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100年ほど前から1970年代までは、地球上の人口が増えすぎてしまうのではないかと心配されていました。人口爆発のせいで地球の資源が足りなくなると警戒されていました。ところが気にすべきだったのは人間の数ではなく、人間の消費水準だったのです。
いま欧米では、多くの国で人口が減り、移民を受け入れなければ長期的に人口を維持できない状況になっています。中国も、かつての「一人っ子政策」の影響で人口置換水準を下回っています。あのインドでさえ、人口の伸びが横ばいになろうとしています。
人口減少局面に入った国も出てきています。日本や、ルーマニアなどの欧州の数ヵ国のことです。人口が減れば消費も減るわけではありません。長期的に見れば、すべてを決めるのは、人口の伸びです。一見、人口が増えないのはいいことに思えるかもしれません。
ところが、人口が増えなければ資源への負荷が軽くなるわけではないのです。むしろ社会が豊かになると、一家の人数が減るのに、一家の消費量自体は増えるといったことが起きます。人数の「減少」が消費の「増加」をもたらすのです。
つまり、課題は人口の抑制ではなく、人口が減ったときの消費の抑制だということです。課題は消費なのです。仮に地球の人口がたったの20億人だったとしても、全員が平均的なアメリカ人の水準で消費をすることになれば、とてつもなく恐ろしい事態になります。
消費の差がどれだけ大きいのか、そこに気づけていない人が多いのです。日本という国は、あらゆる観点から見て繁栄しており、裕福であることに異論の余地はありません。世界有数の長寿国でもあります。
ところが、数年前のデータで日本人一人当たりの消費は年間150ギガジュール(ギガは10億、ジュールはエネルギー量の国際単位)を下回っていました。250を超えるアメリカ人とは対照的です。
いまの中国は約55です。インドは25、サハラ以南のアフリカは10です。サハラ以南のアフリカで暮らす10億人がアメリカ人と同じ水準の消費を始めたら、地球の資源は完全に枯渇します。中国人がアメリカ人並みに消費したら地球はどうなる?
中国などかつての途上国が先進国に追いつくとき、経済成長や消費増加のペースが先進国の場合より加速することが多いです。いまやグローバル化の推進力の中心は、欧米ではなく、中国になっており、「一帯一路」構想によってシルクロードという交易路を復活させて、ユーラシアやアフリカに繁栄をもたらそうとしています。
中国がアメリカと同水準の消費生活を実現できたとき、地球は生き残れるのでしょうか。おそらくそうなったら地球は生き残れませんが、中国はアメリカと同じ水準になるのをめざしています。たった2世代前まで中国は35ギガジュールだったのです。
しかし、いまは100に近づき、できるだけ早く欧州水準の130や140に到達しようとしています。気になるのは、ほかの国も中国のような成長をするのか、というところです。おそらく、そうなる可能性はあまり高くないでしょう。
インドやサハラ以南のアフリカの成長速度は、中国に比べると、ずいぶんゆっくりです。 コロナ禍がきっかけでデジタル経済への決定的な転換があったという話をよく聞くようになりました。
デジタル化が進んだおかげで、一部の途上国の開発が一足とびに進み、豊かになれたりするのでしょうか。たしかにデジタル経済への転換はありましたが、その影響の大きさが過大視されている気がします。
基本的な話になりますが、文明の基盤は鉄やセメント、プラスチック、銅、肥料に使うアンモニアなどであり、そういったもののデジタル化は起きていないのです。いまも鉄が欲しかったら、鉄鉱石を掘って精錬しなければなりません。精錬には、大量の石炭を掘って、大量のエネルギーを投入して石炭をコークスに変える必要もあります。
そうした工程の管理はデジタル化できますが、現場で原材料を扱う部分はデジタル化ができません。作業自体はいまも昔も同じなのです。デジタル化によって経済の非物質化が進んでいると考える人もいるようですが、それには笑ってしまいます。
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