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☆★☆最新情報7☆★☆

 
新規投稿 ] 
  おくのほそ道を歩いてみる  仲條拓躬2025/06/13(金) 05:49 
  近衛文麿の最後の時  仲條拓躬2025/06/10(火) 14:50 
  すべてを依存する日本国の未来は  仲條拓躬2025/06/09(月) 15:06 
  イタリア王国が誕生の経緯  仲條拓躬2025/06/09(月) 15:05 
  明治維新のグランドデザイン  仲條拓躬2025/06/09(月) 15:03 
  水素は二次エネルギー  仲條拓躬2025/06/04(水) 16:49 
  アレルギー体質の改善  仲條拓躬2025/06/04(水) 16:48 
  理想からかけ離れていく満州国  仲條拓躬2025/06/03(火) 07:24 
  ビッグバンの前に迫れるか  仲條拓躬2025/06/03(火) 07:23 
  膨張するけど定常宇宙論とは  仲條拓躬2025/06/03(火) 07:21 






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おくのほそ道を歩いてみる
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/13(金) 05:49
No. 7867
 
 
私の先輩で、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を実際に歩いているという人が何人もいます。日によっては、50キロ以上も歩いたという人がいて、それを聞いて驚いたのですが、話を聞くと国道や県道のアスファルトの上を歩いていたことを知りました。

昔の街道がそのまま国道や県道になったところもあるのでしょうが、バイパスの裏道が昔の街道であったりするのです。それを知っていて歩いているのと、知らないで歩いているのとでは、天地ほどの差があるので、『おくのほそ道』をたどろうとすると、先ず江戸時代の街道図を広げ、今のロードマップと照らし合わせることから始めることになるのです。

しかし自信をもって松尾芭蕉の道を確定できることは非常に難しい。ルートマップには、そこに至る道が何本も別れていたり、昔あったはずの道が消えていたりするのです。街道図には方向が記されていないし、距離も結構適当です。

道そのものが無かったり、少なかったり、人家もなくなっていて見通しがよかったりして、距離はこの程度のものになってしまいます。だから、昔の街道図と今の地図を見比べても、悩んでしまう事が多いのです。街道は生き物のようです。

新しい道が開かれると、古い道は獣道のように一年後には埋もれてしまいます。新道もやがて迂回路などが改修されて姿を変えていきます。だからあれこれと考えを巡らせた後でさえ、はたして松尾芭蕉が通ったのはこの道でいいのだろうかと心配になってしまうことが多いのです。

特に元禄期までは全国で大規模な新田開発が行われていて、河川の流路を完全に変えてしまったり、排水用の川を新しく掘ったりした地方が多く、現在の地図からは想像ができないほど変わっていたりするのです。「おくのほそ道」に近づくことはそう簡単ではないのです。

 





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近衛文麿の最後の時
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/10(火) 14:50
No. 7866
 
 
近衛文麿公爵が、荻窪の自宅「荻外荘」にいる時に出頭命令が出ました。元書記官長富田健治が訪ねると、近衛文麿公爵は、ひどく不快な表情だったと言います。「大局的に考えて、一体戦争犯罪人としての逮捕命令には、従うべきものかどうか」

「戦勝国が何でもでき、誰でも逮捕できるというなら、ヒューマニズムも法律もあったものではない。すでに指名される理由を認めずとすれば、これを拒否すべきものと思う。然るに今日のわが国の実情では、こっちにその権利は、何ひとつないという考え方が風をなしているし、その熱意もどこにもない」

牛場友彦は言いますが、牛場も含めて近衛文麿公爵と親しい知人、友人は、恐らく公爵の誇りと血が罪囚の辱めを許さないだろうが、かといって、果たして自決の道を選ぶかどうか。周囲の意見としては、この際、法廷に出て天皇を守るべきだ、という趣旨のものが多く、近衛文麿公爵も、それに対して積極的な反対の意思表示はしていませんでした。

しかし、近衛文麿公爵と親交が深い牛場たち少数の友人には、近衛文麿公爵は死の道を選ぶのではないか、という予感が強かったと言います。近衛文麿公爵は、優柔不断、臆病などと言われていますが、身近にいるものは、三千年の公卿の血が生みだしたような、冷たいシンの強さを、公爵が持っていることを知っていると言います。

無類の社交上手、聞き上手なので、近衛文麿公爵と会う者は、自分が信頼されていると思うのですが、「決して他人を信用しない人でした。優柔の気はあったが、不断ではなく、最後は自分でビシリと決めました」と牛場友彦は言います。

関白太政大臣の血筋という意識は、人一倍モダン好きでも消えることなく、天皇の前で足を組んで話せる臣下は、公爵だけでした。それだけに自分の身体については、病的と思われるほど注意深く、健康に気を配り、他人の手をふれさせることは極度にきらったのです。

そのような近衛文麿公爵が、犯罪人の名の下に法廷に立つことに耐えられるだろうか。近衛邸に、友人知己が集まった。近衛文麿公爵は酒が強い。応接間や居間を往来して、来客と杯をあげました。東大の柿沼、大槻博士が診断に来ました。医師の診断によって巣鴨入所を延期させよう、というアイデアがあったのです。

両博士は、診察の後、医師の良心にもとづいて延期を求めたい、と述べたが、入所の世話に当たる中村豊一公使は、たとえ医師の診断書があっても、米国側は近衛文麿公爵の出頭を要求している、と告げていました。「もう、やめましょう。もう要りません」と近衛文麿公爵は、静かに、そういったそうです。

その後は、何かに気を取られている風情で、応対の口数も少なくなり、風呂に入って、寝室に午後11時頃引き上げた。入浴中に、次男通隆は公爵の衣類を調べた。近衛文麿公爵は、第一次戦犯の指名を受けて自決した元文相橋田夫人に、橋田邦彦がどこで、どのようにして青酸カリをのみ、どこを歩いてどこで倒れたか、異常なほど熱心に質問していた。

牛場友彦は、その様子を思い出し、自決するとすれば青酸カリと予想して、次男通隆に探させたのだが、それらしいものは見つからなかった。次男通隆は、松本重治と一緒に隣室で寝ていたが、ボソボソという隣室の話し声は、午前2時過ぎまで続いた。

なにか書いて欲しい、と通隆が言うと、近衛文麿公爵は、用箋に鉛筆ですらすらと「僕は支那事変以来、多くの政治上過誤を犯した。之に対し深く責任を感じているが、所謂戦争犯罪人として、米国の法廷において裁判を受けることは、耐え難いことである・・・」

近衛文麿公爵は、いずれ冷静さをとり戻した時代がくれば、「其時初めて、神の法廷に於て正義の判決が下されよう」と書き終えると、一緒に寝たい、という通隆の願いに、首をふった。近衛文麿公爵は、他人がいると寝つかれないので、夫人ともふすまをへだてた別室で寝る慣習を知っているので、通隆は引き上げたのです。

牛場友彦は、そのあと、隣室からカサカサという紙の音を耳にしたような気がしたが、間もなく眠ったそうです。「牛場さん、牛場さん」という夫人の声に眼をさました。「牛場さん、やったらしいわよ」隣室に走りこんでみると、近衛文麿公爵は死んでいた。

部屋の明かりがつけっぱなしなのに、夫人が気づき、発見した、という。12月16日午前6時ごろ東京都南多摩郡多摩村字蓮光寺の別邸で、木戸幸一侯爵が、巣鴨行きにそなえて起きだした頃でした。

 





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すべてを依存する日本国の未来は
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/09(月) 15:06
No. 7865
 
 
我が国のエネルギーの輸入依存度は80%以上です。エネルギーの半分は石油で、その86%は中東に依存し、石油の国家備蓄は85日分しかありません。このようにエネルギーの海外依存度が異例に高いだけでなく、貿易依存・食糧確保・安全保障などすべての面で、我が国は孤立しては生きてゆけないのが現状です。

しかし核冷戦終結で世界は大きく変動しています。世界人口は1950年に25億だったものが、1990年には50億人、2000年に61億人を超え、毎年1億人以上の爆発的増加を続けており、2050年には100億人になると予想されています。

アジアの急速な経済発展は、今後の世界エネルギー事情に大きな影響を与えるものと予想されています。世界人口の3分の1を占める中国とインドを中心としたアジア諸国のエネルギー需要は、20年で倍増すると考えられているのです。

しかも中国は、環境保全上から「脱石炭」を進めております。今後は日本も天然ガスへの依存を強めなければならないのですが、その入手対応は先進国の中で大きく遅れをとっています。こうした状況は、安定したエネルギー源を確保したい日本にとって大変な脅威となりそうです。

一方、こうした情勢変化と並行して地球環境破壊が進み、化石燃料自体の使用期限が重圧となりつつあります。化石燃料の使用により大気中に放出される二酸化炭素などが、太陽光で暖められた地面から熱放射される赤外線を吸収するブランケット効果をもたらして、宇宙空間への熱放射量を減らし、次第に大気温度を上昇させています。

「温室効果」ですが、化石燃料使用に起因する化学的な微粒子汚染も、地球環境に諸変化を引き起こしています。大都会が集中的に放散するヒート・アイランド効果による局所的異常気象の多発、台風・竜巻・局所豪雨・局所豪雪の巨大化傾向なども年々強まり実感しているでしょう。

世界の環境学者を総動員した「気候変動に関する政府間パネル」(IPPC)は、今世紀末には最大で5.8度の平均気温上昇および88センチの海面上昇の可能性があると発表しました。現に刻々と海面は上昇しています。

有効な対策がなければ、海抜1メートルの島国キリバスなどは確実に生存不能となるでしょう。オランダは水没防止に、まず国土面積の3%に空の人造湖や地下空所を造る計画です。オランダなら出来るでしょうが、バングラデシュやエジプトのデルタ地帯などでは、数千万人の住居が奪われると見られています。

日本では50センチの海面上昇により290万人が移住を余儀なくされるという調査報告もあるのです。気温変化の影響はもっと急速かつ致命的で、農業生産を破壊するのではないか、と警告する研究者もいます。

今すでに栄養失調状態の人は10億人以上、また飲料水不足に悩まされている人もさらに10億人以上いると言います。こうした農業の破壊がもたらす惨禍は、計り知れないものとなるでしょう。未来の世界環境がこのように変化する中、世界にすべてを依存している日本国の役割は重要なものとなるでしょう。

 





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イタリア王国が誕生の経緯
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/09(月) 15:05
No. 7864
 
 
ナポレオン3世は、社会主義と帝政が両立すると考えた不思議な人でした。皇帝になると、 パリの町を美しくしようとオスマンという人を抜擢します。オスマンは、ごちゃごちゃしていたパリに広場をつくり、大きな道を通して、美しく整えました。

皆様がパリを旅して「綺麗だな」と思うとしたら、ナポレオン3世とオスマンのおかげです。ナポレオン3世はお祭り好きで、パリで2度も万国博覧会を開催します。そこでボルドーワインを高く売って、お金儲けをしようと考えます。

高く売り付けるために、ボルドーワインを1級、2級と格付けしました。何も知らないお金持ちは、喜んで1級を買うと考えたのです。これが、フランスワインの格付けの始まりです。商売熱心で、産業振興に力を入れたナポレオン3世の時代の1858年、スエズ運河会社が設立されました。

サヴォイア家が治めるサルデーニャ王国の目標は、イタリア統一でした。この王国に、カヴールという賢い宰相が現れます。カヴールはナポレオン3世の趣味を調べ上げ、貴婦人をパリに送り込みます。

「お金をたくさんあげるから、パリの社交界で遊んで、わかったことをときどき連絡してね」という約束です。狙い通り、ナポレオン3世はすぐに彼女をガールフレンドの一員に加えます。ナポレオン3世の情報は筒抜けです。

カヴールは、ナポレオン3世と密約を結びます。「イタリア統一に協力してね。その代わり、ニースとサヴォアをあげるから」という内容です。イタリア統一の最大の課題は、オーストリアからヴェネツィアとロンバルディアを奪うことでした。

カヴールはフランスと組んで、オーストリアをやっつけようと考えたのです。こうして1859年、イタリア統一戦争が始まります。サルディニアは連戦連勝します。これに脅威を感じたナポレオン3世は、オーストリアと単独で講和してしまいます。

はしごを外されたカヴールは激怒しますが、我慢しました。ヴェネツィアはいったんあきらめ、ミラノを中心とするロンバルディアを得て、矛を収めます。しかし、ここで中部イタリアの各都市が、サルデーニャ王国に仲間入りしたいと表明します。

さらにガリバルディという人が勝手にシチリアに上陸し、ついでにナポリも征服して、南イタリアをサルデーニャ国王に献上します。イタリアはナポレオン3世の思惑を離れて統一されていき、 1861年、イタリア王国が誕生します。この年、プロイセンでは、ヴィルヘルム1世が即位します。翌年、ビスマルクが首相になってドイツも統一に向かいます。

 





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明治維新のグランドデザイン
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/09(月) 15:03
No. 7863
 
 
1853年、ペリーが日本にきます。目的は、中国との交易です。ロンドンを中継地にしないで中国に向かう、太平洋航路を開拓するためです。そして翌年、日本は開国します。日米和親条約の締結です。

このとき、徳川幕府の老中首座は、阿部正弘でした。総理大臣のような役目です。阿部正弘は大変賢く、長崎の出島からの情報でアヘン戦争の結末を知っていました。だから、鎖国を続けていると日本はもたないと考えていました。

日本は、 産業革命とネーションステートという2大イノベーションに乗り遅れていました。 これからは国を開いて世界から学び、交易で儲けて、軍隊も強くしないとえらいことになると考えたのです。「開国・富国強兵」というグランドデザインを描いて、国を開きました。

鎖国は、200年以上続いた徳川幕府の基本方針です。やめるのには大変な勇気が必要だったと思います。阿部正弘は、のちの東京大学や、陸軍や海軍の基盤をつくりました。福山藩主として、義務教育の先駆けとなる取り組みもしました。

勝海舟をはじめ若くて有能な人材を官僚として登用し、広くみんなの意見を聞こうとしました。「五箇条の御誓文」の第1条に掲げられた「万機公論に決すべし」は阿部正弘のアイデアです。明治維新の骨格のほぼすべてを構想したのが阿部正弘です。

しかし、日本の国民的作家、司馬遼太郎氏の興味が坂本龍馬に集中したために、阿部正弘はほとんど知られていません。日本にとっては幸運なことに、ペリーが来航した1853年、クリミア戦争が起きました。西欧列強の関心はヨーロッパに向きます。

もしアジアに向いていたら、ペリー来航の直後から連合王国やフランス、ロシアの軍艦がどんどん江戸湾に入ってきたかもしれません。そうしたら幕府も冷静な対応はできなかったかもしれません。列強の目がクリミア戦争に向かっていたから、優秀な阿部正弘がじっくり1年考えてから、国を開くことができたわけです。

1857年には、第1次インド独立戦争が起きています。昔は「セポイの乱」といわれていました。これに対抗して連合王国は、東インド会社に代わって本国政府が直接、インドを統治するようになっていきます。

これによってムガール朝は滅亡し、連合王国領であるインド帝国が成立します。1856年に、アロー戦争 (第2次アヘン戦争) が起きます。 大英帝国とフランスは北京を占領し、 清に北京条約を結ばせます。

このとき、中国人の海外渡航を認めさせました。中国も鎖国していたのです。大英帝国はこのとき、シンガポールを開発しようとしていました。しかし、労働者がいません。そこで中国人を働かせようと考えて、海外渡航を認めさせたのです。

これが今、世界で5000万人とも6000万人ともいわれている華僑の始まりです。開発に必要なお金も、中国から得た賠償金で賄いました。その結果、中国人が、東南アジア経済を取り仕切るようになりました。

日本では徳川幕府が倒れ、1868年、薩摩藩と長州藩が中心の政治が始まります。薩長のもともとの理念は「尊皇攘夷」でした。尊皇とは、要するに「昔の政治に戻る」ということで、攘夷は「外国人を見たら斬りつける」ということです。

薩長では若手が実権を握っていましたから、血気盛んに攘夷を実践し、薩英戦争と下関戦争を引き起こしました。明治維新よりも前のことです。これらの戦争で、列強にぼこぼこにされて、大久保利通や伊藤博文は「攘夷はだめだ」と悟ったわけです。

「やはり阿部正弘は賢い」となって、「開国・富国強兵」に鞍替えしました。けれど、すでに「尊皇攘夷で幕府を倒すのだ」と拳を振り上げてしまっていた手前、とりあえず幕府を倒しました。これが明治維新の実相でしょう。

 





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水素は二次エネルギー
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/04(水) 16:49
No. 7862
 
 
20年前くらい前から未来のエネルギーは水素だと思っていました。水素はどこにでも存在しているので、力のある国に独占される心配はなく、小型の燃料電池を一般家庭やお店、会社の事務所において発電したり、燃料電池車を普及させて駐車中に発電機として使用し、その電力を水素エネルギーとして共有すれば、エネルギーが得られるという仕組みです。

人々が1つに繋がり水素エネルギーを共有して、世界中の誰もが水素エネルギーへアクセスでき、人や社会との繋がりに安心感を見いだし、人間を始めあらゆる生き物を含めて地球を1つの生物圏、運命共同体としての考え方なのです。

現在の日本に目を向けると、日本は化石燃料の大半を輸入に頼り、中東に依存しています。食糧自給率も低下が激しく、有事に対する備えも寂しい限りです。この期に及んで小手先の改革ではもう対処しきれない、社会を根本的に変えなくては、という危機感が広まっているからなのです。

そんな日本にとって、水素エネルギーの観点から過去を振り返り、現状を具体的に認識し、未来の展望を見極める、今、日本では、ものに豊かさを求め、資源を大量に消費し、国の借金も次世代にツケをまわす事で、成り立つ社会はおかしいという意識が高まり、環境保護の動きも強まってきています。

残るは、何としてでも水素エネルギーを構築してインフラを整備するのは、日本国の役目だと思うのです。水素ガスは燃えれば水になるわけだから、まさにクリーンです。したがって、これがよく真の救世主のように宣伝され、「これからは水素だ、原発はもう要らない」と断言するような人がいます。

しかし、水素ガスはお台場の日本科学未来館の先生方にご教授戴き調べてみると実は、現状では「化石燃料そのもの」なのです。地上や地中は酸素が支配している世界だから、水素は単独では存在できず、酸素と結合して安定な水や岩石や生物などの一部となっているので、我々が自然から直接水素を入手することは不可能なのです。

何らかの莫大なエネルギーを使用しての還元操作で得るしかないのです。たとえば電力で水を電気分解したり、メタンと水を高温で加熱反応させたりして、入手せざるを得ないそうです。莫大な量の一次エネルギーを消費しなければ、水素は得られないのです。

水素ガス技術は化石燃料利用の効率を高めてはいるので、自動車・航空機などの輸送機関用としては、今後ますます増える事だと思います。水素を利用する際の一番の問題は、水素の生産に必要な一次エネルギーをいかに入手するかになります。二酸化炭素を放出させないためには、その一次エネルギーは、核エネルギーか太陽エネルギーに求めざるを得ないのです。

日本の現在の電力コストは非常に高いです。経済競争力を強めるために半値にすべきだし、可能だという意見もあるのですが、電力コストが高いからこそ、税金の負担という支えを得て、高価な新エネルギー技術が存在できるのです。水素エネルギーを世界で共有できるよう未来の技術の進歩を期待したいです。

 





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アレルギー体質の改善
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/04(水) 16:48
No. 7861
 
 
生活改善でアレルギー体質から脱却するポイントがあります。まず、規則正しい暮らしを心がけ無理をしないことです。体調が悪い時にはアレルギーの症状はひどくなります。不規則な、体に負担のかかる生活を改め、しっかり睡眠をとって体調を整えましょう。

次にストレスを早めに解消することです。ストレスは、自律神経を通して内分泌系に影響し、免疫のシステムに異常をもたらしてアレルギーの症状を悪化させます。ストレスの解消は、早めに。

次にゆったり呼吸でイライラ解消しましょう。空手やボクシング、腹式呼吸、また深呼吸でもOKです。呼吸をゆったりする事は、心身の緊張をほぐすので続けるとアレルギーにも強くなります。

次に腹八分目を心がけましょう。食べすぎは、アレルギーによる炎症を起こりやすくするといわれています。腹八分目を心がけましょう。おかずは魚、野菜、大豆製品、海草などを中心に高蛋白、高脂質はアレルギー反応をおこしやすくする可能性があります。穀物や魚、大豆製品、野菜や海藻類などをしっかり食べましょう。

次にドクダミ、緑茶などでアレルギーを改善しましょう。薬ではないので、誰にでも効くと言うわけではありませんが、ドクダミ、緑茶、ハーブなどにも、アレルギーに強くなる効果があるといわれます。

次に日ごろからキレイな空気を吸いましょう。アレルギーの原因の一つに大気汚染をあげる人もいます。花粉の飛ばない時期や風が強くない日には窓を開け、室内にきれいな空気を取り入れましょう。

さらに運動で呼吸器など体をきたえましょう。運動は体の抵抗力を強め、消化器の消化吸収率もアップさせ、食べ過ぎの害を防ぎます。また、日常的に運動すると、鼻や喉、呼吸器などの粘膜を鍛える効果も期待できます。

 





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理想からかけ離れていく満州国
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/03(火) 07:24
No. 7860
 
 
満州事変は軍事事件として扱われ軍事的に日本が支配力を持ちました。石原莞爾としては、五族協和、王道楽土を実現したいと思っていましたが、そうはいかなくなってきたのです。まず満州国という国をつくろうと廃帝となった溥儀が招かれて、満州国皇帝となりました。

だが満州国という国家形態は、殆どが日本の官僚たちが牛耳る体制にでき上がっていったのです。石原莞爾に言わせれば、これは五族協和ではないわけで、むしろ五族協和を裏切るものでした。またミニチュア日本国家のような満州国をつくってしまうなどとはとんでもないと、石原莞爾のイメージとは全く違ってしまい軍部にたてつくわけです。

五族協和の満州国を造ろうと努力しているところ、中央の命令により石原莞爾は日本へ帰ることになるのです。満州事変を起こしたのは石原莞爾でした。しかし、全面的に日本人が支配する満州国を成立させることには反対でした。

だが、満州国の建国と同時に、日本の官僚たちがどんどん満州に入ってきました。また、南満州鉄道が支配力を強め、膨大な利権をめぐって、日本から経済人や野心家が集まってきたのです。日本で食い詰めた浪人も、あるいは旧共産主義で、日本にいられないような人も満州に入りました。その意味では満州は妙な楽土になるわけです。

流れ者、野心家、金もうけ屋など、様々な人たちのたまり場になっていきました。そして日本人はそれを食い散らしていくのです。その中には、石原莞爾のようなアジア解放の夢を持った大陸浪人と称される人々も多々いました。

しかし、それは日本の国家利権の人々に支配されて行きました。現地の民衆からも反感を持たれ、中国の人たちからも反感を持たれ、ソ連もますます警戒をかためるような、国際的孤立と危機を招くような満州国がだんだん出来上がっていくのです。

これが石原莞爾の理想からかけ離れて行き、裏目に出て行くという形となるのです。その満州国に令名を馳せるのが後の総理大臣、東条英機です。東条英機は満州国憲兵司令官でした。東条英機が考える満州国というものと、石原莞爾の崇高な夢として考えていた満州国というものとは全く違うものでした。

石原莞爾は、五族協和、王道楽土をつくるために、東亜連盟(現在、石原莞爾平和思想研究会)という組織をつくろうと考えています。これは民間団体です。軍人がつくる組織ではなく、五つの民族が一緒になった連合体をつくろうというものでした。

石原莞爾は終戦後でも、この東亜連盟に側近の私の父や同志などと力を注いで何とか維持しようと努力しています。ところが、この東亜連盟は、陸軍主導の日本政府にとっては邪魔でした。一番、東条英機が目の敵にしていたのです。

「石原が言っていることは大変甘い。満州などという大陸を支配するのに、民族の共同体なんて甘すぎる。武力でやらなければ秩序なんてとても保てるものではない。石原は日蓮にかぶれた夢想家だ」というのが東条の見方でした。

そして、憲兵隊司令官であった東条英機は、満州国において、東亜連盟の首脳部を次々と検挙するのです。東条英機は官僚的覇権主義者で、その秩序を乱すものは検挙しなければ、秩序は保てないと発想します。

それに対して石原莞爾は、人間の持っている共同体というものに根ざさなかったら軍隊も何も浮き上がってしまうというのが基本にあるのです。石原莞爾と東条英機とは発想も志も全然違うものだったのです。

 





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ビッグバンの前に迫れるか
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/03(火) 07:23
No. 7859
 
 
「想像力は知識より大切である。知識には限界がある。想像は、世界を包み込む」アインシュタインの有名な言葉です。ビッグバン宇宙論の基本的な枠組みは、強固な理論的基盤と数多くの観測実験的検証によって確立され、すでに知識と言ってよいレベルのものです。

だが、それゆえに「限界」もあります。自然科学が実験による客観的な検証をその礎としている以上、必ずその知識や理解には限界があります。「宇宙の果て」を考えていくと、結局はこの「我々の知識の果て」に突き当たることになります。

それゆえ、我々が一番興味を持つところでしょう。時間や空間方向に広がる「宇宙の果て」、いわば時空の果てについて、現時点の自然科学の知識をもとに明確な回答をすることはできません。しかしアインシュタインの言うように、想像をすることはできます。

あくまで自然科学の立場であるから、根拠のない想像をすることはできないのですが、これまでの自然科学の知識に基づいて、それなりに根拠のある形で宇宙の果てについて想像することはできるでしょう。

想像であるがゆえに、それが正しいと現時点で断定することは不可能ですが、それが真実の世界を包み込んでいることを期待しつつ、可能なかぎり「宇宙の果て」について思いを巡らせてみたいとおもいます。

まずは、過去に向かう 「宇宙の果て」、つまり宇宙の始まりについてどこまでさかのぼれるかを考えてみます。宇宙が膨張するという時間進化は、アインシュタイン方程式によって記述されています。したがって、宇宙の始まりに迫るためにまず行うべきは、この方程式の解が過去にさかのぼっていくとどうなるかを調べることです。

一様等方宇宙モデルの膨張解を過去にさかのぼると、ある時刻で宇宙の大きさはゼロという解になっています。大きさがゼロということは、宇宙のすべての物質が一点に集中してしまうということだから、物質の密度は無限大になってしまいます。

アインシュタイン方程式は、時空のゆがみを表す「曲率」と、物質のエネルギー密度が等しいとするものです。一様等方宇宙モデルの場合は、時空の曲率は宇宙の膨張率(ハップルパラメータ)になります。

過去のある時点で物質の密度が無限大になるということは、宇宙膨張率も無限大になってしまうということです。「無限大=無限大」では数学的に意味をなさないです。つまり、宇宙誕生の時刻ではアインシュタイン方程式自体が無意味なものになってしまうのです。

これは、相対性理論の枠組みでは宇宙誕生の瞬間に迫ることはできないことを示しています。相対論という実験でよく裏打ちされた理論を用いてビッグバン宇宙を記述することができるのは、ある時刻にすでに「一様等方かつ高温・高密度の宇宙」が存在していたとして、それ以後の時間進化をアインシュタイン方程式で解く、ということだけなのです。

この最初に想定する状態を物理学では「初期条件」というそうです。つまりこれが「ビッグバンの初期条件」です。これは必ずしも宇宙がその時刻で突然そのように生まれた、という意味ではないのです。そのような初期条件がどのように準備されたかについてはなにも答えていないのです。

 





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膨張するけど定常宇宙論とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/06/03(火) 07:21
No. 7858
 
 
宇宙が今現在、膨張しており、かつ相対論が正しいとすれば、宇宙に始まりがあったと結論せざるをえないでしょう。それでも、宇宙に始まりなどはなく、永遠不変であるべきだ。この、科学的思考というよりは人間臭い願望を満たすため、今から見ると珍妙としか言いようがない宇宙論が提案されました。

しかもそれは、当時世界的な権威であったイギリスの宇宙物理学者フレッド・ホイルが提唱したものでした。 そもそも「ビッグバン」という言葉は、ホイルがライバル説であるビ
ッグバン宇宙論を揶揄して名付けたものとされています。

この宇宙モデル、いわゆる定常宇宙論では、宇宙は無限の過去から無限の未来まで、常に膨張を続ける。いわば、時間軸方向に「宇宙の果て」などないのである。理系の高校生なら、指数関数というものを学んだことがあるでしょう。

このモデルでは宇宙の大きさが時間に対して指数関数になっています。つまり、一定の時間が経つと宇宙の大きさが2倍になり、また同じ時間が経つとやはり2倍になる、といういわゆる倍々ゲームのような宇宙膨張です。

このモデルでは宇宙膨張のペース、つまりハップルの法則から求められるハップルパラメータが常に一定であるという性質があります。膨張しているとはいえ、膨張の仕方は永遠不変にできるというわけです。

ただし相対論に基づいて宇宙を指数関数的に膨張させるためには、宇宙が普通の物質ではなく、とても奇妙な物質というかエネルギーで満たされていないといけない。これは実は、アインシュタインが導入した宇宙定数や、のちに出てくるインフレーションや暗黒エネルギーにも関連する話で、これ自体は決して不可能というわけではないのです。

ただし、誰でもすぐに気づく問題点があります。宇宙が膨張すれば、それだけ中に存在する物質の密度は薄まるはずです。物質の密度が時間とともに薄まるのでは、とても永遠不変な宇宙とは言えません。

そこでこのモデルでは、宇宙には、なにか物質を生み出す未知のメカニズムがあり、宇宙が膨張して物質密度が薄まるのをちょうど補うように新しい物質が供給され、その結果、宇宙は永遠不変の姿を保つとされる。考え方としては、アインシュタインが静止宇宙を実現するために宇宙定数を導入したこととやや通じるものがあるのかもしれません。

しかし、そのように都合良物質を新たに生み出す物理的なメカニズムは何一つ知られていません。この苦しい点が、やがてビッグバン宇宙論に敗れ去る一つの理由となったのです。宇宙の始まりは熱かったのか

定常宇宙論はさておき、素直に考えて、宇宙には通常の物質が満たされ、相対論が正しいとすれば、宇宙は過去のある時点で突然始まったという結論になります。だが、それだけではまだ、宇宙が超高音の火の玉のような爆発で始まったということにはならないのです。

 






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