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  朝鮮半島併合の事情とは  仲條拓躬2025/05/08(木) 08:24 
  北欧でのIQ上昇の頭打ちの原因  仲條拓躬2025/05/08(木) 08:21 
  世界の政党情勢  仲條拓躬2025/05/08(木) 08:18 
  世界中のだれの眼にも奇跡  仲條拓躬2025/05/03(土) 09:20 
  オリンピックの金メダルとは  仲條拓躬2025/05/03(土) 09:18 
  満州国を取り巻く環境とは  仲條拓躬2025/05/03(土) 09:16 
  石原莞爾の世界最終戦総論  仲條拓躬2025/04/28(月) 17:51 
  時効について  仲條拓躬2025/04/28(月) 17:49 
  ティーンエイジャーのライフスタイル  仲條拓躬2025/04/28(月) 17:46 
  GDPでの労働力評価は充分でない  仲條拓躬2025/04/28(月) 17:24 






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朝鮮半島併合の事情とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:24
No. 7830
 
 
日清戦争で実際に持ち上がった問題は朝鮮半島についてです。この朝鮮半島は、当時、鎖国状態でした。その鎖国状態だったところにヨーロッパ列強の植民地的侵略の手がどんどん伸びてきたのです。

ちなみに、日本の開戦後、まだ鎖国していたのは、アジアでは朝鮮半島だけでした。ここで大変問題なのは、中国が西洋諸国の植民地にされているように、鎖国状態のアジアの国々は、19世紀末のヨーロッパ列強のアジア進出のために、ほとんどが植民地化されているか、征服されています。

そうなると、朝鮮半島はまだ鎖国をしているということはいずれ植民地支配されてしまう。さらにロシアの南下政策で勢力がどんどん迫っているのです。その時そこに三国干渉がやってきたわけです。

ロシア、ドイツ、フランスが、日清戦争による日本の朝鮮半島から中国大陸へかけての進出、そして日本がそこに領土も利権も獲得することに異議を申し立てたのです。その中でも南下政策を進めるロシアが一番強硬でした。

これは歴史的にずっと続いてきた地理的な条件にもとづく方針で、ロシアは常に南下政策をとっています。それはロシアのロマノフ王朝以来の、ソ連邦になっても変わらなかった外交政策です。

この三国干渉というのは、日清戦争の成果を踏みにじるもので、日本としてはとても我慢が出来ませんでした。そして遂に10年後、日露戦争という形に表れるのです。日露戦争は幸い、日本の勝利で幕を閉じることができました。

そして再び遼東半島の利権は回復され西洋諸国の植民地政策もストップしました。そのほか、朝鮮半島についての利権も獲得して手出しさせなくしたのです。さらに南樺太についての利権も獲得したので、ソ連は日本に恨みを持つのです。

満州及びそれに繋がる蒙古という地帯は、日本人の方から言うならば、五族が住む未開の地で日清、日露の苦労の末に獲得した地帯で、しかも、アジアの解放、人種差別廃止、独立をするためだという理屈となって、特別な意味を持っていくわけです。

多くの日本人や韓国及び周辺諸国ではどのような反日教育を施されどのように理解しているのかわかりませんが、これが歴史の真実でしょう。

 





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北欧でのIQ上昇の頭打ちの原因
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:21
No. 7829
 
 
ある書物では、記憶力や集中力といった知能がスマホのせいで低下していることを分析しているものがあります。現代のライフスタイルは座りっぱなしの時間が多く、睡眠時間も減っています。その影響についても指摘されていますが、これは我々の頭が悪くなっているという意味だろうか。昔よりは賢くなっているはずではないのか。

欧米では、IQ(知能指数)の平均スコアがここ100年で30も上昇しています。近代的なIQテストは20世紀初頭に開発され、当時の平均スコアは現在とまったく同じで100でした。我々が賢くなるにつれて、テストも難しくなりました。

現在IQテストを受けて100を取る人、つまり平均点を取る人は100年前のテストなら130で、人口の3%に相当する最も賢いグループに属していたことになります。一方、20世紀初頭に100点を取っていた人は、当時それが平均的な知能とされていたのですが現在のテストでは70しか取れず、精神遅滞の基準を満たすことになります。

だが、100年前に生きていた人たちが我々よりも頭が悪かったということではありません。今の我々と同じように、人生の実際的なことには対応できていました。我々のIQのスコアが上がった原因としては、こういったことが考えらます。現代人のほうが知能テストに出てくる抽象的、数学的な思考の訓練をずっと多く受けています。

なにより学校に通う期間が長くなりました。現在スウェーデン人の半数が高校を卒業していますが、100年前はほとんどの人が7年間の国民学校を出ただけでした。それに、現代の仕事はもっと複雑です。現在の仕事を例に取ってみればわかります。100年前、医師が使える薬はそう多くなかったでしょう。まだ抗生物質も発見されていない時代です。

それが今では何千種類もの製剤が手に入り、医学の知識も広範囲にわたり、すべてを把握することは誰にもできないくらいです。我々のIQは下がっているより長く教育を受け、より難しい仕事をこなし、複雑さを増し続ける世界に我々は住んでいます。それに合わせて、我々は知的能力を発達させ、IQテストで試されるような思考を訓練してきました。

世代ごとにIQが高まる現象は、ニュージーランドの大学教授ジェームズ・フリンにちなんだフリン効果として知られています。だが、フリン効果はデジタル化だけによるものではありません。IQは1920年代から10年単位でほぼ同程度上昇していますが、当時はまだテレビもインターネットもなかったのです。

ただ、ジェームズ・フリンは90年代の終わりから気懸かりな傾向に気づいていました。 北欧ではIQの上昇が頭打ちになり、今では平均スコアが毎年いくらか下がっているほどです。それほど劇的なものではない、年に0.2程度の低下ですが、北欧では1世代後には6〜7も下がることになるのです。そうなると、誤差範囲とはとても言えません。

フリンは、おそらく世界の他の地域でも同じことが起きるだろうと予測しています。フリンによれば、これは学校が昔より緩くなり、20〜30年前ほど読書が推奨されなくなったせいだといいます。それ以外に考えられるのは、身体を動かす時間が減ったことです。怒濤のように流れてくるすべての情報を処理することが難しくなった、とも考えられます。

 





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世界の政党情勢
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:18
No. 7828
 
 
2020年までに、伝統的な政党に対する信頼が失われていたことは、西側社会ではほとんど普遍的な現象でした。そして、選挙の番狂わせは予測できたのですが、それらの番狂わせはさまざまな形をとりました。

2017年のフランス大統領選挙では、左右の既成政党の候補者が、極左と極右の候補者にはるかに遅れをとっていたため、アン・マルシェ 運動を組織してから、たった一年しか経っていない中道派のマクロンが、中道を駆け抜けることができました。しかし、その翌年、彼は「黄色いベスト運動」の反乱に直面することになります。

一方、ドイツでは同じ年に行なわれた選挙でCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)を合わせた得票率が50パーセントに達しなかった。大連立政権の発足に手間取り、その後、両党の支持率が低下するにつれて、ますます政権は不安定になっていきました。

ドイツの二つの主要政党は、現職の党首が選挙で負けて辞任したため、すでに三人目の党首が誕生しています。アメリカでは、2016年に政治的背景も経験もないポピュリストのトランプが共和党の大統領候補として選出され、彼の気まぐれな発言のもとに、党の上層部と投票基盤の多くをまとめあげました。

イタリアでは、2018年に初のオール・ポピュリスト政権として不安定な政権が誕生しました。イデオロギーや哲学をほとんど持たない二つの抗議政党による連立政権で、当然のことながら翌年には崩壊し、同じように不安定な政権と交代しました。

EU離脱(ブレグジット)を問う2016年の国民投票の結果は、それまでのイギリスの政治システムを覆しました。そして、2019年12月の総選挙で労働党は50以上の議席を保守党に奪われ、そのほとんどが、ストークやドン・バレーのような伝統的に労働党が強かった労働者階級の地域でした。

しかし、これらの出来事は、もっと長期的なトレンドが顕在化したものでしょう。この一世紀の間、ヨーロッパの政治は、資本主義社会主義かというイデオロギーで定義され、投票行動は主に 社会階級によって決まっていました。

しかし、「資本主義者」や「社会主義者」という用語の意味も、そして左派と右派という対立の軸も、次第にはっきりしないものになっていきました。これらの用語は、政治的立場やグループを表す 「進歩派」、「活動家」、「ポピュリスト」のような新しい用語にとって代わられました。

グリーンピースからブレグジット党まで、またマーメイドからペギーダまで、単一争点の圧力団体が力を増す一方、伝統的な政党の党員数は急速に減少していきました。そして、社会階級を投票行動に結びつけていた歴史的なつながりは完全に切断されました。

アメリカの政治は、これまで大きな支持を得た社会主義の政党や運動がまったくなかったという点で異なっています。バーニー・サンダースとアレクサンドリア・オカシオ=コルテスが社会主義者と自称しているとしても、それは政治的な用語がどれほど変化したかを示すものに過ぎないでしょう。

その社会主義は、クレメント・アトリーやフランソワ・オランド〔第24代フランス大統領。任期2012〜2017年〕の社会主義ではなく、ましてやマルクスやレーニンの社会主義ではない。著者の一人が1968年に書いた「なぜヨーロッパの政治はアメリカよりもはるかにイデオロギー的なのか」というエッセイを思い出しています。

それは、このトピックがエッセイのテーマとして意味を持つ、ほとんど最後の瞬間でした。2020年にはこの逆が正しいように見えるかもしれませんが、アメリカの政治はイデオロギー的というよりも「部族的 (tribal)」というほうが正確でしょう。ジョー・バイデンはイデオロギーの人ではないし、ドナルド・トランプも同様です。

「左派」と「右派」という用語が政治の世界で使われるようになるのは、1789年にフランス国民議会で反国王派が議長の左側に座り、王党派が右側に座ってからのことです。この用語が政党を表すために使われ始めたのは、フランス第三共和政〔1870〜1940年〕の時期です。当時のグループは、中道右派、中道左派、極左などと呼ばれていた。

選挙権が拡大するにつれ、左翼政党への支持が高まり、1930年代になると左右の分裂によってヨーロッパは二極化し、最も破壊的な戦争につながったのです。1945年当時、社会主義はヨーロッパの労働者階級の間では高く評価される一方、アメリカでは社会主義を支持する者はごくわずかでした。

戦前のルーズベルトの大胆な政策がアメリカの資本主義を救ったのに対し、ヨーロッパの各国政府はナショナリズムと経済的保守主義という破滅的な組み合わせに撤退していたのです。そして、1945年以降、ヨーロッパの有権者は何か違うものを求めました。

共産主義のもとで、ロシアはドイツに対して軍事的に勝利し、東ヨーロッパのほとんどは1989年までソビエトの支配下にとどまりました。ロシアは1953年に水素爆弾の実験を行ない、1957年にはスプートニク〔世界初の人工衛星〕を宇宙に打ち上げました。その後20年間、共産主義の経済的・技術的成果の評価は誇張されたままだったのです。

 





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世界中のだれの眼にも奇跡
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/03(土) 09:20
No. 7827
 
 
石原莞爾平和思想研究会同志である戦争経験者が語る。昭和20年8月15日、焦土と化した日本列島を真夏の太陽が照りつけていました。抜けるような青空とジージー鳴く蝉の声。今日の日本の出発点となったこの日を、今でも忘れられないのです。

精魂こめて築き上げてきたもの、死ぬ覚悟で守り続けていたものが、一瞬にして消滅したあとの無力感。襲い掛かる疲労感や絶望感が複雑に重なり合い、何かをしようという気力もなく、日本人は空腹を抱えながら、幾日も過ごしたのです。

その状態でも、日本人は少しずつ前へ歩き始めました。瓦礫の山に、焼けトタンを繋ぎ合わせて小屋を建てました。そして焼け残った電車やバスが何事もなかったように動き出しました。8月15日は、複雑な何かの終わりであり、復興を目標とする出発点となりました。破壊の後に創り出すものは何か。

国家の復興・再生であり、それはとりも直さず、日本人の人間性の解放でもありました。戦後の出発は戦争のみならず戦前的価値や存在をまず否定することから、新たな第一歩が踏み出されたのです。戦前から戦後へ、8月15日を境に徹底的に破壊されたもの、形を変えて生き残ったものと、様々な変容が我々のまわりにはあるでしょう。

その象徴的なものは天皇像でした。戦前の「現人神」から、戦後の人間天皇という象徴天皇となり、それは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占拠方針によるものでありましたが、同時に、深くは日本人の文化と倫理と国家観に根ざす問題でもあったのです。

史上初の敗戦という事態をもたらした戦争責任との関連で、様々な天皇制論議がなされました。日本人の大多数は「国民統合」のよき「象徴」として天皇が、国民とともに歩まれることを歓迎したのです。その人間天皇にかわって、「神」として君臨したのが、GHQの総司令官ダグラス・マッカーサー元帥であったのです。

東京の中心、宮城とお濠をへだてて向き合っている第一生命ビルの屋上に9月17日以来、星条旗が鮮やかに翻り続けました。この旗、マッカーサーの命ずるままに、民主主義となったのです。ワシントンからの指令の第一の目的は、日本の「非軍事化」で、電撃的に処理されました。

8月15日現在、日本本土に57個師団約257万名余の兵力を有し、陸海合わせて約1万6000機の航空機が残っていました。これらがおとなしく武器をすて、武装解除が完了したのは10月15日のことです。

一発の発砲もなく、ただ1人の負傷者もなくこれが完了したというのは、世界中のだれの眼にも奇跡としかうつりませんでした。あの神風特攻隊がある日本軍が、あれだけソ連を苦しめて一度も負けなかった日本軍が何の抵抗をみせないとは。スターリンでさえこう洩らしたといいます。

 





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オリンピックの金メダルとは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/03(土) 09:18
No. 7826
 
 
オリンピックの五輪の旗の色は、青・黒・赤・黄・緑で、世界の五大陸(アジア、アメリカ、アフリカ、オセアニア、ヨーロッパ)の結合を意味しています。華やかなに見えるオリンピックですが、スポーツといえども国同士の駆け引き表舞台があれば裏舞台もあるのです。

過去、ソフトボールがオリンピックとして正式競技として採用されると、宇津木氏は日本代表として選ばれました。だが意気揚々としていた宇津木氏だが、「五輪憲章」における帰化選手の規定に基づいた中国の反対で出場を阻まれ、涙を飲んだのです。

だが、その後のアジア大会では、宇津木氏は日本チームの旗手として日本国を代表して、日の丸を揚げ、先頭に立って入場したのです。「この国で自分はこんなに大事にされているのだ」と心が震えたと言います。

規定という枠では15歳の愛知県の浅田真央氏の事ですが、実力があるというのに4年に一度のオリンピックに出場できませんでした。当初のオリンピックは参加することに意義あると言うことでしたが、いつの間にか勝つことに意義がある事となり、政治に関与しないことがオリンピック顕彰でしたが、その約束はことごとく破られました。

ヒトラーも政治に利用しました。戦後、共産圏は選手にご褒美として年金を出しました。体操選手のコマネチはまるで子供でした。大きくならない注射をしたのです。だが、アメリカに亡命して太りました。政治的に利用しなかったのは日本くらいでしょう。

だが、その日本でも「金じゃなければメダルじゃない」を掛け声にマラソン選手で円谷幸吉氏はエチオピアのアベベに及ばすゴール寸前で競り合い金には及びませんでした。円谷はプレッシャーに耐えかね次回オリンピックを控え頚動脈を切って自殺したのです。オリンピックとは華やかだけではなく裏舞台もあるのです。

そして、トリノオリンピックはソ連が崩壊して、冷戦が終わってから15年が経っていました。冷戦のために4年に一度のオリンピックを選手には関係ないはずのオリンピックですが政治的にボイコットしたこともありました。もちろん、東京オリンピックもボイコットされて幻のオリンピックとなってしまいました。

アメリカに原爆を落とされても、アメリカを崇拝できる日本人。冷戦に敗れたロシア人は、日本人のように敵媚びたりはしないし、尊敬もしない。トリノオリンピックのフィギュアスケート女子では、米ソ冷戦が再燃したようです。

最終日を控え、1位はアメリカのコーエン、2位はロシアのスルツカヤ、3位は日本の荒川静香。コーエンの祖父はウクライナ人で、1970年代にアメリカに移民したのです。ウクライナ人は、ロシア人と同じスラブ民族です。

彼女はアメリカ人ではなくソ連人でした。アメリカは、審査員に「ロシアは既にフィギュアでは3つの金メダルを取っている。4つも同じ国が金を取るのは、フィギュアスケートの発展を妨げる」と圧力を掛けたのです。

結果は、荒川静香が1位、2位コーエン、3位スルツカヤで、解説者は激怒していました。コーエンは2回転んだがスルツカヤは1回しか転倒していないのに何でコーエンが2位なのかと陰謀論が証明された瞬間だったのです。

この金メダルが米国ではなく日本でよかった。米ソに勝っちゃったわけで・・・鳥のオリンピックで金メダルとらなきゃ銅賞もなーい↓↓ではいけませんよ。銅もありがとうと言う気持ちじゃないと酸化することに意義があるのです(笑)今は金が高騰していますから

 





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満州国を取り巻く環境とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/03(土) 09:16
No. 7825
 
 
満州国が存在していた場所は、ツングースと言う土地であり、清朝発祥の地でした。中国の地図では、万里の長城の東北に位置するので「関外」「関東」「東北」とも呼ばれていました。中国ではもともと西蔵、台湾と同じように「化外」の特別な地として自国の土地としての意識はありませんでした。その面積は日本内地の約3倍もありました。

明治維新をへて近代国家への仲間入りをした大日本帝国が、この「赤い夕陽」の満州の荒野をはじめて意識したのは、明治27年から始まった日清戦争の時でした。さらに10年後、シベリアより南下してきた帝政ロシアを敵として、その満州で日本は国連を賭しての戦争を戦いました。その時の「宣戦の詔勅」には、こう書かれています。

「露国は依然満州を占拠し、益々その地歩を蛩固にして、ついにこれを併合せんとす。もし満州にして露国の領有に帰せんか、韓国の保全は支持するに由なく、極東の平和またもとより望むべくもあらず。」日露戦争は、満州の荒野をアジアの平和のための「日本の生命線」として、その主導権争奪をめぐり戦われたものでした。

戦争は、戦争指導のよろしきを得て、ロシア軍を破り、日本の辛勝で終結しました。その結果として、日本は大きな権益を国際的に満州の大地に獲得することができたのです。日露戦争後の日本の国策は、この大きな権益の保持、強化、発展ということを主眼として進められました。

大正から昭和への政策決定の推移を眺めてみると日本人にとって満州とは何か、どんな意味を持っていたのか、ごく基本的なイメージが浮かんできます。さらに、明治末の辛亥革命によって清国が滅びたあと、中国では近代的な統一された国家を建設しよう、という国民革命運動がさかんになっていました。

日本はこの中国ナショナリズムとも正面から衝突せざるを得なくなったのです。そして国民革命運動が満州や蒙古にまで伸びてくるのを恐れた日本は、清朝滅亡後、素早く手を打って満州の権益諸権利を持つことに成功します。しかしこの「対華二十一か条」の要求が、一挙に全中国人の心のうちの反日排日感情をよび起してしまったのです。

その結果は、大正8年5月の、5・4運動に代表される中国の、激しい日本敵視という現実に直面し、また英米とも対立を深め、もはや中国人の協力をえながら満州を開発することの不可能を、日本は覚悟しないわけにはいかなくなったのです。

 





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石原莞爾の世界最終戦総論
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/28(月) 17:51
No. 7824
 
 
既に日露戦争前にもみられた日米対立は、戦後ようやく顕在化し、第一次世界大戦後の国際協調の時代においても、根底で存在していました。米国での排日移民法が成立してからは日本のマスコミでも取り上げられるようになりました。

日米対立に関しては多くの日米未来戦記が出版され、フィリピン島攻防戦、太平洋上の日米艦隊決戦などが話題となっていたのです。一方軍人である石原莞爾は、既に1925年頃、日米間の「世界最終戦争論」に達していました。

石原莞爾の場合は日米戦争を日蓮の教義に基づいて、世界における人類の最終戦争と位置付けているところに独特の戦争史観が加わっているのです。石原莞爾は世界の戦史を研究した結果、戦争は持久(消耗)戦争と決戦(懺滅)とが交互に繰り返されてきたとし、持久戦争であった第一次世界大戦の後に来る次の戦争は、決戦戦争であると考えていました。

その戦争の時期は、「米国に西洋文明の集中完成すること、日本の文明の大成すること、飛行機が無着陸世界一周をなし得ること」を前提に1930年から数十年後に起こると予言しました。来たる日米戦争は、西洋文明と東洋文明が対決するといいます。

一種の終末論的発想であり、前途の見通しの暗い戦時体制化にあった当時の日本国民には、明るい希望を与えるようでした。石原莞爾は1940年9月「人類の前史終わらんとす」という講演をまとめた『世界最終論』を刊行、80版を重ねました。

ここではロケットや核兵器を予想したような、「自由に成層圏にも行動し得るすばらしい航空機」や、「一挙に敵に懺滅的打撃を与える決戦兵器」の出現を予言しているのです。ただし1930年代の日本にはこのような世界最終戦争を遂行する力はないので、満蒙地区が必要であり、ここに石原莞爾にとって満州事変の根本的必然性があったのです。

「世界最終戦争論」には天才的なひらめきを感じさせるところがあるのは事実ですが、科学的根拠があるわけでなく、戦略的発想と宗教的ドグマから得たようなものでした。最終戦争という発想は、石原莞爾が1923年の関東大震災の知らせをベルリンで聞いたとき、啓示を得たことにあるともいわれています。

(『石原莞爾選集』第三巻、石原莞爾平和思想研究会顧問・仁科悟郎教授解説)。石原莞爾は日蓮宗の宗教グループ国柱会に属していたから、その中には多くの石原信者がいたことは事実で、過去に国柱会の行事に参加すると私の目からも明らかでした。

 





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時効について
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/28(月) 17:49
No. 7823
 
 
時効とは人を殺しても一定期間逃げ回れば罪に問われなくなるという事です。有名な3億円事件やグリコの社長誘拐事件の時効が成立しました。犯人は、時の経過により時効が成立すれば、罪に問われないということです。

だが、これは刑事上の時効で、民事上にも時効が別にあります。例えば友達からお金を借りても返す期限が10年経てば返す義務がなくなります。サラキン業者から借りたお金は時効期間が5年で時効が成立します。

ちなみに、飲み屋のつけの場合は、1年で時効が成立します。それを防ぐには訴訟を起こすしかないです。裁判で勝訴すれば同じ給料債権でも一気に時効期間が10年に延びるという裏技があります。

公訴の時効は、刑事訴訟法250条から255 条に定められています。犯罪発生後、一定期間内に、犯人を裁判所に公訴しなければ、刑が科せられないという制度です。公訴時効の期間は、殺人罪など最高刑が死刑に当たる罪の場合15年、無期の懲役や禁固に当たる罪は10年、凶悪犯罪で長期 10年以上の懲役に当たる罪は7年です。

刑の時効は、刑法31条から34条に定められています。在宅や保釈事件で判決確定後、逃亡などで一定期間、刑の執行を受けなかった時、時効で刑の執行が免除となる制度です。死刑の場合は30年、無期の懲役・禁固20年、10年以上の懲役で時効期間15年です。

時効が定められている理由は法律にその根拠を示してはいませんが、時の経過で犯人を処罰する必要がなくなることや長い逃亡生活で、事実上制裁を受けたと同じ苦しみを味わっており、証拠があまりなく、関係者の記憶が薄れていて証明が困難な場合などがあるためだと思います。

だが、改正により、例えば、殺人罪(既遂)や強盗殺人罪など、「人を死亡させた罪」のうち、法定刑の上限が死刑であるものについては、公訴時効は廃止されました。これにより、犯罪行為の時からどれだけ時間が経過しても、犯人を処罰することができるようになりました。

時効に関して先進国のドイツでは、殺人事件を30年に延長して殺人事件の一部は時効を廃止、アメリカは大部分の州が殺人の時効を廃止しています。日本の刑罰で一番重いのは死刑です。死刑制度がなくなると、凶悪事件を起こしてもいずれは社会に復帰できることになり、被害者遺族の反発が大きい。そこで考えられるのは「終身刑制度」です。

「終身刑制度」とは、仮出獄を一切みとめず、一生服役させる制度であり、死刑と無期懲役の間に位置します。死刑廃止が世界的な傾向の中、終身刑をおくことで犯罪を抑止することを目的とした制度です。だがこの構想もなかなか進んでいません。

与党でも、死刑制度を残しておきたい自民党と、前面廃止を主張する公明党に、保守党がからみ、3党足並みがそろわないのが現状です。また、「終身刑は死刑よりも罪は重い」と考える人たちもいるし、終身刑だと、刑務所自体も増やさなければならないだろうし、国民の税金で3食の飯も食わせなければなりません。世界の風潮にのることはむずかしそうです。

 





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ティーンエイジャーのライフスタイル
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/28(月) 17:46
No. 7822
 
 
いつの時代もティーンエイジャーは寝不足だったとはいえ、この10年で不眠の問題は悪化しています。1〜24歳で睡眠障害の診断を受けた若者の数は理解しがたいことに2007年から5倍にも増えています。不眠は確かに2007年以前から増加傾向でしたが、少しずつだったし、人数も少なかったのです。

2007年これが睡眠障害で受診した人の数がぐっと増えた年で、2011年にはオーバーヒートしました。精神状態が悪くなって受診した人が増えたのと同じパターンです。2011年に何が起きたのかは、もうおわかりでしょう。

インターネットにつながるスマホが本格的に普及し、金持ちの贅沢品から、子供や若者を含め皆のポケットに入った頃です。若者の睡眠時間の減少は、大人よりも速いスピードで進んでいます。20ヵ国70万人の子供を対象に睡眠の傾向を調べたところ、たった10年前に比べても睡眠時間が短くなっていることがわかりました。

皮肉なことに、同時期に、若者にとって睡眠がどれほど大事かという研究報告があふれ出したのですが。どのくらい短くなったのかというと、丸々1時間です。毎日3000回近くスマホをスワイプし、そのせいで夜になっても興奮が収まらない、そんなティーンエイジャーのストレスフルな生活が眠れなくなる原因だというのは、憶測ではないでしょう。

よく眠れない原因は本当にスマホなのだろうか。ノルウェーで、1万人のティーンエイジャーにどのくらいの睡眠時間が必要だと思うか、そして実際に何時間眠っているかを調査しました。さらにタブレット端末やスマホ、パソコンをどのくらい使うのか、テレビをどれくらい観るかについても答えてもらっています。

その結果は大人とまったく同じ傾向でした。スクリーンの前にいる時間が長いほど不眠になります。やはり、スマホが若者の睡眠不足の大きな原因だというのは間違いなさそうです。英国では1〜18歳の半数が夜中にもスマホをチェックしていると答えました。10人に1人は最低でも10回確認しています。彼らに罪悪感がないわけではありません。

7割近くが「学校の勉強に影響が出ているかもしれない」と答えているのです。睡眠の悩みは特に女子に顕著で、考えられる説明としては、SNSに費やす時間が女子の方が多く、男子はゲームをしている時間が長いからでしょう。

置いてきぼりにならないように、女の子たちはいつもオンラインでコミュニケーションが取れる状態でなければいけないと思っています。ひっきりなしにドーパミンが放出され、さらには、常にそこにいなければいけないことや他人と比べてしまうストレスとも相まって、余計に眠れなくなるのです。

自分が今の時代のティーンエイジャーでなくてよかった。そんな自分勝手な考えが頭をよぎります。10〜17歳で精神科医にかかったり、向精神薬をもらったりしたことのある若者の割合はここ10年で倍になった、という統計を読みました。もっとも増加したのは強い不安と鬱で、いちばんの被害者は若い女性です。

ストックホルムでは、13〜24歳の女性の10人に1人以上が公営の精神科にかかっています。なお、個人開業の精神科医はここに含まれていません。何もスウェーデンだけが特別なのではなく、若者の精神的な不調は世界中で爆発的に広がっているのです。米国でも、うつの診断を受けたティーンエイジャーは7年で6割増えています。

米国では90年代からティーンエイジャーのライフスタイルを追跡し、毎年、大規模なグループに「昼間は何をしているか」を尋ねています。 友達に会うのか、デートをするのか、酒を飲むのか。またはスマホやパソコンを触っているのか、勉強しているのか、運動しているのかなど、ティーンエイジャーがやりそうなことすべてです。

そのときの気分を尋ねる質問もありました。寂しいのか、不安なのか。睡眠についても設問があります。このような調査は分析が難しいとはいえ、ここ数年、ある傾向が具体的になっています。スマホやパソコンの前で過ごす時間が長いほど、気分が落ち込むのです。

パソコン、スマホ、タブレット端末を週に10時間以上使うティーンエイジャーがもっとも「幸せではない」と感じています。その次が6〜9時間使用する若者です。つまり、4〜5時間以下の若者よりも「幸せではない」と思う率が高いのです。

そんな調子で続きます。 スクリーンタイムと聞いて思い浮かぶすべてSNS、ネットサーフィン、ユーチューブの動画にゲームが精神的な不調に繋がっていました。一方、それ以外のことをする場合、つまり誰かと会ったりスポーツをしたり、楽器を演奏したりすると精神的に元気になる傾向がありました。この傾向は複数の調査で見られました。

16件の研究で合計1万5000人の子供・若者を調査した結果をまとめると、1日2時間を超えるスクリーンタイムはうつのリスクを高めています。時間が長くなればなるほど、リスクは高まります。4万人の子供・若者を調べると、1日7時間以上使用する人はスクリーンタイムの短い人と比べると、うつと不安の症状が倍も多く見られる事が解ったのです。

 





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GDPでの労働力評価は充分でない
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/04/28(月) 17:24
No. 7821
 
 
新型コロナウイルスによるパンデミックは、女性がその多くを担う無休労働や、女性が主な働き手の産業の過小評価された仕事に、経済がいかに大きく依存しているかを明らかにしました。こうした仕事の地位を向上させ、それをより広範な経済成長政策に取り込むために、政府は何ができるのであろうか。

コロナによって我々は、経済において何が「価値のあるものか」ということをより深く考えるようになりました。「価値のあるもの」とは、値段がつけられるもの、交換できるもの、とされます。ところが、これまで「高い価値がある」とされてきた分野。例えば、金融業や不動産業などの分野は、社会の基盤を支えるものではなかった事が明らかになりました。

コロナの感染拡大を受けて、行政は「エッセンシャル・ワーク」とは何かを定義づけ、こう言われるようになりました。最も価値のある、かけがえのない市民とは、医療、公的介護、教育、公共交通、スーパー、配送サービスの現場で働く人たちだ、と。

こうした仕事はヨーロッパ、イギリス、アメリカでは、女性や有色人種が多く担っています。こうした人びとが他の人びとよりつらい思いをするのは「仕方がないこと」ではありません。何事もそうであるように、政策次第なのです。

家庭内の無給労働を国内総生産(GDP)にカウントできると考えるのは野心的な試みではないでしょう。どうすれば実現しますか。まず、何でもかんでもGDPに含めるために適応させたり調整したりすべきではありません。

一つの指標として、GDPには本質的な欠陥があります。というのもGDPにおける経済的な価値は、市場取引にのみ基づいて決定されるからです。つまり、市場で売られる商品やサービスだけがカウントされます。GDPは、「価値の抽出」を「価値の創造」に変えようとすると同時に、収入や富の極端な格差を正当化するために使われます。

GDPよりはるかにダイナミックな評価要素や指標があります。たとえばイギリスでは、公共部門のプロジェクトは、まだ生まれていない世代への影響を考慮して助言をおとなう「未来世代コミッショナー」によって審査され、評価されます。

ニュージーランド政府は2019年、世界初の「幸福予算」を国家予算に組み込みました。また「真の進歩指標 (GPI)」は、環境・社会的コストと利益を分け、家事やボランティアの価値を認め、格差是正をめざすものです。

こうした評価アプローチがより活用され、受け入れられるようになれば、家事のような労働が社会に与える直接的、間接的な影響をより正確に示すことができるようになるでしょう。コロナの感染拡大によって社会は、保育園などの施設や子どもを預かる親類や知人など、育児に携わる存在の重要性をより強く意識するようになりました。

家事の主な担い手とされる女性は、コロナによって男性よりはるかに高い割合で労働市場からの脱落を余儀なくされています。家事、掃除、家族のケア、子どもの世話をすることは、社会に大きな波及効果をもたらします。けれども、それをきちんと把握して、こうした活動を明確に示し、評価する努力はまだ充分になされていないのです。

 






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