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昔からライスカレーか、カレーライスかという議論があります。西洋皿の上にライスをのせて、その上にカレーをかけたのがライスカレー。カレーとご飯が別々になっているのがカレーライスだと、またそれは逆だと言う方もいて何十年も論争しています。その様な事は、古新聞と古雑誌を遡ってみれば直ぐに分かります。本はダメです。
まだ実用になっていない理想の料理法を書いてありますから。「仕出しいらず女房の気転」(明治17年)「年中惣菜の仕方」(明治26年)「日用料理案内」(明治32年)のたぐいの惣菜料理の本に出るようになったら普及して、新聞の「今晩のおかず」に出たら国民に食べられるようになるのです。
村井弦斎の「食道楽」は、明治のベストセラーだということですが、弦斎はアメリカ帰りだったので、まだまだ手に入らない材料がたくさん出てきます。その中に既にライスカレー、コロッケ、ビフテキが掲載されています。
この料理本の主人公がお登和さんという料理好きの別嬪なのです。この人がこしらえて、それが本になっているというのです。この本を購入した方は、好奇心があり、豊かな人だったのでしょう。明治36年初版にはライスカレーと書いてあります。
イギリス風の澄んだのとインド風の濁ったのがあると双方の理想的な作り方が書いてあります。カレーの下ごしらえに3時間も煮詰めるのだから貧乏人には無理です。薬味というか香辛料というかイギリス風24種類、オランダ風14種類、これだけの材料では、レストランでなければ出来ない相談です。家庭では適当に省いて作っていたようです。
この頃は、レストラン、西洋料理屋、洋食屋などとランクがあったそうです。銀座マキシム、上野精養軒はレストラン、洋食屋は銀座煉瓦亭、人形町芳味亭にその面影を残しています。食べられる料理は、カツにコロッケのフライが洋食屋で大衆的、西洋料理屋は真ん中で、大正時代には「お登和亭」を名乗る洋食屋が東京中にあったそうです。
よく父は好んでレストランの上野精養軒に連れて行ってくれました。それで本当はライスカレーなのか、カレーライスなのか謎のままですが、ライスカレーがデビューしたのはいつか、全盛時代はいつかというと、はじめカレー粉は輸入したものだったそうです。
いつからS&Bカレーが売れ出したか、遡れば分かるはずです(笑) ちなみに「カレーパン」が誕生したのは、昭和2年で東京生まれです。寒い地方でレトルトカレーを出すと、晩カレー凍るど!(ボンカレーゴールド)(^0^)
ボッキ貝とジャワカレーライス彼大好き。カレーライスにうるさい国は、ルーマニアで、インド人は、カレ−には、なんで、ナンなんですかね?(笑)カレーに入っているウコンは、ショウガ科の熱帯性の薬草で、ルーの約3割がウコンです。がん予防、肝炎、胆石、食欲不振、腰痛、痔、蕁麻疹、胃腸障害、心臓病、糖尿病、高血圧、脳血栓、二日酔いなどに効果があります。
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