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  三大宗教の聖地について  仲條拓躬2024/05/20(月) 17:14 
  子どもを大事にしてほしい  仲條拓躬2024/05/20(月) 17:12 
  イギリスとイスラエルの歴史  仲條拓躬2024/05/16(木) 16:39 
  真実の報道を願う  仲條拓躬2024/05/16(木) 16:30 
  ウナギの蘊蓄  仲條拓躬2024/05/09(木) 07:38 
  高校野球の実態  仲條拓躬2024/05/09(木) 07:31 
  ジャガイモが危険  仲條拓躬2024/05/07(火) 20:50 
  ハマスがイスラエルを攻撃  仲條拓躬2024/05/07(火) 20:43 
  利権者のための差別政策  仲條拓躬2024/05/07(火) 20:42 
  チベットとダマイ・ラマ  仲條拓躬2024/05/07(火) 20:41 






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三大宗教の聖地について
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/20(月) 17:14
No. 7452
 
 
エルサレムは、三大宗教の聖地であるにもかかわらずテロが頻発し、危険な町というイメージとなっています。エルサレムとは、ヘブライ語で「平和の都」の意味があり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地ですが、頻繁にトラブルが起こっているのは周知のとおりです。

過去、この都市は様々な国・人々により、何度も破壊に遭っているのです。後70年、エルサレムの神殿が城壁の一部を残してローマ軍に破壊され、イスラエルの人々は国を失ってしまいます。

132年には、ユダヤ人シメオン=バル・コホバの反乱により、エルサレムをユダヤの首都として取り戻すが、135年、ローマ軍の反撃で、エルサレムは徹底的に破壊されてしまいました。エルサレムの廃墟には盛り土がされ、ローマの殖民都市「アエリア・カピトリーナ」がその上につくられました。

現代でも、この都市をめぐって、ユダヤ教徒とイスラム教徒の抗争は続いています。最初にエルサレムを聖地としたのはユダヤ教でした。前1020年頃にイスラエル王国の2代目の王ダビデは、武術に長け、詩、音楽など芸術面でもすぐれた才能を発揮し人望を集めた人物でした。

ダビデの時代、まだエルサレムはカナン人のエブスという人々の集団が住む要塞都市で、そこはエブスと呼ばれていました。ダビデは王位につくと、エブスを攻略しました。軍事的な才能があったダビデは、攻略の過程で、エブスの地の利のよさを見抜きました。

またカナンの地の中央にあり、各地の勢力地図の上でもバランスのとれた地理的条件のよさも考え、ここを首都とし、ダビデはここに、モーセがシナイ山で神から戴いたという十戒の石版を納めたアークを安置したのです。

のちに、息子のソロモン王が、『聖書』の「創世記」に記された、アブラハムが息子イサクを犠牲にささげようとしたモリヤの丘に、この櫃を収めるための神殿を建造したことで、エルサレムが聖都となりました。それは、前960年頃のことでした。

その後、バビロン捕囚があり、ローマ軍による破壊があり、今ではソロモン王時代の遺跡は石垣を残すだけであり、有名な「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の聖地になっているのです。キリスト教徒にとってエルサレムは、イエスが十字架にかけられ、復活した場所であり、信仰の起源があるので、これもまた重要な聖地です。

イスラム教徒にとってのエルサレムは、アラビア語でアル=クドス。イスラム教の初期、メッカが、礼拝の際に向かう方向とされる以前は、ユダヤ教徒にならってエルサレムの神殿が礼拝の方向とされ、預言者ムハンマドもエルサレムに向かって礼拝していたそうです。

さらにコーランでは、ムハンマドが亡くなる時、神が天使ガブリエルを遣わし、翼のある天馬でムハンマドはエルサレムに旅し、そこで昇天したとされているからとされています。以後、エルサレムは、1099年から約1世紀の間は十字軍によってキリスト教徒に独占されたが、イスラム教の聖地とされました。

十字軍から奪還してからは、イスラム教が支配していたものの、キリスト教徒、ユダヤ教徒にも開かれていたのです。中世に迫害を受けて追われたユダヤ人の中には、エルサレムに移住してきた者も少なくなくエルサレムはアラブの都市でありながら、三大宗教の共通の聖地として発展していったのです。

だが、19世紀、政治的な理由でカトリック教会、ユダヤ教徒がエルサレムでの優位を主張するようになり、イスラム教徒とトラブルを起こすようになりました。20世紀には、ユダヤ人のシオニズム運動である国家再建を求めて帰還するユダヤ人が増え、紛争が起こっています。

そして1947年、パレスチナ分割決議において、エルサレムがイスラエルとヨルダンに分割され、聖域がヨルダン側に入ったために、ユダヤ教が聖地を訪れることができなくなりました。翌年にイスラエルが国家として成立し、中東戦争でアラブに勝利すると、イスラエルがエルサレムを支配します。

その後も、エルサレムをめぐってパレスチナとイスラエルの間で流血事件が続いているため、冒頭に記したように、「平和の都」の名に似合わない、紛争の町のイメージが、現代ではできあがっているのです。

 





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子どもを大事にしてほしい
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/20(月) 17:12
No. 7451
 
 
静岡県牧之原市の認定こども園に通う3歳の女の子が通園バスの中に取り残され死亡するというなんとも痛ましく、そしてとてもショッキングなニュースが、2022年9月にありました。当日は30度を超す暑さで、そんな日に5時間以上も閉め切った車内に放置されたのですからさぞかし苦しかったことでしょう。

満タンにしていた水筒のお水が空になっており、自分で服を脱いで一番後ろに座っていたところからドアが開く扉の前で亡くなっていたという。父母会でこの話を聞いた父母たちが失神して運ばれたといいます。保育園で会長を務めていた私にはショックで言葉になりません。

そして苦しいのはなによりも大切な子供、孫を失ったご遺族も同じです。幼稚園、保育園は子供が初めて親と離れて生活する場です。子供も不安でしょうが親も不安なものです。それまで24時間目の届くところにいたものが、まったく姿が見えなくなるのですから。

「泣いていないだろうか」「みんなと仲良くできているだろうか」「ちゃんとご飯は食べているだろうか」と心配の種は尽きません。それでも「いってらっしゃい」と笑顔で送り出せるのは、そこの先生や職員に全幅の信頼を寄せているからです。

彼らは何をおいても子供たちを守ってくれるという前提の上で成り立っているのです。にもかかわらず、それを裏切り「確認を怠りました。ミスでした」で子供を殺されたのですから、その怒り、悔しさを想うとかける言葉が見つかりません。

事件を受け、識者の発言やネット上では「タブレットを使って乗車、降車のチェックを徹底する」「園児の在籍数と出席数に差異があるときは、その居所が確定するまで調査する」など二重三重のチェック体制が必要との意見がでていますが、わたしには「何をもっともらしいことを言って納得しているんだ」としか思えません。

なぜなら、バスを施錠する前に一番後ろの席から前まで確認するという最も効果的でありながらシンプルなことすらできないのですから、そんなことができるわけがありません。そして各地で子供が緊急時にクラクションで助けを求める訓練をしていると聞いてさらに悲しくなりました。

就学前の子供といえば、なにも考えずにただ思うがままに生きていても親、知り合い、そして社会から100%守られるべき存在です。そんな幼い子供でさえ自衛のための訓練をしなければならなくなったなんて。いったいこの国の大人たちはどうしてしまったのか。

 





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イギリスとイスラエルの歴史
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/16(木) 16:39
No. 7450
 
 
イギリスはじめ西側諸国は、パレスチナ人への人権侵害などが報道されており、世界各地で大規模なイスラエル反対デモが起こり、アラブ諸国はパレスチナ支援を表明しているのに、なぜイギリスはイスラエルをこんなに支援しているのでしょうか。

これにはイスラエルをめぐる歴史の理解が重要です。現在のイスラエルがある土地はかつて「パレスチナ」と呼ばれ、現在トルコの母体となるオスマン帝国が支配している場所でした。当時は現在よりもかなり人口が少なく、住んでいる人の多くはアラブ系で、ごく少数のユダヤ人が居住していました。ほかにもさまざまな民族が住んでいました。

多くの土地はまだ開墾されてはおらず、あまり豊かな地域ではありませんでした。ただパレスチナには、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教それぞれに重要な聖地があり、宗教的に重要な場所です。やがてパレスチナに移民することを希望する人が増えてきました。

パレスチナに移民することを提唱する人々の考え方の背景には「シオニズム運動」というものがあります。これは19世紀に盛んとなった民族国家建設のための運動で、世界各地に離散していたユダヤ民族が母国への帰還をめざして起こしたものです。

このあたりのことはドイツやほかの国で書籍が出版され、ロシアとヨーロッパに広がっていきました。ヨーロッパをはじめロシアには数多くのユダヤ人が住んでいました。ユダヤ人は西暦70年のローマ帝国軍との戦争でエルサレムを占領され、世界各地に散らばっていきます。

それ以前にもすでに離散状態であり、特に影響が大きかったのがこの西暦70年の追放だったのです。多くの国でユダヤ人は差別され、たいへん厳しい状況に置かれていました。わりと多くのユダヤ人は近隣国やヨーロッパに散っていきました。

だが、ヨーロッパでは13世紀には多くの西側ヨーロッパ諸国から追放され、18世紀に商業活動が比較的自由になるまでユダヤ人は迫害され続けます。追放された人々の多くは東ヨーロッパやロシアに住み着きましたが、なかにはパレスチナに移民した少数の人々もいました。

ロシアに住むようになったユダヤ人の多くは、ロシアの西側へ住まなければなりませんでした。これは今のベラルーシやウクライナにあたります。これらの地域での生活は楽ではなかったのです。

とにかくロシアでのユダヤ人に対する差別や偏見は激しく、1881年にロシアでユダヤ人の大規模な殺害が起きるようになると、多くのユダヤ人がロシアからパレスチナへ移民するようになります。

各種の学会や政治の世界での重要人物がユダヤ人だったのにもかかわらず、ロシアでの迫害は止まりませんでした。イギリスにもロシアから逃げてきた15万人が移民し、多くがロンドンの東側に住み着きます。そして新大陸をめざした人々もおり、200万人がアメリカに逃げたのです。

 





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真実の報道を願う
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/16(木) 16:30
No. 7449
 
 
1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾は一瞬で多くの人々の命を奪いましたが、悲劇はそれだけでは終わりませんでした。九死に一生を得たと思った人もその後、長きにわたって原爆症に悩まされることとなったのです。

国は被爆者援護法に基づき、原爆が投下された際に爆心地にいたり、私の父のように後になって爆心地に入り放射線を直接浴びた人などに対し、がん検診などの健康診断を無料で実施するほか各種手当の交付などの援護をしています。父は施しを受けませんでした。

その人数は戦後、今もまだ1万人以上を数えるなど、いかに原爆の威力が大きく恐ろしいものだったのかがわかります。そんな中、被爆者の子供、いわゆる広島原爆被爆2世の2人が「被爆2世が親の遺伝的影響を受けることは否定できない」のに被爆2世を被爆者と区別して援護対象としていないのです。

これは、平等権を保障する憲法14条に違反するとし、国に原告1人あたり10万円の支払いを求めて起こした裁判に対し、広島地裁が国の賠償責任を認めず原告側の請求を棄却したというニュースが、2023年2月にありました。

放射線被曝が悪性腫瘍や白血病の発病に大きく関与することは知られています。被爆2世の中には、その病気により親(被爆者)を見送った人も多いことでしょう。そんな2世が「親の血を引いている自分もいつか発症するのでは」と不安になる気持ちは生死を彷徨った私にはわかります。身体の中に時限爆弾を抱えているのと同じなのです。

しかし、今回の判決は国側の「親の被爆による次世代への遺伝的影響は確認されていない」という主張を支持しました。では、2世の中にがんや白血病になった人はいないのでしょうか。もちろんそんなことはなく、単に「影響は確認されていない」、すなわち「因果関係が明確でない」と言っているだけです。

それで死ぬまで不安が続く被爆2世が、長崎投下分を含めてまだ全国に30万から50万人もいるのですから改めて原爆がいかに非道な兵器だったのかがわかります。「因果関係が明確でない」全国で超過死亡数が大幅に増加している最近、よく聞く言葉です。

専門家の中にもその原因がコロナワクチンにあると指摘する声がありますが、国は頑として「因果関係が明確でない」と突っぱねます。しかし、ワクチン接種後、突然亡くなったり原因不明の不調に悩まされたりする人がいるのは事実です。

さらに厄介なのはそれがいつまで続くのかわからないことです。アメリカに落とされた原爆で被爆2世として生きることを強いられた人と、自ら進んで接種して異変に見舞われた人とを同列にはできませんが、彼らもまた不安を抱えて生きていかなければなりません。

現在、原爆同様に「国が保障しろ」との訴訟が各地で起こっています。もっともそれでもそれは「因果関係が明確できない」で片付けられるのでしょうが。いまはこのワクチン接種問題がマスコミに取り上げられ真実の報道が配信されることを願うばかりです。

 





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ウナギの蘊蓄
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/09(木) 07:38
No. 7448
 
 
なぜ、うなぎは蒲焼き・白焼き・柳川でしか食べ方がないのか?殆どの魚が刺身で食べられるのに、どうしてウナギの刺身はないのか。ウナギの料理と言えば蒲焼き、白焼き、柳川くらいのものです。これはどこの地方に行っても多少食べ方が違っても同じです。

(・・?ウナギは刺身には向かないのだろうか。それは、ウナギの血液の中にイクチオヘモトキシンという毒が含まれているからです。この毒は目に入ると結膜炎を起こし、傷口に入れば炎症を起こし、口から入れば吐き気などの中毒症状に陥り、呼吸困難を引き起こす事もあるのです。だが、この毒は熱にとても弱いので、焼いて食べるようになったのです。

「土用の丑の日にウナギを食べよう」とよく言います。これは、暑い夏を乗り切るための栄養補給のためと言われています。ウナギに含まれているビタミンB1が、疲労回復に効果があり、夏ばて防止に役立ちます。しかし、ウナギ本来の味覚を味わい、しかも栄養補給として考えるなら、夏のウナギは、痩せていて、栄養価の点では乏しいのです。

その点、冬のウナギは、冬を越すために貯め込んだ栄養を豊富に含んでいて、味も非常によいのです。さらに、冬場の鰻はビタミンAを多く含んでいるので、栄養補給にとても役立ちます。だから、ウナギを食べるなら、夏場よりも冬場ということになります。

「土用の丑の日」の土用とは、立秋の前18日間のことをいい、実際にはそれぞれの季節に土用はあるのですが、殆どの場合夏のことをさしています。丑の日とは日々を十二支に分けて読んでいるもので、土用の間には1回もしくは2回の丑の日が来ることになります。

最近の鰻の90%近くは中国産で傷が付かないように抗生物質をたらふく食べさせた鰻です(爆)過去に発がん性物質を混入していて新聞テレビ等で報道されました。日本では鰻のDNA検査を行うそうですが、それは、ジャポニカ種かアンギラ種を見分けるというもので国産か、輸入かを調べるものではないのです。

ちなみに、国産牛と和牛が違うように、静岡産と表示されていないと怪しい。まぁ〜静岡産と表示されているものが実際に収穫した鰻の4倍だと言うのだから表示もあてになりません。こうなったら、最後の清流、四万十川の鰻でも取りに行くしかなさそうです。

天然ものの鰻のお腹は黄色いです。粉を食わせてぶくぶく太らせた大味の鰻より、時間をかけて稚魚を食べさせた鰻の方が美味しいです。輸入物は国産に比較し脂肪含有量が高く主に精製油用にされています。うなぎも養殖、輸入物が増加傾向にあるといいます。

 





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高校野球の実態
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/09(木) 07:31
No. 7447
 
 
2023年秋季県大会で優勝、関東大会でベスト8の成績を残した娘と義理の弟の母校・中央学院高校は、6年ぶり2回目となる春の甲子園(第96回選抜高等学校野球大会)に出場しました。 中央学院高校は春夏通じて3回目の甲子園出場です。

選手たちの奮闘で、ベスト4進出と多くの我孫子市民に感動と元気を与えてくれました。中央学院の持ち前の粘り強さで、夏の甲子園で校歌が聴けることを期待します。ちなみに高校野球甲子園出場校の野球部員は喧嘩をしただけで出場を取り消されています。

強敵なライバル校を高野連に密告します。大会がはじまる前は密告合戦が必ずあります。優勝候補の高校も喧嘩を理由に出場を取り消されてしまいます。だが、大会がはじまるとピタリと止まります。現在はインターネットにスマホの時代です。

高校生だけが無垢でいられるわけがありません。選手は一流ホテルに泊まっています。夜はひそかにファンの女子高生が尋ねて来ます。この時、高野連の耳に如何わしい事実が入ってもそのことは取り上げません、取り上げたら試合を中断して組合せを改めなければなりません。従って不問に付します、三者はグルでしょう。

ちなみに全国高校野球選手権大会・夏の甲子園は、全国4000校以上の頂点を目指します。甲子園の醍醐味は、各都道府県を代表して出場の地元高校を応援するところではないだろうか?だが、神奈川・大阪・愛知・千葉の方々は、厳しいと思います。

甲子園に出場できる参加校中、最も激戦区を戦ってきたのは神奈川代表で、神奈川県200校以上の代表です。少ないのは県大会が30校前後です。四国4県の高校の数を全て足しても神奈川県の高校の数にならないのだから、四国代表で1校でもおかしくないのです。

各都道府県から1校というのではなく、選挙じゃないが、北海道と東京で例外を認めているのだから、神奈川、大阪、愛知、千葉くらいは2校ずつにしてあげても良いのではと思うのです。東東京と西東京の高校合わせて250校強、神奈川と変わらないのです。

さらに、過去の優勝校の高知代表明徳義塾高校は、ベンチ入りした16名の中にはひとりも高知出身者はいないのだから、地元の高知が優勝したのではないのだろう。相変わらず、とにかく勝てば良いという姿勢は変わってないわけです。

 





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ジャガイモが危険
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/07(火) 20:50
No. 7446
 
 
じゃがいものビタミンCは加熱しても破壊されません。カリウムを多く含んでいるので、体内の塩分バランスを調整する働きがあるので、腎臓機能障害や、高血圧の方に効果があります。だが、発芽すると、芽の部分にソラニンという毒素が含まれていて、下痢・胃腸障害・眩暈などの中毒症状を起こすことがあるので注意してください。

よく日本人はポテトフライやポテトチップスを食べます。最近の研究で、ポテトフライやポテトチップスから多くの発がん物質が検出されました。高温で揚げた、じゃがいもには、アクリル酸が発生し、特に茶色に焦げたものが危険だという事です。

日本の主食は米だがドイツは、じゃがいもが主食なのでたまったものではありません。大きなスーパーでは10種類以上のじゃがいもが売られているそうです。じゃがいもの食べ方は、ポテトフライ、マッシュポテト、ゆでポテト、ジャーマンポテトなどが主流で、脂っこい炒め料理は人気があります。

また、食品に放射線を照射したかどうかを調べるには検査方法がないと言います。日本では1974年から北海道の士幌町農協でジャガイモの芽の発育を止めるために、放射線を照射して市場に出荷しています。

放射線照射食品は、遺伝子に影響を与えるのですから、人の体にも長期的に見て何らかの影響が出るのではないでしょうか。日本では、士幌町農協以外では、じゃがいもの発芽防止に放射線照射を行っているところはありません。表示については、義務表示なのですが、「ガンマ線照射済」のスタンプが押印されているようです。

だが、小分けされたら照射食品であるかどうか解りません。しかもコロッケ・サラダ・ポテトチップなどに入っていたら調べるのは無理でしょう。食べ続けていたら被爆の問題も考えられるのです。これはじゃがいもじゃが〜。じゃがいもが落ちたポテっト 。(笑)

 





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ハマスがイスラエルを攻撃
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/07(火) 20:43
No. 7445
 
 
2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配する武装勢力組織「ハマス」は空や海からの攻撃に加え、同地区の国境フェンスを突破し、イスラエルの住居や街路を破壊しました。さらには現地で開催されていた音楽祭で数百人を虐殺するという暴挙に出たのです。その結果、イスラエルとガザ地区双方で少なくとも2300人が殺害されました。

特にこの音楽祭 「NOVAフェスティバル」はガザ地区の近くで開催された平和と愛のためのイベントです。海外から数多くの音楽ファンや観光客、DJの人々が集っていたことから世界中が大変な衝撃を受けました。

この音楽祭に出席していた人の中には、幸いにも被害に遭うことがなく帰国された日本人もいたようです。実際の現地の様子は日本のメディアでは詳細は伝えられておりませんでした。音楽祭に出席した人々は突然ハマスのテロリストから無差別に射撃され、助かった方々は車で逃げたり自力で走ったりして民家のほうに隠れた人々でした。

この攻撃は正真正銘の無差別であり、命を落とした人のなかには子どもや障害者の方までいたのです。ハマスのテロリストは観客が隠れていると思われる移動式トイレのドアを銃撃し、さらにはガソリンスタンドや近くの住宅地も襲いました。

もっとも悲惨な被害者の家族はイスラエル人の父親と10代の脳性麻痺および筋ジストロフィー患者の娘さんでした。この父親は、体が不自由な娘さんに音楽の楽しさを知ってもらいたいと思い、娘さんをこの音楽祭に連れてきたのです。

娘さんを本当に大事にしていた方のようで、SNSにはさまざまな外出時の写真が掲載されています。ところがこの親子もハマスの犠牲になってしまいます。娘さんの車椅子とふたりの遺体が発見されたのは数日後のことでした。

このような音楽祭にヨーロッパを中心として世界各地からさまざまな人々が参加していたことに驚かれた方が多いかもしれません。日本の方々の「常に紛争が起きている」という一般的なイメージとは異なり、ここ最近のイスラエルは旅行先としてとても人気があるところなのです。

寒いヨーロッパとは相違し、気候が温暖で世界遺産も多く、位置的に近隣の国々へ観光に出かけるのにもとても便利です。ユダヤ教の人だけではなく、イスラム教徒やキリスト教徒にとっても宗教的に重要な場所があるので巡礼目的でやってくる人もいます。

最近はさまざまなイベントが開催されることもあり、どちらかというと宗教的な目的というよりも、単なる休暇で訪れる人も少なくありませんでした。実際、イギリスからは激安航空会社でヤンキーとパリピ御用達のライアンエア、イージージェット、さらにはウィズエアも飛んでおり、英国からはなんと片道1万円程度でイスラエルへ旅行できるのです。

ところが2023年10月に襲撃事件が起きると、その数日後にはこれらの路線は一時的に運行停止となってしまいました。それまでは実に庶民向けのお気軽な観光地だったのです。今はイスラエルの反撃で一般市民が死に直面しているのですから早期終結を望んでいることは多くの世界の願いでしょう。

 





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利権者のための差別政策
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/07(火) 20:42
No. 7444
 
 
2023年1月10日から「旅行割」が再開されたというニュースがありました。「旅行割」とは「全国旅行支援」のことで、政府の財政支援を受けて各都道府県が実施する観光需要喚起策です。簡単に言えば「国が旅行費用の何割かを負担してあげますから、みなさんどんどん旅行に行ってください」というものです。

2020年から始まったコロナ騒動で湯水のごとく税金をばら撒き、挙句の果てに国の存続に関わる防衛に使う予算が足りないから増税だという、一部の人のお楽しみに税金を使おうとするのですから呆れます。

確かにこの3年間のコロナ禍で観光業界が大打撃を受けたのは間違いありません。百歩譲ってそこを救済するためだとしても、打撃を受けたのは観光業界だけではありません。あらゆる業界が疲弊し、日本経済は一気に冷え込んでいます。

旅行に行ける人は時間とお金に余裕がある人です。多くの国民が収入を減らす中、「さあ、『旅行割』で旅行に行こう」となるのは年金暮らしの高齢者か大金持ちくらいでしょう。困っている人を助けないで、コロナの影響が最も小さかった人を支援だなんて明らかに予算の使いどころが間違っています。

さらに宿泊施設の中には「旅行割」を見込んで、その分の料金を上乗せしているところも多く、国民が支払う金額は「旅行割」があろうとなかろうと変わりません。支援なんて言ったところでそれは利用者のものではなく業者サイドのものにほかなりません。

否、二百歩譲ってそれでも「旅行割」が国民のコロナによる閉塞感を打破するきっかけになるというのなら、その前にコロナを一般的な感染症扱いの5類に落とすべきだったでしょう。片方で重篤な感染症である2類相当にとどめておき、さらに感染が拡大していると脅しながら「さあ、旅行に行こう」なんて支離滅裂です。

そして最もわけがわからないのが対象者を「ワクチン3回接種済」としているところです。多分、感染者が旅行という移動でウイルスを撒き散らすことを懸念してのことでしょうが、当初の「2回接種でコロナ克服」なんて嘘っぱちでいまやワクチンによるコロナ予防効果がないのは周知の事実です。

三百歩譲って「それでもワクチンを打った方が未接種より感染しない、重症化しない」だとしても、3回じゃダメだから4回、5回打てと躍起になっている中での3回接種でOKでは辻褄が合いません。

こんな矛盾だらけで一部の利権者のための差別政策はやるべきではないと思います。いずれにせよ、ワクチンを1回も接種していないわたしには「旅行割」はまったく無縁のもので、 ここまで千歩も譲ったところで何の恩恵もなく、普段より3割ほど料金を上乗せされたのではたまったものではありません。

 





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チベットとダマイ・ラマ
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/05/07(火) 20:41
No. 7443
 
 
第二次世界大戦が終わり、世界各地の植民地は次々と独立をしました。ところが1949年の中華人民共和国の成立で、時代の流れとは逆に植民地化されてしまったのが、現代チベットの悲劇の始まりです。

中国人民解放軍のチベット侵攻は、中国にいわせれば、世界中で最後に残った政教一致の封建国家からの解放だと数十万人に及ぶチベット人の虐殺や徹底的な宗教弾圧が行われました。チベット人は、チベット自治区のほか4つの小さな自治区に住んでいますが、約束されていた通りの自治ではないのです。

チベットには、政治・民族・宗教問題があります。ここ数十年は、とくに人権問題としても、世界的に注目されています。注目のきっかけは、1989年にダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞したことにあります。

1959年以来、インドに亡命中のダライ・ラマは、欧米諸国に向けてチベットの窮状を訴え続けることで、国際社会を味方につけたのです。受賞後、知名度があがったダライ・ラマですが、ダマイ・ラマとは名前ではなくチベット仏教ゲルク派の法王の称号です。

ダライ・ラマという語は「活仏」といい菩薩の化身として説明されることが多いのですが、ダライ・ラマ14世は「私自身は1個の人間に過ぎず、たまたま仏教徒たらんとする一チベット人」だと自伝に記しており、自ら精神的指導者を任じてはいるものの、菩薩の生まれ変わりだとはいっていません。

長年の制度としては、ダライ・ラマの死後は転生者を探し出して跡継ぎすることになっているようです。チベットに仏教が根付いたのは7世紀から11世紀にかけてのことです。古くから伝わる民間信仰ボン教と共存しながら、チベット仏教はチベット人の精神社会をひとつにまとめあげてきたそうです。

とくに16世紀後半は中国清朝の後ろ盾もあって、満州、モンゴル、シベリアなど、広大な地域にチベット仏教が広がって行きました。チベットが継承し発展させてきたのは中国仏教ではなくインド伝来の仏教でしたが、チベット仏教圏が拡大した頃、本家インドでは仏教を信じるものいなくなり、チベット人は、チベットこそインド仏教の正統の後継者で、その首都ラサはまさしく仏教の中心地であると自負するようになったのです。

チベット人の民族意識がチベット仏教にあるのだから、中国共産党の宗教弾圧がどれほどの抵抗を引き起こしたかは想像できるでしょう。ダライ・ラマの亡命のきっかけとなったラサ民衆蜂起をはじめ、チベット人は度々戦いを挑み、大量の犠牲者を出しています。

ダライ・ラマがインドで樹立したチベット亡命政府は、戦いによる犠牲者や獄死者、処刑者、それに餓死者まで含めて、チベットの全人口の600万のうちの5分の1が死んだと報告されています。中国側がこの数字とかけ離れた嘘の数字を発表しているのはいうまでもないでしょう。

中国共産党はチベットを「神聖にして不可分な領土の一部」だという。これは台湾に対する認識とよく似ているが、中国共産党のチベット政策は、台湾に対してよりはるかに遠慮がありません。チベット側によれば、チベットの言語、宗教、伝統、習俗などがことごとく否定、弾圧の対象とされるばかりか、中絶や避妊手術まで強制されているというのです。

 






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