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  お手紙の始まりには  仲條拓躬2024/09/20(金) 07:21 
  外国人の登山について  仲條拓躬2024/09/17(火) 17:13 
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  中国の爆発的な成長  仲條拓躬2024/09/02(月) 14:31 






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お手紙の始まりには
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/20(金) 07:21
No. 7594
 
 
今の若者の文章には句読点がありませんが、昔の日本の文章にも句読点はなかったのです。「候」という字が句読点のかわりでした。その伝統で新聞は昭和始めの年までは句読点がなかった事が、見ると分かります。句読点は日本人が読みやすくするために付けたのです。

明治になって英語にも付けようとしました。暫く、アイ、ペン、ハブってやっていたようです。明治時代に書いた手紙を見ると、今日は中秋の名月だ、月見に来ないかなんていうのがあります。郵便がいかに早く着いたかという証拠です。朝出して午後着くなんて。

郵便が普及したのは昔から飛脚の制度があったからです。明治になってからは人力車の運転手に手紙を持たせて、返事を貰ってこさせていました。ちなみに女性の手紙の中で、急いでいるときには「追伸」だけ読めばよい。手紙を読んで疲レター(笑)

小泉元首相がこだわっていた郵政民営化の中には郵政事業があります。一番身近な存在は地域の郵便局でしょう。日本全国どこの町や村にも、郵便ポストはあります。郵便貯金の「ぱるる」にデザインされた蝶々と気球には意味があるそうです。

気球は日本全国どこに行っても郵便貯金が利用できるというネットワークの広さ、蝶々は郵便貯金が庶民にとって親しみやすいようにという願いがこもっているそうです。世界の郵便精度の歴史は古くAD2千年頃の古代エジプト、手紙を運んだ壁画が残されています。

だが、郵政事業を実施したのは古代ペルシャ帝国が最初です。我が国での郵便制度が今日のように整備化されたのは明治4年、郵便事業創始の功労者・前島密の功績が大きいのです。郵便という言葉はこのとき作られ、日本最初の郵便切手も発行されました。

「〒」字形が、郵政省(現総務省)の前身である逓信省の徽章として定められたのは明治20年です。しかし最初発表されたときは、「〒」ではなく、逓信省の「T」でした。その後、「〒」に変更されています。ちなみにポストは赤ではなく、白木や黒塗りでした。

最後に私の好きなお手紙をご紹介いたします。病人を介護する家人や看護人への感謝心は、病床にある病人の精神の成長にたいへん役立つと、自分の経験からそう思います。愛は、これを提供する側にも、また受ける側にも、病に耐える力を発揮するのです。このことは、新約聖書のコリント人への第1の手紙13章4〜7節に記されています。

「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛はたかぶらない、誇らない、無作法をしない、・・・・・・不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」

さらに大久保利通の最後の言葉です。明治8年10月20日 岩倉具視への手紙(『大久保利通文書』第6巻より)「国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない」今の政治家は肝に銘じてほしいと願います。

 





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外国人の登山について
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/17(火) 17:13
No. 7593
 
 
お得な日本にやってくる外国人は、特に日本の文化に興味があるわけではないので、誰でも知っていてわかりやすいものにしか興味がありません。そのうちのひとつが「富士山」です。彼らの頭に浮かぶ日本はいまだに「フジヤマゲイシャ」なので、一応世界遺産を見にいって、ついでに登ろうとします。

ところが一部の知識の浅い一般人はビーチサンダルや短パンで登山したり、ゴミを投げ捨てていったりするようなマナーの悪さです。日本には単に安いからという理由で来ているので、そういった観光客もいるのです。

かつて来日していたような、日本の古文書にたいへん興味があるという事情通の外国人とはまったく異なっています。最近のこうした「底が浅い」来日外国人はお金を持っています。要するに成金です。

彼らはお金の有無で他人と競争をするので、プレミア感があることに大金を払ったことを自慢しまくるのです。特に重要なのはインスタグラム (Instagram) でウケる写真です。日本に来る理由がようするに「インスタ映え」する写真の撮影なのです。

アメリカでもなくヨーロッパでもないので、ある意味プレミア感があります。この日本旅行でもっとも映える写真のひとつが富士登山なのです。目的はあくまで自慢する写真を撮ることであって真剣なクライマーではありません。

テレビのニュースなどを見ていると実になめた態度で富士山に登り、数々のトラブルを起こしていくのです。とはいえ彼らの自慢魂は日本にとって、お金のなる木であるといえます。一般に日本人はたいへん奥ゆかしいので、自分のところの素晴らしい商品やサービスを宣伝するのが下手で値付けもあまりうまくない感じがします。

需要が高いものは高額な値段をつけてどんどん売りまくればよいのです。一方の来日した外国人はとにかくお金を使いまくりたいので、高ければ高いほど喜ぶはずです。富士登山に関しては日本国籍や永住権を持っていない外国人に対してガイド付きのツアー登山のみ許可し、一人当たり15〜20万円の費用を徴収するべきです。

これはほかの先進国や発展途上国であれば、まったくおかしな値段ではありません。富士山の価値を考えたらむしろ安いといえます。ネパールやスイスなど山岳観光地の質が高いサービスは高額ですが、外国人は喜んで払っています。

外国人から徴収した費用は、ガイドの訓練、登山道、トイレや宿泊施設、道路などの整備に使えば、お客の満足度も高くなります。外国人観光客は安くて質の低い体験より、高くても内容が充実したものを求めているのです。

さらにケニアやタンザニアのように、富士山の麓では超高級なロッジやグランピングでヨーロッパの一流ホテル並みの宿泊サービスを提供し、別料金を徴収すればよいでしょう。イギリスはじめヨーロッパ王族や富裕層はこのようなサービスの常連です。

日本にはまだまだ素晴らしい自然や文化が大量にあります。決して安売りしてはなりません。安売りしないことは外国人にも喜ばれるし、結果的に日本の国土を守ることにもなると思うのです。

 





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ベイズ統計学の考え方
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/17(火) 17:12
No. 7592
 
 
ベイズ統計学は、18世紀の数学者トーマス・ベイズがその基礎を作ったとされていますが、長い間、統計学の世界ではあまり注目されていませんでした。というのも、主流である記述統計学や推測統計学と考え方が大きく異なるため、有力な統計学者から異端視されていたからです。

しかし、近年になって、ベイズ統計学は急速に注目されるようになりました。というのも、コンピューターの発展によってAI(人工知能)や機械学習の応用研究が盛んになり、ベイズ統計学がそういった分野と相性が良いことが分かってきたからです。

ベイズ統計学は伝統的な統計学 (記述統計学および推測統計学) に比べて、新しいデータが次々とやってくるような状況にうまく対処できるという点が大きく異なります。手元のデータを使って分析を行っていたところ、新しいデータが追加されてきたとしましょう。

記述統計学や推測統計学では、新しく来たデータを今までのデータに追加した上で、分析を一からやり直す必要があります。というのも、記述統計学 推測統計学は、手元のデータをどう分析するか (あるいは手元のデータからどう全体を推測するか)というノウハウの集まりなので、既存のデータ、新しいデータという区別がそもそもないからです。

従って、新しいデータが来た場合は、それを既存のデータに加えたものを新たな「手元のデータ」として、分析を初めからやり直す必要があります。しかし、それだと二度手間になってしまいます。

一方、ベイズ統計学では、既存のデータをもとに分析した結果を所与とした上で、新しいデータを踏まえてその分析結果をアップデートするという考え方を取ります。つまり、分析を一からやり直すのではなく、新しいデータを学習して分析をアップデートするのです。

このようなベイズ統計学の考え方は、新しいデータが次々と生み出されるビッグデータ時代に非常にマッチしています。インターネットの検索エンジン、迷惑メールフィルタ、AIによる自動運転、お客さんが商品を買う確率の予測、がん検査など、様々な分野でベイズ統計学が活躍しています。

何か分析を行うとき、いつも十分なデータが手元にあるとは限りません。しかし、データが足りないからと足踏みしていたら、何も始まりません。手元にあるデータから初期の予測を立て、まず一歩を踏み出すことが大切です。その後に新しいデータが手に入ったら、それを踏まえて予測を修正していけばよいのです。

ベイズ統計学は、このような考え方に基づいています。ベイズ統計学では、予測を確率の形で表します。例えば、迷惑メールフィルタの場合、「このメールが迷惑メールである確率は70%」といった形で予測を出すわけです。

そして、迷惑メールである可能性がより高くなるような条件が見つかったら、「このメールが迷惑メールである確率は75%」といったように予測を修正していきます。このように、ベイズ統計学に基づいて予測をアップデートしていくプロセスをベイズ推定と呼びます。

 





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なぜ外国人が日本に来るのか
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/17(火) 17:10
No. 7591
 
 
なぜ外国人が日本に来るかというと、日本には魅力的な文化が多く、食べ物もおいしく観光地として大人気だからです。そして訪日のもっとも大きな理由 は「いろいろなものが安い」からです。

これまでタイやバリ島に出かけていた人々が「値段が安い!」という理由で日本に来ているのです。欧米から日本への航空券は決して安くないですが、日本のホテル料金や食事代、土産物の価格などがあまりにも安いので、高い航空券を払っても十分ペイするのです。

日本の外食は海外先進国の半分から3分の1で、しかもサービスは激安チェーン店でも高級ホテル並みです。それは公共交通機関の運賃も同じような金額の感覚で、しかもストライキはないし遅延も車両の故障もなく、まるで夢のような国です。

そして、たいへん重要な点としては、治安がかなり良いので他のリゾート地や東南アジアの観光地に比べると、犯罪に遭遇する確率はほぼゼロということです。ほかの国だとタクシーなど安心できないし、インフラが整っていないことが多く、歩道は汚いし道路はひび割れていたりします。

水や氷でお腹を壊すどころか感染症にかかりかねません。A型肝炎やコレラ、破傷風、腸チフス、マラリア、デング熱など日本の近隣国でもけっこうかかります。また屋台や不潔なレストランも感染症には要注意です。

スリや強盗もいるし、バーに入るのは正直なところ怖いです。トイレもメチャクチャで、なおかつ料金は日本より高いです。ここ数年間のコロナ禍で日本の清潔さは全世界に知れわたったので、日本に観光客が来るのは当たり前なのです。

私はアジアの近隣諸国であるシンガポール・タイ・台湾や上海にも出かけましたが、どこも気を抜くことができません。その点 、日本は何から何まで素晴らしい環境で、いまでは観光立国のタイよりもコストパフォーマンスのよい観光地なのです。

 





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世論調査のやり方
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/17(火) 17:09
No. 7590
 
 
区間推定の面白いところは、母集団そのもののサイズ、つまり蛍光灯が全部で何本あるのかは式に出てないという点です。ワインのテイスティングをする時、ボトル1本だろうがボルドー・バレル (225リットルのワイン樽)だろうが、味見は一口で十分です。

そのワインの味を知る上で、全体のサイズは関係ありません。それと似ていて、全体からランダムに抽出して作った標本ならば、全体の状況をよく表していると言えるのです。推定の正確さに母集団のサイズが関係しないという事は、推測統計学の大切なポイントです。

例えば、世論調査の例として内閣支持率がありますが、内閣支持率についても蛍光灯の寿命と同様に区間推定が可能です。その場合、サンプルサイズ=有効回答数となるわけですが、調査の精度は、その国の人口とは無関係に有効回答数だけで決まります。

つまり、中国の方が日本より10倍以上も人口が多いからといって、中国では10倍の人数にアンケートしないと同じ精度を出せないというわけではないのです。1万人へアンケー トを取った場合、人口100万人の国なら総人口の1%を調べたことになりますが、人口1億人の国なら総人口の0.01% しか調べていないことになります。

しかし、総人口の何割を調べたのかということは精度に関係せず、何人を調べたのかということが関係してくるわけです (補足ですが、推測統計学は母集団が調べきれないほど大きい場合を想定しています。したがって、ここでの話は人口数百人の村とかには当てはまりません)。

ただし、アンケートを行う対象には全国民が等しい確率で選ばれるようでなければなりません。特定の性別・年齢・人種などに偏っている標本では、国全体を代表しているとは言えないからです。

調査対象をランダムに選びさえすれば、人口にかかわらず有効回答数で調査の精度が決まるという推測統計学からの帰結は、世論調査を設計する上での重要な前提になっています。だからこそ、世論調査においては無作為性を担保することがとても重要になります。

よく使われるのは、コンピューターで電話番号をランダムに生成し電話をかけてアンケートをお願いするという方法です。それでも、最後の最後でバイアスがかかってしまうこともあります。例えば、ある特定の新聞社が世論調査を行った場合、その新聞社が好きな人は進んでアンケートに答えるでしょうが嫌いな人は無視するか断る確率が高くなります。

結果として、有効回答の中にはその新聞社を支持する人が国全体における比率よりも多めに含まれることになります。地域や電話番号でいくら無作為性を担保しようとしても、こういったバイアスまで避けるのはなかなか難しいところです。新聞社によって内閣支持率の発表値が大きく異なったりするのは、このような理由によると考えられます。

 





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武谷三男氏の物理学人生
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/09(月) 17:01
No. 7589
 
 
現象論、実体論、本質論という物理学発展の「三段階論」を提唱したのは武谷三男氏 (1911〜2000)です。1930年代、物理学の世界は混沌そのものであったといいます。坂田昌一氏(1911〜1970)はこの頃の状況について、「原子や分子の研究の際、快刀乱麻を断つがごとき勢いを示した量子力学が原子核の問題にふれるや、たちまちその神通力を失った」と表現しています。

大御所のニールス・ボーア(1885〜1962、1922年にノーベル物理学賞受賞)までが、相対性理論が時間と空間の概念に根本的な変換をもたらし、量子力学が因果性の概念を破綻させたように、原子核内部の電子の運動についてはエネルギー保存の法則が破棄されるような事になっても容認しなければならないのではないか、と主張したほどでした。

エネルギー保存の法則は、物理学の根本といっても過言ではありません。その存立が疑われるとなれば、多くの物理学者が動揺するのも無理はなかったのです。武谷氏は京都帝国大学(現在の京都大学)を卒業し、湯川秀樹(1907〜1981、1949年にノーベル物理学賞受賞)の研究チームに加わりました。

混沌とした、ときには神秘主義に陥ろうとしていた物理学の混乱を突き破るストラテジーとして三段階論を唱え、当時の物理学の状況は実体論的段階であると認識することが重要であると主張し、中間子というモデルを提唱した湯川氏の研究を思想的に支えたのです。

同じ時期、物理学だけでなく、世界もまた大変な状況に陥っていました。アドルフ・ヒトラー(1889〜1945)が率いるナチス党が勢いを増し、1933年には合法的な選挙によってヒトラーが独裁権力を握るにいたります。

この年、かのアルベルト・アインシュタイン(1849〜1955、1921年にノーベル物理学賞受賞)までがドイツの名誉市民権を剥奪され、財産を没収されました。イタリアでもファシストが暴威を振るい、それに力を得てフランスのパリでも武装したファシストがデモをするにいたっています。

フランスの労働者は間髪をいれずにゼネストで対抗し、これを契機としてフランス人民戦線運動が広がっていきます。この運動の中で、ジョリオ=キュリー夫妻(夫はジャン・フレデリック (1900〜1958)、妻はイレーヌ (1897〜1956)、1935年に夫妻でノーベル化学賞受賞)、 ロマン・ロラン(1866〜1944)、アンドレ・ジイド(1869〜1951)なども街頭に飛び出してデモに参加しています。

そして1936年の総選挙で人民戦線派が圧勝し、人民戦線政府が成立します。しかしイタリアのファシズム、ドイツのナチズムを抑えることはできなかったのです。日本も暗黒の坂道を下っていました。

1920年代には、選挙で議会の多数を獲得して政権を握る政党政治がはじまり、労働組合運動もなんとか軌道に乗り、革新政党も大衆的な運動をはじめるようになっていました。しかし1931年、日本軍は柳条湖事件という謀略によって満州への侵略を開始し、1932年5月15日には陸海軍将校によるクーデター未遂事件(五・一五事件)が起こりました。

犬養毅首相が暗殺され、産声を上げたばかりの政党政治はわずか8年にして崩壊してしまいました。フランスで人民戦線政府が成立した1936年、日本では陸軍青年将校によるクーデター未遂事件(二・二六事件)が起こります。

武谷氏は自由な市民という立場から、日本全体が狂気に侵されていくのを何とか阻止しようと積極的に運動を展開しました。そして1938年、中井正一(1900〜1952)、新村猛 (1905~1992)らが創刊した『世界文化』に関連して、武谷は逮捕されます。

このときは湯川秀樹が保証人になることによって、七ヵ月後にかろうじて釈放されました。1939年にドイツ軍がポーランドを侵略したのをきっかけに第二次世界大戦が勃発し、1941年には日本軍がハワイの真珠湾を奇襲し、第二次世界大戦が太平洋へと拡大する。

こうしたなか、武谷は医学校に通っていたピニロピ・スワチキナ (1919〜2015)と恋に落ち、卒業後の1944年に結婚します。ピニロピの父親は旧ロシア海軍の将校で、その後、皇帝の侍従武官となり、ロシア革命が勃発すると反革命軍を率いて戦い、それに敗れて日本に亡命した軍人でした。

しかし、新婚4ヵ月で武谷は再び逮捕されてしまいます。持病の喘息が悪化していた武谷は、運が悪ければ三木清(1897〜1945)のように劣悪な獄中生活のため獄死してしまう可能性もありました。

だが、当時、武谷は、日本が原爆を開発するのは絶対に不可能だと知っていたので、軍の依頼で仁科芳雄(1890〜1951一)が進めていた原爆開発に積極的に協力していたのです。軍の最高機密である二号研究に関与していたのです。

仁科からも、武谷は研究のために絶対に必要な人材であるから釈放するようにという要望があったのです。そのこともあり武谷は、逮捕から八ヵ月後に仮釈放され、生きて日本の敗戦を迎えることができたのです。

 





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素粒子論の発展
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/09(月) 16:59
No. 7588
 
 
『素粒子論の発展』南部陽一郎 岩波書店 2009年)の書物から三段階論を南部先生が短く整理した文があるので紹介します。この感激的な時期に、坂田昌一氏と武谷三男氏が、湯川秀樹氏の中間子論の展開に協力しつつ、素粒子物理の理論的研究の方法と戦略を意識して明確に打ち立て、自らも実践して成果を挙げたのです。

坂田武谷の方法論は武谷の三段階論に要約されます。物理学の、とりわけ素粒子物理の進歩は三段階の繰り返しでおこるというのです。

[第0段階]
始まりは、現存する物理法則の外にある新現象の発見からです。

[第1段階] 現象論
最初の仕事は、データを集め、その中にある規則性を見いだし、経験法則にいたる。言い換えれば、データを組織化し予言をするところまでいく。これが現象論の段階です。 (中略)

[第2段階] モデルの構築
第一段階の現象論に続いてモデルを構築する段階がきます。規則性の起源をモデルの言葉で解釈しようとするのです。そのために具体的な、しばしば仮説的な実体が導入されます。そうではなくて、モデルが数学的な形をとることもあるでしょう。(中略)

[第3段階] 決定的な理論
次の最終の段階は、種々のモデルを、精密なすべてを含む数学的な体系をなす法則にまとめあげる理論を作る、あるいは考え出すことです。この理論は、現象を定量的に正しく記述し、精密な予言ができなければなりません。(中略)

[第4段階] 第0段階への回帰
三つの段階は繰り返すと期待されます。新しい現象が見いだされて理論が壊れるとき、第0段階に戻るのです。

 





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イスラム帝国が急拡大した理由
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/02(月) 14:33
No. 7587
 
 
イスラム教の創始者ムハンマドはもともと商人でした。けれど、40歳ぐらいのころ、マッカ (メッカ) 郊外の洞窟で瞑想していて、 神の言葉を聞きました。それがクルアーン (コーラン) です。

こうして、ムハンマドは布教を始めましたが、イスラム教は一神教です。それに対して、当時のマッカは多神教の町だったので、いじめられて町を追われてしまいます。そこで北に向かい、マディーナ (メディナ)という町で首長になって、イスラム教を広め、逆にマッカを征服して、アラビア半島でウンマといわれるイスラム共同体を始めます。

ムハンマドが死んだ後、戦友のアブー・バクルやウマルという優れたリーダーがローマ軍を破り、くたくたになっていた東ローマ帝国を蹴散らすと、サーサーン朝をも倒し、あっという間に大帝国を築きました。

イスラム教が急拡大したのは、合理的で寛容だったからたでしょう。イスラム教は商人の宗教ですから合理的なところがあります。例えば、戦争に勝ったとき、ミスルという軍営都市をつくりました。

要するに、制圧した町に兵隊を入れず、郊外にキャンプをつくって住まわせたのです。戦争に勝った兵隊たちは気分が高揚していますから、町に入れたら、おいしいご飯を奪ったり、きれいなお姉さんにちょっかいを出したりするのが目に見えています。

だから、ミスルをつくったのです。「コーランか剣か」という言葉を聞くことがあります。イスラム教徒が制圧した民族に対して、「イスラム教に改宗するか、それとも死ぬか」と迫った言葉とされていますが、違います。

実際には、税金さえ払えば、 今まで通りの信仰が認められました。税金を支払わないなら、とことん戦おうという話です。皆さんならどうしますか。税金を払えば、今まで通りに生活できるなら、殴りあいなんて嫌ですよね。

しかも、キリスト教とユダヤ教は同じ一神教です。イスラム教徒は、キリスト教やユダヤ教の神は、自分たちが信じる神と同じだとして、特に保護しました。イスラム帝国が急拡大した理由は、イスラム教の合理性と寛容さにありました。

 





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スマホ中毒のメカニズム
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/02(月) 14:32
No. 7586
 
 
目につくところになくても、スマホがどこにあるのかは把握しているでしょう。そうでなければ、この一文にも集中できていないはずです。 朝起きてまずやるのは、スマホに手を伸ばすことでしょう。1日の最後にやるのはスマホをベッド脇のテーブルに置くことです。

私たちは1日に2600回以上スマホを触り、平均して10分に一度スマホを手に取っています。起きている間ずっとです。いや、起きている時だけでは足りないようで、3人に1人が (1〜24歳では半数が) 夜中にも少なくとも1回はスマホをチェックするという。

スマホがないと、その人の世界は崩壊します。私たちの4割は、一日中スマホがないよりは声が出なくなる方がましだと思っているといいます(本当にそうなのだ)。どこにいても街中やカフェ、レストラン、バスの中、夕食のテーブル、おまけにジムにいても、見回すと誰もが自分のスマホをじっと見つめています。

それがいいか悪いかは別として、依存してしまっているのです。スマホのスクリーンは、いかにしてこの世を堕落させたのか。それを理解するために、脳内の伝達物質をひとつ選んで本を読むなら、ドーパミンが書かれているものをお勧めします。

どうしてスマホがこれほど魅惑的な存在になったのか、その理由を知りたい場合にも悪くないテーマです。ドーパミンはよく報酬物質だと呼ばれていますが、実はそれだけではないのです。ドーパミンの最も重要な役目は私たちを元気にすることではなく、何に集中するかを選択させることです。つまり、人間の原動力とも言えます。

お腹が空いているときにテーブルに食べ物が出てきたら、それを見ているだけでドーパミンの量が増えます。つまり、増えるのは食べている最中ではないのです。その食べ物を食べるという選択をさせるために、ドーパミンはあなたにささやく。「さあ、これに集中しろ」

ドーパミンが、満足感を与えるというより行動を促すのなら、満足感はどこから来るのだろうか。それには「体内のモルヒネ」であるエンドルフィンが大きな役割を果たしているようです。ドーパミンは目の前にある美味しいものを食べるよう仕向けてくるが、それを美味しいと感じさせるのはエンドルフィンです。

ストレスのシステムと同様に、脳内の報酬システムは何百万年もかけて発達してきました。 どちらのシステムにとっても、現代社会は未知の世界です。報酬システムでは、ドーパミンが重要な役割を果たし、生き延びて遺伝子を残せるように人間を突き動かしてきました。つまり食料、他人との付き合い人間のように群れで暮らす動物にとっては大切なことです。

そしてセックスによってドーパミン量が増えるのは、不思議なことではないのです。だが、スマホもドーパミン量を増やします。それが、チャットの通知が届くとスマホを見たい衝動にかられる理由です。スマホは、報酬システムの基礎的なメカニズムの数々をダイレクトにハッキングしているのです。

 





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中国の爆発的な成長
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/09/02(月) 14:31
No. 7585
 
 
1999年、アリババが創業されます。アリババは1997年に創業された楽天、1995年に創業されたアマゾンと同様、EC (Electronic Commerce) を開拓した会社ですが、中国のビジネス環境には米国や日本と比べて大きな違いがありました。

米国や日本には成熟した消費者市場が存在していました。しかし、中国にはそのような消費者市場は存在していませんでした。アリババの創業は日本では話題にならず、多くの日本企業は中国を消費者市場としては見ていませんでした。

中国は人件費の安い製造拠点というのが、大方の見方でした。孫正義氏だけが中国市場の爆発的な成長を予見していました。ソフトバンクはアリババに20億円を投資します。その投資はソフトバンクに8兆円の含み資産をもたらすことになります。

孫正義氏の予見は正しいものでした。ECは中国の地方に住む十数億人の人々にモノを買う機会を一気に提供したのです。消費と製造 の拡大が良循環を形成し、GDPを押し上げていきます。1989年に2兆円であった中国のGDPは2009年に500兆円を超え、2010年には日本のGDPを抜き去ります。

多くの日本企業が中国を製造の場所と考えていたのに対して、欧米企業は市場として捉えていました。彼らにとって中国は地理的に遠く、製造拠点としての意味はなかったからです。自動車業界では米国のGMや ドイツのフォルクスワーゲンが先行し、市場を占有していきます。

日本企業では、日産自動車がカルロス・ゴーン氏のリーダーシップで早期に進出します。トヨタ自動車は米国市場での基盤強化を優先し、中国市場 への進出は遅れていました。ケ小平が井戸を最初に掘った会社と呼び、来日の折には大阪に行って本社や工場を訪問し、感謝を表したパナソニックは中国に100近い拠点を持っていました。

だが、皆、製造拠点であり、関係する事業部がばらばらに進出し、中国という国、市場をパナソニックトータルで考える体制はありませんでした。2000年の前後、中国のGDPはまだ日本の3分の1でした。

しかし、デジタル技術がもたらすチャンスは、住んでいる国や地域に関係なく好奇心と挑戦心を持つ若者に平等に与えられました。アマゾンに対するアリババ、グーグルに対するバイドゥ、フェイスブックに対するテンセント。彼らはほぼ同時期に事業を始めます。

アリババの創業者は馬雲という人物です。1964年に生まれ、小さい頃から英語に興味を持ち、中国に来訪する外国人との交流を深めていきます。一時は大学進学も諦め三輪自動車の運転手などをしていたと言われます。

紆余曲折があり、最終的には大学の英語科に進み、英語教師としてキャリアを始めます。その英語教師が1995年、米国で出合ったインターネットに興味を持ち、中国版のイエローページ(企業広告)を開発し、1999年に本格的なEC市場の事業化に取り組みます。

目的は、中国の中小企業者が世界の市場で顧客を見つけられるようにするということでした。7人の共同創業者がいました。アリババは誕生したときから、米国や日本に大きく遅れた中国という国の課題に取り組むというミッションを持っていたと言えます。

 






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