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1962年、西ドイツの首相、アデナウアーとフランスのド・ゴールが会談しました。ドイツとフランスは、それまでの100年で3回、全力の殺しあいをしています。普仏戦争と第1次世界大戦、第2次世界大戦です。その結果、どうなったかというと、ヨーロッパの力が弱まり、アメリカやソ連が大きい顔をするようになったわけです。
そこで2人は、「こんな愚かなことはもうやめよう」と合意しました。独仏首脳が歴史上初めて胸襟を開いて話しあったのです。アデナウアーとド・ゴールは、自分たちだけが胸襟を開くのではいけないとわかっていました。
フランス国民とドイツ国民が、互いを必要としていることを学ばなければいけない。そう考えて2000を超える姉妹都市協定を結び、共通の歴史教科書をつくることにしました。 同じ歴史教科書で学んだ若者たちが、姉妹都市を行き来して交流し、現代に至る独仏の同盟関係ができました。ヨーロッパ統合の根底にあるのは、この独仏同盟です。
連合王国がEUを離脱するブレグジットが2016年に起きて、EUの行方はどうなるのかと心配する人がいますが、あくまでEUの根幹にあるのは、独仏同盟です。1963年に連合王国がEECに入りたいといったのを、ド・ゴールが「いらない」と蹴ったくらいです。
だから、独仏同盟が壊れない限りは、 EUは壊れないと思います。それは「ドイツとフランスが喧嘩していいことは何もない」ということを、両国民が哲学、思想のレベルまで掘り下げて、理解したからでしょう。
1964年、中国も原爆実験に成功します。その翌年、姚文元が「新編歴史劇 「海瑞罷官」 を評す」という論文を発表しました。これが文化大革命の発端になります。清廉な政治家を主人公にした歴史劇を、毛沢東へのあてこすりだと批判した論文から、中国の大混乱が始まったのです。その背景をひもとくと、毛沢東の大躍進政策は大失敗に終わりました。
そこで実務に強い劉少奇やケ小平が、中国の運営を担うようになりました。毛沢東は共産党主席のポジションはキープしましたが、国家主席の座は劉少奇に譲りました。「共産党のことだけやってくださればいいです」と、引導を渡された格好です。
それに毛沢東は飽き足らなくて、また革命を起こしたわけです。夢想家肌の革命家である毛沢東は、創業の人です。組織運営には強くありません。そんな毛沢東が起こした文化大革命で中国がさらに混乱したのも、日本の幸運だったと思います。
ただ中国は、めちゃくちゃな混乱の最中でも、核ミサイルなどの軍事開発では手を緩めませんでした。その根底には中ソ対立があり、アメリカよりもソ連への対抗意識の方が強かったというのが今日の見方です。
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