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満州事変を起こし、満州建国を実現させた石原莞爾は、数十年後に、アメリカ連合と日本を含む東亜との間での世界統一最終戦争を想定して、その前段階の対ソ戦に備えるために「日満経済五ヵ年計画」と「陸軍三十六個師団」を構想していました。この構想実現のために理解ある内閣の実現を考えている男が林鉄十郎大将でした。
林大将は満州事変勃発の際、朝鮮軍司令官として天皇の許可、中央の命令を受けないのに独断で満州と朝鮮の境を越えて、関東軍支援に兵を動かした。林大将は石原莞爾らの構想を全て理解していたのです。石原莞爾によれば林大将は「虎にもなり猫にもなる」人物でした。この林内閣実現のためにも宇垣内閣の成立は阻止しなければならなかったのです。
石原莞爾の狙い通りに、宇垣内閣阻止の後の大命は林大将に下りました。居葦原は組閣本部に興中公司社長、元満鉄理事の十河信二、九州民憲党元代義士で労働運動のリーダーだった浅原健三、満鉄経済調査局の宮崎正義といった側近を送り込み、組閣を牛耳ろうとしました。
石原莞爾の狙いは十河信二を内閣の中枢にすえて、陸相に板垣征四郎、海相に海軍でロンドン軍縮条約に反対した、艦隊派の中心、末次信正を就任させて「石原内閣」を造ることでした。
ところが、板垣征四郎は当時の梅津美治郎次官より年次も若く師団長も経験していないことから陸軍首脳に退けられ、末次は条約賛成の海軍主流の容れるところにならず、十河も組閣本部に入りこんでいた右翼と衝突するなどして組閣本部を追い出され、石原莞爾の意図はつぶれたのです。
石原莞爾は後年、「何のためにああまで宇垣の組閣に反対し林内閣の出現に努力したか分からない」と宇垣にその誤りを告白しました(『秘録 石原莞爾』)。宇垣内閣阻止は陸軍の幕僚ファッショの始まりです。天皇の統帥権なるものは実体のないものであり、陸軍が「天皇の軍隊」と称するのは矛盾に満ちたものであることを示しています。
寺内はあとで、「宇垣には申し訳ないことをした。時期がもう少し遅ければよかった」といったが、時は陸軍専制へと流れを早めるだけだったのです。石原莞爾はのち参謀本部作戦部長となり、支那事変の勃発に際しては国力の消耗を避けるべきだとしてその拡大に反対して、近衛首相に蒋介石総統との会談をすすめるなどした。
だが、拡大派の体勢におしつぶされました。やがて参謀本部から関東軍参謀副長として参謀長の東条英機の下におしこめられて、急速に勢威を失ってゆくのです。宇垣内閣が成立していたらどうであったでしょうか。推測は無限に可能ですが、日本のその後の針路はかなり変わっていたと思います。
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