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ルイ16世のフランスでは、財政赤字が税収の9倍を超えました。フランスには当時、3つの身分があって、第1身分の聖職者が14万人、第2身分の貴族が40万人、第3身分の平民が2600万人いました。聖職者と貴族は税金を払いません。
でも、借金が増えてどうしようもなくなったので、ルイ16世は、聖職者と貴族にも税金を払ってもらおうと、三部会を開きます。3つの身分の人たちが別々に話しあうということです。けれど、第2身分にも、第3身分にも、アメリカ独立戦争で戦って自由平等という暗示にかかっている人たちがたくさんいました。
その結果、みんなが合流して国民議会が発足して、フランス革命が始まります。課税問題から革命が起きたという意味で、アメリカ独立革命とフランス革命は一緒です。しかも、アメリカ独立革命の精神がパリに飛び火して、フランス革命が始まったわけです。
「自由・平等・友愛」をスローガンに掲げたフランス革命はどんどん過激化し、ついにルイ16世が処刑されます。そうなると、ヨーロッパの国はどこも警戒します。連合王国もスペインもオーストリアもプロイセンもロシアも、みんな君主制ですから。
放っておいたら、自分たちの国にも飛び火するかもしれません。だから、亡命したブルボン朝の王族をフランスに戻そうと、ヨーロッパ中の国がフランスに攻め入ります。こうなると、フランスにとってはしんどい局面です。
政府の主が次々と入れ替わり、過激な動きがいろいろ起きました。それで結局どうなったかというと、最後にナポレオンが出てきました。新聞の大量発行で「ネーションステート (国民国家)」誕生です。フランス革命の時代には、新聞やビラががんがん印刷されました。
いろんな派閥が生まれて、それぞれが新聞を発行しては持論を主張したり、政敵を攻撃したりしました。例えば、ナポレオンは新聞を使って、ジャンヌ・ダルクを再発見しました。 「英仏百年戦争でフランスがまさに滅びようかとしていたとき、オルレアンの片田舎から一人の乙女が現れて、フランスを救ったことがあった」と新聞に書き立てます。
ナポレオンもコルシカの片田舎の出身なので、自分とジャンヌ・ダルクを重ねるのが狙いです。「片田舎から出てきた無名の乙女が、フランスを救った。フランス人がいざというときに頑張ったら、何だってできるのだ」と。
こうして「ネーションステート (国民国家)」が誕生しました。「フランス国民」という意識を共有する人たちから成る 「フランス国家」という概念が初めて生まれたということです。 それまでは、誰も自分のことを「フランス国民」とは思っていませんでした。
自分はオルレアンの生まれだとか、自分はブルゴーニュ人だとか、プロヴァンス人だと思っていたのです。 しかも「フランス国民」は王様に支配されるわけでなく、自由で平等、 友愛で結ばれています。こんなことを考えた人たちはいまだかつていませんでした。
ナポレオンは新聞を使って「フランス国民」に呼びかけます。「フランス国民よ、立ち上がれ」と、煽りまくります。するとフランスの人々は「そうか、大変な危機にある今こそ、我々はフランス人として立ち上がらないといけないのだな。オルレアンの乙女やコルシカの青年のように」と思うわけです。
これによってフランス軍は強くなりました。「俺たちはフランス国民だ」「フランスを守ろう」という気持ちで、強くなったのです。これが国民国家です。フランスに攻め入った君主国の軍隊は、お金で雇われた傭兵です。それを率いるのは王様で、要するに「王様の兵隊」です。でも、フランスは「国民の兵隊」です。
この国民兵の力によって、やがてナポレオンはヨーロッパを席巻するのです。近代国家は、連合王国の産業革命とフランス革命によってつくられました。それが、現在に至るまでの近代国家のベースになっています。日本は愚かな鎖国をしていたので、この2つの大きい流れに乗り遅れてしまいました。
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