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太陽光発電の起源は、1839年のアレクサンドル・エドモン・ベクレルによる「光起電力効果」の報告とされていますが、そこから1905年、アルバート・アインシュタインの光量子仮説(1921年のノーベル物理学賞受賞)で理論の礎ができました。
ようやく1954年に世界のITテクノロジーの源流としても知られる米国のベル研究所によって実証されました。これが現在の太陽光発電の始祖です。太陽光発電が産業化され始めたのは70年代ですが、実は大きな役割を果たしたのが日本だったのです。
1973年の第一次オイルショックを経て、エネルギーの国産化へと乗り出した日本は、原発への傾斜を進めると同時に、太陽光発電などを開発する「サンシャイン計画」に約4400億円をつぎ込みます。
京セラ、三洋電機、シャープなどのメーカーが高効率化、低価格化を進め、1994年には住宅用太陽光発電への助成金も始まったことで、21世紀に入るまでは、日本は技術でも導入量でも世界のトップを走っていたのです。
ビル・ゲイツは、この当時をさして「日本は、太陽光発電というイノベーションにおけるカタリスト(触媒)だった」と繰り返し発言しています。しかし、2000年代に入ると、この構図は一気に塗り替わってしまいます。
まずドイツが、2000年に「再生可能エネルギー法を導入する」これは、まだ単価の高かった再エネを送配電会社が優先的に買い取ることを義務付け、その費用を 電気利用者が薄く広く支払う「FIT (固定価格買取制度)」とよばれる促進策の先駆けでした。
その後、世界中がこの仕組みを取り入れていくことになるのです。ドイツの家庭向け電気代はEU内で最も高くなったものの、一気に太陽光や風力の導入が進むようになります。これにより、ドイツに巨大な市場が生まれることになったのです。
1999年、国内太陽光パネルメーカー「Q−Cells」が登場し、旺盛な需要を背景に一気に生産能力を増やしていくと、2007年には日本メーカーを抜き、世界トップの太陽光パネルメーカーとなった(のちに韓国ハンファに買収される)。
だが、ちょうどその頃、ドイツ以外にスペインやイタリアにも生まれ始めた欧州の巨大市場をめがけて、一つの国が動き出していました。 それが中国です。中国では、2000年代の後半から、地方政府や中央政府による巨大な補助金を背景に、各地で太陽光パネルのメーカーが生まれ、2010年までに、123ものメーカーが乱立することになりました。
すでに太陽光発電の技術は確立し始めており、主要原料のシリコンを調達して、欧州メーカーの製造装置を用いれば、比較的容易に太陽光パネルを作れるようになっていました。 2018年までには中国の生産能力は5倍に伸び、今や世界のパネルの7割を生産しているというのです。
さらには市場としても、2013年に中国はドイツを抜いて世界のトップに立ちました。一方で、この頃から、太陽光産業における日本のプレゼンスは見る影もなくなったのです。 原因の一つは、2005年に国内の太陽光助成が一旦終了し、国内市場が一気に冷え込んだことです。
もう一つは中国の赤字・倒産覚悟の物量作戦にどのメーカーも対抗できなかったことです。福島原発事故の翌年の2012年には「再エネ特措法」が始まり、一気にバブルに沸き立ちましたが、日本を席巻したのは中国メーカーのパネルだったのです。
いずれにせよ、中国の圧倒的な製造攻勢で、太陽光発電の単価は凄まじい勢いで下がりました。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)によると、2010年からの10年間で発電コストは一気に2%落ちました。
2019年の平均価格は1キロワット時当たり、0.068米ドル(約7・5円)で、日照条件にめぐまれたUAE(アラブ首長国連邦)では2円を切っています。国の自然条件によって異なりますが、すでに火力や原発より低いコストになっている国もあります。2020年までに、世界では2010年の10倍に当たる7億キロワット以上が導入されているのです。
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