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  小話2024年7月分下  仲條拓躬2024/07/25(木) 15:56 
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  ISO国際標準化機構  仲條拓躬2024/07/22(月) 18:27 






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小話2024年7月分下
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/25(木) 15:56
No. 7534
 
 
石原莞爾平和思想研究会では自給自足を実践する試みとしてビオトープ水田を行い多くの子供たちにお米の作り方を体験してもらいました。その企画の一つとして、戦時中の食べ物を実際に作って食べるということも行ってみました。調味料がないので随分苦労しました。食後は、戦争を体験した同志の方のお話を聞く事が出来ました。

電気冷蔵庫、電気掃除機、クーラー、戦後全盛の三種の神器はすべて戦艦大和に備え付けられてあり戦前からあったというのだから驚きです。

極東軍事裁判酒田法廷 昭和21年11月、石原将軍は居を鶴岡より飽海郡吹浦海岸の西山の地に移しました。ここは桐谷真氏の地所で、羽越線吹浦駅を降りて徒歩30分くらい、海岸の砂浜の松林の中のきわめて簡素な住宅でいかにも哲人の住むに適した清閑の地です。ここでは同志ならびに私の父(仲條立一)含む若い弟子に囲まれ、信仰と農耕の生活に入り、昭和維新と祖国の復興の為に献身の日日を送ったのです。

繆斌は麻布の東久邇宮邸を訪ね稔彦王殿下に会っています。これは東久邇宮殿下がかねてから蒋介石との和平工作を望んでいることを知っていたからです。さらに東久邇宮殿下は当時最も天皇に近い方であるので、自分の考えを天皇に伝えていただきたいという希望もありました。

人類5000年の歴史のなかに、今のプーチンくらいの人物は、たくさんいます。その時期、その地域では、大変な権勢を振るったかもしれないけれど、死んでしまえば、さしたる影響は残していないのです。そういう人物と、死後にも残るグランドデザインを描けるリーダーの違いというのは、世界史を一気読みすれば、おのずとわかると思います。

ナウマンが来日した1875(明治8)年のことです。この年の11月4日、ナウマンは早くも、最初の地質調査旅行に出かけていました。それは従者と通訳を従えただけの単独行でした。馬車で東京を出たナウマンは、高崎から碓氷峠を越えて中山道を下り、追分 (現在の軽井沢の宿場で数日滞在して、浅間山へ登っています。

私が自衛隊の最高幹部でしかもカリスマ的な人望があり、私の命令ひとつで部隊が生死をともにしてくれる、というのなら、それはそれでいいのです。クーデタを起こして、憲法は好きなように変えてしまえばよい。フランスでナポレオンが行ったように皇帝に即位すればいいのです。

自分の悪い癖が出そうになったのに気づいた時には、悪魔の誘惑に乗らない、代わりによいことを始めようと考えることが出来たらよいと思います。悪い癖が出てしまっても、自分を責めたり落ち込んだりせずに、気づいた時にストップできればいいのです。気づいてストップできた経験が積み重なれば、自分はやめられると自信が付いていくでしょう。

レストラン、西洋料理屋、洋食屋などとランクがあったそうです。銀座マキシム、上野精養軒はレストラン、洋食屋は銀座煉瓦亭、人形町芳味亭にその面影を残しています。食べられる料理は、カツにコロッケのフライが洋食屋で大衆的、西洋料理屋は真ん中で、大正時代には「お登和亭」を名乗る洋食屋が東京中にあったそうです。よく父は好んでレストランの上野精養軒に連れて行ってくれました。

ISO(国際標準化機構)は地球環境に最も配慮した企業を育成するための国際指標となるものがありますが、各部門の責任国を見ると、その思惑が鮮明に浮かび上がってきます。標準化を巡る検討委員会は6つの小委員会から構成されていますが、その構成と責任国は次のようになっているのです。第一小委員会(以下SCと呼称)環境マネージメント・イギリス。SC2環境監査・オランダ。SC3環境ラベル・オーストラリア。SC4環境パフォーマンス・アメリカ。SC5ライフサイクル・アセスメント・フランス。SC6用語・定義・ノルウェー。

1951年のことで、クジラを食べる日本人にとって食文化まで否定された条約であり、戦後の日本の歩みを象徴する条約だったのです。だが、終戦後の日本国には脱退したいなどと軽々しく口に出来なかったのです。この分野でも日本は戦後を迎えたことになります。

フォッサマグナについて国内外のさまざまな研究者たちが議論を始めています。フォッサマグナへの関心が活性化してきているように感じます。 新しい手法によって日本列島の研究が進み、もう一度、日本列島の成り立ちを考え直そうという時期に来ているからだと思います。しかし、フォッサマグナについては依然として、その成り立ちも、そもそもどこからどこまでがフォッサマグナなのかさえも、はっきりとわかっていないのが現状です。今後、南海トラフや東京直下型地震が発生したら、日本列島はどのようになってしまうのであろうか。

大切な過去のお話ですが、マレーシアのマハティール首相が長年思い描いてきた米・欧に対抗する「アジア勢力圏の構築」という偉大な構想がありました。米国は、メキシコ、カナダとの間で北米自由貿易体制を構築しようとし、欧州もまた欧州統合に向けて動きを加速させていた時でした。このままではアジア諸国は、この二大勢力の餌食にされてしまう。アジアとしても日本という先進国の主導の下に、中国、韓国を含めた協力体を構築すべきでないか。欧米の意のままに従うという受身の立場に甘んじることなく、帝国主義的な欧米の圧力に抗しうるプレーヤーになるべきである―という思想がありました。アジアが生んだ偉大な合理的民族主義者、マハティール首相です。

現在の憲法の核となるイデオロギーは、民主主義と人権思想です。この2つは同じもので、制度に注目すれば民主主義、内容に注目すれば人権思想で、どちらも200年前のフランス革命から有しています。民主主義・人権思想の他に平和主義を挙げる人もいましょうが、これは多分に政策的に便宜的なものです。

街中で後ろから近づく救急車に道を譲らず、ちんたら走る車を見ると「お前らには想像力がないのか」と腹立たしさを覚えます。

名札の廃止といえば、販売店や飲食店でも同様の理由から廃止が進んでいるそうです。接客業でありながらマスクで顔の半分を隠したうえで匿名にしなくてはならないとは、世知辛い世の中になったものです。

小磯総理は、繆斌の提案を最高戦争指導会議にかけて決定しようとして、首相官邸において、第49回の会議を開きましたが、席上第一に杉山陸相が発言して、繆斌は重慶政府の回し者で、かかる重大な問題を交渉するに足る人物でないと真向から反対しました。引き続き重光外相も、今回の繆斌日本招致に外相として関与しなかったとか、かかる重大な戦局のもとにおいてこのようなことは輔弼の責任をおえないという反対があり、米内海 相亦態度不鮮明で、小磯総理の面目はまるつぶれで、この会議は失敗に終わったのです。

 





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小話2024年7月分上
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/25(木) 15:55
No. 7533
 
 
高速道路を無料化した場合の経済効果について国土交通省が2年前に試算を行っていたことが明らかになっています。一般道の渋滞が解消されることなどから、直接の経済効果を2.7兆円と見込んでいます。朝日新聞が入手した資料によると、「3割引」「5割引」「10割引(無料)」の3パターンについて経済効果や渋滞予想区間を詳細に調べています。経済効果は(1)走行時間の短縮(2)燃費などの走行経費の減少(3)交通事故の減少、の三つの効果を、国土交通省の基準に基づき金額に換算しました。高速道自体の経済効果は、渋滞増加などで年間マイナス2.1兆円となりますが、車が流れやすくなる一般道が4.8兆円のプラスとなり、差し引きで「2.7兆円の経済効果が生じる」としています。利用者の料金負担の軽減分などを加味した場合では、経済効果は7.8兆円に達し、6000〜7000 億円の税収増となる、としていています。

魚沼の里は、霊峰・八海山の麓、南魚沼市長森の一角にあるのどかな里山の中にあります。地酒八海山を製造する第二浩和蔵を中心に、カフェや売店、キッチン雑貨店等を併設した「八海山雪室」、「そば屋長森」、菓子処「さとや」、「つつみや八蔵」などのお店が、点在しています。八海山は、新潟県内でも割とポピュラーなお酒で、のど越しの良いすっきりとしたおいしいお酒です。

水上温泉「坐山」は、谷川岳の麓に位置する群馬県でも指折りの知名度で、利根川沿いに大型旅館が立ち並びます。室町時代に発見されたと言われ、かつては湯原温泉と呼ばれていたそうです。

谷川岳ロープウェイは、日本では3カ所にしかない、フニテル式(複式単線自動循環式ゴンドラ)というもので、揺れがほとんどない安定した運転でした約15分もかかります。ロープウェイを降りた後は、リフトに乗って天神峠を目指します。

満足度の高い道の駅、全国ナンバーワンに選ばれた道の駅「川場田園プラザ」は、広さが、東京ドームの1.5倍になります。ショップや飲食店と物販合わせて直営だけで12店とテナントも4店入っています。

石原将軍はかねて、参謀長というようなものは不要であるという持論であったといいます。参謀長の頭脳を借りなければ戦争ができないのは、馬鹿な司令官だけだというのです。そしてなに事も師団長の計画と命令でやりました。仙台の連隊長時代も、石原連隊長自身の考えで卓越した異色の運営をしました。ここでは着任と同時に全管下団体長に、一 爾後文書検閲はこれを行なわず。二 将校はソ連の将校の如くに訓練すべしという命令を出したという。

東条軍閥の石原将軍に対する断圧は執拗なものがありました。憲兵を動員し、あるいは右翼団体の無頼の徒輩を動員し、石原将軍をもって赤だ、共産党だ、東亜連盟は敗戦主義だ、米英の第五列だとか、また当代まれにみる私生活の清廉な石原将軍を、遊蕩に耽っているというような悪宣伝を行なったのです。

生涯に人は何冊本が読めるのか、計算してみたのですが、生まれた赤ちゃんから男女平均寿命をちょっと過ぎて死ぬまで、1日に必ず1冊本を読むとして、たった3万冊しか読めないのです。生まれた赤ちゃんは本を読めないでしょう。80歳位になると、目がかすんだり、体がおかしくなったりもするから、実質、15歳から65歳まで読んだとして50年です。ハードカバーを1万冊読んだとしたら、物凄いことだと思うのです。

幼稚園児の質問ですが、「ライオンとトラと闘ったらどっちが強いの」などと聞いてきます。難問です。(笑)ライオンはアフリカの草原、トラはアジアの密林、生息地が全然違うから、闘うも何も、接触さえありはしないのだが、そこを理解させようと、一苦労です。

石原将軍は東条首相に、「戦争は君では勝てない。このままで行けば日本を亡ぼしてしまう。即刻総理大臣をやめなさい」と進言したのです。こんなことから東条首相の石原将軍に対する弾圧は、一層きびしくなったのでした。

繆斌は田村真作氏に「お国の日本と中国とは難兄弟です。中国には難兄弟という言葉があります。兄弟というものは、お互いが困らない間は、兄弟の有難さがわからないのです。それで喧嘩ばかりしています。お互いに困って来るとそのときに始めて兄弟の本当の愛情がわかって来るのです。日本と中国とはこの難兄弟と同じことです。日本も中国もお互いに本当に困って来ないと両国の愛情がわからないのです。」と語っています。

お寿司屋にアメリカ人の友達を案内した。お寿司が出るたびに、友達は、魚の名前を聞いてくる。これはマグロ(tuna)、これは鯛(sea bream)、これはカツオ(bonito)と説明したのだが、蝦蛄(しゃこ)が出てきた。これは思いつかないのでとっさに、ガレージ(車庫)です。と答えた爆(((●〜*>

外務省報償費として予算化された機密費の中から、毎年20億、内閣官房に上納するのが慣例となりました。この話は元外務省のキャリアが本を出版しているので、その関係者なら皆さん知っています。歴代官房長官は皆当事者であり、知らないはずがないのです。官房長官経験である塩川正十郎財務相も「やっていた」と口を滑らせた後「忘れてしまった」と惚けました。さらに、旧大蔵省や会計検査院も知らないはずがないのです。

アメリカのケネディと言えば「キューバ危機」を回避した理性ある偉大な大統領です。ソ連のフルシチョフ、キューバのカストロ、いずれも個人的には核使用は望まなかったのですが、核戦争寸前まで行ったのは事実です。人間は必ず間違いを犯す、理性のない人間もいるので危機は阻止できないということです。残念ながら理性のある人間を暗殺しようとする輩もこの世には存在するのも事実です。

「ハル・ノート」のおかげで戦争を回避できない状態に追い込まれました。「日本軍は中国から全面撤退すべし、蒋介石政権以外は認めない」というハル・ノートは日本への最後通牒、宣戦布告です。政府はそれを国民に隠して発表しませんでした。発表していれば、昔の日本人は今の洗脳されている歴史しかしらない日本人と違います。武士道精神がありましたからアジアの開放のために世論は開戦やむを得ないと承知したでしょう。

1992年の7月19日の朝日新聞は、竹下首相が遊説中に黒人を「黒」と表現したと非難されました。オゾン層の破壊で皮膚がんの発生が増えている、という話の中で、「発生するのは白人の方ですよ。黒や我々まだらには出ていない」と言ったのです。「まだら」は珍妙だし、「白人の方」も変です。

本来「道」は誰のものでもなく、アメリカのハイウェイのようにすべての人々が無料で自由に往来できるもののはずですが、日本では高速道路など多額の建設費用がかかる道を作る場合、それを利用することによって、目的地に早く到着するなどで得をする人に『受益者負担』として、その費用が償却されるまでという条件付きで通行料金を負担してもらう。

 





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繆斌工作の失敗に帰した経緯
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/25(木) 15:53
No. 7532
 
 
小磯総理は、繆斌の提案を最高戦争指導会議にかけて決定しようとして、首相官邸において、第49回の会議を開きましたが、席上第一に杉山陸相が発言して、繆斌は重慶政府の回し者で、かかる重大な問題を交渉するに足る人物でないと真向から反対しました。

引き続き重光外相も、今回の繆斌日本招致に外相として関与しなかったとか、かかる重大な戦局のもとにおいてこのようなことは輔弼の責任をおえないという反対があり、米内海 相亦態度不鮮明で、小磯総理の面目はまるつぶれで、この会議は失敗に終わったのです。

繆斌工作の失敗に帰した経緯について、当時直接関与した緒方国務相は、次のように語っています。『小磯総理はその位置上、すぐ繆斌と会見することを控えたいというので、僕が代わって、二日にわたり種々繆斌の意向を叩いてみたが、彼は蒋介石よりの電文写し、その他の証拠品を所持しており、彼の有する案についても重慶の意向が明瞭にされていた。

勿論、日本としても対中国政策の百八十度の転換であるから、繆斌の提案をそのままのむことは内外の事情で困難であるが、いわゆる重慶工作を開く基礎には十分であると考えた。 そこで僕は一切を小磯総理に応答し、場合によっては僕自身重慶に行ってもよいといった。

小磯総理は非常に乗り気になり、最高戦争指導会議を開くから、一つ原案を用意し、且つ君も会議に出てくれとのことだったので、繆斌の提案たる、南京政府の解消・停戦撤兵・引継機関としての留守府開設案とともに、専使を派遣し、蔣主席の真意を確むべきであるという意見を付して原案を用意した。

しかるところ、重光外相は南京大使館清水書記官の情報にもとづいて真向から反対し、杉山陸相、梅津参謀総長、及川軍令部長、米内海相も皆反対または賛否を留保し、会議はきわめて白けた空気のなかに散会した。要するに最初から事態を真面目に検討する意志がないのである。

僕はあまりに不可解なるをみて、最初から熱心にこの工作を支持された東久邇宮殿下に以上の経過を申しあげ、一方、米内海相にも助力を求めた。殿下は杉山陸相、梅津参謀総長を個々に招じ熱心に事態の収拾を勧誘されたが、陸相、総長ともに一向にえ切らなかった。

米内海相には僕自身行って、今や戦争のみをもってしては局面の打開はほとんど不可能である。万一敗戦の場合、かえりみて打つべき手が残されていないのでは、お上に対し申し訳ない次第でないかと、切に海相の共鳴を求めたところ、海相は「君の誠意は認められるが、事ここに至っては内閣は最悪の場合に陥いるほかなかろう」とのことであった。

ここにおいて小磯総理は聖断を仰ぐべく参内したが聴かれず、越えて、陛下より改め重光外相、杉山陸相、米内海相に対し御下問があり、三相ひとしく反対意見を奉答したため、ここに小磯内閣の瓦解となったのである』

東京裁判において小磯元首相は繆斌について、次のように供述しています。『繆斌は熱心な日華和平論者で、江政権に立法院長として加わっていたが、のちに重慶政府との連絡があるとの理由で、考試院次長に左遷された。無線機ですでに重慶側と連絡していた事実などで、相当信用しうると考えた。彼の提示した当時の重慶側講和条件は、
一、日本の完全撤兵
二、重慶政府の南京留守府を設置
三、重慶政府の南京遷都
四、日本と米英との講和
以上であった。私は繆斌を利用して重慶と直接連絡を設定せんと、陸・海・外三相の同意を求めたうえ彼を招致したが、陛下から三相が反対意見であるから繆斌は中国に帰せといわれた』このような事情で、小磯総理の面目は丸つぶれで、繆斌は上海に帰されることになり、迎賓館より追い出され麹町の五条珠実の宅に移ったが、ここの宿舎で石原将軍は繆斌と枕をならべて夜おそくまで、日両国ならびにアジアの将来などについて語り続けた。

このとき繆斌は「日本の政治家は豚頭です」と憤りを語られたそうである。石原将軍もまた空しく郷里に去り、繆斌工作は失敗に終わり、それより数カ月後の8月15日に無条件降伏となり、杉山大将をして自刃の直前「あのとき繆斌工作をやっておけばよかった。惜しいことをした」と後悔させたことになる。

 





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匿名化への疑問
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/24(水) 14:51
No. 7531
 
 
バスやタクシーの車内に設置されている運転者の名札がなくなるというニュースがありました。国土交通省は現在、バスやタクシーの車内に運転者の名前を掲示することを道路運送法により事業者に義務付けていますが、2023年夏をめどにそれをやめました。

私は移動に際し、いつも自家用車を自ら運転していますが、新幹線で地方に行ったときはもっぱらタクシー移動です。たしかに料金メーターの横には運転手さんの名前と顔写真が掲示されていますが、それは法律で定められているものです。

もし、私が運転手だったとして、後ろにいる乗客に自分の名前を知られているのとそうでないのとでは緊張の度合いが違います。プロドライバーとして常に安全運転を心がけていても、少しでも変な運転をすれば「この運転手はとんでもない走りをする」なんて通報されかねないと思うからです。

その意味では名札の掲示は運転手の自戒を促すのに有効ですが、それよりもデメリットの方が大きいというのです。現在では女性の運転手も増えており、氏名が特定されることによりストーキングされることがあるだけでなく、乗車態度を注意された客が逆恨みしてあることないことを運転手の実名入りでネットにあげるなんてこともあるようです。

残念なことに乗客の安全安心のための措置が逆に運転手を危険にさらすことになっているのです。改正後は車両の識別番号などで乗客が利用した車両を把握できるようにするそうで、お互いの安心のためには仕方のない妥協点なのかもしれません。

名札の廃止といえば、販売店や飲食店でも同様の理由から廃止が進んでいるそうです。接客業でありながらマスクで顔の半分を隠したうえで匿名にしなくてはならないとは、世知辛い世の中になったものです。

 





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想像力の欠如は許しがたい
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/24(水) 14:49
No. 7530
 
 
救急車の窓ガラスをたたくなどして救急搬送を妨害した会社役員の男が公務執行妨害の疑いで逮捕されたというニュースが、2023年2月にありました。この男が息子と自宅付近でキャッチボールをしていたところに、急病の男児の搬送要請を受けた救急車がやってきました。

そして、いざ病院に向けて出発しようと隊員が男の息子に救急車から離れるように言うと、男は激昂して救急車に近寄り「うちの息子に何言ったんや」「いつまで止めてるんや。赤いライト付けたままやったら近所迷惑になるやろ」などと怒鳴り散らすのですから、わけがわかりません。

まともな大人ならパトランプを点けた緊急車両を見た場合、その作業を邪魔しないよう子供を促し、そっとその場から離れるものです。それを大人がすすんで邪魔しにかかるなんて頭がおかしいとしか思えません。

そもそも赤いライトは緊急事態を周囲に知らせるためのもので、それなくしての作業の方がよほど迷惑です。男はさらに助手席側の窓から手を差し入れるなどして出発を妨害したといいますからとんでもない男です。

彼がひとりで騒いでいる間、一刻も早く病院で治療を受けたいのにいつまでも出発できない救急車の中で、男児とその家族はさぞかし不安だったことでしょう。結局、救急隊員が本部に応援要請をかけ、到着した別の救急車に男児を乗せ換えて出発するまで約20分も余計な時間がかかってしまいました。

男は調べに対し「故意に救急搬送を遅らせるためにしたわけじゃない」「病人が乗っていることは後から知った」などと話しているそうですが、これほど愚かな言い訳があるでしょうか。赤色灯を灯している救急車が緊急搬送中なことは子供でもわかります。

たとえその車内を覗かなくても、ほんの少しの想像力で「早く病院に」と祈る姿を思い浮かべることができます。同様に街中で後ろから近づく救急車に道を譲らず、ちんたら走る車を見ると「お前らには想像力がないのか」と腹立たしさを覚えます。

幸いにも今回搬送された男児は命に別条なかったそうですが、もしものことがあったらと考えると男の罪は重大です。もっとも男にはそれを想像する力もないのでしょうか。恐ろしい世の中になりました。想像力の欠如は許しがたいです。


 





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民主主義と人権主義とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/23(火) 18:25
No. 7529
 
 
現在の憲法の核となるイデオロギーは、民主主義と人権思想です。この2つは同じもので、制度に注目すれば民主主義、内容に注目すれば人権思想で、どちらも200年前のフランス革命から有しています。民主主義・人権思想の他に平和主義を挙げる人もいましょうが、これは多分に政策的に便宜的なものです。

現に、憲法第9条は自衛隊によってなしくずし的に空洞化し、それでもなお自衛隊の極端な肥大化に対するヘッジとして機能しています。自衛隊は軍隊であるにもかかわらず、「自衛」の範囲に止まっています。航空自衛隊は爆撃機を所持で来ません。

陸上自衛隊は中長距離ミサイルを所持で来ません。海上自衛隊は航空母艦や戦艦を所持で来ません。「自衛」の範囲は、国際情勢の変化に応じて変えていますが、劇的な変化はないのが現実的でしょう。

一方、民主主義・人権思想は憲法の中核です。平和主義が政策的なものであるのに対して、民主主義・人権思想は日本国の最高イデオロギーです。その独善性・超越性は、戦前の天皇制イデオロギーより強いくらいです。

戦前、あれほど天皇制イデオロギーが強かったと言われながら、美濃部達吉氏の天皇機関説があるように、法律学者や法律の基礎教養のある知識人の多数は、保守革新の差もなく、天皇は法的には国家機関だと考えていたのです。

もちろん、国民感情としては信仰心のようなファナチックなものがありましたが、法的には、元首という国家機関に過ぎないのです。美濃部氏が、戦後明らかになるように、個人的には天皇に敬愛感を持っていますが、その美濃部氏ですら、天皇は機関だと言うのです。

Ifというのは歴史を語るに邪道ですが、もし、日本国が敗北せずに、かなり国力が残存する段階で講和に持ち込んでいたら、戦後改革は現実に日本人が体験したようなドラスチックなものにはなりませんが、戦後世界の国際情勢に応じた変化も迫られるでしょうから、もっと穏やかな「戦後改革」になっていたと思います。

その場合、天皇制にも、穏やかではあっても「戦後改革」の波は及ぶでしょう。「神聖にして浸すべからず」(大日本帝国憲法第3条)なんていうほどではなく、「日本国民は天皇を敬愛すべし」くらいにするとか。つまり、天皇制は、現在はもちろんのこと、旧体制が打倒されずに維持されたと仮定しても、超越的で根源的な至高至上の心理ではないのです。

一方、民主主義・人権思想はどうか。これは、単なる国家機関でしょうか、ある政権がたまたま唱えたスローガンなのでしょうか。いや、国家機関を超越し、個々の政権を超越した根源的真理、ということになっています。

これは、どんな憲法学者も、唯一人の例外もなく言っていることです。民主主義・人権思想に関しては、1人の美濃部達吉氏もいないのです。民主主義・人権思想というイデオロギーがどれほど強い超越性や独善性を持っているかわかるでしょう。

 





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マハティール首相の構想
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/23(火) 18:22
No. 7528
 
 
大切な過去のお話ですが、マレーシアのマハティール首相が長年思い描いてきた米・欧に対抗する「アジア勢力圏の構築」という偉大な構想がありました。米国は、メキシコ、カナダとの間で北米自由貿易体制を構築しようとし、欧州もまた欧州統合に向けて動きを加速させていた時でした。このままではアジア諸国は、この二大勢力の餌食にされてしまう。

アジアとしても日本という先進国の主導の下に、中国、韓国を含めた協力体を構築すべきでないか。欧米の意のままに従うという受身の立場に甘んじることなく、帝国主義的な欧米の圧力に抗しうるプレーヤーになるべきである―という思想がありました。アジアが生んだ偉大な合理的民族主義者、マハティール首相です。

ところが、この構想を危惧したのが米国です。異常なまでに日本に圧力をかけてきて、絶対にこの構想に協力してはならない、危険な構想だから潰すべきである、と迫ってきたのです。優柔不断な日本の態度の背景に、米国の圧力があることを即座に察知しました。

マハティール首相は、自らの米国人脈を通じて、なぜ米国がこれほどまでに東アジア経済協力構想に反対するのか調べたといいます。世界を見渡せば、北米や欧州はもとより南米を初め世界各地に地域協力組織があり、その多くは国際社会として存在しています。それなのに、なぜアジアが協力組織を作る事を米国はそれほどまでに恐れているのであろうか。

やがてマハティール首相は、「東アジアが結束すること自体にはなんの異論もない。しかし、日本がリーダーになって米国に抗する組織を作ることだけは、どうしても許されない」という、米国の剥き出しの対日警戒心を知ったのです。

マハティール首相は、改めて米国の日本に対する不信感を感じ、まるで人種差別に由来する感情としか思えないと、マハティール首相は親しい隣人に漏らしたというのです。だが、日本政府は東アジア経済協力構想を失敗させるべく必死に走り回ったのです。

マハティール首相は、欧米主導の国際政治に反発し、非同盟諸国会議、イスラム諸国会議、国際連合といった、第三世界の勢力拡大を訴えてきた政治家でした。例えば、米国が環境保全の観点からマレーシアの熱帯林伐採政策を非難するとすかさず反論しました。

「自動車産業で環境を破壊し、砂漠に人工的にゴルフコースを造るといった自己中心的な行動をとり続けてきた国が、生きていく為に必要な発展途上国の産業をなくせというのは筋が通らない」と切り捨てたのです。当初のマハティール首相の考えは、欧米の横暴さに対抗するため、日本を中心に結束する「経済ブロック」構想でした。

さすがにこれでは刺激的いうことで、周囲の助言を取り入れ、「東アジア経済フォーラム」という、より緩やかな表現を使用したのですが、まだ表現が強いというので、最終的には「コーカス」(拘束ある決定は行わない集会の場の意)という、言葉が用いられたという経緯がありました。

しかし米国は、マハティール首相の真意は何も変わっていないと、警戒心を解かなかったのです。敵対組織の中心に日本が位置することは、どうしても容認できなかったのです。マハティール首相はアジアの為に素晴らしい構想を、よくぞ言ってくれたと内心歓迎する日本人は、大勢いたことでしょう。

外務省にも、「ここまで日本に期待を寄せるマハティール首相に誠意を持って応ずるべきだ」と考える者もいたといいます。しかし米国に気兼ねして、どうしても賛成とは言えない。かといって日本に好意を寄せてくれるマハティール首相の顔を潰すこともできない。そういうジレンマに陥った外務省は、「もう少し説明を聞きたい」「引き続き検討してみたい」などとマハティール首相への確答を避け続けてしまったのです。

 





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フォッサマグナとは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/23(火) 18:20
No. 7527
 
 
「フォッサマグナ」とは、本州の中央部の火山が南北に並んで本州を横断している細長い地帯のことを言います。ナウマンはフォッサマグナの範囲として、日本海側の新潟県糸魚川市~高田平野付近から、太平洋側の静岡県旧清水市(現・静岡市清水区)~神奈川県足柄平野付近に至るまでの広い地域を示しています。

北から見ていくと、新潟県、長野県、山梨県、神奈川県、静岡県、東京都です。さらに関連する府県を入れると、富山県、岐阜県、群馬県を含む関東から中部日本となります。東西に長く延びている日本列島は、このフォッサマグナ地域を境にして、地質的に分断されています。

そして、フォッサマグナ地域とその東西では、地層や岩石などの地質がまったく異なっています。すなわち、フォッサマグナ地域の東西では約1〜3億年前の古い岩石が分布しているのに対し、フォッサマグナ地域の内部は、約2000万年前以降の新しい岩石でできているのです。

そして、現在ではボーリング調査によって、フォッサマグナは地下6000m以上もの溝であることがわかっています。3000m級の山が二つも重ねられるほどの深さです。おおまかにいえば、この溝を覆い隠すように堆積物が積み重なったのが、現在の中部日本なのです。

人間でいえば背骨のど真ん中にこのように巨大な溝を抱えているのですから、日本列島を理解するうえで、フォッサマグナを無視することなどできないのは道理です。日本列島の過去と未来は、フォッサマグナを抜きにしては語れないのです。

とくに2010年以降になって、フォッサマグナについて国内外のさまざまな研究者たちが議論を始めています。フォッサマグナへの関心が活性化してきているように感じます。 新しい手法によって日本列島の研究が進み、もう一度、日本列島の成り立ちを考え直そうという時期に来ているからだと思います。

しかし、フォッサマグナについては依然として、その成り立ちも、そもそもどこからどこまでがフォッサマグナなのかさえも、はっきりとわかっていないのが現状です。今後、南海トラフや東京直下型地震が発生したら、日本列島はどのようになってしまうのであろうか。


 





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くじらをめぐって何が
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/22(月) 18:29
No. 7526
 
 
国際捕鯨取締条約を取り出して読んでみると、商業捕鯨を適切に規制し、鯨類資源の最適水準を達成し、それによって、鯨類の頭数を増加させ、天然資源を損なうことなく、捕鯨産業の秩序ある発展を目的としたものであることが書いてあります。

それが何時の間にか、鯨を神聖化し、鯨の絶対的保護を最優先する方向へと国際環境を誘導していったのはアメリカでした。それにオーストラリア、イギリスといった西欧諸国が追随するパターンが既に定着しています。

また、政府支援を受けた環境保護団体は、組織拡大のために利用すべく活動しているのです。鯨に限っていえば、西欧人が時に鯨を人間以上のものとして扱い、神と同じ扱いをしていたことは事実です。そこでは人道主義より、鯨道主義が優先し、科学よりは信念、理論よりは感情が優先しているのです。

捕鯨を規制する唯一の条約からみる限り、鯨を絶対視する思想は伺えません。条約を厳密に解釈すると、規制に照らして態度を保留することで、ノルウェーのように捕鯨に公然と乗り出すことも、また日本のように調査捕鯨に出ることも可能なのです。

鯨をめぐって何が起っているのだろうかというと、実は日本がサンフランシスコにおいて連合国側と平和条約を締結、国際復帰を達成し、初めて加盟を認められた最初の国際条約がこの捕鯨条約なのです。

1951年のことで、クジラを食べる日本人にとって食文化まで否定された条約であり、戦後の日本の歩みを象徴する条約だったのです。だが、終戦後の日本国には脱退したいなどと軽々しく口に出来なかったのです。この分野でも日本は戦後を迎えたことになります。

日本近海のイワシやニシンの数が大幅に減少していると水産庁発表の記事が掲載されました。減少している魚は、イワシやニシンだけに限らず、世界中の様々な魚が減少しているとの調査結果です。これはワシントンにある国際食糧政策調査研究所の最新の報告書です。

世界人口のうち、貧困国の10億人が蛋白源として魚に依存し、1億5000万人が漁業を職業として自分たちの生活を支えています。ところが魚の消費量が増え、それに伴って魚の数がどんどん減ってきました。これを回復しようとすると天文学的な資金が必要で、種類によっては回復不可能になってしまった魚もいます。

天然の魚より養殖の魚のほうが多くなるだろうと報告する一方、養殖によって魚の消費量を満たそうとすると、今後25年はかかるだろうとされています。養殖などのためにたくさんの労働力が必要になります。そうなると魚の値段が上がり、高級食材となって、貧しい人たちが食べられるものではなくなってしまうのです。

原因はクジラにあるのですから、これ以上、捕鯨禁止を続ければ、大変な事になるでしょう。クジラのおなかの中からシャケなど大量の魚が発見されています。くじらの消費量は非常に大きく、このままエセ環境保護のもとでくじらが保護されると、魚の生態系が崩れてしまうのです。

 





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ISO国際標準化機構
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/07/22(月) 18:27
No. 7525
 
 
捕鯨関係者の間では、西欧中心のご都合主義に耐えかねて、反論を試みる傾向が強いです。国際協定を反故にしても自分達の主義主張を振り回す環境グループのあつかましさに対する憤りがそのバネとなっているのです。

しかし、その度に日本国民は、国際社会における欧米諸国の結果の強さと、日本の窮屈な孤立した立場を思い知らされるといかに日本の発言力が小さいと言う事を思い知らされるのです。

主張「国際監視体制の下で捕鯨を継続することは、国際捕鯨取締条約によって永年にわたって国際法上認められてきたものである。それが、過激な環境保護グループ、ならびに彼らを積極的に支持するアメリカ政府によって一方的、かつ政治的にねじ曲げられ、禁じられてしまった」と抗議の声をあげます。

確かに事態の推移を実証的に調べて見ると日本の方に分がありそうです。国際条約を蔑ろにしているのは、間違いなく西欧諸国であり、それらの国に本拠を置く環境グループなのです。

ISO(国際標準化機構)は地球環境に最も配慮した企業を育成するための国際指標となるものがありますが、各部門の責任国を見ると、その思惑が鮮明に浮かび上がってきます。標準化を巡る検討委員会は6つの小委員会から構成されていますが、その構成と責任国は次のようになっているのです。

第一小委員会(以下SCと呼称)環境マネージメント・イギリス。SC2                 環境監査・オランダ。SC3環境ラベル・オーストラリア。SC4                 環境パフォーマンス・アメリカ。SC5ライフサイクル・アセスメント・フランス。SC6用語・定義・ノルウェー。

そのほか、「持続可能な森林資源」という特別委員会の責任国はニュージーランドだし、「製品企画の環境側面」はドイツです。しかもその国を取り巻く幹事国は米国、フランス、スウェーデン、カナダと軒並み環境先進国で占められているのです。戦前の日本ではないのですが、西欧の事情は複雑、奇々怪々にして今もって理解できないのが日本なのです。

 






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