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  人との距離を変えたコロナ  仲條拓躬2024/11/05(火) 16:38 
  親子関係について  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:35 
  お見舞いの考え  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:34 
  日本の戦後の民主主義とは  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:33 
  パリの雪の色は  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:31 
  適応障害とうつ病のあいだ  仲條拓躬2024/10/31(木) 18:29 
  PTSDとは  仲條拓躬2024/10/28(月) 16:46 
  小話2024年10月分下  仲條拓躬2024/10/25(金) 18:45 
  小話2024年10月分上-2  仲條拓躬2024/10/25(金) 18:44 
  小話2024年10月分上  仲條拓躬2024/10/25(金) 18:43 






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人との距離を変えたコロナ
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/05(火) 16:38
No. 7632
 
 
嵐が弱まれば、視界の妨げになっていた大気中の浮遊粒子状物質が清められて、遠くまではっきり見えるようになります。嵐が去れば、重病や事故から回復した患者がそうであるように、状況や今後の進むべき道がわかるかもしれません。

現状という氷に閉ざされていたあいだは不可能だと思えたことを、変えられると思うかもしれません。自分自身やコミュニティーや生産システムや未来に違った感覚をもつかもしれません。先進国に住む多くの人にとって、パンデミック直後に訪れた一番大きな変化は、空間に関することでしょう。家があれば自宅で過ごし、他人との接触を避けました。

通学や通勤はせず、会議のために集まらず、ちょっとした用事やジム通いなど不要不急の外出は控え、パーティー、バー、クラブ、教会、モスク、礼拝堂などには行かず、多忙な日常から逃れました。フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは、遠く離れた友人にこんな手紙を書いています。

「この距離を大切にしましょう。友情でしっかりと結ばれたこの距離を。たがいに想い合えていなければ、離れないのだから」。私たちは、たがいを守るために接触を断つ。物理的な距離を保たなくてはならないとしても、人びとは弱者を助ける方法を見つけている。

気候運動家のレナート・レデントール・コンスタンティーノは、フィリピンからの手紙にこう書かれています。「今日、人類が生き延びてきた多くの理由を思い出させるような隣人愛を目の当たりにした。日々、この近辺や他の都市、国々で、勇気あるすばらしい市民活動に出合う。ほんの2〜3人による略奪行為は、絶望、暴力、無関心、傲慢がはびこり、指導者の忠告を聞こうとしない、とされる大勢の頑固な人びとによって抑えられていくのではないかと思う」

感染拡大の連鎖から離れられないとき、これまでのつながり、移動手段、必要な商品の供給方法などを再考しました。対面接触の価値を以前よりもありがたく感じるようになりました。

バルコニーで歌って励まし合ったり、医療従事者に拍手を送ったりしたヨーロッパの人びとや、郊外の住宅街で屋外にでて踊ったり歌をうたったりしたアメリカ人は、これまでとは違う帰属意識を持つようになりました。

私たちは、食糧の生産者、それを食卓に届けてくれる配送者に新たな尊敬の念を抱くようになりました。最大の問題はあくまで外出自粛はつらいけれど、経済活動を再開したり、忙しく飛び回ったりするのは気が進まず、外出を控える状態を続けることになりました。

医薬品や医療機器など、必需品の多くを別の大陸で生産してきた常識は、考え直しました。不安定な調達を強いられるサプライチェーンも、考え直しました。つねづね、新自由主義の時代を特徴づけた民営化の波が「人間の心」の民営化の始まりだと考えていた。

運命を共にするという感覚や社会の絆を弱めたのではないかと。災害の体験を共有したことが、プロセスを逆行させると期待したい。ひとりひとりが全体とつながり、依存しあっているという新たな認識が、気候変動への有意義な行動をうながすかもしれません。

大きな変革は、突然やってくることを学んだのです。「所有と消費で、我々は力を使い果たす」と200年以上前にワーズワースが書いた。皆にいきわたるだけの充分な食糧、衣服、住居、医療、教育があると認める瞬間になるかもしれないそれらを手に入れる権利は、職業や収入によってはならないのだと。

パンデミックは、国民皆保険制度やベーシックインカムの保障に懐疑的だった人びとに対して、その必要性の証明になったかもしれません。災害直後は、意識や優先順位を変える大きな力が働くのです。

 





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親子関係について
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:35
No. 7631
 
 
自分が行うことに関して第三者が反対した場合、それを実行することによって第三者を不快にするのではないかと思われる場合があれば迷い悩んでしまうことがあります。過去の話になりますが、私は長官から感謝状を戴くことになりましたが、生前、父親が「官僚から感謝状など受けるな」と言った事がありました。

その時は、関係各所の方々がノミネートしてくれたのにその期待を裏切りたくないと思う気持ちと親の言う事を聞かなければという思いの、葛藤がありました。基本は、自分の人生に係わることは自分で選ぶという強い信念が必要だと思います。

よくないのは、父親のために、自分の幸せをあきらめ、幸せになれないなどと考えながら生きることです。逆に自分の意思を貫き通して親不孝をしてしまったとしても、自分の意思と責任で選び、その選択が素晴らしかったと思えるように生きることが大切だと思うのです。

時と場合で親孝行の道を選択するのもよし、自分の意思を貫き通す道を選択するのもよし、と考えられれば、少しは楽に選ぶ事が出来るのではないでしょうか。ひとつの判断で、たとえ親不孝をすることになってしまったとしても、それが全てではないと思います。

親孝行の方法はいくらでもあります。日々の接し方や小さな親切の積み重ねが大切だと思うのです。親不幸をしてしまったら、余計に感謝と思いやりの気持ちを出す事が出来ればよいと思うのです。ひとつ親不孝してしまってもたくさんの親孝行をするという気持ち。

親不孝をして一時的に親子関係が悪くなってしまっても、それで終わりではないのですから喧嘩しても自分から仲直り出来るように努力を続ければ、きっといつかは親も分かってくれると思うのですが、とても難しいことかもしれません。

だが、それが出来れば親子関係は修復できるものだと思います。関係を修復しようとする努力続ける人と拒絶し続ける人では、正しさも強さも違うのだと思うのです。親不孝にならないためにも、親のために幸せになれないと不満を抱えたり恨んだり憎んだり嫌ったりしながら親を拒絶することは大きな親不孝だと思います。

逆に、ひとつ親不孝をしても、親に申し訳ないという気持ちで前向きに小さな親孝行をするきっかけになればいいと思うのです。親は子供の幸せを願うものです。いくら親でも未熟な人間です。自分の感情や望みを押し付け世間体で考えてしまうこともあるでしょう。それでも実は我が子の幸せの為にと考えているのです。

自分の信念を通すことで、一時的に親との関係が悪くなってしまうこともあるでしょうが、自分が親孝行をしたいという気持ちを大切にして、親不孝になるようなことをしないというのも人間として大切な選択だと思います。それが自分の幸せにも繋がると思います。

 





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お見舞いの考え
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:34
No. 7630
 
 
胃や胆嚢の手術では、胃管を鼻孔から胃内に挿入されている患者が多いです。このような患者は、不自然な姿でお見舞いの人に会う事はいやではないでしょうか?よほど親しくない限り、お見舞は遠慮した方が良いと思います。

また高熱や、痛みで苦しんでいる病人を見舞う事も避けた方が良いと考えます。長期入院になりそうな時は会社の担当者は上司へ報告する役目があるでしょうが、患者の様子を知るために、電話で何という病名ですかと尋ねる事は非常識でしょう。

外部に本当の病名を知られたくない人があるからです。ただ、ご様子はどうか、お見舞いに行ってもよいですか、それだったら今日、明日でもか、来週くらいのほうがよいかを聞くことが望ましいと思います。

電話などで、先方がお見舞いを受けることを遠慮される時は、花でも見舞いに届けて、病人には会わない事が一番よいと方法ではないかと思うのです。コロナ禍の中では会うことがかなわなかった現状もありました。

 





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日本の戦後の民主主義とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:33
No. 7629
 
 
戦後、日本は米国GHQの占領下のもと日本人が長い年月をかけて培ってきた日本人の価値観を否定されました。戦前の日本の価値観が全て正しいとは思いませんが、昔からの日本人固有の価値観をたかが300年しか歴史のない米国に否定されたのは事実です。

敗戦国とはいえ、憲法までGHQの監視下の元に創られました。それまでの日本は民主主義国家とは言いがたい面が多々あったことは否定できませんが、敗戦国となり占領されたことで米国の民主主義を押し付けられてしまったのです。

米国の民主主義は誰でもが平等だから、多くの人たちがいっせいに米国式の民主主義を指示しました。米国には米国の歴史がありその中から培われてきた価値観なのに、敗戦と同時に受け入れてしまったのです。

米国は自由のイメージがありますが、民主主義のもとでの自由には一定のルールがあり、そして自己責任が必ず伴います。日本人はその自由を勘違いしています。日本人の自由にはルールもなければ自己責任もないし、自分勝手が自由とうい言葉になってしまっているのです。

日本は無宗教の国と言われ、多くの日本人は宗教を持ちません。キリスト教、イスラム教など世界中の多くの民族は宗教を持ち、その教えを元に行動します。今の日本人のなかには自分の行動指針とするような教えがないのです。

民族的に共通した教えがないから、自分勝手なことをする人が増えてきているのではないでしょうか。日本には日本固有のすばらしい価値観はあったはずです。一昔前なら武士道です。

武士道が人々の価値観であり日本人に共通した教え、行動指針だったのではないでしょうか。戦後も半世紀以上を過ぎ、日本人は日本固有の共通した価値観を再検証する時期に来ているのではないでしょうか。

 





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パリの雪の色は
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:31
No. 7628
 
 
パリの特質は、奈良と京都と東京が1ヶ所にあるようなところです。2000年前ローマ人が作った巨大な石積みの公共浴場の遺跡まであります。アメリカで言えば、政治の首府ワシントンと、商業や芸術・芸能の中心ニューヨークが合体しているのと同じようです。

さらにイギリスで言えば、古都ロンドンと最高の大学都市ケンブリッジやオックスフォードが同じ所にあるに等しい。ドイツの都市とは比べようがない。ゲルマン人の統一国家は9世紀に分裂して以来、西側はフランス王国を中心に成長しましたが、東側の今のドイツ地域では、19世紀、1871(明治4)年までバラバラでした。

ドイツの都市はどれも小国の中心として1000年を過ごしたのです。パリの人口は、事典などで調べると210万くらいとなっていますが、東京で言えば区部だけをパリ市と称するのです。近郊を入れれば850万程度になります。

全国人口は5900万で日本の半分です。東京都が郡部から島部まで含んでざっと1200万、日本全体では1億2000万人だから、人口のパリへの集中度は東京都への集中度より高いです。他の地方では人口の都市集中度は日本より低い。

クロード・デュヌトン『フランス語の死』によると、20世紀になって地方語が消滅するにつれて人口のパリ集中が高まったと言います。今春の新聞に掲載されていたのですが、「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」というのがあるように、雪は白いものです。

世界のとある所に、『赤い雪』のようなものが降るところがあるのをご存知でしょうか?それはパリなのです。春先にほんのり『赤い雪』が降るそうです。その『赤い雪』の正体は、アフリカのサハラ砂漠の砂粒が、上空の強い風に乗ってパリまで運ばれてきたものだということでした。

 





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適応障害とうつ病のあいだ
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/10/31(木) 18:29
No. 7627
 
 
私たちは日常の中で、「うつ」という言葉を気軽に使っています。これは海外でもそうで、depression という英語は日常用語になっています。それだけに、病気としての「うつ病」と日常語の「うつ」のあいだの見極めは、簡単ではありません。

日常語の「うつ」というのは、失恋など誰でも嫌な気分になってしまうようなストレス因があって、気分が落ち込んでいる状態です。この落ち込み方が、その原因に比べて不釣り合いに強い場合に、適応障害と診断されます。

そして、適応障害の診断基準の中には、ストレス因がなくなれば治る、ということが書かれています。うつ病でも、ストレスがきっかけになることが多いのですが、うつ病は、ストレス因が解消されたからといって治るものではありません。

仕事の失敗で損失を出したことが契機となって適応障害になった人は、「あの損失、間違いでした」と言われたら飛び上がって喜びますが、仕事の失敗で損失を出したことが契機となってうつ病が発症した人は、「あの損失は解消したから大丈夫ですよ」と言われても、「いや、そんなはずはない。自分の損失は決して解消しないはずだ」などと悪いほうにしか考えられません。

うつ病は、きっかけとなったストレスがなくなったからといって、自然に治るわけではないのです。このように、適応障害は「ストレス因が解消されたら治る」わけですが、実はこれがくせ者です。なぜなら、適応障害の原因となったストレスは、解消される場合ばかりではないからです。

ストレス因がなくなれば治る、とひと言で言われても、そのストレス因は、なくなるまで何十年かかるか分からない。いや、なくならないかもしれないのです。となると、「ストレス因がなくなれば治る」 という基準では、うつ病と適応障害の鑑別ができないではないか?ということになります。

そのため、ある程度以上、症状が重く、持続していれば、ストレス因との関係性はさておいて、自動的にうつ病と診断することになっています。経験的に、このくらい重ければ、ストレスがなくなっただけでは治らない場合が多い、ということで設定された基準ですので、ひょっとして、ストレスがきっかけにうつ病と診断される状態になった人の中には、ストレスがなくなったら、スカッと治ってしまう人もいるかもしれません。

この場合は、本当は適応障害だったのだろう、ということになるわけです。とはいえ実際には、臨床現場でそのような方はほとんどおられないように思います。ストレス因がなくなっただけでは治らないうつ病では、脳の中で、神経細胞の形が変わるほどの変化が起きていると考えられています。

それに対して、ストレス因がなくなれば治る適応障害は、ストレスによる可逆的な、機能的な変化に留まると考えられます。適応障害の動物モデルの研究、というのは聞いたことがありませんが、ストレスによって直接的に生じ、ストレスがなくなれば収まる行動変化を適応障害とすると、適応障害こそ、動物実験で山ほど研究されているものといえるのかもしれません。 加藤忠史 順天堂大学医学部 精神医学講座 主任教授より抜粋

 





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PTSDとは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/10/28(月) 16:46
No. 7626
 
 
PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、死の危険を感じるような恐怖体験(トラウマ体験)をしたことが原因で発症する精神疾患の一種です。その体験から1ヵ月以上経っても、その出来事が今起きているかのように鮮やかによみがえるフラッシュバック(再体験症状)が起き、不安や緊張が高まる恐怖反応を示します。

PTSDを発症する人の割合は高く、男性の6〜8%、女性の1〜20%は一生のうち一度はPTSDを発症するという報告もあります。フラッシュバックや恐怖反応を起こさなくするPTSDの治療薬はまだありません。

現在、PTSDの治療には、医師が患者と一対一で面接して、恐怖体験を思い出すことを1回約30分、数ヵ月に分けて十数回繰り返す暴露療法(エクスポージャー療法)が行われています。この治療法によりフラッシュバックや恐怖反応が消える率はかなり高いのです。

だが、つらい恐怖体験を何度も思い出すことは患者にとって大きな負担であり、医師も一人の患者に長い時間を割く必要があります。また、治療を成功させるには、医師に経験や技術が求められます。そこで、患者や医師の負担がより少ないPTSDの治療法の開発が望まれています。

一時間ほど前、チーズとハムを買いに行こうとホテルの向かいのスーパーマーケットに行ったが、ドアを開けようとした瞬間に、奇妙な不安に襲われた。そう言えば、昨年の9月11日、このマーケットに入ろうとしたときに携帯が鳴って、同時多発テロを知ったのだった。そのときの衝撃が意識下に刷り込まれていたのでしょう。

具体的な「場所」によって喚起されるイメージは強い。チーズとハムを買う間も動悸がなかなか収まらなかった。(村上龍著 『熱狂、幻滅、そして希望』2002年、光文社刊)ある場所で同時多発テロのニュースを知って恐怖を感じ、その後、同じ場所を再訪したときに恐怖記憶がよみがえり、不安や動悸などの恐怖反応が現れる様子が描かれています。

私自身も御巣鷹山にジャンボ飛行機が墜落したというニュースを「ステーキのあさくま」で食事をしているときに聞いてとても驚きました。その後、あれから何年たっても「ステークのあさくま」とお聞きするとジャンボ飛行機のことが思い出されてしまいます。

出来事の記憶 (エピソード記憶)は、そのとき見たものや聞いたこと、匂いや痛みなど、五感で得た情報と、怖かった、うれしかったなどの感情をセットとして記憶するという特徴があります。私たちは、ほとんどの出来事を無意識的に記憶します。

そのとき、記憶するかしないかを決める最大の要因は感情です。喜怒哀楽の感情の動きが大きいほど、いつまでもはっきりと覚えている強い記憶となります。うれしいことや楽しいことよりも、怖いことのほうが強い記憶として残りやすく、特に身の危険を感じるような恐怖を感じた出来事は忘れられない強い記憶となります。

記憶は、初めて聞いた電話番号のように、すぐに忘れてしまう不安定な短期記憶と、脳に固定化されてずっと覚えている長期記憶に分けられます。電話番号でも、好きな人からやっと教えてもらった番号ならば、長く覚えていることもあるでしょう。

安定した長期記憶の形成には、感情が大きく動くことが大事なのです。とくに、生死に関わる出来事を忘れないように長期記憶とする恐怖記憶の能力は、生物が生き残る上で不可欠なものです。恐怖記憶はさまざまな動物とヒトが共通に持つ脳の仕組みです。

恐怖記憶は、恐怖条件づけと呼ばれる実験により調べられてきました。たとえばマウスを特定のケージに入れて、電気刺激を与える恐怖体験をさせます。そのケージから出して時間をおき、再び同じケージに入れると、身動きをしなくなるフリージング (恐怖反応)を示します。

普通のマウスは新しい場所に入ると動き回って探索行動をします。しかし恐怖体験をしたマウスは、恐怖記憶が固定化されて長期記憶となり、同じ場所を再訪することでその恐怖記憶がよみがえり、怖じ気づいて動かなくなる恐怖反応を示すのです。

 





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小話2024年10月分下
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/10/25(金) 18:45
No. 7625
 
 
日本のカカオの80%はアフリカのガーナから輸入していますが、ガーナが金を発掘することに切り替えているので、カカオ農場が壊されて、チョコレートが値上がりしている

コーヒーの価格があがっているのは中国がコーヒー豆の畑を潰してドリアンの畑を作っているからです

白いダイヤモンドと言われているリチウムが発掘できるのはボリビアのウユニ塩湖です

世界のリチウムの土地を中国が買いあさっています

海外では寿司職人の人気があり平均年収の3倍だという
日本の寿司職人がいなくなってきています

大工の数や整備士が20年で半減したので家の修理や車の修理に時間がかかり、修理費が上がっています

議員になる方が少なすぎている 地方議員の給与の平均は21万です 無投票で議員になれます

少子化になり保育所が余ってきています

自衛官が足りなくなってきている。募集計画の半分しか応募がいない。景気に左右されているという。給与は一般の方より高い。応募者を増やすために、丸刈りを禁止 個室の部屋 スマホの使用 Wi-Fiスポットを実施するようです

天安門事件が起きてから反日教育が始まりました。南京大虐殺で30万人が殺されたと教えられるが、南京に住む方は10万人もいなかった。だが、中国が一番行きたい国は日本だといいます。日本に来る中国人はいい思い出を作って欲しい。日本のアニメは中国でも人気があります。中国は貧富差が激しくなり、富裕層は中国から脱出しています 企業もスパイ容疑がかけられるので撤退しています

ハマスがイスラエルを攻撃でからイスラエルはレバノンを攻撃しました すると、イスラエルとイランの激しく争っています。大規模な戦争になってしまうのでしょうか。
日本の90%は中東から輸入しているので一段と物価が上がってしまいます

重要犯罪の検挙率81.8%です

東亜連盟とは、日中戦争の長期化と日本の国力消耗を石原莞爾先生が、「国防の共同、経済の一本化、政治の独立」を条件に、日本と中国および満州国が手を結ぼうという趣旨のもと日中両民族が提携して戦争を速やかな終結を図ろうという思想です。近衛文麿の東亜新秩序声明を背景に、昭和14年10月に東方会系の農民運動家や満州国協和会系の人々を集めて設立されたのが東亜連盟です。日本国内に支部ができただけでなく、汪兆銘の南京政府も自らの立場の基礎理論として、東亜連盟論を積極的に採用していました。マッカーサーに危険思想であると圧力をかけられましたが、現在の名称は私が会長を努める石原莞爾平和思想研究会である。

日本が安全保障理事会のメンバーになることは、国民の血税を拠出させられるだけで世界のためにならないと思っています。

何人かの米国人から、「君が代」の「君」とは誰のことなのかと尋ねられたエピソードがあります。その解釈は政治的にデリケートな問題でもあるので、外務職員は本省にその解釈を確認すると返事が返ってこないので、総領事館にある文化・広報資料から関係資料を調べ、国歌の歌詞の意味を調べてみると、そこには「君」とは天皇陛下を指す言葉で、「君が代」の歌詞には、その御世が末永く続くようにという願いがこめられている、と説明されていた。

ロシアにおいて反スターリン主義的な共産主義運動が勝利したわけではないからです。トロッキーも、レーニンも、全部否定されてしまったのです。レーニン以前のナロードニキや社会革命党(エスエル)のようなロシア土着の共産主義を唱えることは、純理論的には可能かもしれませんが、そんな芽は現実にはありませんから。共産主義は崩壊したけれど、アメリカや日本も病んでいるのも事実です。

インターネットを使用する小遣い稼ぎのバイトが盛んに行われています。だが、その中には近づく方をカモにして騙す怪しい小遣い稼ぎのバイトが多数あります。

日米安保体制の全面見直しをアメリカに迫る問題ですが、残念ながら「アメリカの正義」に異議を申し立てるだけの自尊心も心の準備も今の日本政府にはありません。それよりさらに重要なことは、国際協定も時代と共に変化して、それに見合った改革が必要だと思うのだが、それを積極的にリードしていくコンセンサスが日本政府には出来あがっていないのです。

真珠湾攻撃記念、戦争終結記念、日米激突の場所となった硫黄島上陸記念と、太平洋戦争をアメリカの正義の勝利の場として徹底して利用してきたアメリカ政府主催のロデオ大会は、最後は広島・長崎に対する原爆投下を歴史的に検証するというミソニアン・インスティチューション側の全面的敗北となり、クリントン大統領が原爆投下を、改めてアメリカの正義と裁断して幕が引かれたのです。

よく自分は無宗教だという人がいますが、それは本人の自覚がないだけで、本当に無宗教なら初詣や寺での葬式は無意味ということになります。とりあえず日本人の多くは初詣で賽銭を払ったり、お寺の坊さんにお布施をしているわけですから、その程度には神道や仏教の意味はあるのでしょう。本当に信心深いかどうかは別問題として。自分は無宗教だと人にいいきってきた人でも、いよいよ死が近づくと、心の中に、自然と「助けてください」という祈り心を持つものである。自分は無力であると思う時、より大きな力の助けを求める真理は、人類共通である。

日中戦争は、日本の侵略や陰謀ばかりが取り上げられますが、日本も被害者だというのも事実です。日本は中国の百年内戦という渦に呑み込まれ、反日侮日の挑発に乗せられたのが、戦争の原因です。当時、中国に住んでいた方は日本が被害者だと考えています。

認知症とは、脳が広い範囲で障害され、全般的に知的能力が低下する病気の総称です。その原因により、「アルツハイマー型認知症」や「血管性認知症」などに分けられます。

掲示板やSNSでの子ども同士や保護者同士のネットいじめも盛んで、それによって自殺する子どもやティーンエージャーも少なくありません。

日本人の特性を、諜報活動に長けているイギリスはよく理解しています。長年イエメンやサウジアラビア、イスラエル、アフガニスタン、シリア、レバノン、インドといった国とやり合ってきた国なので、赤子の手をひねるようなものです。

日本でハロウィンが定着してのは日韓ワールドカップで日本が勝った時に渋谷に集まるようになった。渋谷では10月から路上飲酒が禁止になりました。ハロウィンは古代ケルト人の先祖の霊が戻って来る祭りだった。ハロウィンの象徴のカボチャが昔はカブだった。仮装するのは悪霊を追い払うためだそうです。

1年で一番食中毒が多いのは10月です。青魚に寄生虫がいて刺身で食べるから。主にアニサキスが飲食店で発生する。酢でしめたり、よく噛んでも駄目です。

日本人の98%がビタミンD不足です。骨が弱くなります。日光浴しないと駄目です。

地球は毎年、5万トンずつ軽くなっています

月は2つあるのはニュースで放送されています

黒部市下水道ではコーヒーのかすを流してほしいそうです

保安官は4年ごとの選挙で選ばれます


 





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小話2024年10月分上-2
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/10/25(金) 18:44
No. 7624
 
  来週から山形県へ出かけますが、山形県の出羽三山と言えば、月山を中心に北側の麓近くが羽黒山で、南西の中腹が湯殿山で、全体としては月山ということになります。この出羽三山の信仰は、東北一帯と越後、佐渡、信濃に特に色濃く広がっていて、新潟の一市民が羽黒山に1千万円のお布施をしているのには驚きました。

先週は永平寺に行ってきました。福井県永平寺町の天竜寺参道にあります。季節や弟子との別れのつらさをうたったと言われている「物書て 扇引きさく 余波哉」と刻まれています。味わい深い一句です。天龍寺の境内には、松尾芭蕉が訪れた際に「物書きて扇引き裂く余波哉(なごりかな)」という句を残しました。その句は句碑として存在しています。

現在の科学では、どのアミノ酸がどのような順序でつながったかがわかっても、そのタンパク質の形を予想することはできません。タンパク質内部の微妙な分子内の力の関係は、スーパーコンピュータでも計算しつくすことはできないのです。つまり、アミノ酸の配列がわかっても、そのタンパク質がどのように働くのかはわからないのです。

遺伝子組み換え作物は未知の領域だと感じます。虫も食べないものを人間が食べていてどのようなことが起きるのであろうか。ここ100年の間に謎なことばかりが行われています。現在、問題となっているのは地球温暖化です。しかしこの問題も、新たなイノベーションによって解決するのではないか、と考えているのです。

日本の公立校に通うごく普通の小学生がイギリスの小学校に転校した場合、おそらくほぼ100%の確率でその子どもは礼儀や行動評価で全学年のトップどころか、国のトップレベルになってしまうといいます。この日本の子どもたちはレベルが高いわけではなく、イギリスの先生の実家である田園地帯の子たちで、この街はそれほど裕福ではありません。日本の子どもらは全体的に礼儀や共感性がしっかりしており、小さな子でも非認知能力が恐ろしく発達しているといいます。非認知能力とは「社会情緒」に関する能力のことで、感情の動きをつかさどる働きをします。それは「社会性」「協調性」「忍耐力」「意欲」「自己肯定感」「予測力」「共感性」などで構成されます。イギリスの先生からそのように感じておられることは喜ばしい事だと私は思います。

ソフトクリームが初めて日本で売ったのは1951年だそうです
誰と食べたかというと「祖父とクリーム」食べたとか

長崎県は日本一自転車に乗れない県だそうです

岩手県は日本一家族愛がない県だそうです

東京都に半分食い込むまち新座市だそうです

曲の「サビ」とははっきりした意味がわからないといいます

 





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小話2024年10月分上
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/10/25(金) 18:43
No. 7623
 
 
次に中秋の名月と満月が同日に訪れるのは6年後の2030年だそうです。

日本人が100歳まで生きられる女性は14%男性は4%だそうです。

日本三大ラーメンとは、札幌の味噌ラーメン、喜多方の醤油ラーメン、博多の豚骨ラーメンだそうです。日本初のラーメンは浅草の来々軒です。日本で一番ラーメンを消費する県は山形県でした。山形県は、冷やしラーメンの発祥の地です。日本にあるご当地ラーメンは183箇所あります。一ヶ月に一回ラーメンを食べる方が一番多いといいます。

スティーブ・ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていました。ジョブズは皆の先を行っていたのです。テクノロジーの開発だけでなく、それが私たちに与える影響においても。 絶対的な影響力を持つIT企業のトップたち。その中でスティーブ・ジョブズが極端な例だったわけではありません。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったと話しています。

日本はもともと百済の要請に応じて、たびたび朝鮮半島に兵を送っていて、日本に仏教が伝来したのは、その見返りでした。しかし、白村江の戦いで、日本と百済は大敗します。やがて高句麗も滅びました。白村江の戦いで負けた後、日本はパニックに陥ります。唐から郭務粽という将軍がやってきて、日本に敗戦処理を求めます。第2次世界大戦後のマッカーサー将軍みたいなものです。しかし幸運なことに、この後、唐と新羅が喧嘩を始めました。この喧嘩のおかげで、日本は立ち直る時間を稼げました。日本にとっては幸運でした。

厚生労働省は、10月1日に高齢者を対象に新型コロナワクチンの定期接種を始めるとしました。そこで使用される、レプリコン・ワクチンは、治験している海外では承認されていないワクチンにもかかわらず、日本で認可されており安全性が懸念されます。自己複製型RNAがワクチン接種者から体外へ出て他者へ何らかの悪影響をおよぼすのではないかという危惧。臨床試験での重篤な副反応の情報開示の不足。そして長くRNAの効果が持続することでヒトの遺伝情報が改編されるのではないかという恐れ。mRNAワクチンでも副反応による死亡を含む重篤な症状があり、予防接種法の救済対象になる人は年々増え続けています。

私も人間関係などの小さなことで悩んでいる眠れない夜、宇宙というものについてあれこれ考えているうちに恐ろしくなったことがあります。この宇宙、すなわち我々が認識する物質とそれが埋め込まれている時空がかつてビッグバンという大爆発で誕生したのならば、その「宇宙」が始まる前はなにがあったのか。時空や物質を生み出すさらに高い階層の世界があるべきではないか。それを宇宙と呼ぶのであれば、ビッグバンで誕生した「宇宙」というのは宇宙の一部でしかない。今後もし、さらに科学が発展すれば、時空と物質という狭い意味での宇宙を生み出す、より大きな基礎法則や世界が明らかになる可能性があります。

宇宙の果てはどうなっている誰でも一度は気になったことがある疑問ではないだろうか。太古の昔から現代に至るまで、数え切れないほど多くの人が、この問いについて考え、そして答えを出すことをあきらめてきたことでしょう。だがその点、現代を生きる我々は極めて幸運です。わずか100年前に比べれば、宇宙の果てに関する科学者の知見が飛躍的に進歩したことは間違いなでしょう。数千年に及ぶ人類の文明史の中で、我々がたまたまそのような時代に生まれついたというのは、まことに幸運と呼ぶべきではないでしょうか。

「松島やああ松島や松島や」という句をよく聞きますよね。芭蕉はこの絶景を前にしてあらわす言葉を失い、ただこう言って口をつぐんだと言われていますが、これを作ったのは相模の田原坊という俳人と言う事が分かっています。いつの間にか、芭蕉でさえ絶句してしまった風景という話が作り出されてしまったのでしょう。松尾芭蕉が句を作らなかったはずがないという思い込みもあったのだろうか。松尾芭蕉に松島を詠んだ句がないことを知って一番残念に思ったのは、地元の民だったに違いありません。(笑)

私の先輩で、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を実際に歩いているという人が何人もいます。日によっては、50キロ以上も歩いたという人がいて、それを聞いて驚いたのですが、話を聞くと国道や県道のアスファルトの上を歩いていたことを知りました。昔の街道がそのまま国道や県道になったところもあるのでしょうが、バイパスの裏道が昔の街道であったりするのです。

毎年、北陸には出かけます。現地の皆様は来ていただけるだけで感謝ですとのお言葉を胸に今年も北陸に旅行することとしました。北陸には羽田空港から飛行機です。JAL長崎空港の近藤という手荷物検査の女性に理不尽なことをされたので、JALは乗りません。ANA751便で小松空港へ向かいました。

卵の表面に、1億個に1つくらいの割合で、サルモネラ菌が付着されていると言われています。黄身悪い卵 ♪パっとして ぐぇ〜っ(≧Д≦;)として♪(田原俊彦)5つの卵をご覧(5卵)ヽ(^o^)丿(笑)

石原莞爾将軍が目指した王道楽土、民族協和を描いた満州国ですが、日本人が新たに国を建国するという未曾有の体験でもあった訳です。そこには軍事的と経済的あるいは革新官僚による新しい国家組織のビジョンが含まれていたと思うのです。これは明治維新以来、国家思想として行った最大の国家プロジェクトではないでしょうか。


 






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