時全くなかったのです。

傷から細菌が侵入し、それが全身を巡って重篤な感染症を引き起こしても、人類になす術はありませんでした。その後、全くの偶然が医学史を変えることになりました。1920年代、ロンドンの聖メアリー病院で研究職にあったアレクサンダー・フレミングは、人間に病気を引き起こすブドウ球菌の研究をしていました。

1928年9月3日、休暇から戻ったフレミングは、細菌を培養していた培地の一つにカビが生えていることに気がつきました。不思議なことに、そのカビの周囲にだけ細菌が育っていないのです。

このカビはアオカビの一種であり、これが産生する何らかの物質が細菌の増殖を妨げているようでした。フレミングはカビから出ている黄色い液体を、アオカビの学名 Penicillium (ペニシリウム)から「ペニシリン」と名づけました。

だが、ペニシリンを純化することは難しく、安定的に 手に入れることはできなかったのです。薬として使うのは難しいと考えたフレミングは、これを論文として報告しただけで、他の研究を続けました。

まさかこれが歴史を変える大発見であるとは、フレミング自身も気づいていなかったのです。それから数年後、オックスフォード大学のハワード・フローリーとアーネスト・ボリス・チェインは、細菌を殺す薬を探索している最中にフレミングの論文を見つけ、そこに治療薬としての可能性を見出しました。

確かにペニシリンの精製は難しかったのですが、その効力は極めて強かった。1940年、連鎖球菌を感染させたマウスを使った実験では、何もしなければ一晩で死ぬマウスがペニシリンの投与によって生きながらえたのです。

1941年には人間にペニシリンを投与する初めての試験が行われ、その効果が立証されました。問題は、当時の技術ではペニシリンの大量生産はとても不可能だったことです。たった二グラムのペニシリンを精製する為に、アオカビがつくる液体が一トン必要でした。


この状況を大きく前進させたのが、第二次世界大戦でした。日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国と、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦などを含む連合国との間で起こったこの大戦では、多くの兵士たちが傷の感染で命を落としました。

戦場で兵士たちが手足の切断を余儀なくされる中、感染症の治療薬を国家が渇望していたのです。フローリーはアメリカに行き、政府機関が中心となって研究チームが組織されました。連合国軍の兵士を救うため、数々の製薬会社が開発競争に乗り出したのです。

アオカビの生産と、ペニシリンの抽出法は次々に改良されました。戦場でのペニシリンの爆発的な需要に背中を押される形で、ペニシリンの大量生産が可能になったのです。1944年6月6日、膨大な数の連合国軍兵士がノルマンディー海岸に上陸し、ドイツ軍に攻撃を開始しました。ノルマンディー上陸作戦と呼ばれる、史上最大規模の作戦です。

この日、連合国軍には強力な武器が供給されていました。兵士全員分のペニシリンです。 この時、戦場に持ち込まれたペニシリンの九割は、アメリカの製薬会社ファイザーの製品でした。競合他社に先んじて、安定的な生産工程を完成させていたからです。結果としてペニシリンは、連合国軍兵士の感染症による死亡を激減させたのです。

1945年、フレミング、フローリー、チェインの3人はノーベル医学生理学賞を受賞しました。ペニシリンは感染症の治療薬として、今日に至るまで大量に使われることとなったのです。実は、ユダヤ人だったチェインは、母親と女兄弟をドイツの強制収容所で失っています。

チェインの研究成果はナチスの打倒に確実に役立っており、ここに深い因果があるのです。 人間にとっては「奇跡の薬」となったペニシリンですが、アオカビにとってみれば、細菌から身を守るために分泌する物質です。のちに、こうした薬は「生物に対して抵抗する」という意味から、「抗生物質(antibiotics)」と名づけられたのです。

 





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原子爆弾を知らせたのは科学者
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/24(火) 17:00
No. 8161
 
 
1939年4月24日。アドルフ・ヒトラーは数日前に誕生日を迎えたばかりでした。ドイツの若手研究者パウル・ハルテックは総統に特別な贈り物をするために、陸軍宛ての一通の手紙をたずさえてハンブルクの通りをいそいそと歩いていました。

原子物理学の最新研究で、従来兵器とは比較にならない爆発力を得ることが可能になったのです。原子爆弾を総統にプレゼントしたいとハルテックは考えていたのですが、あいにくそれは実現しませんでした。

ナチスドイツの息がかかった地域では、ユダヤ人や自由主義思想、あるいはその両方の物理学者はみんな殺され、投獄され、欧州から追放されていたからです。同じ年の8月2日、アルベルト・アインシュタインへの任務を帯びた2人の科学者が、米国ロングアイランド、カッチョーグに車を走らせていました。

2人ともハンガリー出身の物理学者で、この日だけは任務を果たすために協力しましたが、その後は対照的な人生を歩むことになります。1人は前出のレオ・シラード。当時はみんなそうでしたが、彼にも戦争の足音が聞こえていました。

マンハッタンから出掛ける時は、いつも決まった研究者が運転手をしてくれるのですが、たまたまこの日は用事がありました。そこでシラードはエドワード・テラーという若い科学者に頼むことにしました。

ブダペストで迫害を受け、家族ともどもミュンヘンに逃げたテラーですが、このとき交通事故で右足を失っています。1930年代初頭にはドイツにもいられなくなり、最終的に米国に落ち着きました。

テラーの運転で向かったカッチョーグには、アインシュタインの夏の別荘がありました。案内された食堂は本や書類だらけで、偉大な科学者とシラードはテーブルについた。テラーは若手の立場をわきまえて、隣の台所に控えていました。

ドイツでハルテックがヒトラー総統に手紙を出したのは、それが自分の義務だと考えたからです。シラードも、原子爆弾の恐るべき可能性をフランクリン・ルーズベルト大統領に伝えなくてはと思いました。

そこで大統領の注意を惹くために、比類ない名声と影響力を持つアインシュタインの署名をもらうことにしたのです。手紙を読みながら、アインシュタインの心は激しく揺れました。この新しい知識は危険で、ひとたび実用化されたら後戻りはできない。

長期的にどんなことになるのかわからないが、ヒトラーに核兵器をもたせるのは想像すると恐ろしい悪夢です。アインシュタインは、マンハッタン計画と呼ばれる米国の原爆開発に関わることはなかったのですが、原子核のもつ力を戦争に使う可能性を大統領に示唆することになったのです。

ペンを持つ手が一瞬止まり、アインシュタインはためらいがちに署名しました。戦後アインシュタインは、ドイツが原爆開発に失敗するとわかっていれば署名はしなかったと記者に話しています。ただし若きエドワード・テラーにそんなためらいは皆無で、原子を兵器にする作業に早く取り掛かりたかったのです。

ソ連の物理学者G・N・フレロフもまた、国の指導者に原子核連鎖反応の軍事利用を繰り返し進言していました。だが、1942年2月にはソ連はドイツ軍に包囲されていました。そんな危機的な状況で、開発に何年もかかる「原子爆弾」は問題外でした。

フレロフは空軍中尉として赴任していた北西部のボロネジで、大学図書館を訪ねました。 原子物理学の論文を発表したばかりで、欧米の名だたる研究者の反応を知りたかったのです。ところがどの学術誌のページをめくっても、全く言及がない。

自分の論文はそんなに価値がないのか。フレロフはとまどい、傷ついたが、やがて気がついたのです。米国とドイツの学会誌から原子物理学関係の論文が排除されているのは、両国がひそかに原子爆弾を開発中だからです。ほえる犬は目立つ。

学術誌から情報が消えたことで、フレロフは核兵器開発をいっそう強くスターリンに働きかけました。殺傷能力を飛躍的に高めることができる。ドイツでも、米国、ソ連でも、そのことを指導者に知らせたのは軍人ではなく科学者だったのです。

 





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アルカイダを巡る米ロの関係
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/24(火) 16:58
No. 8160
 
 
9.11事件での自爆テロ以前に敵の動向に目を配っていた人々は、そのままのポストに残留しました。日本軍の真珠湾奇襲の直後には、ルーズベルト大統領は太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメル提督を更迭したが、これは責任問題ではなく、平時から戦時に移行する上で、一新をはかるためだったといいます。

ルーズベルトがニミッツやアイゼンハワーのような若手の幹部将校を大抜擢したのも、軍若返りをはかるのと同時に、世界がもはや以前と同じではないということをアメリカ国民に知らしめるためだったのです。

ところが時のブッシュ大統領は、9.11事件以後の情報機関に対して誰も更迭や解任をせず、大抜擢もしませんでした。情報活動の面で最も重要な改革は、テロリズム対策合同班が、全国規模の活動と主要大都市圏の活動を統合するべく創設されたことでした。

これにより連邦政府に属するFBI、CIA、税関、移民帰化局などの情報機関・警察機関と、州・自治体の警察が統合されることになったのだが、各機関の間の連絡が改善されるということのないままに、縄張り争いのための舞台を新たに設けてしまったようです。

国土安全保障省も発足し、沿岸警備隊やシークレット・サービスなど数多くの機関がその傘下に入り、また新しい機関もいくつか作られることになりました。だがFBIは依然として司法省に属しており、アルカイダ追跡と自動車窃盗団を同時に追い回しています。

結局、こうした改革はあまり期待できませんでした。アルカイダはグローバルなテロ組織で、本体はアメリカ国外にあります。アルカイダを打倒するためには、国外に出て行って戦わなければならないのです。国内のアルカイダを潰しても防衛は、不可能なのです。

唯一の防御は、攻撃は最大の防御と言う事です。アメリカ本土を守るには、世界中でアルカイダを攻撃する。それは決して容易なことではありません。それでもアメリカは、本土防衛のための戦略を立てようと奔走する一方で、反撃のための戦略を整え、標的となる敵の基地、アフガニスタンへの侵攻でした。ロシアはアメリカの求めを断りたかった。

アメリカは旧ソ連の国々の基地に兵を駐留させ、しかもそこからロシア兵の血が流れたアフガニスタンに侵攻しようというのですから、ロシア軍がグアムをアメリカから租借して、ベトナムに攻撃を仕掛けようというようなものです。

プーチン大統領は黒海沿岸の別荘に、国防に関わる高官十数人を集めて、アーミテージの要求について議論しました。アフガニスタンでの戦争が終われば、アメリカはアフガニスタンの土地の戦略的重要性に気付くとロシアは、そのことを恐れていました。

アメリカ軍を退去させるのは、面倒この上ない作業となるはずです。アメリカが築く基地は、軍人に加えて民間企業、ビジネスマン、軍人、民間人の家族までがやってくることを前提とするから、巨大なのが普通であることを、ロシア側は理解していたのです。

つまりロシアとしては、アメリカの中央アジア駐留が一時的な現象だと気軽に考えるわけにはいかなかったのです。後にアメリカ人がそのままタジキスタン、ウズベキスタンに留まりたいと考えた場合、これを追い出すには戦争が必要となってきます。

だが、ロシアにはアメリカと戦争をする国力はありません。それゆえロシアにとって、アメリカの中央アジア駐留を認めることは、中央アジアをアメリカに譲渡するのと同じことだったのです。現在の4年間も継続して行われているウクライナとの戦争はロシアにとっても死活問題となっているのです。

 





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小話2026年2月分下-2
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/24(火) 16:56
No. 8159
 
 
青切符の導入は、自転車利用者の安全意識を高め、より慎重な運転を促すと思われます。信号無視や一時不停止、ながら運転といった違反が反則金の対象となるため、自転車利用者は交通ルールをより意識するようになるでしょう。危険な運転行為が減ることで、自転車単独事故や自動車との衝突事故の減少につながる可能性があります。自転車の危険行為が抑制され、歩道での歩行者との接触事故も減少するかもしれません。ひとつでも事故が減り安全安心な日本国になることを希求します。

20世紀のアメリカ史には、本土を攻撃される事に対するアメリカ国民の恐怖が読み取れる事例が、見受けられます。第一次世界大戦では、メキシコがドイツ側に加わってアメリカを背後から襲う可能性がある。第一次世界大戦後には、イギリス軍がアメリカ本土を攻撃した場合に備えてレッド計画を立案している。第二次世界大戦前から大戦中にかけて、アメリカ国民は、日本軍がアメリカ西海岸を攻撃して、占領するのではないかという現実離れした危機感を抱いていた。また、ドイツ軍のスパイ組織がアメリカ国内にいてナチスのアメリカ侵攻を助けるという恐怖もあった。これらの脅威はどれ1つとして現実化しませんでしたが、これらの脅威に対処するために立案しようとしていたのです。

ビールやワインが発酵によってできることは古くから知られていましたが、自然に起こる何らかの化学反応だと思われていたのです。一部のワインが腐るので腐敗の原因を突き止めるため、醸造業者が助けを求めたのがパストゥールでした。前者は「発酵」であり、後者は「腐敗」です。微生物が生きていくための生命活動を、人間が都合よく呼び分けていただけだったのです。風味を損なわず、かつ腐敗を防げる温度で飲料を加熱殺菌する手法は、彼の名前から今も「パスチャライゼーション」と呼ばているのです。

プルトニウム・天然ウランの全面使用禁止を目指しましょうと言っても簡単なことではなく、今後、大きな課題です。アメリカ国防総省諮問委員会は、これから最も警戒すべきは、「核を含む大量破壊兵器による国内におけるテロ集団による壊滅的な攻撃である」という報告を出しました。

宇宙は何色だろうか。昼間の空が青いように、可視光域の宇宙背景放射がゼロでない強度を持つということは、その色があるはずです。これが実は、クリーム色に近い感じになるといいます。そして想像してみてほしい。宇宙といえば漆黒の闇に星や銀河が浮かんでいるイメージなのですが、よく目をこらせばその漆黒の宇宙空間はクリーム色に輝いているのだといいます。

9.11事件での自爆テロ以前に敵の動向に目を配っていた人々は、そのままのポストに残留しました。日本軍の真珠湾奇襲の直後には、ルーズベルト大統領は太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメル提督を更迭したが、これは責任問題ではなく、平時から戦時に移行する上で、一新をはかるためだったといいます。

ソ連の物理学者G・N・フレロフは、国の指導者に原子核連鎖反応の軍事利用を繰り返し進言していました。だが、1942年2月にはソ連はドイツ軍に包囲されていました。そんな危機的な状況で、開発に何年もかかる「原子爆弾」は問題外でした。

1928年9月3日、細菌を培養していた培地の一つにカビが生えていることに気がつきました。不思議なことに、そのカビの周囲にだけ細菌が育っていないのです。このカビはアオカビの一種であり、これが産生する何らかの物質が細菌の増殖を妨げているようでした。フレミングはカビから出ている黄色い液体を、アオカビの学名 Penicillium (ペニシリウム)から「ペニシリン」と名づけました。

血糖値を上げる役割を担うホルモンは複数ありますが、血糖値を下げる役割を担っているホルモンは、インスリンしかありません。その理由を考えていくと、人類は糖質をどう摂ってきたのかという歴史に思いを馳せることになります。

白いパンはまさに食後高血糖を招きやすいのです。パンを食べるとお腹がパンパンになりすぐにお腹いっぱいになりますが、しばらくするとお腹が空きます。ご飯のほうが、腹持ちが良いと思います。それは、パンに比べると、ご飯のほうが血糖値の上昇が緩やかな分、緩やかに下がっていくからです。

 






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