| |
過去のお話ですが、週間金曜日の代表取締役社長であり、評論家でもある佐高信先生にお会いしてお話をした中で「米軍は日本人を守ってくれると思うか、日本の自衛隊が日本国民を守ってくれるか」と言う事を問われました。その問いに答えるべき一冊の本を紹介して頂きました。その本の一部を紹介します。
亡くなられた和枝さんのお父さんの立場から書くと家にいたのは、夫の妹、和枝、息子の3歳の裕一郎と1歳の康弘の4人。子どもたちは、アイスを食べながら、8畳の茶の間でテレビを見ていました。和枝と夫の妹は、テーブルをはさんで向かいあい、おしゃべりを始めた。いつもとおなじ、平和な昼下がりでした。
そのとき「バリッ!」と大きな音がした。大木が倒される時のような音だった。「なにかしら?」妹が窓のところへ見に行こうとした一瞬、部屋の中が真っ暗になり、爆風が部屋を突き抜けた。子どもたちはテレビの前から飛ばされ、妹は飛んできた置時計に背中を打たれ気を失った。
和枝は、意識がはっきりしていたが、なにが起きたのか理解できなかった。ハッと我に返って部屋の中を見まわすと、妹と子ども達が血まみれで倒れている。窓ガラスは破れ、部屋の中は真っ黒に焼け焦げていた。熱風が一瞬のうちに部屋を吹きぬけていったのである。
和枝は、倒れている妹をゆり動かして、テーブルの下まで飛ばされていた康弘を抱き上げ、裸足で外にとび出した。康弘を地面におろして初めて、自分の衣服に火がついている事に気づき、あわてて脱ぎ捨てた。妹が意識を取り戻したのは、和枝が部屋を出た直後だった。
気がつくと、テレビを見ていたはずの裕一郎が、押入れの前にあお向けに倒れており、「ママ、ママ」と弱々しく呼んでいる。ついていたはずのテレビは消えている。近寄ってみると、裕一郎は血まみれだった。ハッと自分の姿を見ると、血だらけになり、着ていた服は黒焦げで、皮膚も焼けただれている。
「ユウちゃん、だいじょうぶよ、おばちゃんが助けてあげる」そう言って裕一郎を抱き上げ、外に出た。割れて散乱する窓ガラスが、足の下でギチギチと音をたてた。厚木を飛び立った墜落した米軍のジェット機はRF―4Bファントムであった。最大速度マッハ2・4離陸後1分間で高度1万メートルにまで飛び上がれるという高性能のジェット機である。
米海軍7艦隊の航空母艦ミッドウェーに所属する戦術偵察機で、事故の前に米海兵隊岩国航空基地から訓練のために厚木航空基地に派遣されていた。ファントムとは、日本語で「妖怪」という意味である。2人のパイロットを乗せた、この妖怪は、9月27日の午後1時17分ころに2機編隊で厚木基地を飛び立った。
千葉房総沖で待機する母艦ミッドウェーに着艦せよ、との命令を受けていた。タッチ・アンド・ゴー、つまり母艦発着訓練である。そのうちの1機、ミラー大尉とダービン中尉の乗った611号機が離陸直後に左エンジンから発火、3分後の1時20分ころ、緑区荏田町に火を吹きながら墜落、この惨事を招くことになった。
墜落地点には深さ4メートルもの大穴があき、エンジンの1つは火の玉となって90メートル離れた和枝宅を直撃。満載されていた燃料は爆発と同時に扇状に広がり、火炎となって行く手の家々や木々を焼き尽くした。ファントム機のパイロット2人は墜落前に緊急脱出。地上の騒ぎと対照的にパラシュートでゆっくりと空から降りてきた。
降下場所は荏田町から3キロほど手前の緑区鴨志田町。地上に降り立った2人は、ケガもなく、約20分後に海上自衛隊のヘリコプターに収容され、厚木基地に運ばれた。大惨事のさなか、自衛隊が活動したのは、この2人のパイロットの救助にだけだったのである。米軍関係者が現場に到着したのは、事故から1時間も経った2時20分ことであった。
その後マイクロバスやヘリコプターが到着したが、米兵たちがまず行ったことは、被害者の救助や被害状況の調査、ではなく周辺の人たちを事故現場から閉め出すことだった。怒りにふるえる人たちに、彼らはニヤニヤしながらVサインを出してみせたりした。
応急処置を終えた子どもたちは病室に移され、目、鼻、口を残して全身を包帯で巻かれていた。「痛いよ、痛いよ」2人は、うめき声をあげなから体を動かし、ベッドからずり落ちそうになる。医師は裕一郎の手足を包帯でしばり、ベッドに大の字にしてゆわえつけた。
「とってよ、ユウちゃん、おとなしくしているから、これとってよ」裕一郎が、ひっきりなしに訴える。やけどした皮膚の下から体液がしみ出し、巻かれた包帯はベトベトになっていく。そして子どもたちの体からはどんどん水分が失われていく。「水ちょうだい。おサジいっぱいでいいから水ちょうだい、ジュースちょうだい」裕一郎が必死に訴える。
周囲の人たちが、水を与えてやってほしいと頼んでも、医師は頑として受け付けない。水を飲ませては危険です、の一点張り。「ちょっとならいいだろ。子どもがあんなに頼んでいるじゃないですか」付き添っていた彼の母親に、「おばあちゃんバイバイ」それが最後の言葉だった。
9月28日午前0時40分「あの子は最後まで水をほしがって。水を、ジュースをちょうだいって……。かわいそうに」もの言わぬ裕一郎が目の前に横たわっている。全身に包帯を巻かれ、水をほしがりながら息を引き取っていった……。
ベッドに駆け寄り、その手を握りしめてみる。いまにも握り返してきそうな気がする。昨日までは、元気に走り回っていたのに。弟の康弘の容態がおかしくなってきたのは、それから2時間ほどして、午前3時をすぎたころからである。時間が経つにつれて康弘の呼吸はどんどんあらくなってくる。裕一郎が亡くなったときには、康弘はまだ元気だった。
康弘の息の乱れが激しい。「ポ、ポ、ポ、ハトポッポ……」康弘の声がはっきりと聞こえた。「パパ、ママ、じいちゃん、ばあちゃん」突然、康弘がそう言った。一瞬、まわりの誰もが息をのんだ。パパ、ママは言えても、これまで一度もいえなかった言葉――じいちゃん、ばあちゃんを、このときはじめてはっきりと言った。
康弘が息を引き取ったのは、明け方の4時30分だった。このような悲惨な出来事を知ってしまうと果たして米軍や自衛隊は日本国民を守ってくれるのでしょうか。米軍が駐留し、年間何千億円以上の経費を日本が負担する。沖縄では米軍の犯罪や事故が後をたたない。日本を守るためなのであろうか。
海兵隊と空母機動部隊の母港などがおかれているのは日本だけです。日本の防衛とはまったく関係ありません。アメリカの世界戦略の前線基地なのです。基地をなくし、軍事同盟をなくしてもアメリカと敵対関係に入るのではありません。友好条約をむすび、対等、平等の真に安定した関係をつくるのです。
日本に仮に戦火がおこるとしたら、単独でどこかの国が侵略してくる事は考えられず、アメリカの先制攻撃によって介入戦争がおこったとき、それが日本に及ぶと言うのがもっとも可能性の高いものです。この火種をなくすことは、日本の恒久平和とアジアの安定にとって大きな役割を果たすと思います。
|
|