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  新幹線の分割併合運転の仕組み  仲條拓躬2026/01/05(月) 15:19 
  東海道新幹線の本数増加について  仲條拓躬2026/01/05(月) 15:17 
  ドクターイエローのお仕事  仲條拓躬2026/01/05(月) 15:16 
  新幹線の信号について  仲條拓躬2026/01/05(月) 15:15 
  1960年代の世界の動き  仲條拓躬2026/01/05(月) 15:13 
  GDP の世界の順位  仲條拓躬2026/01/05(月) 15:12 
  2026年を迎えて  仲條拓躬2026/01/01(木) 00:00 
  2025年最後の挨拶  仲條拓躬2025/12/30(火) 09:42 
  サンフランシスコ講和会議の内情  仲條拓躬2025/12/29(月) 14:32 
  戦後日本の幸運  仲條拓躬2025/12/29(月) 14:31 






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新幹線の分割併合運転の仕組み
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/05(月) 15:19
No. 8101
 
 
東北新幹線の東京駅と大宮駅との間は上越・北陸・山形・秋田・北海道の各新幹線の列車の大多数も通過する大変な混み合いぶりです。新幹線のなかで列車の本数が全線を通じて多いのは東海道新幹線ですが、この区間だけに限ればほぼ同じ本数の列車がひしめき合っています。

山形新幹線が開業して東京〜山形間に「つばさ」が走り出したのは1992年7月1日のことです。この時、多数の列車が運転されている東北新幹線の東京〜大宮間にどのようにして「つばさ」を新たに設定するかが問題となりました。

当時はまだ北陸・北海道の両新幹線は開業していなかったのですが、それでも列車の本数を増やすのは限界に近づいていたからです。そこで考えられたのが、「つばさ」をほかの列車と連結して運転するという方法です。「つばさ」が東北新幹線の東京〜福島間に乗り入れるに当たり、この区間では東北新幹線の「やまびこ」と一緒になって走るのです。

そして、東北新幹線と山形新幹線とが分岐する福島駅で「つばさ」と「やまびこ」とを切り離したり、連結したりすることとしました。このような運転方法を分割、併合運転と呼びます。今日、分割、併合運転は山形新幹線の「つばさ」のほか、秋田新幹線の「こまち」それに上越新幹線用のE4系でも見られます。

分割、併合運転を行う列車には専用のシステムを搭載した車両が必要です。先頭車の前面には自動的に開閉する連結器カバー、そして切り離しや連結を自動的に行う連結器が装着され、運転室にはこうした装置を制御する機器やスイッチが設けられました。

具体的な運転方法は、まずは分割からです。列車を切り離す駅に到着したら、運転士は運転室にある分割スイッチを「入」の位置に動かします。すると、連結器はロックの状態から解放の状態へと移り、さらには電気回路の連結器やブレーキ用の空気回路の連結器も解放の状態となります。あとは列車を出発させるだけでよいのです。

連結器カバーは動き出した途端に自動的に閉まります。続いては併合です。併合を行う駅に先に到着した列車の運転士は運転室の併合スイッチを 「入」の位置に動かします。すると、連結器のカバーが開き、ほかの列車との併合の準備が整うのです。

後から駅に到着する列車の連結器カバーは地上に設置された信号によって自動的に開きます。そして、これから連結する列車の少し手前でいったん停車し、運転士は併合スイッチを同様に「入」の位置に動かします。

運転士は列車をゆっくりと前に進め、これから連結する列車の車掌と列車無線で交信しながら連結していきます。車両同士をつなぐ連結器はもちろん、電気回路や空気回路を結ぶ連結器も自動的に接続されると同時にロックされ、1本の列車として運転可能となるという仕組みなのです。

 





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東海道新幹線の本数増加について
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/05(月) 15:17
No. 8100
 
 
今日、東海道新幹線では、平日に毎日運転される列車が合わせて313本です。JR東海によると、臨時列車を含めた列車の本数は、2018年度で1日平均373本にも上ったといいます。1日に運転される列車の本数は東海道新幹線が開業した1964年10月1日の時点では60本でした。

以来、急激な伸びを見せ、12年後の1976年7月1日の時点でちょうど4倍の240本にまで増加しています。1日に240本といっても、列車の本数はいまよりもまだ70本余り少ないのですが、当時は東海道新幹線の線路があまりにも混み合い、「もう列車の本数をこれ以上増やすのは限界に近い」と考えられていました。

今日、JR東海によって建設が進められている超電導リニアによる中央新幹線の構想が練られたのもこの頃です。それにしても、現在は繁忙期には東海道新幹線で1日に400本を超える列車を運転できるというのに、それよりもはるかに少ない240本で「もう限界」 と考えられたのはなぜであろうか。理由は列車の速度です。

東京〜新大阪間は最高速度時速285qで運転され、所要時間は、最も速い「のぞみ」で2時間30分以内です。一方、1976年の時点では最高速度は時速210kmで、同じ区間の所要時間は最も速い「ひかり」で3時間10分でした。列車の速度が遅く、所要時間も長かった為、1本の列車が線路を占める時間が長くなって列車を増やせなかったのです。

最高速度が時速にして75q、東京〜新大阪間の所要時間が40分異なるだけで、なぜ状況が大きく異なるのかを検証してみると、朝6時から深夜24時まで車両が休みなく東京〜新大阪間をどれだけ行き来できるかを計算してみました。

算出に当たり、朝6時に東京駅を出発することとし、到着が24時を過ぎると見込まれる場合はその時点で打ち切っています。そして、計算を単純にするために東京駅、新大阪駅の両駅での折り返し時間はないものとしました。

まずは、東京〜新大阪間を3時間10分で結ぶ場合です。この区間を5回、つまり2往復半して21時50分に新大阪駅で車両は1日の運用を終えます。一方、東京〜新大阪間を2時間30分で結ぶとすると、この区間を7回、つまり3往復半することが可能です。1日の運用を終えるのは23時30分に到着となる新大阪駅です。

単純に計算すると、車両を運用する効率が今日どのくらい向上したかというと75で1.4倍です。大ざっぱにいって列車の本数を1.4倍に増やせるという意味で、240本の1.4倍は336本となり今日、東海道新幹線で1日に運転されている本数に近いです。

 





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ドクターイエローのお仕事
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/05(月) 15:16
No. 8099
 
 
「線路や施設の検査」といっても、軌道や架線、信号保安装置、列車無線装置などのように、新幹線の全線にわたって敷かれていたり、張りめぐらされているものをくまなく検査するのは容易ではありません。

たとえば、フル規格の新幹線に敷かれた軌道の延長は2017年3月31日時点で5750.1qにも達しています。 仮に100人の人手で1日に1qずつ検査したとしても57日と、およそ2カ月を要してしまいます。

架線や信号保安装置、列車無線装置などが敷設されている延べ長さも似たようなもので、それぞれ専門の担当者が行わなければならないのです。このため、検査には膨大な数の人手と日数とを費やすうえ、終わった頃には最初に検査したところの具合が悪くなるのでは大変効率が悪いのです。だれもが考える方策は車両を用いて検査を行うことです。

JRの在来線や民鉄は検査と測定とを合わせた鉄道業界の呼び方で検測を実施するために専用の車両を保有し、忙しく走らせています。JR東日本が保有するキヤE193系と呼ばれる検測用のディーゼルカーはJR東日本だけでなく、ほかの鉄道会社にも貸し出されて線路や施設の検査を行うほどです。新幹線にも当然、検測用の車両が存在します。

中でもJR東海とJR西日本とが保有する923形新幹線電気軌道総合試験車は「ドクターイエロー」、そしてJR東日本が保有するE926形新幹線電気・軌道総合試験車はEast-i (イースト・アイ)と呼ばれ、普段はあまり鉄道に興味のない人達の関心も高いです。

ドクターイエローは最高速度時速270q、East−iは同275qでともに走行しながら軌道、架線、信号保安装置列車無線装置の検査を実施できる車両です。充実した検測機能はもちろん、営業列車とほぼ同じ速度で検査できるという特徴をもつというのも、新幹線では夜間に線路や施設のメンテナンスの多くを実施するため、検測用といえども車両を走らせることはできないそうです。

そのため、日中に検測するには営業列車の運転の妨げにならないよう、可能な限り速く、できれば営業列車と同じスピードで走る必要があります。こうして、超高速で走りながら検査する車両が誕生したのです。

外から見ると、ドクターイエローはJR西日本の700系、East−iはJR東日本のE3系という営業用の新幹線によく似ています。それもそのはずで、製造に当たってベースとしたからです。 だが、車内や搭載している機器はどちらももとの車両とは大きく異なります。

外観上の違いを挙げていくと、まずは側面に設置された窓の数がほとんどの車両で営業用の車両よりも少ない点に気づきます。屋根上を見ると、走行に用いるパンタグラフのほかに検査用のパンタグラフを搭載していて、このパンタグラフを監視するために、屋根上に窓の付いた突起となった観測ドームが設けられています。

7両編成を組むドクターイエロー、6両編成を組むEast−iの車内には、各部門の担当者が乗り込みます。ほぼすべての検査は機器が自動的に行い、担当者は測定されたデータを確認しながら、「異常な数値が出ていないか」とか「何らかのエラーが出ていないか」といった点に目を光らせています。

測定されたデータは、新幹線の線路に沿って敷かれた通信設備を通じて地上の総合指令所や各部署に送られていきます。対応までの時間は短く、日中の検査で修繕が必要と認められた個所のほとんどはその日の夜に整備されます。

業務時以前ドクターイエローは東海道・山陽の両新幹線 East−iは東北・上越・北陸・北海道のフル規格の各新幹線のほか、ミニ新幹線の山形・秋田の両新幹線、それに上越線の越後湯沢〜ガーラ湯沢間でそれぞれ検査を行います。East−iの守備範囲は広く、JR北海道やJR西日本の新幹線も受けもっています。

多くの人々が関心を抱いているのは、ドクターイエロー、East−I とも「いつ運転されているか」でしょう。どちらもフル規格の新幹線の区間では少なくとも10日に1回程度は運転されています。

ドクターイエローの場合、東海道・山陽新幹線の主本線(駅構内で「のぞみ」などの速達列車が通過していく線路の検測は10日程度に1回、副本線、駅構内で「こだま」などの各駅停車の列車が停車する線路の検査は年に2回実施されるといいます。

主本線の検測を行う列車は「のぞみ」とほぼ同じ所要時間で、副本線の検測を行う列車は 「こだま」とほぼ同じ所要時間でそれぞれ走っています。目立つよう車体の色が黄色く塗られています、線路や施設を検査する「医師」という事で名付けられたドクターイエローは黄色が縁起のよい色とされているため、見ると幸せになるといわれているそうです。

幸せになるという由来は遭遇する頻度が低いからでもあります。とはいえ、ドクターイエローの行程はまずは東京駅から博多駅まで1日で走り、翌日に博多駅から東京駅まで戻るというものです。このパターンが10日に1回繰り返されるので、1カ月に6日は走っていることとなります。東海道・山陽の両新幹線の線路の沿線にある会社や学校に通っている人ならば、案外結構な頻度で見ているでしょう。

 





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新幹線の信号について
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/05(月) 15:15
No. 8098
 
 
新幹線の列車は最高で時速320qという速度で走っています。もしも、ほかの列車との衝突を防いだり、カーブや分岐器での分岐などの制限速度を示す信号がJR在来線などのように線路脇に表示されていたとしたら、運転士は皆、優れた動体視力を備えていなければとても確認できないでしょう。

そこで、フル規格の新幹線の区間では、信号を運転台に表示する ATC (Automatic Train Control device: 自動列車制御装置) が採用されました。ATCには大きく分けて2種類が存在しています。1つは信号を電流としてレールに供給し、車輪を通じて信号を受信する方式、もう1つは信号を無線で送り、車両の受信器で受信する方式です。

レールに供給する方式はフル規格のすべての新幹線で採用されています。無線の方式は 「RS-ATC」と呼ばれ、東北・上越・ 北陸・北海道の各新幹線と上越線の越後湯沢〜ガーラ湯沢間でバックアップ用として採り入れられています。

信号をレールに供給する方式も無線の方式も、ATCであれば基本的な仕組みは同じです。 駅の停止位置または先行する列車の位置に応じて後方の列車に向けて、制限速度を示した信号を送るのです。

位置の判別は、信号をレールに供給する方式では軌道回路といって線路を1km前後に区切って信号用の電流をレールに流し、軌道回路の数がいくつあるかで距離を示す。無線の方式では、無線が発信された基地局の情報をもとに位置がわかるようになっています。

後方の列車は信号を受け取ると、車上装置で駅の停止位置または先行の列車との距離をもとに車両の性能に応じて安全に停止するためのブレーキ作動パターンを作成していきます。車上装置は列車の速度と信号とを常に比較し、信号に示された速度よりも列車の速度が上回れば自動的に車両のブレーキを作動させ、下回ればブレーキを緩めます。

駅の停止位置が近づいたときはやはり自動的に車両のブレーキを作動させ、基本的には車両の定位置の直前までブレーキをかけ続けていくのです。信号をレールに供給する ATCは新幹線ごとに異なる名称が付けられました。

東海道・山陽の各新幹線と博多南線はATC-NS、東北・上越・北陸・北海道の各新幹線と上越線の越後湯沢〜ガーラ湯沢間はDS (Digital communication & control for Shinkansen) -ATC、九州新幹線はKS (Kyushu Shinkansen)-ATCといいます。

ATC-NSのNSはNew System や New Shinkansen という意味らしいですが、開発したJR東海は明らかにしていません。なお、KS-ATCはATC-NS に準じた仕組みをもっています。これらのATCは皆デジタル方式で信号を送っています。もちろん無線の方式のRS-ATCも、信号の送信はデジタル方式です。

在来線の線路を改良した山形・秋田の両新幹線ではATS(Automatic Train Stop device: 自動列車停止装置) が採用されています。フル規格の新幹線で採用されています。 ATC は列車の速度を自動的に制限速度以下に制御する装置です。

一方、ATSは列車が停止信号に接近すると列車を自動的に停止させる装置で、ATCと比べると列車の運転には運転士の注意力が必要です。山形・秋田の両新幹線では信号は地上の信号機に表示され、カーブや分岐器を分岐する際の制限速度もやはり線路脇に示されます。

このため、運転士は常に前方の信号に注意を払い、列車の進路も考えてスピードをコントロールしなくてはならないので、とても難しいことではあるけれど、JR在来線や民鉄の大多数の列車はそのように運転されています。

ATSの説明の前に、地上の信号機に表示された信号の意味についてですが、山形・秋田の両新幹線では色のついた灯が縦に並べられた色灯式信号機が用いられています。表示される信号の数は基本的に以下の3つです。

@赤色の停止信号。A 橙黄色 (橙色がかった黄色) の注意信号。B緑色の進行信号。@→A→Bの順序で点灯し、進行信号の次は停止信号です。道路交通用の信号機とは点灯する順序が異なります。

停止信号が示されていたら、その信号機よりも列車を前に進めてはならないのです。注意信号は周囲に注意して進むのではなく、時速45kmまたは55km以下で通過することが求められます。進行信号とはその区間の最高速度で進行してよいという意味です。

制限速度は四角形の金属製の板に5km単位で記され、運転士にわかるようになっています。 カーブでは速度を記した数字の下にもう1枚板が取り付けられ、制限速度の区間があと何m続くのかも同時に表示されていることが多いです。山形・秋田の両新幹線では、ATSのなかで保安度が最も高いものの1つです。

ATS-P形が採用されました。ATS-P形では、信号機が停止信号を表示すると、信号機から600m離れた場所に設置された地上子が車両に向けて停止信号を表示している信号機までの距離についての情報を送ります。地上子は左右のレールの間のまくらぎに設置されていて、車両に取り付けられた車上子との間でデジタル情報のやり取りを行うようです。

 





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1960年代の世界の動き
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/05(月) 15:13
No. 8097
 
 
1962年、西ドイツの首相、アデナウアーとフランスのド・ゴールが会談しました。ドイツとフランスは、それまでの100年で3回、全力の殺しあいをしています。普仏戦争と第1次世界大戦、第2次世界大戦です。その結果、どうなったかというと、ヨーロッパの力が弱まり、アメリカやソ連が大きい顔をするようになったわけです。

そこで2人は、「こんな愚かなことはもうやめよう」と合意しました。独仏首脳が歴史上初めて胸襟を開いて話しあったのです。アデナウアーとド・ゴールは、自分たちだけが胸襟を開くのではいけないとわかっていました。

フランス国民とドイツ国民が、互いを必要としていることを学ばなければいけない。そう考えて2000を超える姉妹都市協定を結び、共通の歴史教科書をつくることにしました。 同じ歴史教科書で学んだ若者たちが、姉妹都市を行き来して交流し、現代に至る独仏の同盟関係ができました。ヨーロッパ統合の根底にあるのは、この独仏同盟です。

連合王国がEUを離脱するブレグジットが2016年に起きて、EUの行方はどうなるのかと心配する人がいますが、あくまでEUの根幹にあるのは、独仏同盟です。1963年に連合王国がEECに入りたいといったのを、ド・ゴールが「いらない」と蹴ったくらいです。

だから、独仏同盟が壊れない限りは、 EUは壊れないと思います。それは「ドイツとフランスが喧嘩していいことは何もない」ということを、両国民が哲学、思想のレベルまで掘り下げて、理解したからでしょう。

1964年、中国も原爆実験に成功します。その翌年、姚文元が「新編歴史劇 「海瑞罷官」 を評す」という論文を発表しました。これが文化大革命の発端になります。清廉な政治家を主人公にした歴史劇を、毛沢東へのあてこすりだと批判した論文から、中国の大混乱が始まったのです。その背景をひもとくと、毛沢東の大躍進政策は大失敗に終わりました。

そこで実務に強い劉少奇やケ小平が、中国の運営を担うようになりました。毛沢東は共産党主席のポジションはキープしましたが、国家主席の座は劉少奇に譲りました。「共産党のことだけやってくださればいいです」と、引導を渡された格好です。

それに毛沢東は飽き足らなくて、また革命を起こしたわけです。夢想家肌の革命家である毛沢東は、創業の人です。組織運営には強くありません。そんな毛沢東が起こした文化大革命で中国がさらに混乱したのも、日本の幸運だったと思います。

ただ中国は、めちゃくちゃな混乱の最中でも、核ミサイルなどの軍事開発では手を緩めませんでした。その根底には中ソ対立があり、アメリカよりもソ連への対抗意識の方が強かったというのが今日の見方です。

 





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GDP の世界の順位
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/05(月) 15:12
No. 8096
 
 
フルシチョフはキャンプ・デービッド会談からの帰路、北京に立ち寄り、毛沢東と会談をしました。この頃のソ連は絶好調でしたから、「あと15年でアメリカを追い抜いて、世界一の大国になる」という意気込みを見せていました。

それに毛沢東が反応します。GDP の世界1位はアメリカですが、2位は当時、連合王国でした。「ソ連がアメリカを抜くのなら、私たちは連合王国を抜いて、3年で抜いてやる」と考えます。特に根拠はありません。毛沢東という革命家は、詩人気質の夢想家でした。

ここから大躍進政策が始まりますが、大躍進政策とは、簡単にいうと、鉄をたくさん生産して連合王国を追い抜くという政策です。そして鉄をつくることがすべての目的になってしまいました。鉄であれば何でもいいと、農村でも木を切り倒しては燃料にして、鉄くずを溶かし、粗悪な鉄をつくりました。

大躍進政策は大失敗に終わり、飢餓などから数千万人の死者を出したともいわれます。しかし、こんな馬鹿げたことを毛沢東がやってくれたおかげで、日本はその間に工業国として成長できたわけです。もっと早くにケ小平の時代になっていたら、中国はもっと早くに日本のライバルになっていたでしょう。

1960年は「アフリカの年」といわれていて、アフリカの国々がたくさん独立しました。1961年1月、ケネディがアメリカの大統領に就任します。アメリカはキューバと断交します。この年の4月、ソ連が人類初の有人宇宙飛行に成功し、ガガーリンは「地球は青かった」という言葉を残します。

これに対抗して、ケネディは有人での月面着陸を目指すアポロ計画をスタートさせます。フルシチョフは意気軒昂でしたが、経済ではアメリカに追いつけません。東ヨーロッパの復興は進まず、ベルリンでは東ベルリンから西ベルリンにどんどん人が逃げ出します。

そこで8月に「ベルリンの壁」を築きました。1962年には、キューバ危機が起きました。キューバにソ連がミサイル基地を建設しているということで、米ソは核戦争の一歩手前までいきました。けれど、ケネディの要請を受けた形で、フルシチョフがキューバからの「攻撃的武器」の撤去を命じ、何とか収まりました。

当時は米ソ冷戦でしたが、2020年代の今日は米中冷戦といわれます。米ソ冷戦と米中冷戦には大きな違いがあります。米ソ冷戦には、ベルリンの壁が象徴するように、人と人との交流がありませんでした。米ソ冷戦の特徴は鎖国にあります。一方、米中冷戦の今、中国とアメリカの人材交流はすさまじいです。

新型コロナウイルス禍で渡航が制限される前、中国からアメリカには約37万人が留学していました。アメリカにいる約100万人の留学生のうち、4割ほどが中国人だった計算です。一方、日本からアメリカへの留学生は2万人を切っていました。同じ冷戦でも、人の交流が途切れないところが、米中冷戦と米ソ冷戦との大きな違いです。

 





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2026年を迎えて
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/01/01(木) 00:00
No. 8095
 
 
新たな1年が始まりました。同志・会員の皆様におかれましては、様々な思いを胸に抱きつつ新しい年を迎えられた事と存じます。日頃の当会の運営に対しましてはご理解とご協力を賜りますこと厚く御礼申し上げます。

毎年、会費が集まらず会報誌を作成することが出来ませんでした。また、ホームページについてもドメイン料金や容量などの増額なので自腹で運用するには負担が大きくなりましたので今年度で更新を断念してSNSに移行しております。

SNSでは3万9千人を超えるメンバーが集まり、ひとつの動画に対して75万人閲覧件数を記録し、958万件を超えるアクセスやメール・掲示板の投稿も数万件頂き感謝しております。どうも有り難う御座いました。

さて、昨年を振り返りますと震災や台風などの自然災害が多い年でございました。年末には青森県東方沖で大きな地震と津波が発生しており、多くの方々が被災しております。未だに日常を取り戻せない方が多数おられます。

政府および自治体の速やかな、効果ある復旧作業を期待するものです。被災された方々には一日も早い日常が取り戻せるよう祈念致します。こうして災害の多い1年でありました。もともと日本は地震国ではありますが、被害が大きい地震が増しているように思えます。

また、過去最悪の温暖化が世界を覆い尽くし 生活や農林水産などの生活面にも悪い影響を与え、それに関連しているのかわかりませんが、各地で熊が冬眠できず我々の生活圏内に現れ国民を震え上がらせています。

経済面では円安・原材料費の高騰・人材不足・ステルス増税・物価高などでおコメの値段が過去最高となっており、多くの中小企業や国民が影響を受け、現在も状況は改善しておりません。

景気の拡大を実感して恩恵に浴するのが一握りの大企業に限られることなく、中小企業も国民も皆がそう思える1年にするために一人一人が努力しなければならないと強く感じますが、今後も増税が懸念されるところでございます。

経済面では「企業業績が最高益を更新した」「昨年の賃上げは30年振りの高水準で経済の活性化が図られた」と希望的なニュースが伝えられております。明るい面だけが強調されておりますが、「深刻さを増すばかりの人手不足」、「原材料費の高騰」、根幹である政治は各種増税を唱え、国民不在の様相を呈しております。

政治面では自民党の裏金問題に端を発した政治とカネの問題で公明党をはじめ国民の支持を失った自民党は、これまでのように野党抜きで何でも決定ができなくなり一定の民主化が見込めるようになりました。日本初の女性首相が誕生したのですからこれからの国会を見守りたいものです。

世界ではロシアのウクライナへの軍事侵略が止まず、イスラエルでは人道無視の殺戮が続いて終息の見通しが立ちません。力対力、力による服従は何も生み出さないことに思いを馳せ、英知を出し合って平和裡に解決が図られる事を願うばかりございます。加えてアメリカの権益を強烈に追及するトランプ政権の発足により、今後の世界経済政治がどのように影響を受けるのか目が離せません。

さて、行政を巡る動向についてですが、最も大きな問題と致しまして、103万円の壁に106万円・130万円の崖などの問題や罰則付きで時間外労働の上限規制の厳守が全業種・規模を問わずに適用される2024年問題がございます。新たな法律や規則が定められ施行されていますが、難解でわかりにくい法律ばかりです。

ただ事業者の取り組みに対して政府など行政は指導,啓発といった言葉を繰り返してきましたが、これを超えた、本当に効果のある実務的な援助による施策の策定と実行がこの問題の解決には必要不可欠でないでしょうか。これまでよりもう一歩踏み込んだ行政の展開を期待したいものです。

従って当研究会としてはこれまでの石原莞爾関係のみに限らず歴史を振り返ってより有用な同志の方に役立つよう適切な時期に会合や懇親会・説明会・講習会・研修会などを実施していく心算でございます。取り組みは同志の皆様のご支援とご協力が不可欠となっておりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

我々は明日がくるのは当たり前と考え、世界の情勢どころか、自国のあり方まで考えずに過ごしてきたように思えます。異常気象というものが、いつ何処で自分たちの生活が脅かされるか、まるで予測がつかない混乱と不安定な状態となりました。

現在の日本の経済情勢は大変厳しく、高齢化や人口減少などの問題が山積みしています。米国の言いなりになり防衛問題も、従っていれば安全な生活が得られる時代ではなくなります。日本は大東亜戦争後、自分でものを考えられなくなったのではないでしょうか。

世界の中での責任を自覚し、それを果たそうとする意志が欠如していた事か。現実を見ずに、言うことを聞いていれば、嫌な事が通り過ぎてくれて、自分の命も財産も守られると勝手に思い込んでいなかっただろうか。もはや世界はそれを許してはくれないでしょう。

恒久平和には、微力で何もできませんが同じ志を持つ「石原莞爾平和思想研究会」に名前を連ねてくれた方々が大勢集まってくれたことがせめてもの救いです。これからの未来の事を考えれば落胆することがあると思いますが、回避する方法を考えて歩んでいこうと思います。

我々は、今のような時代だからこそ、未来の子供たちのためにも自らの可能性を最大限に生かし、これまでの歴史に新たな視点を加えながら、時代を切り開いていかなければならないと思います。

最近は体力も衰える時期となりました。死が遠い近いにかかわらず、誰もがつねに、同じ重大さをもって、同じ問いを投げかけられ、寿命から逆算して減っていく人生の残り時間を惜しみ怯えるのではなく、また新たな一日をもらったと感謝の思いで臨みたいものです。本年も引き続きよろしくお願いいたします。

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2025年最後の挨拶
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/12/30(火) 09:42
No. 8094
 
 
いつもの如く、今年もあっという間に時が過ぎ去ったと言う感じです。年末は、様々なところで一年間の総括が行なっています。今年の年明けは集中豪雨や台風などの自然災害が多い年でございました。年末には青森県東方沖で大きな地震と津波が発生しており、多くの方々が被災しております。様々な変化を伴いながら、未曽有の危機に対処した年でした。

未だに日常を取り戻せない方々が多数おられます。政府および自治体の速やかな、効果ある復旧作業を期待するものです。もともと日本は地震国でありますが、被害が大きい地震が増しているように思えます。

また、過去最悪の温暖化が世界を覆いつくし、生活や農林水産などの生活面にも影響を与え、それに関連しているのかわかりませんが、各地で熊が冬眠できず我々の生活圏内に現れ国民を震え上がらせています。

経済面では円安・原材料費の高騰・人材不足・ステルス増税・物価高などでおコメの値段が過去最高となっており、多くの中小企業や国民が影響を受け、現在も状況は改善しておりません。

景気の拡大を実感して恩恵に浴するのが一握りの大企業に限られることなく、中小企業も国民も皆がそう思える1年にするために一人一人が努力しなければならないと強く感じますが、今後も増税が懸念されるところでございます。

政治面では自民党の裏金問題に端を発した政治とカネの問題で公明党をはじめ国民の支持を失った自民党は、これまでのように野党抜きで何でも決定ができなくなり一定の民主化が見込めるようになりました。日本初の女性首相が誕生したのですからこれからの国会を見守りたいものです。

世界に目を向けるとロシアのウクライナへの軍事侵略が止まず、イスラエルでは人道無視の殺戮が続いており、ロシア、中国の独裁化が強化されております。力対力、力による服従は何も生み出さない事に思いを馳せ、英知を出し合って平和裡に解決が図られる事を願うばかりでございます。

加えてアメリカの権益を強烈に追及するトランプ政権により、今後の世界経済政治がどのように影響を受けるのか目が離せません。時が経ち戦争を体験された方の多くが鬼籍に入られた今、微力ながらもいかにして恒久平和を実現するかを模索してきた我が石原莞爾平和思想研究会の存在意義と役割が重要なものとなってくると確信いたしております。

現在、大きな問題になっている、「自国の防衛問題」はアメリカから指示されたことです。当然ながら日本の国益を前提にしていないのです。歴史観は固執することなく、見直されるものであり、日本人が、過去にしてきたことで、何が悪かったのか、何が間違っていたのか、何が正しかったのかを確りと理解しなければならないでしょう。

正しかったことは、正々堂々と主張し、理解されるよう努力しなければならない。そうすることによって、日本のアイデンティティーが確立され、国際社会から信頼されるようになるのではないでしょうか。隣国は外交で日本の過去の戦争責任を追及し、反省と謝罪を要求してやみません。

戦後、大東亜戦争が、「自衛の戦争」か「侵略の戦争」だったかをめぐって議論が続けられていますが、すべての戦争を「侵略」の一言で片付けてしまい謝り続ける事で本当に真の恒久平和が訪れるのでしょうか。脅かされたり騙されたりしないためには検証したり考察したりするべきだと思うのです。

先の大戦での多くの祖先の尊い犠牲の上に平和な生活があることを忘れてはいけません。去年は長崎に今年は広島に行きました。広島、長崎を思うことは人の本質を真面目に考え、無辜なる被害市民に敬意を払いつつ、恒久平和のため勇気を奮い食い止めなければなりません。これからの日本が何をなすべきかを考えなければならないと思うのです。

いまこそ日本人ひとのひとりが恒久平和に向けて意識を高めるときではないでしょうか。どうぞ我々石原莞爾平和思想研究会の同志におかれましては希薄になることないよう絆を強固なものとしていただければ幸いに存じます。

皆様のご健勝とご多幸、そしてご活躍、我々に夢と希望を与えてくれたような出来事が一つでも多く経験できる事を祈念致しまして、私の今年最後の挨拶とさせていただきます。よいお年を。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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サンフランシスコ講和会議の内情
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/12/29(月) 14:32
No. 8093
 
 
1951年、サンフランシスコ講和会議で、日本は連合諸国と平和条約を結びました。これで日本は、連合国の占領下から解放されて主権を回復し、独立します。さらに平和条約を結ぶのと同時に、日米安全保障条約を結びました。

日本は、このとき吉田茂がいたことで明治維新のとき、阿部正弘が描いたグランドデザインは、「開国富国強兵」の3本柱でした。吉田茂は平和条約を結ぶにあたって、この3枚のカードを机の上に置いて考えたのだと思います。

そして、「開国」と「富国」に力を入れることにしたのでしょう。そして「強兵」は日米安保条約で代替しようと考えたのだと思います。サンフランシスコ講和会議で結ばれた平和条約には、日本全権団のメンバー全員がサインしていますが、日米安保条約にサインしたのは吉田茂1人です。いわば、吉田茂1人で安保条約発効させている格好です。

これで日本はアメリカの犬となってしまいます。これにはいろいろな見方があるでしょう。吉田茂がワンマンだからという見方もあれば、1人で責任を負う覚悟だったからという見方もあります。おそらく両方だったのだと思いますが、後者の意味合いが強かったのではないでしょうか。

サンフランシスコ講和会議では、ソ連や中国など東側諸国とは平和条約を締結できませんでした。当時の日本では、西側諸国とだけ講和するのではなく、すべての交戦国と全面講和すべきだという主張も強く、国論は二分されていました。

けれど、吉田茂は「すべての国と講和しようとしたら時間がかかりすぎる。早く独立するのが日本のためだ」と判断したのだと思います。サンフランシスコ講和会議の後、台湾やインドなどとも個別に講和していきます。

日本がソ連と講和するのは1956年、日ソ共同宣言を発表したときです。これで日本もようやく国連に加盟します。拒否権を持つ5大国すべてが認めてくれなくては、国連には加盟できません。この宣言には、北方領土については「平和条約締結後に歯舞諸島と色丹島を引き渡す」と明記されていました。

1952年、アメリカは水爆実験をして、もう一度ソ連を引き離そうとします。でもソ連も翌年に水爆の保有を宣言します。原爆のときは、米ソに4年ぐらいのタイムラグがありましたが、水爆では1年です。果たして原爆や水爆を保有する国も増えてしまい地球はどうなってしまうのであろうか。

 





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戦後日本の幸運
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/12/29(月) 14:31
No. 8092
 
 
1948年5月、イスラエルが独立を宣言します。アラブ諸国が反発して、戦争が始まりましたが、イスラエルが勝利して建国します。朝鮮半島でもこの年、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が南北に分かれて樹立されました。

1949年1月、ソ連と東欧諸国は、マーシャル・プランに対抗して、コメコン(経済相互援助会議) をつくります。西側は、NATO(北大西洋条約機構)をつくって、軍事同盟を結びます。この年の5月、ドイツ連邦共和国 (西ドイツ) が成立し、10月にはドイツ民主共和国(東ドイツ) が成立しました。

1949年は重要な年で、ソ連が原爆実験を成功させています。アメリカがソ連にいうことを聞かせられたのは、原子爆弾を独占していたからです。「変な気を起こしたら空から原爆を落とすぞ」と脅しをかけていたわけです。

それはソ連も百も承知で、だからスパイ活動も駆使して必死に原爆をつくったのです。ソ連が原爆を持ったことで冷戦は決定的になります。1949年には国共内戦も終結しました。勝ったのは毛沢東の共産党で、北京を押さえます。

蒋介石の国民党政府は台湾に逃れます。アメリカは焦ります。アメリカは蒋介石の中国と組んで、ソ連を封じ込めるつもりでした。北京を毛沢東に奪われては、その目算が狂います。しかも、あろうことか毛沢東とスターリンは、中ソ同盟を組みます。自分の花嫁がライバルの花嫁になった格好です。

そこから戦後日本の幸運が始まりました。中国がソ連と組むまで、日本に対するアメリカの方針は「もう二度と馬鹿な戦争をさせない」でした。だから、工業を発展させる必要はないと考えていました。

しかし、北京を共産主義陣営に奪われ、ソ連に近い東アジアで人口が多く、近代的な国といったら、もう日本しかありません。だから、国共内戦の終結後、アメリカは手のひらを返すように、日本の復興を助けてくれるようになります。日本の幸運はもう一つあって、 1950年に始まった朝鮮戦争です。

アメリカが一所懸命、日本を復興させようとしているときに、すぐ近くで戦争が始まり、特需が発生したのです。朝鮮特需です。今の貨幣価値にして30〜40兆円という規模の有効需要が生まれました。平たくいえば、何をつくっても売れるわけです。日本の戦後復興に弾みがついたのです。

 






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