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  頭からの出血について  仲條拓躬2025/05/26(月) 18:13 
  目と耳と鼻のお話  仲條拓躬2025/05/26(月) 18:10 
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  筋肉には午前、骨には夕方  仲條拓躬2025/05/14(水) 15:18 






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頭からの出血について
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/26(月) 18:13
No. 7848
 
 
サスペンスやミステリーもののドラマの「殺人シーン」といえば、「頭を殴る」か「お腹を刺す」のが定番になっている。頭を殴るケースでよくあるのは、犯人がガラスの灰皿や花瓶などで相手の頭を殴りつけて卒倒させ、床に血だまりが広がる、という描写です。

頭から大量に流血する絵は、殺人シーンに限らず、階段や高所から転落して頭を打撲するケースでも頻用されています。もちろん、多くの人がこれを致命的な傷だと認識しているでしょう。だが、実は頭からの流血は必ずしも致命的とは限らないのです。

なぜなら、頭皮は特に血が出やすい部位だからです。頭皮には細い血管が多い上に、頭皮のすぐ下に頭蓋骨があるため、打撲だけでも皮膚がダメージを受けやすいので、頭の皮膚がパックリ割れてしまうことも多く、出血量が多くなりやすいのです。

頭をぶつけて流血し、病院に慌てていく人が多いのは、出血の量が多く、顔や服が大量の血で汚れると、動揺してしまうからでしょう。その上、頭の大部分は鏡で見られない。そこから血がしたたっていれば、恐怖心も一段と増してしまうのです。

幼い頃に頭をぶつけ、大きなタンコブをつくった経験した方はいますか。私自身、子どもの頃から疑問に思っていたのは、なぜ頭以外にはタンコブができないのかということです。そもそも、「タンコブ」という呼称は頭にしか使わないです。妙な話です。

だが、医者に聞けば、この謎はあっさり解けました。「タンコブ」は、正確には「皮下血腫」といいます。つまり、打撲後に皮膚の中の細い血管が破れ、血液が溜まった状態です。頭にタンコブができやすいのは、頭皮は血が出やすい上に、すぐ下に頭蓋骨があるために溜まった血液が内側に広がれず、外側に広がって皮膚がふくらんでしまうからです。

いずれにしても、表面の傷だけなら多くの場合は命にかかわらないでしょう。出血していればタオルなどで圧迫して止血し、その後に落ち着いて病院に行き、糸と針で縫ってもらえばよいのです。だが、本当に怖いのは、頭蓋骨の中の出血です。

表面の傷なら縫えば大丈夫です。心配するのは、頭の中に出血が起こっていないか、です。今検査をして頭の中に出血がなくても、のちにじわじわと出血が起こることがあります。頭を強く打撲して頭蓋骨の中に出血が起こり、致命的になるケースは少なからずある。

しばらくしてから意識がなくなったり、言動がおかしくなったり、手足が麻痺したりといった症状が現れ、頭蓋内出血が判明することもあるのです。「頭部外傷注意書」として、これらの注意事項をリストアップした用紙を患者に手渡す病院も多いです。

最初の受診時に「大丈夫です」とは言い切れないからです。また、打撲後一週間から一ヶ月以上経ってから頭の中の出血がわかるケースもあります。これは「慢性硬膜下血腫」と呼ばれ、特に高齢者に多いです。何となく物忘れが目立つ、ふらつく、といった症状が現れ、家族が認知症だと誤解して受診が遅れることもあるといいます。

このケースでは、頭の表面からの出血がないどころか、頭を打ったことすら覚えていないこともあります。気づかないうちに打撲していて、知らないうちに見えないところで出血を起こしている、というわけです。頭からの流血が必ずしも重症ではない一方で、目立つ出血がなかったら軽症とも限らないのです。

余談ですが、おでこを打撲してタンコブ(皮下血腫)ができ、翌日目の周りがパンダのように紫になって慌てて受診する人も多いといいます。目も打撲していたのではないかと思うからです。これは、皮膚の下に溜まった血液が移動して起こる現象で、珍しいものではないのです。おでこにあった血液が、重力に従って降りてきたのです。

多くの場合、自然に色が薄くなり、そのうち吸収されてしまいます。ただし、皮膚が薄い高齢者の場合は、ただの「タンコブ」でも要注意です。表面の皮膚の血流が悪くなり、壊死してしまうことがあるためです。

このように、打撲によって体にはさまざまな変化が起こりうるが、その成り立ちは理論的に説明できるのです。人体のしくみを知っていると、予測もつかない現象に仰天することは少ないのです。

 





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目と耳と鼻のお話
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/26(月) 18:10
No. 7847
 
 
私は突然の眩暈により救急車で運ばれたことがありました。海外旅行の前だったのでキャンセルすることになってしまいました。同志の眼科医から聞くところによると、「めまいがする」といって眼科を受診する人はとても多いのだといいます。

「めまい」は漢字で「目眩」と書くくらいであるし、視野がぐるぐる回ると「目の病気だ」と考えるのはむしろ自然かもしれません。だが実は、めまいの原因は目以外にあることが多いといいます。病院でよく経験するのは、「耳の病気」で起こるめまいです。

耳は音を聞くための器官、すなわち聴覚を司っていることは誰でも知っていることでしょう。しかし、耳が平衡感覚を司る器官でもあることは、意外に知られていません。耳の奥の「内耳」と呼ばれる領域で、前庭や半規管が平衡感覚を司っているのです。

一方、内耳には「蝸牛」と呼ばれる器官もあり、こちらは聴覚を担っています。「蝸牛」とは、「カタツムリ」のことです。形がカタツムリに似ていることからそう名づけられているようです。耳の入り口から入った音は鼓膜や耳小骨(中耳にある小さな三つの骨)を振動させ、これが蝸牛を経由し、電気信号となって神経を通って脳に送られます。

さて、前庭や半規管が何らかの理由で不具合を起こすと、平衡感覚が損なわれます。この状態を、私たちは「めまい」と認識するのです。メニエール病や前庭神経炎、良性発作性頭位めまい症といった病気は、「めまい」を引き起こす代表的な「耳の病気」です。

ちなみに、「突発性難聴」という耳の病気があります。その名の通り、突然耳が聞こえにくくなる原因不明の病気です。実は、その4割の患者が同時にめまいを発症するといいます。 「難聴」と「めまい」は、一見するとかけ離れた症状に思えるかもしれませんが、聴覚と平衡感覚を同じ場所にある器官が担うと知っていれば、それほど違和感はないはずです。

内耳に起こったトラブルが、聴覚と平衡感覚の両方に異常を引き起こすのです。ただし、めまいの原因は耳以外にも多くあります。脳梗塞や脳出血など、脳のトラブルが原因でめまいが起こることもあります。また、貧血や不整脈などが原因で、「ふらつく」「立ちくらみがする」といった症状が起こっている時に、これを「めまい」と表現する人もいます。

異なる病気によって起こる、異なる現象を、同じ言葉で表現できてしまうのです。あらゆる自覚症状は、本人しか体験できません。医師がどれほど技術を磨いても、自覚症状だけは追体験できないのです。この極めて個人的な体験を何とか言語化し、体内で起こる異常に迫ろうとするのが医学の営みなのです。

映画館で感動的な映画を見ていると、あちこちからズルズルと鼻をすする音が聞こえることがあります。涙を流すと、同時に鼻水も出てくる、というのは経験上あるのではないでしょうか。なぜ鼻の調子が悪いわけでもないのに、涙と一緒に鼻水があふれるのだろうか?

実は、目と鼻は繋がっていて、涙は鼻に流れ込むからです。鼻の粘膜から分泌された液体ではないという意味では、鼻炎などで出る鼻水とは性質が異なります。その証拠に、泣いたときに出る鼻水はさらさらしていて、あまり粘り気がないはずです。

目と鼻をつなぐ管は「鼻涙管」と呼ばれています。まぶたの上の涙腺でつくられた涙は、目の表面を濡らし、目頭のところにある出口から目の外に出ていきます。その後、涙のうという袋と鼻涙管を通って鼻腔に流れ込みます。

涙が出るのは、嬉しいときや悲しいとき、目にゴミが入ったときだけではないのです。普段から常に少しずつ分泌されていて、目の表面を濡らしているのです。私たちがこれに気づかないのは、涙が常に鼻に排出されているからです。

一方、泣いたときに涙が目からこぼれるのは、一定時間に排出できる量より、分泌される量のほうが上回るからです。逆に、怪我など何らかの理由で鼻涙管が詰まってしまうと、悲しくないのに涙が流れるという現象が起きます。「鼻涙管閉塞」と呼ばれる状態です。普段から絶えず涙がつくられている証拠なのです。

 





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歩く力は自然に失われていく
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/19(月) 17:21
No. 7846
 
 
あなたは椅子に座って正面を向き、頭の位置を前後に動かさずに立ち上がろうとしてみてほしい。きっと、全く立ち上がれないことでしょう。どれだけ足に力を入れようと、腰は少しも浮き上がらないはずです。

では次に、何も考えずに立ち上がってみてほしい。おそらく、最初に頭を思い切り前に突き出して、その後ようやく腰を浮かせるはずです。椅子から立ち上がるためには、まず「前屈する」という動作が必要なのです。

その理由は単純で、重い臀部を持ち上げるためには、頭の重さでバランスを取る必要があるからです。頭を前に突き出し、重心を前方に移動させることで、重い臀部を持ち上げるのです。まさに、「重い腰を上げる」ためには頭を使う必要があるのです。

では、もう一つ実験をしてみましょう。今度は立った状態で足を肩幅に広げ、頭を左右に動かさずに右足を上げてみてほしい。おそらく、どれだけ足に力を入れても右足は地面から浮き上がらないはずです。では、どうすれば右足を上げることができるだろうか?

やってみればすぐにわかります。右足を上げる前に、上半身を左側に傾ける必要があるのです。先ほどと同様に、重い足を上げるには、まず重心を反対側に移動することから始めなければならないのです。

私たちの体を構成する「部品」は、それぞれがかなりの重量を持っています。体重が50キログラムの人であれば、頭は5キログラムほどもあります。足は一本あたり約10キログラム、腕も一本5キログラムほどあり、意外なほどにずっしり重いのです。

私たちは日頃、自分の「部品」の重さを自覚することがほとんどないでしょう。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にもそのことに気づかないのです。頭や手足は、肩や背中、臀部の大きな筋肉で支えているため、重さを感じにくい。

これは、子どもを抱っこするより肩車をするほうが楽に感じたり、重い靴を手で持つよりリュックサックを肩に背負うほうが軽く感じたりするのと同じ理屈です。また、生まれてから今に至るまで、必要な筋肉が必要なだけ鍛えられています。体は、自らの「部品」を持ち運ぶのにもっとも好都合に発達するからです。

一方、私が初めて介護の研修を受けたときに驚いたのは、まさに「人体がいかに重いか」という事実です。介護現場では、歩けない人をベッドから車椅子に移動するのを介助したり、意識のない人をベッドからベッドに移動したりすることは、日常的な仕事だからです。

このように体を移動させる作業は、それなりの重労働です。決して一人ではできず、四、五人のスタッフが一緒に力を合わせて行う。自分の体は一人で運べるのに、他人の体は一人では到底運べないのです。

特に意識がない方を移動させるときは、手と足に注意が必要です。手足はずっしり重いにもかかわらず、胴体とは小さな面積でしか繋がっていない。四本それぞれを誰かがしっかり支えていないと、重みのままに勢いよく垂れ下がり、あっという間に関節を損傷してしまうからです。お互いが声を掛け合い、息を合わせて慎重に動かすのです。

体の重さが問題になるのは、介護のときだけではない。入院が長引き、ベッド上の生活が長くなった人が、久しぶりに起き上がろうとすると全く立てなくなっている、ということは自ら経験しました。特に、もともと筋肉が弱った高齢者に起こりやすい現象でしょう。

胸やお腹の病気で手術を受けたり、心筋梗塞や肺炎にかかったりなど、足腰とは全く関連のない病気にかかったとしても、歩く力は自然に失われていくのです。体を毎日「持ち運ぶ」作業を怠れば、見る見るうちに筋肉は弱ってしまうからです。

程度の差こそあれ、無重力の空間から地球に帰還した宇宙飛行士が、支えなしには歩けなくなっているのと状況は似ています。宇宙飛行士の油井亀美也氏が、帰還直後の生活について、「私はスーツを脱ごうとして、頭を前に傾けた時に、首と背筋で頭の重さを支えるのを忘れ、前のめりに頭を地面に叩きつけそうになりました」と語っていたのが印象的です。

したがって、宇宙空間で宇宙飛行士が筋力トレーニングを怠らないのと同じように、入院中はリハビリが重要になるのです。可能な限り意識的に歩いたり、手足を動かしたりする必要があるのです。病院では、多くの人が毎日病棟の廊下をゆっくり歩いています。生活力を維持するために、必須の運動なのです。

 





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眼球の偉大さについて
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/19(月) 17:20
No. 7845
 
 
明るいところから急に暗いところに入ると、最初は何も見えないのに、徐々にものが見えるようになってきます。このことは、誰もが経験的に知っていることでしょう。この現象を「暗順応」と呼びます。主に働く細胞が、錐体細胞から桿体細胞にゆっくりと切り替わるのです。逆の経験もあるでしょう。

暗いところから急に明るいところに出ると、最初はまぶしくてものが見えにくいのですが、徐々に普段の見やすさを取り戻してきます。これは、「明順応」と呼ばれる現象です。暗順応と逆の作用が起こっているのです。

明順応と暗順応は、完了するまでにかかる時間が大きく異なります。明順応は約五分とすみやかに起こりますが、暗順応は三十分ほどかかるのです。実は、この興味深い現象の本を読んで学んで以来、私はこれを日常生活に生かしています。

夜中に尿意を催し、暗い寝室からトイレに向かう、といった経験は誰しもあることでしょう。このときに、廊下の電気をつけて両目を光にさらすと、あっという間に明順応が完了してしまいます。再び暗い寝室に戻ると、部屋の中が見えにくくなってしまうのです。

そこで、片目をつむった状態で電気をつけ、一方の目は暗順応を維持したまま、もう一方の目を明順応させます。すると、暗い部屋に戻って両目を開けたとき、片方の暗順応が生きているため部屋の中をスムーズに移動できるのです。

もちろん、片目をつむって歩くと距離感がわかりづらいので注意は必要ですが、意外に便利な方法です。足元がよく見えなかったために、机や家具に小指をぶつけて痛い思いをすることもないのです。

むろん、もう一度寝室の電気をつければいいではないか、といわれれば反論のしようもないのですが、臓器の持つ特性を知り、それを大いに利用し、その成果を自ら体感することは、この上なく心地よいものです。

ちなみに、アニメや映画で出てくる海賊は、決まって片目に眼帯をしています。その理由については諸説あるようですが、一説によると暗順応を維持するのが目的なのだそうです。明るい甲板から暗い船倉に入った際、眼帯をずらすだけで中の様子がわかるというのです。

明るい場所で作業している最中に突然船倉で戦闘が始まっても、暗順応が生きている片眼を使えば困ることはないでしょう。確かにこれが真実なら、目の特性を生かした便利なテクニックだといえることでしょう。

ここでまた1つの実験をしてみます。本を両手で左右に細かく揺らした状態で文字を読もうとしてみてほしい。文字が左右にぶれて、とても読み進めることはできないでしょう。では逆に、頭のほうを左右に細かく揺らすとどうだろうか?

先ほどと同じ幅で、かつ同じ速度で左右に振りながら、文字を読もうとしてみてほしい。本を揺らすのと比べると、はるかに読みやすいのではないだろうか? 頭を左右に振っても、意外に視野はぶれないのです。

これには、私たち動物が持つ「前庭動眼反射」という機能がかかわっています。耳の奥にある前庭や半規管という器官が頭の動きを感知し、瞬時に逆方向に(打ち消す方向に)眼球を回転させ、視線のブレを防いでいるのです。

試しに鏡で自分の顔を見つめながら、頭を左右に振ってみよう。目を動かそうと思わなくても、顔の向きとは反対方向に眼球は自然に動くはずです。道を歩いているときも、あるいは走っている最中ですら、私たちの視野は安定しているのです。

頭がどれだけ揺れていても、周囲の景色をくっきり認識できます。走りながら道路標識の文字を読むことすらできるはずです。顔の動きに合わせて、自動的に眼球が動いてくれるからです。この機能は、あらゆる動物が生きる上で大切です。

逃げるシマウマを追いかけるライオンが、シマウマを視野の中央にしっかり捉えたまま高速で走れることを考えれば、その重要性がよくわかるはずです。こうした反射は、意図とは関係なく常に行われているため、私たちはそのありがたみに気づきにくいのです。

だが、例えば走りながらカメラで周囲の景色を撮影すると、どんな映像が撮れるかを想像してみてほしい。上下左右に激しくぶれて、とても見るに耐えない映像になるはずです。もし私たちに前庭動眼反射がなかったら、こういう景色の中で生きることになるのです。

ちなみに、近年のホームビデオには、「光学式手ぶれ補正」と呼ばれる高度な機能が搭載されているものがあります。カメラの動きに合わせてレンズが逆方向に動き、映像のぶれを軽減するのです。しくみとしては前庭動眼反射と同じです。昔に比べると、ホームビデオの進歩は本当に凄まじいのですが、もっと「凄まじい」のは私たちの眼球なのです。


 





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目が怖いパート2
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/15(木) 16:57
No. 7844
 
 
相互関係を持たない場合でも、人の視線は怖いです。電車に乗り心の準備もなくシートに座ったとたん、正面にズラリと並んでこっちを見ている人に気がついて慌ててしまいます。正面の人と視線が合わないように視線を据えつけるのが疲れる。

その人の目を見ないようにしようと思えば思うほど、その人の目を見たくなり、つい見てしまう。すると、その人の目と目が合ってしまう。しまったと思って急いで視線をはずし、暫くあちこちを眺めて、もう大丈夫だろうと思ってその人を見ると、その人とまた目が合ってしまうのです。

避けようと思えば思うほど吸い寄せられていく、あの「吸引力」は一体なんなのだろう。私はJRを利用することが多いので、正面の人との一定の距離の感覚ができています。だが私鉄はJRよりハコが小さいので、相手との距離が近いので、相手がズラリと並んでこっちを見ていると驚いてしまいます。もっと恐ろしいのはバスです。

自分の家の居間になに気なく入ったら、目の前に知らない人がズラリと並んで座っている、というような錯覚を覚えてしまいます。納得して自分を落ち着かせるのに、かなりの時間がかかるのです。日本人は視線に弱いと言われています。

習慣の基本に、人をジロジロ見るのは失礼だ、というのがあるからでしょう。視線が合ってしまったら、さり気なくはずす、というのが日本の作法です。いつまでも視線をはずさないのは、敵意の表明になります。

喧嘩に発展することもやむをえず、の意思表示ともなり、猿の世界もそういうことです。「猿の目をみつめないでください」という札がたっていますよね。日本人はこのように、猿の視線を避けながら、近隣の人の視線を避けながら、他人ともあまり目を合わせないようにする習慣の中で生きてきました。ところが西洋人はそうではありません。

お互いを強く見つめあう、というのがエチケットの基本です。日本のお辞儀の動作は、お互いの視線をはずす、というところにその眼目があると言います。反対に、西洋人の握手は、相手の目を見つめ合う、というところにその意図があるというのです。そして西洋人が喧嘩をする時は一旦視線を相手の目から外してから殴りかかります(笑)

西洋人の目から見ると、「日本人は視線を避けてばかりいる」ように見えると言います。外国人は、小さいときから、「目を見ろ」と言われて育っているので視線に強いです。大相撲の曙は立ち合いにいつまでも相手を睨み付けています。

日本人力士は目線を外してしまいます。にらめっこというのは、日本独特のものなのかもしれません。相手の目を見続けていられるはずがない、という前提の上に成りたっているゲームといえます。

西洋人は、小さい時から視線を鍛えながら育ってきて、すっかり視線に強くなりました。ということは、日本人といえども訓練によって鍛えられる可能性があるでしょう。今からでも、間に合うかも知れません。犬で練習すると犬は人間の視線に忠実に応えてくれます。

その点、猫はまるでダメです。犬は誠実でじっと目を見ると、「何ごと?」と、見返してきます。かなりの時間、犬は見つめてくれます。首をかしげ、問いかけるように、理解できない自分を悲しむように、誠実に見あげます。

日本人の全員が視線に弱いというわけでもありません。非常に強い人もいます。営業マンなどに多いです。上役と一緒に売りこみにきた、というような人に多いです。大事な用件は、上役のほうがベラベラ話し、部下はほとんど話さず、視線のほうに徹します。

上役の横に、前かがみに座って視線がくるのをひたすら待っているのです。視線が合うと、上下に激しく首をふって激しくうなずき、いつまでもうなずいている。うなずきおえると、またひたすらこちらに目を据える。鍛えてあるなぁ〜と羨ましくなります。

 





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目が怖いパート1
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/15(木) 16:55
No. 7843
 
 
他人の視線が怖いと思ったことはありませんか。視線というよりは目かな。目というよりは目玉かな。人に話をする時は、相手の目を見て話せと言います。人の話を聞くときは、相手の目を見て聞けと言います。目と目が合うと、真実味が生まれ誠意も感じられます。

一生懸命話をしているのに、そっぽを向いていられたら誰でも不愉快になりますよね。常に目を伏せて、決して相手と視線を合わせない人がいますが、こういう人は人から信用されないでしょう。時々、目を合わせてくれると、話を聞いてくれているのだな、と思います。大きく頷いてくれたりすると、こいつは話のわかる奴だ、と思います。

なかなかいい奴じゃないか、とさえ思います。目を合わせるということには、こういう効能があるのですね。だから、私は人の話を聞く時は、なるべく相手の目を見るように努力しています。相手が話をしている間合いを見計らっては、相手の目を見ます。

ところが、目と目が合った瞬間に、あれは一体なんなのだろうと身ぶるいのようなものが起こる事があります。見てはいけないものを見てしまったような、戦慄のようなものが背中を走って、慌てて視線をそらしてしまう。

1秒と、相手と視線を合わせていることが出来ない。視線を合わせることは、真実味を増し誠意を表すとても良い事であるのに、いけない事をしたような気がしてしまう。一体なんなのであろうか。怖いというのとも少し違うような気もするのだが。

それに、恥ずかしい、というのが少し加わっているようです。それに、いたたまれない、というのも含まれているような気もします。しかし相手の目を見ないと、いかがわしい奴という烙印を押されてしまいますので、必死の思いで相手の目を見ます。

人の目玉など気にしないで暮らしていけたらどんなにか気楽なことでしょうか。私は人の話を聞く時は、約20秒に1回、視線を合わせるようにしています。相手が話を始めて、15秒くらい経つと、そろそろだなと思う。

少しずつ顔を相手の方に向けるようにして、20秒で相手の顔を見ます。相手もこっちの目を見て視線が合う。合った瞬間、ヤレヤレと思う。また20秒経つと、「目合わせの儀」をとり行わなければならない(笑)人間の目玉が見て楽しいものででもあればいいのだが、ただ不気味なだけです。

人体解剖図などで誰でも知っている事ですが、人間の目玉は巨大です。表から見えるのは、ほんの一部分にすぎない。目玉というものは、まぶたというスキマから、ほんの一部分だけを除かせて、世間を見ているのです。その実態も不気味ですが、その根性もまた不気味なものです。その不気味さが、思わず背中に戦慄を走らせるのかもしれませんね。

テレビのアナウンサーや司会者は、カメラのレンズを見つめながら話をします。NHKの松平さんは、体をのりだすようにして、大きな目でこっちを見ているから余計恥ずかしいです。写真を撮られるときはレンズが怖いのです。

カメラマンは「レンズを見てください」と言います。レンズはただの丸いガラスなのですが、3秒と見つめていられないのです。レンズの後ろのカメラマンの目が怖い。3秒経つと、頬の筋肉がピクピク痙攣してきます。この場合、撮られるほうが圧倒的に不利である。

こっちはナマの目玉をさらしているのに、カメラマンはレンズのうしろに隠れて、こっちのすべてを盗み見ているのです。ずるいし不愉快です。不機嫌で、頬はピクピクしているのに、「ニッコリ笑ってください」などというとんでもない話なのです。

 





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共産主義思想が広がる背景
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/15(木) 16:48
No. 7842
 
 
なぜ日本にとって満州が重大かというと、昭和の初期に世界恐慌があり日本もそのあおりを食らい、大変な不景気がやってきました。そのとき、日本人の対応は3つあったと考えられています。1つは、共産主義、コミュニズムでした。第一次世界大戦の終わり頃にロシアに革命が起き、初めての共産主義国ができました。

このマルキシズムによる新国家は、人類が初めて到達した理想社会の建設かもしれないという夢を多くの人が抱きました。それは当然、日本のインテリたちにも影響力を持っていくわけで、どんどん共産主義思想というものが日本へ入ってくる状況が、大正の末期から昭和の初期にかけて出てきます。

そういう意味で共産主義が、不況にさらされている日本の1つの解決、あるいは逃げ道になるかもしれないというスローガンがありました。もう1つは、軍部と右翼が結びついての国家改造及び対外進出という方向がありました。

さらにもう1つは、現在の日本人に一番多い右と左の政治的な方向に行く冒険主義を嫌った人たちは、この不景気の中で、刹那的に無目的に、デカダンスの中にどんどん身をあずけていくという方向があったのです。当時の日本にはこうした3つの方向へ向かう選択肢があったと思います。これはある評論家の意見ですが、納得できる分析だと思います。

そして、そこからまた国内の右翼とともに、新しい軍人たちによって、日本国家の改造問題を考えるグループが登場します。例えば後に二・二六事件の陰のイデオローグだということになっている北一輝に『日本改造法案大網』という本があります。

これは今の日本の国家形態ではだめだから、日本を改造しようということです。この改造プランというものは、まず憲法を一定期間停止して戒厳令を敷き、この間に貴族院を撤廃し、一定以上の土地の所有を禁止して、一定以上の財産の所有を禁止しようというふうな改造法案を作成していくのです。これが一部青年将校にバイブル視されます。

これは北一輝だけでなく、大川周明という人にも同様な動きが起きてくるのです。それが、理論化しない農民運動と結びついた右翼からもいろいろな改革運動というものが出てくるわけなのです。北一輝は処刑されましたが、そのときに銃殺されるのは、右翼の思想をまき散かしたからではないのです。

おまえの思想は右翼の衣をかりた共産主義だという理由で処刑されるわけです。これは当局の言いがかりかもしれないが、確かに、マルクスから始まる共産主義、社会主義の方法論というものの対抗的輸入というものがあったと思います。

それは目覚めた優秀な軍人たちの中にもあるわけであって、非常に強力な敵であるマルキシズムに理論的にも対抗できる改革策を立てなければやっていけないという考え方の基本でした。二・二六事件のすぐ前に、永田鉄山という軍務局長が、相沢三郎という中佐に斬殺されるという事件が起きました。

陸軍きっての秀才とも言われた永田鉄山が考えたことは、コミュニズムというものを視野に入れて、はっきりとした理論を打ち立て政策をつくらなければいけない。そのためには、経済運動に対する統制という大変近代的な考え方です。

そしてその限りでは、永田鉄山と石原莞爾は同じように考えています。もちろん右翼的なテロをやって国家改造ができるとは石原莞爾は全く思っておりません。二・二六事件が起きたときに、石原莞爾は参謀本部の課長で、現場にすぐ駆けつけます。

そして、青年将校の中でも一番血気盛んだった栗原という中尉が突然やってきて、「石原さん、我々と一緒にやってくれ」というようなことを言います。そのとき、石原莞爾は平然として、「ばかなことはよせ。おれは軍旗を持ってきておまえらを撃つぞ」とはっきり明言しています。

石原莞爾は。三月事件、五・一五事件、二・二六事件というクーデター的テロで日本が改造できるということは全く考えていません。石原莞爾は別なことを考えていました。それが満州合衆国という大スケールな構想だったのです。結局、日本国は共産党の腐食は許さず、中国は日本が戦争に負けて共産主義が息を吹き返し民が苦しむ結果が現在も続いているのです。

 





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野球世界一を決める残念な出来事
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/15(木) 16:45
No. 7841
 
 
野球世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアジア枠で勝ち残り韓国と日本が2次リーグに進みました。2次リーグでの日本の最初の対戦相手はアメリカです。そのアメリカとの一戦で勝敗を左右する出来事が起きました。

王監督は冷静にはっきりとした口調で言いました。「野球のスタートした国であるアメリカで、こういうことがあってはいけないと、私は思う」 8回、1アウト満塁で日本は勝ち越しのチャンスを迎えました。打者岩村の当たりは浅いレフトフライ。タッチアップで三塁走者の西岡がホームベースを向かってスタートを切る。

ボールが外野から返球されるよりかなり早く、本塁へ滑り込んで勝ち越しです。だが、一度勝ち越したはずのジャッジが覆ったのです。タッチアップが早いというアメリカ球審のアピールで却下されました。

日本が待望の勝ち越し点をあげたと、多くのアメリカ人も思っていました。ところが、米国のマルティネス監督から抗議を受けたデビッドソン球審が判定を覆してしまうのです。「審判は4人が同等でなければいけない。一番近くにいる審判のコールを変えるなんてことは、私が長くやってきた日本の野球では、聞いたことがない」 と王監督が抗議しました。

しかし、アメリカ審判には受け入れられませんでした。日本ナインは守備につかない。「監督が抗議しているのに守備にはつけない。全員が納得いかないコールだった」。先頭打者ホームランを打ったイチローが言った。

いずれにしても、日本の決勝点が消えて、何度も日本のピッチャーにも投げ方を注意するなどフェアな戦いが出来ないまま日本は残念な敗戦となりました。この出来事で世界のマスコミは怒っています。日本と米国の試合にアメリカの審判がいる自体がおかしいです。

WBCの運営にまで憤りを感じます。これでは世界で野球の人気がないのがわかります。アメリカはこのようにルールも変えてしまうような国なのです。今の政治にも同じことが言えるような気がします。

 





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夕食の血糖値には要注意
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/14(水) 15:20
No. 7840
 
 
夕食時に血糖値が高くなるのは、夕食の量が他の時間の食事よりどうしても多めになりがちなことで理解できます。では、まったく同じ食事を朝、昼、夕食で食べた場合はどうでしょうか。実際、ヒトで実験してみると、朝食・昼食・夕食のようになり、まったく同一の食事でも朝より夕の食事後の方の血糖値が高くなります。

これはまさに体内時計の影響なのです。時間栄養的には、時間によって血糖値を下げる働きのあるインスリンの効き方が異なってくるという結果だといいます。朝の食事時にはインスリンの分泌が良く、またインスリンの働きも強いので、あっという間に血液中から糖が組織中に移行します。

考えてみると、朝食は10〜12時間程度絶食した後に食べますが、昼食や夕食は5〜6時間程度の絶食後に食べています。その絶食時間が血糖値の変化にかかわっている可能性も考えられています。そこで、夕食から10時間空けて食べたときと、朝食から昼食を摂らずに10時間後に夕食を食べた場合の血糖値を比較した実験があります。

その結果、絶食時間は同じ10時間にもかかわらず、前者の場合の朝食時より後者の場合の夕食時の方の血糖値が高いという結果が出たのです。仮説的には、絶食時間が同じだから差がないだろう、あるいは、夕食まで食べていないので体がブドウ糖を求める力が強く、食事をしたら速やかに組織に移行し、血糖値は上がりにくいと思っていたのです。

ところが予想とは違う結果となり、その原因を考察しています。それは体内時計が朝と夕のエネルギー代謝をきちんとコントロールしていることに起因していると考えられました。また、別のヒトの研究で、夕食の食事時間を2〜3時間遅らせると、血糖値の増大が大きくなることも知られています。遅い夕食は高血糖の危険性を考えると避けたい食行動です。

高カテキン茶 (高濃度でカテキンが含まれるお茶)が高血糖予防に効果があると考えられ、肥満や糖尿病の予防としてもカテキン茶が推奨されています。そこで、朝食時と夕食時のいずれが効果的なのかを調べてみました。

先にも述べたように、同じものを食べても朝や昼より夕食時に摂る方の血糖値が上がりやすいことが知られています。また、飲食をすると血糖値は上がりますが、その上がり方の緩急などにより、身体に及ぼす影響に違いが出ることも知られてきています。

そのなかでも、短時間に急激に血糖値が上がり、また正常値に戻ることを血糖値スパイクといい、これが頻繁に起こると血管系に影響し、動脈硬化など健康を害する原因になりえるといいます。

そういったことから、夕食時の血糖値スパイクを抑えるためには、高カテキン茶は夕食時に摂る方が良いと予想されます。次に、カテキンを継続的に1週間飲んだときに、血糖を抑制する作用が増強したり逆に減弱したりする可能性を調べた実験があります。その結果、カテキンによる夕食時の血糖抑制効果は持続的で、強弱の変化はありませんでした。

さらに、似た現象がマウスで起こるか否かを調べた実験もあります。夕食時にカテキンを1週間投与し、その後、ブドウ糖を朝もしくは夕に投与しています。その結果、夕食時にブドウ糖を与えた群で、カテキンを夕方に飲んでいたマウスは、カテキンを飲んでいないマウスに比べて、血糖値の上昇が抑えられています。

一方、朝食時にブドウ糖を与えると、夕方にカテキンを投与した群、カテキンを含まない液体を与えた対照群のいずれも、それぞれ夕食時にブドウ糖を与えた結果と似た値を示しています。すなわち、夕食時にカテキンを飲む習慣自体が、食による高血糖を抑制しうるという発見となりました。

恐らく、朝は血糖値が上がりにくいので、前の晩の夕食時にお茶を飲んでも飲まなくてもあまり関係がなく、夕食時の血糖が上がりやすいときにカテキンを摂ることは効果的な影響を与えるというように解釈しています。ヒトと類似した結果が得られ、やはり夕食時の方が効果的であったというわけです。

 





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筋肉には午前、骨には夕方
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/14(水) 15:18
No. 7839
 
 
牛乳や乳製品も摂取する機会が多いと思いますが、時間栄養学的な視点での研究成果はあるのかなと調べてみると残念ながら直接的な証拠が得られている段階ではないようですが、時間栄養学的な視点で考察されているものはありました。

乳製品や卵を朝に摂取する場合、タンパク質を効率よく供給するという点で、良い効果をもたらしています。一般的に、朝はタンパク質の摂取量が夕食に比較すると半分程度であることが報告されています。したがって、朝は慢性的にタンパク質不足が懸念されます。

朝ごはんで意識的に摂るか、午前中の間食時などにタンパク質やアミノ酸を補給するようにしたいところです。特に高齢者では、サルコペニア(加齢などにより筋肉量が減少して身体機能が低下すること)などに有効であろうと思われます。

一方、カルシウムの供給源と考えると、乳製品を夕方に摂取することは、効果的と考えられており、特に高齢者の骨粗鬆症の予防に役立つ可能性があります。マウスを用いたカルシウム吸収実験では、夕方の方が効果的で、さらに難消化性デキストリンやイヌリンなどの水溶性食物繊維を一緒に摂ると、より効果的であることがわかっています。

また、牛乳や卵では、ビタミンDが強化された製品もあり、ビタミンDがカルシウムの吸収を促進させることを考えれば、これも理にかなっています。ただし、牛乳や乳製品は乳脂肪が多く含まれているので、肥満予防を考慮するのであれば、脱脂系の製品が望ましいと思います。

また、卵では、DHAとEPAが強化された卵も市場にあることから、先のDHAとEPAの時間栄養学の成果を踏まえれば、この卵は朝食に向いているのかもしれません。朝ごはんの定番、納豆は夕食でもさまざまな効果があります。納豆は朝の定番食品ですが、本当にそのとらえ方でいいのでしょうか。夕方の納豆摂取は時間栄養学的な意味はないのか。

納豆はいうまでもなく大豆製品であり、豊富で良質なタンパク質を含んでいます。したがって朝のタンパク質不足を改善できそうですし、サルコペニア予防にも良いでしょう。また、大豆には難消化性のタンパク質も含まれており、難消化性タンパク質は腸内細菌の餌になり、有用な働きを行うことがわかっています。

朝食の「セカンドミール効果」(朝食で摂ったものの効果が昼食や夕食時にも続くこと)を期待する意味においても、またおそらく便通にも良い効果を期待するのであれば、朝がおすすめでしょう。

一方、夕食での摂取ではどうでしょうか。納豆にはビタミンKが豊富に含まれています。ビタミンKは骨の合成系に必要なビタミンですが、骨の合成は夜に起こりやすく、夕方摂ることに意味があります。

また、納豆にはナットウキナーゼが含まれており、血栓予防に効果的です。血液凝固系の働きは朝に強くなると考えられており、朝にナットウキナーゼの効果を出すためには、夜に納豆を摂っておくと良いという可能性が考えられています。

ところでナットウキナーゼは酵素なので熱に弱く、実はご飯にかけずに食べたり、納豆サラダとして食したりするとより予防効果があるかもしれないのです。ただ一方で、納豆のビタミンKは、抗凝固剤であるワーファリンの作用と拮抗するものになります。 ワーファリン服用時は納豆を摂ることに注意が必要になります。

また、納豆をご飯と一緒に摂ると血糖値の上昇が緩やかになる可能性があります。粘り成分はデンプンの分解を緩やかにするのです。また、食事摂取の順序効果があります。血糖値を急激に上げないため、食物繊維を含むサラダなどやタンパク質、脂質を含む食品を先に食べ、その後、白米、パン、麺類などの炭水化物を含む食品を食べるとよいといいます。

順番を重視した食事法の効果でも知られているように、タンパク質や食物繊維分を一緒に摂るとデンプンの分解が遅延し、血糖上昇を抑制できます。これらのことから、納豆は、タンパク質源として朝摂ることはいいのです。

だが、骨を強くし、血栓を予防する、夜の血糖値の上昇を抑える、というような観点からでは、夕ごはん時に摂る方がより効果的なのではないでしょうか。ちなみにゴボウや菊芋に豊富に含まれるイヌリンは、食事による高血糖予防、便通、腸内細菌のいずれにおいても、夕方に摂るより、朝摂る方が効果的という研究結果がでています。

 






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