|
嵐が弱まれば、視界の妨げになっていた大気中の浮遊粒子状物質が清められて、遠くまではっきり見えるようになります。嵐が去れば、重病や事故から回復した患者がそうであるように、状況や今後の進むべき道がわかるかもしれません。
現状という氷に閉ざされていたあいだは不可能だと思えたことを、変えられると思うかもしれません。自分自身やコミュニティーや生産システムや未来に違った感覚をもつかもしれません。先進国に住む多くの人にとって、パンデミック直後に訪れた一番大きな変化は、空間に関することでしょう。家があれば自宅で過ごし、他人との接触を避けました。
通学や通勤はせず、会議のために集まらず、ちょっとした用事やジム通いなど不要不急の外出は控え、パーティー、バー、クラブ、教会、モスク、礼拝堂などには行かず、多忙な日常から逃れました。フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは、遠く離れた友人にこんな手紙を書いています。
「この距離を大切にしましょう。友情でしっかりと結ばれたこの距離を。たがいに想い合えていなければ、離れないのだから」。私たちは、たがいを守るために接触を断つ。物理的な距離を保たなくてはならないとしても、人びとは弱者を助ける方法を見つけている。
気候運動家のレナート・レデントール・コンスタンティーノは、フィリピンからの手紙にこう書かれています。「今日、人類が生き延びてきた多くの理由を思い出させるような隣人愛を目の当たりにした。日々、この近辺や他の都市、国々で、勇気あるすばらしい市民活動に出合う。ほんの2〜3人による略奪行為は、絶望、暴力、無関心、傲慢がはびこり、指導者の忠告を聞こうとしない、とされる大勢の頑固な人びとによって抑えられていくのではないかと思う」
感染拡大の連鎖から離れられないとき、これまでのつながり、移動手段、必要な商品の供給方法などを再考しました。対面接触の価値を以前よりもありがたく感じるようになりました。
バルコニーで歌って励まし合ったり、医療従事者に拍手を送ったりしたヨーロッパの人びとや、郊外の住宅街で屋外にでて踊ったり歌をうたったりしたアメリカ人は、これまでとは違う帰属意識を持つようになりました。
私たちは、食糧の生産者、それを食卓に届けてくれる配送者に新たな尊敬の念を抱くようになりました。最大の問題はあくまで外出自粛はつらいけれど、経済活動を再開したり、忙しく飛び回ったりするのは気が進まず、外出を控える状態を続けることになりました。
医薬品や医療機器など、必需品の多くを別の大陸で生産してきた常識は、考え直しました。不安定な調達を強いられるサプライチェーンも、考え直しました。つねづね、新自由主義の時代を特徴づけた民営化の波が「人間の心」の民営化の始まりだと考えていた。
運命を共にするという感覚や社会の絆を弱めたのではないかと。災害の体験を共有したことが、プロセスを逆行させると期待したい。ひとりひとりが全体とつながり、依存しあっているという新たな認識が、気候変動への有意義な行動をうながすかもしれません。
大きな変革は、突然やってくることを学んだのです。「所有と消費で、我々は力を使い果たす」と200年以上前にワーズワースが書いた。皆にいきわたるだけの充分な食糧、衣服、住居、医療、教育があると認める瞬間になるかもしれないそれらを手に入れる権利は、職業や収入によってはならないのだと。
パンデミックは、国民皆保険制度やベーシックインカムの保障に懐疑的だった人びとに対して、その必要性の証明になったかもしれません。災害直後は、意識や優先順位を変える大きな力が働くのです。
|
|