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石原莞爾将軍においては、日米開戦は避ける事の出来ない世界史上の必然であり、満蒙問題を含めて日本のあらゆる政策は日米戦争に備えて立てられるべきである事は疑念の余地がないのが鉄則でした。
つまり、満蒙問題の解決は日米戦争という至上課題のために行うのであり、もし日米戦争を闘うつもりがないのなら、満蒙も必要でなく軍備も放棄してしまった方が小手先で戦争回避の手段を模索するよりはるかに日本のためである、というのです。
石原莞爾によれば今や日本は日米戦争を闘うという宿命から逃れることも出来ない。なぜなら、日米戦争はたんなる太平洋における政治的覇権をめぐる抗争ではなく、人類史上数千年にわたって進歩してきた東西両文明が、日本とアメリカをそれぞれのチャンピオンとして最後の雌雄を決するための戦いであり、「東西文明総合のための最後の闘争は刻々迫りつつ」(「国防」)あると見ていたからです。
この考え方自体は東西対抗史観、東西文明対決論として、すでに萌芽的には岡倉天心に見られ、内藤湖南、満川亀太郎、長野朗などにより主張されたほか、とくに大川周明によって日本がアングロ・サクソンの世界制圧に対抗して世界新秩序の建設を目指している以上、日米両国の衝突は不可解の運命として力説された議論と同軌のものとみなすことも出来るのです。
ただ、石原莞爾においてはそれが戦争史研究と日蓮宗信仰の結合の所産でありながら、それが満蒙問題の解決策とも繋がり五族協和から恒久平和へと結び付けられるところが認められるのです。
石原莞爾は世界の戦争史を跡付けて持久戦争(消耗戦争)と決戦戦争(殲滅戦争)とが交互に繰り返されてきたとし、持久戦争であった第一次世界大戦以後の将来の戦争は決戦戦争となるとみた。しかも、一都市を一挙に破壊する大量殺戮兵器とそれを運搬する航空機が出現したことにより、次に来たるべき決戦戦争こそ世界最終戦争となるであろう、と考えていたのです。
そして、この最終戦争こそ、日蓮が世界統一実現するためにまず「前代未聞の大闘條諍、一閻浮提(人間界)に起るべし」と喝破したところの未曾有の大戦争をさすはずであり、日米決戦がこれに他ならないと見たのです。これが石原莞爾の世界最終戦争論でした。
この世界最終戦を経て世界の文明は統一され、「一天四海皆帰妙法」の境地に到達するはずで、石原莞爾はこの世界最終戦としての日米戦争という着想を信仰上の師、国柱会の田中智学から得ていたのです。
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