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石原莞爾平和思想研究会では自給自足を実践する試みとしてビオトープ水田を行い多くの子供たちにお米の作り方を体験してもらいました。その企画の一つとして、戦時中の食べ物を実際に作って食べるということも行ってみました。調味料がないので随分苦労しました。食後は、戦争を体験した同志の方のお話を聞く事が出来ました。
電気冷蔵庫、電気掃除機、クーラー、戦後全盛の三種の神器はすべて戦艦大和に備え付けられてあり戦前からあったというのだから驚きです。
極東軍事裁判酒田法廷 昭和21年11月、石原将軍は居を鶴岡より飽海郡吹浦海岸の西山の地に移しました。ここは桐谷真氏の地所で、羽越線吹浦駅を降りて徒歩30分くらい、海岸の砂浜の松林の中のきわめて簡素な住宅でいかにも哲人の住むに適した清閑の地です。ここでは同志ならびに私の父(仲條立一)含む若い弟子に囲まれ、信仰と農耕の生活に入り、昭和維新と祖国の復興の為に献身の日日を送ったのです。
繆斌は麻布の東久邇宮邸を訪ね稔彦王殿下に会っています。これは東久邇宮殿下がかねてから蒋介石との和平工作を望んでいることを知っていたからです。さらに東久邇宮殿下は当時最も天皇に近い方であるので、自分の考えを天皇に伝えていただきたいという希望もありました。
人類5000年の歴史のなかに、今のプーチンくらいの人物は、たくさんいます。その時期、その地域では、大変な権勢を振るったかもしれないけれど、死んでしまえば、さしたる影響は残していないのです。そういう人物と、死後にも残るグランドデザインを描けるリーダーの違いというのは、世界史を一気読みすれば、おのずとわかると思います。
ナウマンが来日した1875(明治8)年のことです。この年の11月4日、ナウマンは早くも、最初の地質調査旅行に出かけていました。それは従者と通訳を従えただけの単独行でした。馬車で東京を出たナウマンは、高崎から碓氷峠を越えて中山道を下り、追分 (現在の軽井沢の宿場で数日滞在して、浅間山へ登っています。
私が自衛隊の最高幹部でしかもカリスマ的な人望があり、私の命令ひとつで部隊が生死をともにしてくれる、というのなら、それはそれでいいのです。クーデタを起こして、憲法は好きなように変えてしまえばよい。フランスでナポレオンが行ったように皇帝に即位すればいいのです。
自分の悪い癖が出そうになったのに気づいた時には、悪魔の誘惑に乗らない、代わりによいことを始めようと考えることが出来たらよいと思います。悪い癖が出てしまっても、自分を責めたり落ち込んだりせずに、気づいた時にストップできればいいのです。気づいてストップできた経験が積み重なれば、自分はやめられると自信が付いていくでしょう。
レストラン、西洋料理屋、洋食屋などとランクがあったそうです。銀座マキシム、上野精養軒はレストラン、洋食屋は銀座煉瓦亭、人形町芳味亭にその面影を残しています。食べられる料理は、カツにコロッケのフライが洋食屋で大衆的、西洋料理屋は真ん中で、大正時代には「お登和亭」を名乗る洋食屋が東京中にあったそうです。よく父は好んでレストランの上野精養軒に連れて行ってくれました。
ISO(国際標準化機構)は地球環境に最も配慮した企業を育成するための国際指標となるものがありますが、各部門の責任国を見ると、その思惑が鮮明に浮かび上がってきます。標準化を巡る検討委員会は6つの小委員会から構成されていますが、その構成と責任国は次のようになっているのです。第一小委員会(以下SCと呼称)環境マネージメント・イギリス。SC2環境監査・オランダ。SC3環境ラベル・オーストラリア。SC4環境パフォーマンス・アメリカ。SC5ライフサイクル・アセスメント・フランス。SC6用語・定義・ノルウェー。
1951年のことで、クジラを食べる日本人にとって食文化まで否定された条約であり、戦後の日本の歩みを象徴する条約だったのです。だが、終戦後の日本国には脱退したいなどと軽々しく口に出来なかったのです。この分野でも日本は戦後を迎えたことになります。
フォッサマグナについて国内外のさまざまな研究者たちが議論を始めています。フォッサマグナへの関心が活性化してきているように感じます。 新しい手法によって日本列島の研究が進み、もう一度、日本列島の成り立ちを考え直そうという時期に来ているからだと思います。しかし、フォッサマグナについては依然として、その成り立ちも、そもそもどこからどこまでがフォッサマグナなのかさえも、はっきりとわかっていないのが現状です。今後、南海トラフや東京直下型地震が発生したら、日本列島はどのようになってしまうのであろうか。
大切な過去のお話ですが、マレーシアのマハティール首相が長年思い描いてきた米・欧に対抗する「アジア勢力圏の構築」という偉大な構想がありました。米国は、メキシコ、カナダとの間で北米自由貿易体制を構築しようとし、欧州もまた欧州統合に向けて動きを加速させていた時でした。このままではアジア諸国は、この二大勢力の餌食にされてしまう。アジアとしても日本という先進国の主導の下に、中国、韓国を含めた協力体を構築すべきでないか。欧米の意のままに従うという受身の立場に甘んじることなく、帝国主義的な欧米の圧力に抗しうるプレーヤーになるべきである―という思想がありました。アジアが生んだ偉大な合理的民族主義者、マハティール首相です。
現在の憲法の核となるイデオロギーは、民主主義と人権思想です。この2つは同じもので、制度に注目すれば民主主義、内容に注目すれば人権思想で、どちらも200年前のフランス革命から有しています。民主主義・人権思想の他に平和主義を挙げる人もいましょうが、これは多分に政策的に便宜的なものです。
街中で後ろから近づく救急車に道を譲らず、ちんたら走る車を見ると「お前らには想像力がないのか」と腹立たしさを覚えます。
名札の廃止といえば、販売店や飲食店でも同様の理由から廃止が進んでいるそうです。接客業でありながらマスクで顔の半分を隠したうえで匿名にしなくてはならないとは、世知辛い世の中になったものです。
小磯総理は、繆斌の提案を最高戦争指導会議にかけて決定しようとして、首相官邸において、第49回の会議を開きましたが、席上第一に杉山陸相が発言して、繆斌は重慶政府の回し者で、かかる重大な問題を交渉するに足る人物でないと真向から反対しました。引き続き重光外相も、今回の繆斌日本招致に外相として関与しなかったとか、かかる重大な戦局のもとにおいてこのようなことは輔弼の責任をおえないという反対があり、米内海 相亦態度不鮮明で、小磯総理の面目はまるつぶれで、この会議は失敗に終わったのです。
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