| TOP | ホーム | 携帯用 | 過去ログ/検索 |

☆★☆最新情報7☆★☆

 
新規投稿 ] 
  糖尿病の人は癌になりやすい  仲條拓躬2025/06/16(月) 16:36 
  がん細胞は三つのタイプある  仲條拓躬2025/06/16(月) 16:35 
  放射能と放射線の違い  仲條拓躬2025/06/14(土) 10:12 
  明治の政治家は才能があった  仲條拓躬2025/06/14(土) 10:11 
  石油から天然ガス  仲條拓躬2025/06/14(土) 10:09 
  おくのほそ道を歩いてみる  仲條拓躬2025/06/13(金) 05:49 
  近衛文麿の最後の時  仲條拓躬2025/06/10(火) 14:50 
  すべてを依存する日本国の未来は  仲條拓躬2025/06/09(月) 15:06 
  イタリア王国が誕生の経緯  仲條拓躬2025/06/09(月) 15:05 
  明治維新のグランドデザイン  仲條拓躬2025/06/09(月) 15:03 






[ 一覧 ]
糖尿病の人は癌になりやすい
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/16(月) 16:36
No. 7872
 
 
糖尿病が癌に罹患するのは、近年、様々なデータの裏付けがあります。2010年には米国糖尿病学会と米国癌学会が、2013年には日本糖尿病学会と日本癌学会が、それぞれ合同で、糖尿病とがんの関連に関する報告書を出しました。

日本糖尿病学会と日本癌学会の報告書では、日本人の場合、糖尿病は大腸がん、肝臓がん、膵臓がんのリスクを上げることが明らかになっていると指摘されています。このことは、多くの健康診断の結果を診てきた私自身の印象とも合致しています。

では、なぜ、糖尿病があるとガンになりやすいのか。それは、糖尿病とがんの発症プロセスには共通点が多いからです。まず、がん細胞は生体のコントロールを無視して無限に増殖し、浸潤や転移をして他の臓器を侵襲していくわけですが、そのためにはたくさんのエネルギーを要します。

がん細胞はそのエネルギーをどうやって得ているのかというと、ブドウ糖です。ブドウ糖をエネルギー源に、「解糖系」と呼ばれるサイクルを回してエネルギーを生み出しています。私たちの体には「解糖系」と、ミトコンドリア内の「電子伝達系」という2種類のエネルギー製造装置が備わっています。

がん細胞は、ミトコンドリアが壊れているか、使わないようにしているため、ブドウ糖を分解してATP(エネルギーの貯蓄のこと)をつくりだす解糖系のみに依存しています。ところが、解糖系は、ミトコンドリア内の電子伝達系に比べて生産効率が低い。電子伝達系のほうが、1倍も効率よくATPをつくり出すことができます。

そこで、がん細胞は体温を下げることで、血液とともに届けられる栄養分を自分が横取りできるように画策しているのです。体温が下がると、ミトコンドリア内で働く酵素が十分に働けなくなり、正常な細胞のミトコンドリアが機能不全に陥ります。

そうして使われなくなった栄養を、がん細胞が横取りしていくわけです。つまり、がん細胞にとっては、ブドウ糖がたくさんあって体が冷えている状態ほど暮らしやすいところはありません。

一方、糖尿病はと言うと、血液中にあふれたブドウ糖を細胞をスムーズに取り込めなくなる病気です。なおかつ、なぜそういう状態に陥るのかと言うと、ブドウ糖を日々摂りすぎているからです。つまり、糖尿病もがんも、キーワードはブドウ糖なのです。

生命体にとってブドウ糖は大切なエネルギー源であり、非常に重要な役割をしています。しかし、がん細胞は、ブドウ糖をより多く手に入れられるように進化したもので、糖尿病はブドウ糖を摂り過ぎた結果、ブドウ糖をうまく使えなくなったもの。どちらも、ブドウ糖をいかに制御するかがカギなのです。

もう一つ、ミトコンドリアの機能不全という共通点もあります。先ほど、がん細胞はミトコンドリア内のエネルギー製造装置である電子伝達系が使えなくなっている、と書きました。つまり、がんは、ミトコンドリアの機能不全そのものなのです。

一方、糖尿病では、膵臓の細胞が疲弊し、インスリンの分泌低下が起きますが、その直接的な原因は何かと言えば、B細胞のミトコンドリアの機能低下です。このことはすでに明らかになっています。では、インスリンは十分に分泌されているのにGTFが不足しているために血糖の取り込みがスムーズに行われないということに関してはどうでしょうか。

これはまだ仮説段階だといいますが、やはりミトコンドリアの機能低下がかかわっているといいます。各細胞のミトコンドリアがくたびれてくると、こうした不具合が起こりやすくなるのでしょう。最近では、がんや糖尿病に限らず、生活習慣病はミトコンドリアの機能不全症であると言われています。

細胞のなかでミトコンドリアがエネルギーをつくっているわけですから、そのミトコンドリアが障害を受け、エネルギーをつくれなくなると、その細胞の機能が落ちてしまいます。そうすると、さまざまな病気につながるのは無理もありません。

たとえば、アルツハイマー病は神経細胞のミトコンドリアの機能不全、不妊症は卵子の中のミトコンドリアの機能不全と考えられます。そして、ミトコンドリアの機能を維持するのに切っても切り離せないのが、ミネラルです。 ミトコンドリアで電子伝達系をまわすには、一つひとつの反応の触媒となる「酵素」の存在が欠かせません。

酵素の働きが低下すると、すなわち、ミトコンドリアの機能が低下します。逆に言えば、ミトコンドリアの機能を維持するには、酵素にしっかり働いてもらうことが欠かせないのです。たとえば、体内でアミノ酸(タンパク質)を分解すると、窒素が作られ、さらに余分な窒素からアンモニアがつくられます。

体内では当たり前のように行われている反応ですが、工業的にアンモニアをつくろうとすると、窒素と水素を500度といった高温かつ100気圧といった高圧で反応させなければ合成することはできません。それなのになぜ体内では37度程度の温度下でアンモニアをつくれるのかというと、触媒となる酵素があるからです。

それだけでも酵素の存在が重要なのです。そして、その大事な酵素が十分に働くには、酵素の働きを助けるミネラルが必須なのです。ですから、ミトコンドリアの機能不全は、酵素の機能不全でもあり、「ミネラル病」でもあります。背景には酵素とミネラルの不足が隠れているという点も、がんと糖尿病は共通しているのです。

 





[ 一覧 ]
がん細胞は三つのタイプある
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/16(月) 16:35
No. 7871
 
 
捕まえたがん細胞を調べると、がん細胞には3種類あるといいます。「タイプ1」「タイプ2」「中間型」と呼ばれる3種類です。タイプ1は「働き蜂」のようなもの、タイプ2は「女王蜂」のようなものとイメージすれば、わかりやすいとのことです。

これまでは、ガンというのは、すべてのがん細胞が分裂して増えていくものと考えられていました。ところが、それが間違いで、「女王蜂=タイプ2」のがん細胞のみが分裂する能力を持ち、「働き蜂=タイプ1」は分裂する能力を持っていないというのです。

このタイプ1の癌細胞は、そのまま放置していても分裂することはなく、やがて消えていきます。おそらく体内に備わった防衛システムである免疫細胞がやっつけてくれるのでしょう。ですから、もしも、ある人のがんがタイプ1のみであれば、がんがそれ以上大きくなることもなければ、そのがんが原因で死ぬこともありません。

一方、タイプ2のがん細胞を放置しておくと、2ヵ月以内にすべての患者さんが亡くなることがわかりました。なぜなら、「女王蜂」が血液の流れに乗って、どこかに転移巣をつくると、そこで直ちに分裂を開始し、働き蜂をまわりに並べて、免疫細胞や抗がん剤の攻撃から自らを守りながら、分裂して数を増やしていくからです。

では、「中間型」とは何かと言えば、生まれてすぐの若い細胞です。そのまま放置しておくとタイプ1になる場合もあれば、タイプ2になる場合もあります。どちらになるかはわかりません。ですから、CTC検査を行って、タイプ2または中間型のがん細胞が見つかったら、それらを殺さなければ、患者を救うことはできないのです。

全身で4リットルほどの血液が循環しているので、4ミリリットルの血液にタイプ2のがん細胞が1個でもあったなら、体内にはその千倍の女王蜂が泳ぎ回っていると考えられます。 ただし、前述したように女王蜂(タイプ2)タイプのがん細胞はまわりに働き蜂を並べてガードしているため、攻撃は容易ではありません。

なんとか、タイプ2のがん細胞を死滅させる方法はないものか、そう悩んでおられた日本遺伝子研究所の方から相談をいただいたのが、2018年頃です。先生がステージ3やステージ4のがん患者に対して行っているのは、『がんの非常識』の本に書いてあります。

それは、免疫治療、遺伝子治療、温熱療法、サプリメント、そしてヨード(LS33・安定ヨウ素水)を組み合わせた複合治療です。このうち、がん細胞を直接殺せるという論文が多数見つかり、実際に患者に服用してもらったところタイプ2のがん細胞を死滅させることが確認できたのが、ヨードでした。

これまでに80人ほどの末期がんの患者に服用してもらい、どの患者も、1、2週間のうちにタイプ2のがん細胞がいなくなりました。 タイプ2のがん細胞がなくなったということは、すぐには亡くならないということです。

ただし、もともとのがん病巣は残っています。そして、ヨードだけで、もとのがん病巣まできれいになくなるかというと、きれいになくなる人もいれば、なかなか変わらない人、まれに悪くなる人もいる、ヨードだけで完全に治るわけではないこともわかってきました。

こうした経緯から、現在、末期がんの治療は、次のように2段階に分けて行っています。第1段階、ヨードを服用し、血液中のタイプ2と中間型のがん細胞をゼロにする。第2段階、患者と話し合いながら、ヨード、免疫治療、遺伝子治療、温熱療法、サプリメントという選択肢のなかから良いと思われるものを組み合わせた複合治療を行うというのです。

 





[ 一覧 ]
放射能と放射線の違い
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/14(土) 10:12
No. 7870
 
 
放射能と放射線という用語が、よく混同され、間違われて使われています。放射能とは「物質が全く自動的に『放射線』を放出する性質」です。性質であるから「漏れる」「浴びる」などの言い方は間違いです。

「放射性物質(または放射性元素)が漏れた(を浴びた)」と言うべきです。ジャーナリストを含め専門家でも、言葉の使い方が間違っていることが多いです。核反応に伴って放出される放射線は、大きく「電磁波」と「粒子線」とに分けられています。

電磁波は光線の仲間で、その中で極めて波長の短い領域のものを「ガンマ線」と呼びます。同じ電磁波でも日常浴びている可視光線の類は、化学現象・化学反応に伴って発生しeV程度のエネルギーであるのに対し、ガンマ線はその数万〜100万倍のMeVレベルの核反応に伴い発生し、それくらいのエネルギーを持ちます。

「エックス線」(数〜数百keV)もまた電磁波のひとつです。粒子線の代表的なものは、「ベータ線(電子の流れ)、次にアルファ線(ヘリウム原子核の流れ)です。これらは原子線・分子線といってもよいもので、物質の流れです。

陽子が飛ぶ陽子線、中性子が飛ぶ中性子線などもあります。原子核反応とはどのようなものかと言いますと、「アルファ崩壊」「ベータ崩壊」です。これらの崩壊では、放射能をもった不安定な原子核が核反応を起こして他の原子核に変わります。

原子番号が変化して化学的に別の元素に変わるのだから、厳密には「核化学反応」というべきです。宇宙とは、原子核が核化学反応により生々流転しているシステムです。そのほか一般的な核反応の1つに、中性子が関与するものがあります。

中性子は電荷をもたないので、電気的な反発を受けず、容易に原子核に近寄り吸収されます。その結果、核の重さ(質量数)が1つ増えるが、原子番号は変わらない。ただし一般的には、その原子核は不安定になって放射性元素となり、「ベータ崩壊」や「アルファ崩壊」をして、元素の種類が変わってしまうことが多いのです。

さらに、「核分裂反応」の場合には、ウランなどが中性子を吸収して分裂し、原子核の重さが100あたりと140あたりの2つの原子核(一般的にどちらも不安定な放射性元素となる)に分かれるのです。

実は「核エネルギー」とは、核反応に伴って発生する「原子核(化学)反応エネルギー」のことです。原子核が変化すれば、核の質量が微妙に変化します。総計の質量が減っていれば、その分がエネルギーとなって放出されます。

これがアインシュタインの相対性原理で保障されているのです。理論上では、仮に水素原子核(陽子)1個がすべてエネルギーに変換されたとすると、その変換で931MeVというエネルギーが得られます。これは、核分裂で得られるエネルギーの約4倍半に相当するが、この変換はまだ実現されていません。

 





[ 一覧 ]
明治の政治家は才能があった
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/14(土) 10:11
No. 7869
 
 
アメリカとイギリスが仲悪かったということは、あまりよく知られていませんが、政治史や世界史を勉強している人はもちろん知っています。出版されている本の中で、中西輝政氏が、『大英帝国滅亡史』という面白い本を書いていますので、その本の記述を借りて言うと、奇跡のような事が起こるのです。

19世紀の半ばに英米は対立していました。ちょうど日本人女性である山川捨松たちが留学する30年前で、イギリスの外務大臣パーマストンの時代です。この時にマクラウド事件が起こります。カナダ人というのはイギリス人ですから、カナダ人をアメリカの裁判所が裁こうとすると当然、イギリスが抗議します。

そこで英米の対立が起こったときに、イギリスはアメリカに対して「戦争するぞ」と脅迫します。アメリカは屈辱の屈伏を遂げるのです。このとき以来アメリカには、独立戦争以来の反英感情が燃え上がるのです。

南北戦争で、暫くは持ち越されるのですけれども、1895年に南米のベネズエラと英領のギアナの間で国境紛争が起こります。時のイギリスの総理大臣はソールズベリーで、ここで極めて教硬に「モンロー宣言を否定する」と言ったものですから、アメリカのクリープランド大統領は、議会に対して対英戦争の許可を要求しているのです。

面白いことに、レーニンがそれを見ていて「しめた、英米戦争不可避である」と考えているのです。なぜこれが回避されたかと言うと、ドイツの台頭でした。ちなみに1890年におけるアメリカ海軍は、チリを含む世界12カ国のまだ下にいたのです。

それぐらい海軍力が弱かったのです。それが1900年になると、日清戦争が終わって日露戦争の直前ですが世界3位になります。そして、有名なマハンという将軍が、『海上権力論』というものを書くわけです。つまり、アメリカが海上帝国として登場してくるのです。実に20世紀の到来とともに、イギリスがアメリカに対して完全な譲歩をするのです。

それは、ドイツが怖かったからです。皮肉なことに、ソールズベリーの甥であるバルフォアという外務大臣が議会で演説をしまして、「ともに英語を話す国民が戦いあうことはない」という宣言をするのです。これは、イギリス側から言えば屈伏なのです。

アラスカを含むアメリカの権益を全部含めて、つまりカナダから手を引いてしまうのです。ちょうど19世紀の後半から20世紀にかけて、英米関係が大きく変わるのです。ここで英米が対立していてくれたおかげで、イギリス帝国主義の力が日本には非常に軟らかくしか働かないのでした。困るとアメリカに逃げ込めるのです。

面白いと思うのは、山川捨松が留学していたヴァッサーの卒業講演でどういう演説をしたかと言うと、英帝国主義の暴虐と、それに対する民族自決の正義を語ったのです。そうしたら、会場は拍手なりやまず。彼女の英語もうまかったのでしょうけれども、時のアメリカの新聞が大きく書いているのです。

主題の選び方が、頭が良かったとは思いますが、感心するのは、その事を教えたのは多分、山川健次郎だと思うのです。つまり、世界の情勢とか日本の置かれている地位を教え、「この際、アメリカの反英感情を刺激してやれ」と言ったのは、恐らく兄貴だと思うのです。

それほど日本の指導階層は、20代の青年や10代の娘まできちんとと日本の置かれた国際情勢を知っていて、外国人のどこを刺激すればうまくいくかという外交感覚に長けていたわけです。これは感動的だと思うのです。

こうしてアメリカの力を借りてイギリスを牽制しながらやってきて、しかも英米が手を結んだ瞬間に、日本は日英同盟を結んでロシアと戦争するわけです。だから、この間の動き方というのは実にうまくいっているし、運もよかったのです。

この頃の明治の政治家は才能があったのです。本当に知的階級全体が、現在よりよっぽど国際感覚があったのです。それは単に政治家だけが才能があるということではなく日本人全体の国際感覚が高かったのでしょう。

 





[ 一覧 ]
石油から天然ガス
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/14(土) 10:09
No. 7868
 
 
主役が石油から天然ガスへと移行しているのは、世界がよりクリーンで経済効率の高い資源を探し求めた当然の結果です。天然ガスがクリーンであるのは、主成分のメタンがガスとしてほとんど純粋に得られるからです。原油は不純で生体や金属類に対し有害な硫黄などでひどく汚染されているが、天然ガスは比較にならないほど汚染が少ないのです。

また、水素分をより多く含むのも利点でもあります。水素は燃えても水になるだけで無害だからです。海底や地中のメタン・ハイドレート(氷にくるまれたメタン)を含め確認埋蔵量も充分にあり、21世紀はこれなしには人類は生存不可能だと言います。

しかし、弱点があります。軽いガスなので、すぐ放散し爆発の危険性がある事と大気中に放出されたガスの温室効果です。これは二酸化炭素より分子当たり21倍強(IPPCの評価)。したがって、採掘・輸送・使用に当たって、充分管理された高度かつ大規模な技術が必要です。

現実的には当面、石炭・石油・天然ガスが各長所を生かしつつ共存しなければならないでしょう。少し補足すると、各種の資源の中で薪の類は、水素分がかなり多く純粋な炭水化物だから、燃やしてもほとんど水は二酸化炭素になります。

植物は空気中の二酸化炭素を吸収するので、植林などで植物資源を増やし、そこから薪をバイオマス・エネルギーとしてある程度復活させることには、温暖化対策・緑化環境対策上からも合理性があります。

「化石燃料はまだ充分に埋蔵されている」という意見もあれば、「そのうちなくなる」という意見もあります。最近も、「まだある」という主張に対し、「日本経済新聞」紙上で「石油が20年でなくならないとどうして言える?」と反論をしていた専門家がいました。

たしかに簡単には否定は出来ません。それは誰もよく知らないからです。資源論などはほとんど商取引の問題と理解すべきです。売買のための探査だから、30〜40年分見つかったらそれで充分、それ以上見つけては値崩れさせるだけの話であり、実は存在しては困るのです。

これ以上の多言を要しないでしょうが、ある種の専門家は営利上「すぐなくなる」と信じさせたいのです。(笑)また、資源保有量は国家の最高度の機密事項として決して真相は語られない、という面も承知すべきでしょう。

昨今、中国原子力潜水艦や探査船が沖縄本島に頻繁に近づいています。東シナ海での天然ガスが豊富な資源が日本に帰属することが判明したら突然、領有権を主張します。中国は、1995年頃から日本の排他的経済水域に調査船を何度も派遣しているのです。

過去に興味深い記事が香港の新聞に掲載されていました。それはエネルギー問題で日本と戦争になったらどうなるかという予測する香港の分析記事です。中国の新型国産潜水艦は、日本の同等の潜水艦に比べて、総合的な戦力ではるかに劣っている。信号傍受能力や情報戦でも日本の方がはるかに進んでいる。

空軍も日本は完全に米国の水準と同じで中国よりかなり上なので、日本と戦争したら日清戦争のときのように中国は負けてしまうだろう。だから、日本と戦争するより、関係を改善して、日本側と合同で開発できる状態にしたほうが得策だと述べているのです。

 





[ 一覧 ]
おくのほそ道を歩いてみる
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/13(金) 05:49
No. 7867
 
 
私の先輩で、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を実際に歩いているという人が何人もいます。日によっては、50キロ以上も歩いたという人がいて、それを聞いて驚いたのですが、話を聞くと国道や県道のアスファルトの上を歩いていたことを知りました。

昔の街道がそのまま国道や県道になったところもあるのでしょうが、バイパスの裏道が昔の街道であったりするのです。それを知っていて歩いているのと、知らないで歩いているのとでは、天地ほどの差があるので、『おくのほそ道』をたどろうとすると、先ず江戸時代の街道図を広げ、今のロードマップと照らし合わせることから始めることになるのです。

しかし自信をもって松尾芭蕉の道を確定できることは非常に難しい。ルートマップには、そこに至る道が何本も別れていたり、昔あったはずの道が消えていたりするのです。街道図には方向が記されていないし、距離も結構適当です。

道そのものが無かったり、少なかったり、人家もなくなっていて見通しがよかったりして、距離はこの程度のものになってしまいます。だから、昔の街道図と今の地図を見比べても、悩んでしまう事が多いのです。街道は生き物のようです。

新しい道が開かれると、古い道は獣道のように一年後には埋もれてしまいます。新道もやがて迂回路などが改修されて姿を変えていきます。だからあれこれと考えを巡らせた後でさえ、はたして松尾芭蕉が通ったのはこの道でいいのだろうかと心配になってしまうことが多いのです。

特に元禄期までは全国で大規模な新田開発が行われていて、河川の流路を完全に変えてしまったり、排水用の川を新しく掘ったりした地方が多く、現在の地図からは想像ができないほど変わっていたりするのです。「おくのほそ道」に近づくことはそう簡単ではないのです。

 





[ 一覧 ]
近衛文麿の最後の時
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/10(火) 14:50
No. 7866
 
 
近衛文麿公爵が、荻窪の自宅「荻外荘」にいる時に出頭命令が出ました。元書記官長富田健治が訪ねると、近衛文麿公爵は、ひどく不快な表情だったと言います。「大局的に考えて、一体戦争犯罪人としての逮捕命令には、従うべきものかどうか」

「戦勝国が何でもでき、誰でも逮捕できるというなら、ヒューマニズムも法律もあったものではない。すでに指名される理由を認めずとすれば、これを拒否すべきものと思う。然るに今日のわが国の実情では、こっちにその権利は、何ひとつないという考え方が風をなしているし、その熱意もどこにもない」

牛場友彦は言いますが、牛場も含めて近衛文麿公爵と親しい知人、友人は、恐らく公爵の誇りと血が罪囚の辱めを許さないだろうが、かといって、果たして自決の道を選ぶかどうか。周囲の意見としては、この際、法廷に出て天皇を守るべきだ、という趣旨のものが多く、近衛文麿公爵も、それに対して積極的な反対の意思表示はしていませんでした。

しかし、近衛文麿公爵と親交が深い牛場たち少数の友人には、近衛文麿公爵は死の道を選ぶのではないか、という予感が強かったと言います。近衛文麿公爵は、優柔不断、臆病などと言われていますが、身近にいるものは、三千年の公卿の血が生みだしたような、冷たいシンの強さを、公爵が持っていることを知っていると言います。

無類の社交上手、聞き上手なので、近衛文麿公爵と会う者は、自分が信頼されていると思うのですが、「決して他人を信用しない人でした。優柔の気はあったが、不断ではなく、最後は自分でビシリと決めました」と牛場友彦は言います。

関白太政大臣の血筋という意識は、人一倍モダン好きでも消えることなく、天皇の前で足を組んで話せる臣下は、公爵だけでした。それだけに自分の身体については、病的と思われるほど注意深く、健康に気を配り、他人の手をふれさせることは極度にきらったのです。

そのような近衛文麿公爵が、犯罪人の名の下に法廷に立つことに耐えられるだろうか。近衛邸に、友人知己が集まった。近衛文麿公爵は酒が強い。応接間や居間を往来して、来客と杯をあげました。東大の柿沼、大槻博士が診断に来ました。医師の診断によって巣鴨入所を延期させよう、というアイデアがあったのです。

両博士は、診察の後、医師の良心にもとづいて延期を求めたい、と述べたが、入所の世話に当たる中村豊一公使は、たとえ医師の診断書があっても、米国側は近衛文麿公爵の出頭を要求している、と告げていました。「もう、やめましょう。もう要りません」と近衛文麿公爵は、静かに、そういったそうです。

その後は、何かに気を取られている風情で、応対の口数も少なくなり、風呂に入って、寝室に午後11時頃引き上げた。入浴中に、次男通隆は公爵の衣類を調べた。近衛文麿公爵は、第一次戦犯の指名を受けて自決した元文相橋田夫人に、橋田邦彦がどこで、どのようにして青酸カリをのみ、どこを歩いてどこで倒れたか、異常なほど熱心に質問していた。

牛場友彦は、その様子を思い出し、自決するとすれば青酸カリと予想して、次男通隆に探させたのだが、それらしいものは見つからなかった。次男通隆は、松本重治と一緒に隣室で寝ていたが、ボソボソという隣室の話し声は、午前2時過ぎまで続いた。

なにか書いて欲しい、と通隆が言うと、近衛文麿公爵は、用箋に鉛筆ですらすらと「僕は支那事変以来、多くの政治上過誤を犯した。之に対し深く責任を感じているが、所謂戦争犯罪人として、米国の法廷において裁判を受けることは、耐え難いことである・・・」

近衛文麿公爵は、いずれ冷静さをとり戻した時代がくれば、「其時初めて、神の法廷に於て正義の判決が下されよう」と書き終えると、一緒に寝たい、という通隆の願いに、首をふった。近衛文麿公爵は、他人がいると寝つかれないので、夫人ともふすまをへだてた別室で寝る慣習を知っているので、通隆は引き上げたのです。

牛場友彦は、そのあと、隣室からカサカサという紙の音を耳にしたような気がしたが、間もなく眠ったそうです。「牛場さん、牛場さん」という夫人の声に眼をさました。「牛場さん、やったらしいわよ」隣室に走りこんでみると、近衛文麿公爵は死んでいた。

部屋の明かりがつけっぱなしなのに、夫人が気づき、発見した、という。12月16日午前6時ごろ東京都南多摩郡多摩村字蓮光寺の別邸で、木戸幸一侯爵が、巣鴨行きにそなえて起きだした頃でした。

 





[ 一覧 ]
すべてを依存する日本国の未来は
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/09(月) 15:06
No. 7865
 
 
我が国のエネルギーの輸入依存度は80%以上です。エネルギーの半分は石油で、その86%は中東に依存し、石油の国家備蓄は85日分しかありません。このようにエネルギーの海外依存度が異例に高いだけでなく、貿易依存・食糧確保・安全保障などすべての面で、我が国は孤立しては生きてゆけないのが現状です。

しかし核冷戦終結で世界は大きく変動しています。世界人口は1950年に25億だったものが、1990年には50億人、2000年に61億人を超え、毎年1億人以上の爆発的増加を続けており、2050年には100億人になると予想されています。

アジアの急速な経済発展は、今後の世界エネルギー事情に大きな影響を与えるものと予想されています。世界人口の3分の1を占める中国とインドを中心としたアジア諸国のエネルギー需要は、20年で倍増すると考えられているのです。

しかも中国は、環境保全上から「脱石炭」を進めております。今後は日本も天然ガスへの依存を強めなければならないのですが、その入手対応は先進国の中で大きく遅れをとっています。こうした状況は、安定したエネルギー源を確保したい日本にとって大変な脅威となりそうです。

一方、こうした情勢変化と並行して地球環境破壊が進み、化石燃料自体の使用期限が重圧となりつつあります。化石燃料の使用により大気中に放出される二酸化炭素などが、太陽光で暖められた地面から熱放射される赤外線を吸収するブランケット効果をもたらして、宇宙空間への熱放射量を減らし、次第に大気温度を上昇させています。

「温室効果」ですが、化石燃料使用に起因する化学的な微粒子汚染も、地球環境に諸変化を引き起こしています。大都会が集中的に放散するヒート・アイランド効果による局所的異常気象の多発、台風・竜巻・局所豪雨・局所豪雪の巨大化傾向なども年々強まり実感しているでしょう。

世界の環境学者を総動員した「気候変動に関する政府間パネル」(IPPC)は、今世紀末には最大で5.8度の平均気温上昇および88センチの海面上昇の可能性があると発表しました。現に刻々と海面は上昇しています。

有効な対策がなければ、海抜1メートルの島国キリバスなどは確実に生存不能となるでしょう。オランダは水没防止に、まず国土面積の3%に空の人造湖や地下空所を造る計画です。オランダなら出来るでしょうが、バングラデシュやエジプトのデルタ地帯などでは、数千万人の住居が奪われると見られています。

日本では50センチの海面上昇により290万人が移住を余儀なくされるという調査報告もあるのです。気温変化の影響はもっと急速かつ致命的で、農業生産を破壊するのではないか、と警告する研究者もいます。

今すでに栄養失調状態の人は10億人以上、また飲料水不足に悩まされている人もさらに10億人以上いると言います。こうした農業の破壊がもたらす惨禍は、計り知れないものとなるでしょう。未来の世界環境がこのように変化する中、世界にすべてを依存している日本国の役割は重要なものとなるでしょう。

 





[ 一覧 ]
イタリア王国が誕生の経緯
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/09(月) 15:05
No. 7864
 
 
ナポレオン3世は、社会主義と帝政が両立すると考えた不思議な人でした。皇帝になると、 パリの町を美しくしようとオスマンという人を抜擢します。オスマンは、ごちゃごちゃしていたパリに広場をつくり、大きな道を通して、美しく整えました。

皆様がパリを旅して「綺麗だな」と思うとしたら、ナポレオン3世とオスマンのおかげです。ナポレオン3世はお祭り好きで、パリで2度も万国博覧会を開催します。そこでボルドーワインを高く売って、お金儲けをしようと考えます。

高く売り付けるために、ボルドーワインを1級、2級と格付けしました。何も知らないお金持ちは、喜んで1級を買うと考えたのです。これが、フランスワインの格付けの始まりです。商売熱心で、産業振興に力を入れたナポレオン3世の時代の1858年、スエズ運河会社が設立されました。

サヴォイア家が治めるサルデーニャ王国の目標は、イタリア統一でした。この王国に、カヴールという賢い宰相が現れます。カヴールはナポレオン3世の趣味を調べ上げ、貴婦人をパリに送り込みます。

「お金をたくさんあげるから、パリの社交界で遊んで、わかったことをときどき連絡してね」という約束です。狙い通り、ナポレオン3世はすぐに彼女をガールフレンドの一員に加えます。ナポレオン3世の情報は筒抜けです。

カヴールは、ナポレオン3世と密約を結びます。「イタリア統一に協力してね。その代わり、ニースとサヴォアをあげるから」という内容です。イタリア統一の最大の課題は、オーストリアからヴェネツィアとロンバルディアを奪うことでした。

カヴールはフランスと組んで、オーストリアをやっつけようと考えたのです。こうして1859年、イタリア統一戦争が始まります。サルディニアは連戦連勝します。これに脅威を感じたナポレオン3世は、オーストリアと単独で講和してしまいます。

はしごを外されたカヴールは激怒しますが、我慢しました。ヴェネツィアはいったんあきらめ、ミラノを中心とするロンバルディアを得て、矛を収めます。しかし、ここで中部イタリアの各都市が、サルデーニャ王国に仲間入りしたいと表明します。

さらにガリバルディという人が勝手にシチリアに上陸し、ついでにナポリも征服して、南イタリアをサルデーニャ国王に献上します。イタリアはナポレオン3世の思惑を離れて統一されていき、 1861年、イタリア王国が誕生します。この年、プロイセンでは、ヴィルヘルム1世が即位します。翌年、ビスマルクが首相になってドイツも統一に向かいます。

 





[ 一覧 ]
明治維新のグランドデザイン
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/09(月) 15:03
No. 7863
 
 
1853年、ペリーが日本にきます。目的は、中国との交易です。ロンドンを中継地にしないで中国に向かう、太平洋航路を開拓するためです。そして翌年、日本は開国します。日米和親条約の締結です。

このとき、徳川幕府の老中首座は、阿部正弘でした。総理大臣のような役目です。阿部正弘は大変賢く、長崎の出島からの情報でアヘン戦争の結末を知っていました。だから、鎖国を続けていると日本はもたないと考えていました。

日本は、 産業革命とネーションステートという2大イノベーションに乗り遅れていました。 これからは国を開いて世界から学び、交易で儲けて、軍隊も強くしないとえらいことになると考えたのです。「開国・富国強兵」というグランドデザインを描いて、国を開きました。

鎖国は、200年以上続いた徳川幕府の基本方針です。やめるのには大変な勇気が必要だったと思います。阿部正弘は、のちの東京大学や、陸軍や海軍の基盤をつくりました。福山藩主として、義務教育の先駆けとなる取り組みもしました。

勝海舟をはじめ若くて有能な人材を官僚として登用し、広くみんなの意見を聞こうとしました。「五箇条の御誓文」の第1条に掲げられた「万機公論に決すべし」は阿部正弘のアイデアです。明治維新の骨格のほぼすべてを構想したのが阿部正弘です。

しかし、日本の国民的作家、司馬遼太郎氏の興味が坂本龍馬に集中したために、阿部正弘はほとんど知られていません。日本にとっては幸運なことに、ペリーが来航した1853年、クリミア戦争が起きました。西欧列強の関心はヨーロッパに向きます。

もしアジアに向いていたら、ペリー来航の直後から連合王国やフランス、ロシアの軍艦がどんどん江戸湾に入ってきたかもしれません。そうしたら幕府も冷静な対応はできなかったかもしれません。列強の目がクリミア戦争に向かっていたから、優秀な阿部正弘がじっくり1年考えてから、国を開くことができたわけです。

1857年には、第1次インド独立戦争が起きています。昔は「セポイの乱」といわれていました。これに対抗して連合王国は、東インド会社に代わって本国政府が直接、インドを統治するようになっていきます。

これによってムガール朝は滅亡し、連合王国領であるインド帝国が成立します。1856年に、アロー戦争 (第2次アヘン戦争) が起きます。 大英帝国とフランスは北京を占領し、 清に北京条約を結ばせます。

このとき、中国人の海外渡航を認めさせました。中国も鎖国していたのです。大英帝国はこのとき、シンガポールを開発しようとしていました。しかし、労働者がいません。そこで中国人を働かせようと考えて、海外渡航を認めさせたのです。

これが今、世界で5000万人とも6000万人ともいわれている華僑の始まりです。開発に必要なお金も、中国から得た賠償金で賄いました。その結果、中国人が、東南アジア経済を取り仕切るようになりました。

日本では徳川幕府が倒れ、1868年、薩摩藩と長州藩が中心の政治が始まります。薩長のもともとの理念は「尊皇攘夷」でした。尊皇とは、要するに「昔の政治に戻る」ということで、攘夷は「外国人を見たら斬りつける」ということです。

薩長では若手が実権を握っていましたから、血気盛んに攘夷を実践し、薩英戦争と下関戦争を引き起こしました。明治維新よりも前のことです。これらの戦争で、列強にぼこぼこにされて、大久保利通や伊藤博文は「攘夷はだめだ」と悟ったわけです。

「やはり阿部正弘は賢い」となって、「開国・富国強兵」に鞍替えしました。けれど、すでに「尊皇攘夷で幕府を倒すのだ」と拳を振り上げてしまっていた手前、とりあえず幕府を倒しました。これが明治維新の実相でしょう。

 






     + Powered By 21style +