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☆★☆最新情報7☆★☆

 
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  カテーテル治療のリスク  仲條拓躬2025/04/04(金) 08:54 
  溥儀を登用した理由とは  仲條拓躬2025/04/04(金) 08:53 
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  赤ワインで夜型生活を改善  仲條拓躬2025/03/28(金) 18:23 






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カテーテル治療のリスク
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/04(金) 08:54
No. 7796
 
 
心臓手術の入り口は、手術を行う心臓血管外科ではなく、循環器内科または循環器科ということになります。その循環器内科の治療で、狭心症や心筋梗塞といった、虚血性心疾患の患者に行われる「カテーテル治療」というものがあります。

この治療は血管内治療のひとつで、先端にバルーンの付いたカテーテル (管)を、手首や太ももの付け根の動脈から挿入し、バルーンを膨らませることで、狭くなった冠動脈を押し広げる治療法です。

ただ、バルーンで拡張しただけでは再び血管が狭くなる再狭窄を起こす可能性が高くなるため、現在はバルーンで広げたあとに網状になったステント (金属製の筒)を入れる、「ステント留置療法」が一般的です。

その際、ステントに免疫抑制薬を塗って、傷ついた血管が盛り上がって再狭窄することを防ぐ、「薬剤溶出性ステント」が優先されるケースが増えています。金属アレルギーがある人、抗凝固剤の服用が難しい既往症がある人、糖尿病によって血管が細くなり再狭窄を起こしやすい人などに対しては、最初から外科医が冠動脈バイパス手術を行います。

多くの場合、まずはカテーテル治療が選択されます。急性心筋梗塞を起こして救急搬送されたケースも同様です。血管造影剤により、腎機能が悪化するケースも胸を切り開かずに済むので患者さんの負担が少なく、成功すれば通常の生活が送れるようになります。

ただし、デメリットもあります。なかでも、血管の内部を画像診断するために使う造影剤は注意が必要です。造影剤はときに腎臓に大きなダメージを与えます。造影剤を使用するカテーテル治療を受けたことがきっかけで、腎機能がどんどん悪化してしまうケースもあります。

そのため、治療をする前に腎機能の検査をしっかりやっておかなければなりません。最近の造影剤は副作用が少なくなってきていますが、それでも、1万人に1人くらいの割合で、アナフィラキシーショックを起こす患者さんがいます。

2014年には、誤って脊髄に造影剤を注入された女性患者が亡くなり、投与した研修医が書類送検される医療事故がありました。 造影剤は、そうした重大なトラブルを引き起こす可能性がある薬なのです。

 





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溥儀を登用した理由とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/04(金) 08:53
No. 7795
 
 
なぜ関東軍が溥儀の登用に踏み切ったのかと言うと、第一に、溥儀が満州族の名門であり、旧皇帝としての声望は東北地方で元首として通用すると判断した事でしょう。第二に、中国東北地方が、満州族の故地であることから頭首となっても国際的非難を回避できる可能性が高い事です。

第三に、溥儀が国民党政府に対し激しい反感を抱いており、蒋介石とも張学良とも結ぶ心配がないと判断された事です。第四に、熙洽、張海鵬らの支持はあるものの溥儀自身には政治的実力がなく、関東軍に頼らざるをえない事です。

第五に、連省自治といった形態をとる国家で、いずれかの省の実力者が政権を握れば対立を生むことになり、分裂を避けるためにも溥儀のように固有の基盤をもたない人物をシンボルとして元首の座に据えた方が無難であるとみなされた事などを関東軍は挙げています。

しかし、そのことは溥儀だけが新元首として唯一の候補者であったということを意味するものではなく、恭親王溥偉を中心として「明光帝国」を建設する運動も行われていたし、山東省にいた孔子の子孫を頭首にする案も関東軍では検討されていました。

このほか、張宗昌、唐紹儀、呉佩孚などのほか粛親王第七子金碧東を擁立して親日政権を樹立する動きも活発になされていた。そうした動きは溥儀を登用することが時計の針を20年も逆戻しにする時代錯誤とみて避忌する気分が強かった事の現われでもあったのです。

もちろん、関東軍としても溥儀を絶対に元首にしなければならないと考えていたわけではないのです。関東軍が溥儀をいかに見ていたかは、天津から溥儀を脱出させるに当って、万一中国軍に発見されて逃げ切れなかった場合、ガソリンに火をつけて船もろとも生き証人を沈めてしまう予定でドラム罐が積み込まれていました。

という一事をもってしても知ることが出来ます。しかし、独立国家として新国家を建設する以上、誰かを元首にしなければならないことも事実であり、相対的にせよ溥儀が関東軍にとって利用価値が高かったことは否めないのです。

加えて、溥儀を引き出すことによって、もたらされるはずのもうひとつの効果にも関東軍の食指は動いていたのです。それは満州国の版図として関東軍が内蒙古を取り込むことを企図としていたことにかかわっています。

つまり、蒙古の諸王侯は清朝とのつながりも深く、また漢民族への反発という点からみても満州族の溥儀を用いれば蒙古族の支持を調達することは容易になると見込まれていたのです。

そして、関東軍の見込みどおり、満蒙両族は同じ君主を戴くという同君思想によってホロンバイルの貴福、凌陞、哲里木盟の斎黙特色木丕勒らが呼応、またかつての満蒙独立運動の推進者バブチャップ将軍の遺児甘珠爾扎布らも蒙古青年党を率いて内蒙独立運動を展開しつつ新国家建設へと動いていったのです。

 





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ナポレオンを打ち破ったのは元部下
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/02(水) 17:06
No. 7794
 
 
ナポレオンの転落は1808年から始まります。この年、スペイン王室の混乱に乗じて、自分の兄をスペインの王様にしますが、民衆から激しい抵抗を受けます。ナポレオンには、なかなか子どもが生まれず、跡継ぎがいないのが泣きどころでした。

ナポレオンが本当に愛した女性は、最初に結婚したジョセフィーヌだけだと思うのですが、 子どもが生まれないので離婚して、オーストリア皇女のマリー・ルイーズと結婚します。するとすぐに子どもができました。ナポレオン2世です。

同じころ、スウェーデンで王室が断絶します。スウェーデン議会は王位継承者として、ナポレオンの部下であるベルナドットを指名し、これをナポレオンは承諾しました。ベルナドットの妻は、ナポレオンの昔の婚約者でした。

ナポレオンの大陸封鎖令は我慢比べでした。連合王国にとってはもちろん、ヨーロッパ諸国もつらい。ついにロシアが我慢できなくなって、大陸封鎖令を平然と破り始めました。怒ったナポレオンはモスクワに遠征しますが、ロシア軍は焦土戦術をとってモスクワを逃れ、それを追うナポレオン軍は冬将軍に襲われて敗退します。

ナポレオンがとうとう陸戦で敗れたというわけです。ヨーロッパ諸国は連合軍を結成し、 ナポレオンを討とうとします。それが1813年のライプツィヒの戦いです。連合軍の総司令官は、あのべルナドットでした。

ベルナドットは、純粋にスウェーデンの国益を考えたのだと思います。かつての部下のベルナドットがナポレオンを打ち破り、ナポレオンは退位してエルバ島に流されます。ナポレオンが退位した後、連合王国とオーストリア、ロシア、プロイセンはウィーン会議を始めます。

ところが舞踏会を開くばかりで、「会議は踊る、されど進まず」といった状況です。それを見たナポレオンは1815年、エルバ島を脱し、皇帝に復帰します。けれど、ワーテルローの戦いで連合軍に敗れて再び退位します。いわゆる「百日天下」です。

ウィーン会議とは、要するにナポレオン失脚の後始末で、戦争に負けたのはフランスです。 プロイセンがナポレオンに負けたときには領土が半分くらいになっています。だから今度はフランスの領土が半分くらいになってもおかしくないはずです。

ところがフランスにはタレーランという、とんでもない策士がいました。ナポレオンにも仕えたこの外相は、「悪いのはナポレオンでもフランスでもなく、フランス革命です。王様を処刑したことが何よりもいけなかった」というロジックをつくり上げました。だから 「フランス革命の前の状態に戻せばいい。それで、すべてが丸く収まりますよ」と、主張したのです。

すると、ヨーロッパの皇帝や国王たちは、「確かにそうだ」と納得してしまいました。だから、「フランス革命の前の状態に戻そう」ということになって、フランスは革命前の領土をほとんど失わずに済んだのです。軍事力がなくても、誰もが納得する理屈をつくり上げれば外交交渉を制することができるという素晴らしい見本です。

タレーランがうまいことやれたのには、会議を主催したオーストリアの外相メッテルニヒがあまり賢くなかったということもあったかもしれません。メッテルニヒは、小細工はすごくうまい人でしたが、大局観を持っていませんでした。

プロイセンはナポレオンに削られた領土を取り戻しましたが、フランスはブルボン朝時代の領土を削られていません。タレーランのロジックのせいです。ヴェネツィアなどの共和国は全部、潰されました。タレーランのロジックは 「革命が悪い」「王様の政治に戻す」ですから、共和政は否定されます。

ヴェネツィアは、オーストリアの支配下に入りました。ヴェネツィアにしてみれば、とばっちりです。連合王国は、ネーデルラントからスリランカとケープ植民地を分捕りました。ネーデルラントの国王がナポレオンの弟だったからです。

しかし、ネーデルラントにしてみれば、ナポレオンに押し付けられただけの王様ですから、迷惑な話です。そんな理由で連合王国は、インド洋交易の要所2カ所を押さえたのです。ロシアはフィンランドとポーランドの大公位と王位を得ました。以上がウィーン体制です。

 





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ビッグバン宇宙論への発展
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/02(水) 17:03
No. 7793
 
 
現在の宇宙が膨張しているということは動かしがたい事実となっています。しかしこれだけでは、ビッグバン宇宙論が主張する「宇宙は有限の過去のある時点で突然、超高温・高密度の爆発で始まった」ということにはならないでしょう。

現在の宇宙膨張のペースを変えずに時計の針を巻き戻せば、約140億年で全宇宙は一点に縮まってしまいます。実際には宇宙の膨張の仕方は時間とともに変化し、それは宇宙に存在する物質がどういうものかによって決まります。

だが、宇宙を満たしているのが我々の知る通常の物質だけならば、やはり過去にさかのぼると、どこかの時点で宇宙は一点に縮んでしまうという結論は変わらないでしょう。したがって宇宙は無限の過去にさかのぼることはできず、過去のある時点で始まった。

つまり過去に向かう方向の「宇宙の果て」が存在するということは、素直に考えればこの時点で得られたはずの結論でした。だが人間の思考というものは、既存の概念や偏見に左右され、往々にして回り道をします。

歴史的には、「宇宙は膨張するけれども永遠不変である」とする定常宇宙論なるものが1940年代に登場し、一時はビッグバン宇宙論より優勢ですらありました。アインシュタインが宇宙定数で失敗したのと同じようなことが、また繰り返されたのです。

結局のところ、この当時は「宇宙というものは永遠不変であるべき」という考え方が支配的で、「宇宙が過去のある時点で誕生して常に進化し続ける」などという概念を受け入れる素地がなかったのでしょう。

今から考えればこれは明らかな間違いだし、そのように考える論理的根拠もないのですが、どうしてそんなことになったのか。当時の人間と話をすることができない以上、ある程度推測にならざるをえないのですが、おそらくは偉大な成功をおさめたニュートン力学に基づく物理的世界観の影響が強かったのではないだろうか。

相対論が登場する以前、この理論はリンゴが木から落ちるという現象と惑星の運動を同じ物理法則で説明することに成功し、近代科学の礎となりました。ここで仮定されている時間と空間は互いに独立で、空間は無限の過去から無限の未来まで絶対不変なものであった。

この世界の物質の「入れ物」がそうなのだから、その中にある物質も含めて、宇宙は永遠不変と考えるのが自然だったのでしょう。そもそも、宇宙の誕生や進化を科学の俎上にのせるということ自体、思いもよらないことであったかもしれません。

その点、多くの地域や民族に伝承されている天地創造神話において、この世界は過去のある時点で創生された、すなわち宇宙は過去に向かって有限であるとしていることは興味深いことです。その意味では、これらの神話はニュートン力学に影響された20世紀前半の物理学者たちよりも正確な宇宙観をとらえていたと言えます。

ニュートン力学はもちろん偉大な科学的進歩であります、その進歩ゆえにかえって間違ったり後退したりすることもあるということだろうか。しかし、神話や伝承に見られる人類の豊かな想像力をもってしても、今の宇宙が膨張を続けているという想像はできなかった。

相対性理論の誕生は、この一時後退した宇宙観を再び「宇宙は過去のある時点で突然始まった」というものに戻すだけでなく、さらに「宇宙は膨張する」という前代未聞の宇宙観を人類に突きつけました。すぐには受け入れられなかったのも無理はないのかもしれません。

 





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宇宙は広がり続けている
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/02(水) 16:55
No. 7792
 
 
ハッブルによって、決定的な形で宇宙の膨張が報告されたのは1929年です。遠方の銀河は、遠くのものほど光の波長が伸びて観測されることが判明したのです。光の波長は我々が感じる色に対応しており、波長が伸びるということは赤く見えるということです。

これはドップラー効果というもので、銀河が我々から遠ざかっているために波長が伸びて見えるのです。我々が耳にする音も波であり、音程が波長に対応しています。救急車とすれ違う際にサイレンの音程が変わるのも同じ現象です。

宇宙全体が一様に広がっているのであれば、遠くの銀河ほど、距離に比例して我々から遠ざかる速度(後退速度という)が大きくなります。これがハッブルの法則で、その比例定数をハッブル定数と呼ぶのです。

定数というのは、現在の宇宙における銀河の後退速度と距離の間の比例定数であるからです。しかし、このハッブル定数の値は宇宙の進化とともに変化するので、その意味では「定数」ではないのです。より一般には、ハッブルパラメータと呼ばれています。

ハッブルが測定した当時の観測精度はあまり良いものではなかったのですが、現在の高精度観測によれば、その値は大体100万光年かなたの銀河が秒速200キロメートルで我々から遠ざかる程度でしょう。ここで科学史上の興味深い余談があります。

ハッブルによる宇宙膨張の発見に先立つこと2年、ベルギー出身でカトリック司祭でもあったジョルジュ・ルメートルという学者が、フリードマンとは独立に宇宙膨張の解を導いただけでなく、当時の観測データから宇宙の膨張まで指摘していたのです。

にもかかわらず、無名の仏語論文誌に発表したため注目されず、宇宙膨張発見の栄誉はハッブルのものになったというのです。ルメートルは謙虚な人であったといいますが、司祭様の立場で「この発見は俺が最初だ!」と声高に主張するのも難しかったのかもしれません。

「一様な宇宙の膨張」についてもう少し詳しい説明が必要かもしれません。よく例えとして用いられるのは、風船です。膨らんだ風船の表面を一様等方な2次元世界と考えます。その上にサインペンで多数の点を打つ。

さらに風船を膨らませると、ある2点の間の距離は広がり、その広がる速度は距離に比例します。風船上のどの点から見ても、他の点は観測点からの距離に比例した速度で遠ざかるように見えます。するとこういう疑問が出てきます。

銀河が遠ざかる速度がそこまでの距離に比例するなら、遠方の銀河ほど遠ざかる速度はどんどん大きくなり、やがて光速を超えてしまうのではないか。しかし現在の物理学では、光より速く移動するものはないという。これは矛盾ではないのか。

実はこれは全く矛盾していないのです。「光より速く移動する物体はない」という時の速度とは、その物体が移動しているその場その場で、周囲のものに対して相対的に運動する速度です。

遠く離れた2地点が宇宙の膨張のために遠ざかる速度は、光速を超えても一向に構わないのです。宇宙が一様に膨張しているなら、同じペースで時間を逆に巻き戻すと、ある有限の時間だけさかのぼったところですべての地点が一点に集中してしまうことになります。

この時間、つまり100万光年を秒速20キロメートルで割って出てくる140億年が、宇宙の年齢のおおよその指標ということになります。ハッブルの法則から直ちに、現在の宇宙の年齢も推定できるわけです。

 





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大空襲と沖縄上陸作戦
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/01(火) 16:14
No. 7791
 
 
アメリカ軍の日本攻撃の計画には、大きく分けて2つあったそうです。それはマリアナ諸島からの爆撃と沖縄上陸作戦です。その2つが同時に行われたのが沖縄上陸作戦支援の為のアイスバーク作戦で、松山への大空襲だったのです。

東京への大空襲は、マリアナ諸島のサイパン・グアムからの焼夷弾爆撃でした。3月10日の東京大空襲の翌日には、名古屋の大爆撃、13日には大阪、16日に神戸、19日2回目の名古屋の無差別爆撃が続きました。

沖縄上陸作戦の為には大都市無差別爆撃は一時中断されました。その間に日本側は3月19日に米グラマン150機を攻撃して42機を撃墜した。アメリカ軍は、予想しない反撃を受けて、驚いて作戦を変更してB29による高度からの爆撃に切り替えたのです。

日本本土からの航空攻撃の先手を打ち、西日本の航空基地を制圧しておく必要がありました。それがアイスバーク作戦です。殆ど無防備の松山に、7月26日、午後11時8分、多くの市民が寝ているところへ、焼夷弾を落とし、市街地が燃え出しました。

爆撃2時間、最後のB29機は27日午前1時に、250キロの大型焼夷弾60発を投下したので、松山市内は大火災となり、多くの市民で町中が大混乱になったのです。全市の73%は焦土となり、53%が罹災するという大惨劇となったのです。翌日のニューヨークタイムスでは、松山爆撃について詳細に報道しています。

「松山は、人口12万人。西四国で最も重要な都市及び港である。軍事に関連する織物工場と、第九歩兵旅団司令部がある。爆撃に参加したジェラルド・スミス中尉の談話『これまでに私が見たベストのものだった。全市が燃えていた。煙はゆうに上空6000メートルに達していた。』」この時の、日本の陸海軍は沖縄に派遣されていたのです。

海軍の航空隊はアメリカ機の爆撃時には、沖縄の特別攻撃隊として長崎の大村飛行場にいたのです。もう二度と日本は爆撃されるような政治を行ってはいけません。日本に仮に爆撃がおこるとしたら、単独でどこかの国が侵略してくる事はまず考えられません。

アメリカの先制攻撃、先制核攻撃戦略によって介入戦争がおこったとき、それが日本に及ぶと言うのがもっとも可能性の高いものです。この火種をなくすことは、日本の恒久平和とアジアの安定にとって大きな役割を果たすと思います。

最後には広島・長崎に原爆が投下され、直接、アメリカ軍と向かい合い戦い、背後には後退を許さない日本軍がいた沖縄の人々の感情は本土の人間にはわからない体験でしょう。東京青山学院高等部の入試で、ひめゆり学徒の証言を「退屈で飽きた。」と英語感想文が出題されて、問題になったことを聞くと残念でなりません。

 





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トマトの抗酸化作用とセサミン
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/31(月) 17:16
No. 7790
 
 
赤い色素のリコピンはニンジンやスイカにも含まれていますが、なんといってもトマトが有名です。強力な抗酸化作用によりさまざまな疾患を予防する効果が期待されています。ラットやヒトで、朝食、昼食、夕食に相当する時間にリコピンを摂取して、血中濃度の変化がいずれの時間で一番上昇するかを調べた研究があります。

それによると、ヒトの朝に相当する活動期のはじめの時間帯が一番血中濃度が高くなりました。昼は夜に比べて体内に酸化物質が増えてくることから、朝食べておくことがよさそうです。

朝食は1日のなかで長く絶食状態になった後に食べる食事であり、絶食中に胆のうに胆汁が十分にたまり、それが朝食の刺激で放出され、脂溶性であるリコピンが脂肪と同様に効率よく吸収され、血中濃度が高くなったものと考えられます。

ただこの研究では、リコピンが持つ抗酸化作用の効果についての朝夕の摂取時刻の差については調べられていないので、抗酸化作用にも体内時計がかかわっているのかをより詳しく調べる必要があり、今後の課題です。

ところで、GABAを豊富に含むトマトが最近開発されています。同じトマトでも、GABAの睡眠を助ける効果を考えるなら、夕方に摂取する方が良いかもしれません。次に、DHAやEPAを豊富に含み、脂質代謝改善効果を有する魚油に着目し、摂取時刻の違いがその機能性に与える影響について、マウスを用いて調べた研究報告について述べたいと思います。

結果として、マウスの活動開始時間帯(ヒトの朝食時に相当)に魚油を摂取した群の方が、活動終了時間帯(ヒトの夕食時に相当)に摂取した群に比べて、血中のDHAおよびEPA濃度が増加していました。

これは、脂質の吸収効率が朝の方が良いことを示していると思われます。この研究では、果糖による脂肪肝のモデルマウスを使用しており、中性脂肪やコレステロールの軽減効果を指標とすると、やはり朝の摂取で抑制効果が顕著に見られました。

最終目標である脂肪肝の軽減作用でも、DHAとEPAの朝摂取の有効性が確認できたと報告されています。さらに、ヒトを対象とした介入研究でも、朝食時の魚油の摂取が脂質代謝の改善に効果的であったということです。

体内時計に作用する食品成分で、DHAやEPAといった魚油がGLP-1を介して末梢体内時計をリセットさせることを述べましたが、今回の脂肪肝抑制作用も考慮すると、朝食時に魚油を摂取すると、体内時計を朝型にする効果と脂肪肝を抑制する効果の両方に有効であると思われます。

ゴマに含まれるリグナン類であるセサミンの脂質代謝改善効果について、 研究者はラットを使って投与時刻との関連を調べた研究を行いました。高脂肪食を与えた脂質代謝異常のモデルラットを中心に、セサミンの脂質代謝改善効果が投与時刻によって変わるかどうかを検証するものでした。

この結果、毎日継続して活動開始時間帯(ヒトの朝に相当)に摂取することが血中の総コレステロールを低下させるという効果が示されました。その要因としては、ある転写因子によりコレステロール合成系の抑制が起こったり、肝臓からのコレステロール排泄の抑制が起こったり、という可能性が考えられます。

また中性脂肪では、わずかに活動停止時期(ヒトの夜に相当)に投与する方がより好ましい傾向にありました。さらに、セサミンやその代謝物の血中や肝臓での変化は投与時刻の影響を大きく受けることはありませんでした。

つまり、セサミンは、吸収や代謝プロセスでは投与時刻の影響を受けないものの、魚油と同様に、活動開始時刻での摂取(ヒトでは朝ごはんに摂ること)がより効果的であることがわかったのです。

 





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イギリスの戦後について
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/31(月) 17:15
No. 7789
 
 
第二次世界大戦は、イギリスに自信を取り戻させました。戦争によって国民の間に連帯感が生まれ、国家は勝利というひとつの共通の目的に向かって計画経済を実施していました。新しく生まれた国民的連帯と国家による経済管理の組み合わせにより、社会を変革し、すべての人のために福祉と持続的な経済成長を実現できると信じることは容易でした。

戦後政治において国家統制主義が強調されたのは理解できることでした。しかし、当初の中央計画への過大な期待と、その後の個人主義の台頭によって、国は過大な負担を背負うことになりました。中央計画は、資源を迅速に動員するという戦時中の期待には有効に応える事ができましたが、現代社会の複雑化する要求に応える事はできなくなっていった。

ソ連ではこの能力の欠如が顕著に表れました。ソ連は水爆を製造し、人間を宇宙に送ることはできても、品質の高い自動車を製造することも、医薬品の技術革新を促すことも、パソコンを発明することもできなかったのです。

国は、うまくできない領域に迷い込んでしまったのです。国が新しい目的の追求に失敗し始めると、戦時中に築かれた連帯は徐々に失われていきました。そして、人々は失敗を認めようとはしなかったのです。

「権利文化」が出現すると、社会には次々と新しい権利が生まれると同時に、個人や集団は義務を負おうとしなくなったため、国がその義務を引き受けることになりました。しかし、国への要求が中央集権に適さない領域にまで及ぶようになると、失敗が続き、意欲は失せ、個人主義の台頭と同時に国民の連帯は弱まり、国への支持も低下していきました。

アメリカの政治家たちはしばしば「福祉の女王」を非難し、2014年には、ほとんどの住民が給付金で暮らしているバーミンガムのある地域を描いたイギリスのテレビ番組『福祉手当通り (Benefits Street)』 が高視聴率を上げたシリーズとなりました。

納税者は負担を分かち合うことを望まなくなったのです。そして、複雑な仕事をうまく処理できないことに苛立ち始めた政府は、「経済人」にふさわしい政策を採用しましたが、人々の尊敬を取り戻すにはほとんど役に立たなかったのです。結果的に国家が人々の大きな期待に応えることができなかったことで、政府への信頼は損なわれていきました。

このような現象は、西側の主要な民主主義国家に共通して見られたプロセスでした。政治家や政府高官の目的が、グローバル救済主義と高い地位の獲得・維持の二つであるなら、彼らのこだわりは有権者や市民の生活や利益にはほとんど関係がなかったのです。

今日、人々は「国有化」と「民営化」という言葉をまるで正反対の言葉のように使っていますが、これらの言葉は所有権と中央集権化という別個の問題を混同しています。戦後の労働党政権の国有化は、中央政府による集権化を意味し、法律によって、国民健康保険、石炭庁、国民保険基金、国民扶助、中央電力庁が設立されました。

英国運輸委員会は、民間鉄道会社四社を統合しただけでなく、道路輸送や長距離バスのサービスを所有・管理していました。国有化は、民間の鉱山会社を中央政府の管理下に置いただけではなく、たとえば、地方政府が所有していたガスおよび電気事業、公益信託によって運営される病院、労働組合などが運営して福祉を提供しました。

福祉を提供してきた友愛組合などのように、すでに社会的に所有されていた事業体にも同じように中央集権的な管理を行なうものですが、国有化は、民間企業の不正な動機に対する批判というよりも、中央集権的な調整を欠いた活動すべてに対する疑念から行なわれたものでした。この計画のほとんどを設計したのは、ハーバート・モリソンでした。

彼は、すでに公的に管理されていたロンドンの複数の路線バスと地下鉄を統合して、ロンドン交通局を設立したことで名声を得ていました。モリソンは、ロンドンでの経験と戦時中の計画経済の成功から、中央集権化は効率性を高めると一般的に見なしていました。

しかし、彼自身も、また他の人たちも、そのような状況は典型的ではないということを理解していなかったのです。モリソンや、政権を担当した多くの左派政治家たちは労働党綱領の第四条 「肉体および頭脳労働者のために、生産と分配と交換の手段を共有することで、可能な限り勤勉の成果を十分に、そして公平に分配すること」の目的を中央集権的な国家管理と同一視していたのです。

しかし、労働党の最も思慮深い戦略家であったクロスランド〔1918年〜1977年〕 がすぐに気づいたように、そのような政府独占に対する信頼には根拠がないということが証明されました。

ベーカールー線からセントラル線へ地下鉄の乗り換えが簡単にできたり、国内で最も低コストの発電所から電力を一日中供給できる全国規模の送電網を構築できたり(いずれも1939年以前に実施)といった中央管理の利点は、国内のすべての炭鉱や製鉄所や病院を中央からコントロールするようなことにまで生かせるわけではありませんでした。

独占から生じる「ネットワーク効果」を生かせる産業は限られています。イギリスの国有化された産業の中で最も成功したのは、1960年代に北海からのガスでほとんどの家庭のセントラルヒーティングを可能にした全国ガス供給網(新ネットワーク)だといいます。しかし、それ以外には明るい事例はほとんどないのです。

 





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広島の灰の中から甦った現在
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/31(月) 17:13
No. 7788
 
 
父たち同志が若かったころ、広島の灰の中から甦り、コミュニティを重視する社会として成功した日本は賞賛されました。日本が工業大国として台頭していく様子を見ながら、それでも、当初、日本の企業組織の特徴を懐疑的に捉えていた。日本の労働者たちが社歌を歌っているのを知って驚いたりもしました。

しかし、トヨタがGMを追い抜いて世界一の自動車会社になり、GMを最終的に破産に追い込むと、そのような日本的特徴の多くが実は強さの源泉であることに世界各国は気がつきはじめました。

何よりも、従業員とサプライヤーが、共通の目標を達成するために一緒に努力する、信頼できるパートナーだという感覚は、高い品質、少ない在庫、そして短いモデルサイクルの達成を可能にしました。これらの要因によって、日本企業は製造業の多くの分野でグローバルなリーダーになることができたのです。

日本のビジネスは、社員食堂に象徴されるような「仕事のコミュニティ」であり、終身雇用の想定がそれを強化しました。同じ精神で、日本人は、「場のコミュニティ」に集い、人々は互いに信頼し合っていました。日本の人口一人当たりの弁護士の数は、アメリカの20分の1でした。

欧米の企業は日本のやり方を表面的に真似ようとしたし、そうすべきだと主張する英語の本が数多く出版されましたが、言論界・学界の支配的な考えはまったく違っていました。個人主義が経済的思考と政治哲学の中心テーマとなっていきました。

経済主体は利己的で効用や利潤を最大化する個人であり、企業は人為的な仕組みであり、法的には擬制であり、その唯一の目的は株主価値の最大化でした。政治的右派は、市場がもたらすものを当然の権利と捉え、左派は連帯よりも人権を強調し、コミュニティはどちらにとってもほとんど意味を持たないのです。

次の世代が今の世代よりも良い未来を享受できるようにするための犠牲を払うことは、今の大人世代の個人的権利と快楽を優先して忘れ去られています。1980年代、レーガンとサッチャーの時代に、そのような考え方が西側のビジネスと政治を支配するようになりました。自動車や電子機器と同じように、アイデアも今では国境を越えていきます。

1990年代の初めに日本の不動産バブルが崩壊すると、日本の台頭と日本のビジネス手法を受け入れようという陶酔ムードはすっかり消えてしまいました。その次の10年間に、再び勝利を収めたのはアメリカのビジネスモデルでした。インターネットの時代が到来し、 社歌の時代は終わりました。

個人主義を称賛しコミュニティを軽視する自己中心的な思想を取り上げ、それを正当化してきた議論がもはや知的に支持できないことを示そうとしています。そのような思想が社会で支配的であり続ける限り、社会は深刻な分断と機能不全に陥るでしょう。

我々の希望を込めたメッセージは、10年前の金融危機に続いて、新型コロナウイルスのパンデミックとロシアがもたらした地政学的緊張と団結により、ついに支配的な思想をリセットできる瞬間が来たかもしれないということです。

新しいリーダーたちは新しい状況に直面しています。ヨーロッパはロシアのウクライナ侵攻に永続的に対処していかなければならないのですが、日本に目を向けると、岸田文雄元首相と国会が社会の深刻な問題に立ち向かおうとしていました。

日本は、韓国との激しい論争で身動きが取れなくなっているときに、中国による台湾への脅威に立ち向かわなければならないでしょう。同時に、政治家が数十年にわたって無視してきたために危機的状況に陥ってしまった二つの国内問題は、もはや先送りすることができないところまできているのです。

東京を除く日本のほとんどの地域が急速な過疎化に苦しんでいます。そして、日本の将来に影を落としているのが、非常に低い出生率です。人口が減少している社会は、持続可能ではないでしょう。若者の数が減少し続け、急速に高齢化する社会では、イノベーションとデジタル化を通じて経済の活性化を図ろうとする賢明な願望は実現できないでしょう。

国際的には、好戦的な中国に対して、ロシアとの協力が不可能であることを考えると、日本は共通の防衛のために東アジアの民主主義国を結集していくことを求められています。そのためには、征服と帝国の時代からの遺産である古い傷を癒す必要があるのです。

このプロセスは、それぞれの国のソーシャルメディアの残響室で煽られた有害な怒りによってさらに困難になっています。各国が相互に警戒を強める新しい時代は、憎しみを煽るパフォーマンスを葬り去る機会であり、国内のコミュニティを強化しながら、 アジアのコミュニティを構築する機会でもあるのです。

国内を見ると、東京と地方の空間的な格差は、イギリスの経験とそっくりです。イギリスでは、政治家たちは繁栄する首都ロンドンを中心に暮らし、主にその中だけで話し合ってきました。地方から社会的に切り離されていたため、地方で高まる不満、絶望と怒りに気がつかなかったのです。

しかし、地方にも票があり、憤慨した有権者たちはブレグジット(イギリスEU離脱)の国民投票と2019年の選挙の機会をとらえ、正常な政治と見なされていたものを覆した。ある意味で、日本の2021年の選挙は、同じような反乱の瞬間でした。唯一の救済策は、大都市のエリートが権力とリソースを地域社会に委譲することだと提言しています。

イギリスと同様に、日本も場のコミュニティを再構築する必要があります。ヨーロッパから見ると、日本の大きな国内課題は人口問題です。多くの日本人男性は、多くの女性がもはや受け入れることができないジェンダーの役割の古い考えに今も固執しているように見えます。その結果、結婚して子供を育てようとする日本人女性が少なくなっているのです。

国際的には、男女間の賃金格差の推計で日本は120位にランクされており、すべての主要先進国の中で最も低い水準にあります。日本の労働組合運動の新しいリーダーに初めて女性が選ばれたことは、ここでもリセットの機会を提供することになるかもしれません。若い女性たちに国に対する義務として子どもを産ませようとする試みは失敗しました。

力を持つ者が自ら犠牲を払うことなく、道徳的義務について弱い者に説教しようとする限り、失敗し続けるでしょう。それは多くの男性にとって苦痛かもしれませんが、結婚と子どもによって報われる平等なパートナーシップのほうが、今のあり方よりも魅力的であることに気づくことでしょう。

 





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赤ワインで夜型生活を改善
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/28(金) 18:23
No. 7787
 
 
赤ワインに豊富に含まれる抗酸化物質として知られるポリフェノールの一種、レスベラトロールは、赤ワインを飲む地域の人は寿命が長いということから研究されるようになっています。酒飲みが長寿であるといったフレンチパラドックスでも知られています。

レスベラトロールは、長寿にかかわっていることが知られているサーチュイン遺伝子を増やす働きがあります。サーチュイン遺伝子は体内時計に作用して、その効果を発揮している可能性があると思われました。

そこで、研究者はパッションフルーツに含まれ、レスベラトロールと構造式が似ているピセタノールという物質が、体内時計に及ぼす作用を調べました。その結果、高脂肪食を投与することで体内時計が遅れるように操作したモデルマウスに対して、ピセタノールはこの遅れを阻止できるということがわかったのです。

ピセタノールは抗肥満効果があることはすでに知られていることから、ヒト社会に応用すると、脂肪摂取が多くて夜型指向になっている人に対して、体内時計を改善させながら肥満も抑えていくという食品素材になることが期待できそうです。

大腸まで到達した水溶性食物繊維は腸内細菌によって発酵分解を受け、その代謝物として短鎖脂肪酸が産生されます。我々は、短鎖脂肪酸が末梢時計の位相調節に働くことを見出しました。なお、腸内細菌が産生する短鎖脂肪酸には、酢酸、酪酸、プロピオン酸があります。乳酸も腸内細菌で産生されますが、厳密には短鎖脂肪酸には含めません。

短鎖脂肪酸のなかでも酪酸やプロピオン酸が、GLP-1の血中への分泌を促進し、膵臓の細胞に存在する受容体に結合してインスリン分泌を促進し、時計遺伝子を同調させます。また、水溶性食物繊維として、難消化性コーンスターチや、ユーグレナといったものを使った研究を行いました。

これらにはパラミロンという多糖類の食物繊維が豊富に含まれるのですが、それによって産生された短鎖脂肪酸と、肝臓や大腸の時計遺伝子発現量の相関性を調べたところ、これらの食物繊維を摂取すると、ある時計遺伝子の発現が一過性に低下する事がわかりました。

その作用によって同調作用を引き起こす可能性があるということになり、したがって、朝食に食物繊維が豊富な朝食を摂ることは、末梢時計をリセットすると考えると筋が通ります。

魚油に含まれているドコサヘキサエン酸(Docosahexaenoic acid:DHA)やエイコサペンタエン酸 (Eicosapentaenoic acid EPA)といった不飽和脂肪酸も、体内時計の位相調節作用を持っています。

では、先に述べた水溶性食物繊維や、魚油を単独に摂取することによって体内時計はリセットされるでしょうか。結果は、単独に与えても体内時計のリセットは起こらなかったのです。

つまり、デンプン質や糖を摂取しインスリンが上がりやすい状態にすることによって、GLP-1を介したインスリンの分泌の増強が現れて初めて、効果を生み出すことがわかったのです。すなわち、ご飯を食べるときに、魚や水溶性食物繊維を同時に摂ることが重要なのです。

したがって、朝、ご飯などの炭水化物と魚を一緒に摂ると、GLP-1の働きによって、朝ごはんの炭水化物量が少なめでも、末梢体内時計の同調が効果的になります。この研究では、他の脂質成分の関与の可能性も調べられましたが、動物性脂質、バターなどの乳脂肪、大豆・ゴマなどの植物油には、DHAやEPAのような作用は見られませんでした。

 






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