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相互関係を持たない場合でも、人の視線は怖いです。電車に乗り心の準備もなくシートに座ったとたん、正面にズラリと並んでこっちを見ている人に気がついて慌ててしまいます。正面の人と視線が合わないように視線を据えつけるのが疲れる。
その人の目を見ないようにしようと思えば思うほど、その人の目を見たくなり、つい見てしまう。すると、その人の目と目が合ってしまう。しまったと思って急いで視線をはずし、暫くあちこちを眺めて、もう大丈夫だろうと思ってその人を見ると、その人とまた目が合ってしまうのです。
避けようと思えば思うほど吸い寄せられていく、あの「吸引力」は一体なんなのだろう。私はJRを利用することが多いので、正面の人との一定の距離の感覚ができています。だが私鉄はJRよりハコが小さいので、相手との距離が近いので、相手がズラリと並んでこっちを見ていると驚いてしまいます。もっと恐ろしいのはバスです。
自分の家の居間になに気なく入ったら、目の前に知らない人がズラリと並んで座っている、というような錯覚を覚えてしまいます。納得して自分を落ち着かせるのに、かなりの時間がかかるのです。日本人は視線に弱いと言われています。
習慣の基本に、人をジロジロ見るのは失礼だ、というのがあるからでしょう。視線が合ってしまったら、さり気なくはずす、というのが日本の作法です。いつまでも視線をはずさないのは、敵意の表明になります。
喧嘩に発展することもやむをえず、の意思表示ともなり、猿の世界もそういうことです。「猿の目をみつめないでください」という札がたっていますよね。日本人はこのように、猿の視線を避けながら、近隣の人の視線を避けながら、他人ともあまり目を合わせないようにする習慣の中で生きてきました。ところが西洋人はそうではありません。
お互いを強く見つめあう、というのがエチケットの基本です。日本のお辞儀の動作は、お互いの視線をはずす、というところにその眼目があると言います。反対に、西洋人の握手は、相手の目を見つめ合う、というところにその意図があるというのです。そして西洋人が喧嘩をする時は一旦視線を相手の目から外してから殴りかかります(笑)
西洋人の目から見ると、「日本人は視線を避けてばかりいる」ように見えると言います。外国人は、小さいときから、「目を見ろ」と言われて育っているので視線に強いです。大相撲の曙は立ち合いにいつまでも相手を睨み付けています。
日本人力士は目線を外してしまいます。にらめっこというのは、日本独特のものなのかもしれません。相手の目を見続けていられるはずがない、という前提の上に成りたっているゲームといえます。
西洋人は、小さい時から視線を鍛えながら育ってきて、すっかり視線に強くなりました。ということは、日本人といえども訓練によって鍛えられる可能性があるでしょう。今からでも、間に合うかも知れません。犬で練習すると犬は人間の視線に忠実に応えてくれます。
その点、猫はまるでダメです。犬は誠実でじっと目を見ると、「何ごと?」と、見返してきます。かなりの時間、犬は見つめてくれます。首をかしげ、問いかけるように、理解できない自分を悲しむように、誠実に見あげます。
日本人の全員が視線に弱いというわけでもありません。非常に強い人もいます。営業マンなどに多いです。上役と一緒に売りこみにきた、というような人に多いです。大事な用件は、上役のほうがベラベラ話し、部下はほとんど話さず、視線のほうに徹します。
上役の横に、前かがみに座って視線がくるのをひたすら待っているのです。視線が合うと、上下に激しく首をふって激しくうなずき、いつまでもうなずいている。うなずきおえると、またひたすらこちらに目を据える。鍛えてあるなぁ〜と羨ましくなります。
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