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1981年、医学雑誌『ランセット』に奇妙な報告が掲載されました。カポジ肉腫というまれな病気を発症した8人の男性患者の症例報告だったのですが、珍しい特徴があったのです。カポジ肉腫がよく見られるのは高齢者ですが、彼らは20代〜40代とかなり若かったのです。
また、本来10年といった長い年月で慢性的に進行することの多いカポジ肉腫が、彼らの場合は急速に進行し、うち5人は短期間で命を奪われました。さらに奇妙だったのは、8人全員が梅毒、淋病、性器へルペス、尖形コンジローマなどの多彩な性感染症の経験があり、かつ全員が男性同性愛者だったことです。驚くべきことはまだありました。
そのうちの一人、34歳の男性は、ニューモシスチス肺炎とクリプトコッカス髄膜炎という珍しい感染症を合併し、たった3ヶ月で亡くなりました。これらの病原体は、真菌、すなわちカビの仲間です。健康な人なら問題になることの少ない、極めて病原性の低い微生物です。その後、アメリカでは似た症例が次々と現れました。
共通していたのは、いずれの患者も免疫機能が破壊され、やはり健康であれば罹患はないはずの感染症にかかっていたことです。原因は全く不明だったのです。患者が男性同性愛者に偏っていたことから、当初は「ゲイ関連免疫不全 (GRID)」という差別的な名前がつけられました。
のちにこの症候群は、「後天性免疫不全症候群(AIDS:エイズ)」と改められました。生まれつき免疫の機能に異常がある病気は「先天性免疫不全症候群」と総称されています。だが、このとき見つかったのは「後天的に免疫機能が失われる新しい症候群」だったのです。その後の研究者たちの動きは速かった。
最初の報告からたった2年後の1983年、フランスのウイルス学者リュック・モンタニエとフランソワーズ・バレ=シヌシが、エイズの原因となるウイルスを発見しました。当初、モンタニエらはこれを「リンパ節腫脹症関連ウイルス(LAV)」と呼んだのですが、1986年には「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」と名づけられました。
HIVは、極めて厄介な特徴を持っていました。人間の免疫を担うリンパ球の一つ、ヘルパーT細胞に侵入し、自己を大量に複製させてT細胞を破壊するのです。ウイルスは次々にT細胞に侵入、破壊を繰り返し、T細胞は徐々に減少していくのです。
ウイルスは、数年から十数年といった長い期間をかけ、真綿で首を絞めるように宿主の免疫システムを破壊していきます。結果として、健康な人なら問題にならないような真菌(カビの仲間)や弱毒なウイルスが重篤な感染症を引き起こし、宿主を死に至らせるのです。
こうした感染症を「日和見感染症」と呼びます。ウイルスの発見以後、抗ウイルス薬の進歩も速かった。治療法は年々改良され、今では複数の抗ウイルス薬を併用する方法で、ウイルスの増殖をほぼ完全に抑制できるようになったのです。
かつては、その感染が「死の宣告」とまでいわれたHIV感染症は、今やコントロール可能な「慢性疾患」になっています。薬を飲むことで、「HIV感染症ではあるがAIDSを発症しない状態」を維持できるのです。
HIVは、血液のほか精液や膣分泌液に含まれるため、性交渉によって人から人へ感染します。こうした性感染症を引き起こす病原体は、HIVのほか、淋菌やクラミジア、梅毒トレポネーマといった細菌、B型肝炎ウイルスやヒトパピローマウイルスのようなウイルスも含まれます。
一つの性感染症に罹患した患者は、同時に複数の性感染症にかかっていることが多いです。感染経路が同じであれば、同じ感染リスクを持つからです。1981年に報告された8人の男性患者の全員に性感染症の経験があったのは、それが理由です。
また、HIVは血液に含まれるため、覚醒剤等の注射器の回し打ちなどで感染することもあります。母親が感染者なら母子感染が起こるリスクもあるため、あらかじめ抗ウイルス薬の内服を行い、かつ授乳を避ける必要があります。
現在、HIV感染症の患者は世界に約3800万人いますが、その半数以上はサブサハラ、すなわちサハラ砂漠以南のアフリカの患者です。性感染症の予防が十分になされていないことが主な原因です。アフリカの感染者は女性の方が多く、乳児への母子感染も大きな問題になっています。初めての性交前に、十分な予防教育が必要でしょう。
モンタニエとバレ=シヌシは、初めてHIVを発見した功績を評価され、2008年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。ヒトパピローマウイルスを発見したツア・ハウゼンとの同時受賞でした。この年のノーベル賞は、「人類の間で広く蔓延している病原ウイルスの発見」に授与されたのです。
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