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広島の旅行記2日目
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/13(水) 14:07
No. 7946
 
 
ホテルを出て、広島駅に向かいます。JRで宮島口駅へそこから歩いて、JR西日本の宮島フェリーで宮島へ。清々しい空気のなか、雄大な瀬戸内海と山々、そして厳島神社の大鳥居が見えます。10分ほどで宮島に到着。宮島にはシカがたくさんいます。世界遺産の厳島神社には海沿いを歩いていきます。大鳥居が見えてきました。

干潮だったので、歩いて、大鳥居の下まで行けます。朝早く来たので、まだそんなに混んでいませんでしたが、家族連れや、外国人観光客など訪れる人は様々でした。楽しそうに写真を撮影しています。なんとも良い雰囲気。真下から鳥居を見上げると、すごい迫力 青い空に朱色の鳥居が映えて、とっても綺麗でした。

厳島神社も、満潮時の前回とは違い、水上ではありませんでしたが、それでもやはり美しかったです。宮島の美しさを堪能したら、混む前に神殿へ。厳島神社のおみくじを引いたことはありますか?一度も引いたことがなければ、この神秘的な体験をおすすめします。厳島神社のおみくじは、多くの人々の運命を導く力を持っていると言われています。

おみくじの「平」は、安定や平穏を意味します。これは、吉でも凶でもない中立的な結果です。凶が出たのでおみくじの意味について神主さんを捕まえて語っていただきました。おみくじの「凶」は、困難や試練を意味します。これは、注意深く行動する必要があることを示しています。「凶」を引いた場合、冷静に対処し慎重に行動することが求められます。

前向きな姿勢で挑戦を乗り越えることが重要です。「凶」は、改善の余地があることを示すサインです。これを機に、自分を見つめ直し、成長の機会と捉えましょうとのことでした。「凶」が出る神社としては、厳島神社が有名です。その後、我々の後にお客さんが並び始めると神主さんはさっと立ち去りました(笑)

系図では桓武天皇から平家の流れの海軍中佐である祖父と呉生まれの父。とても関係が深いと思われる清盛神社はこの西の松原の先になります。西灯籠の左手は細い流れの御手洗川が流れており、この川で清めをしていたのかもしれない。西の松原から見る大鳥居と宮島桟橋の眺め。参道をしばらく歩いて行くと清盛神社の赤い社殿が見えてきます。

現在の厳島神社を形作った平清盛をお祀りする神社なので、ここは参拝しておくべきだと思います。厳島神社は参拝者で溢れていますが、清盛神社まで訪れる参拝者は少ないようです。平清盛公の没後770年を期に、御遺徳を顕彰しようとの気運が高まり昭和29年(1954)に創建されたそうです。

島内に厳島神社の摂社三翁神社が鎮座していますが、そちらから分祀創建されたのが清盛神社です。「平氏にあらずんば人にあらず」、あまりいい印象を持たれない清盛ですが、この地方に於ては音頭の瀬戸を始めとした航路や港の整備などに貢献し、清盛の印象は変わり、寝殿造りの厳島神社の基礎を築いたのも清盛の功績なのかもしれません。

厳島神社参拝のあとは、清盛神社まで足を伸ばしてやってきたのは、宮島民俗資料館です。歴史とか民俗とか書いてありますと興味がわきます。資料館のため写真撮影が出来る場所と出来ない場所があります。鯉の泳ぐ庭園でしばらく餌をあげていました。その後、鬼滅の刃の缶コーヒーを探しに歩き回りました。疲れました。

お昼になったので宮島と言えば、牡蠣や穴子が有名です。みやじま食堂は、表参道商店街の真ん中、郵便局の隣にあります。みやじま食堂といった暖簾がかかっているので、そこが目印です。外観は清潔感のある雰囲気。店内で提供されている食事内容がディスプレイされています。メニュー内容は、牡蠣や穴子を使ったセットメニューが中心です。

一番客でお店に入ると、その後は次々にお客さんが入ってきて、平日でしたが、とても賑わっています。宮島に来たのなら、やはり、穴子と牡蠣は味わいたいです。1階のスペースにてお食事を頂きました。実のぷりっとした牡蠣が入った牡蠣飯と、あなご定食、しらす定食と飲み物はレモンが有名なのでレモンのアルコールを頼みました。

宮島からの帰りは、JR線を使って広島駅に戻り、再び路面電車で、広島城近くまできました。復元された平櫓が見えます。お堀の幅が広いことに驚きました。被爆ユーカリの木の存在を知ったので、実物をみたく散策。80年、頑張っていました。地獄をみたけど、復興の姿も見続けていたのだと思うと胸が熱くなりました。

昭和32年に復元された広島城の天守閣。旧天守閣は、国宝に指定されていましたが、原爆で倒壊してしまったとのことです。天守閣の中は、博物館になっていて、刀剣や甲冑、城下町広島の歴史など展示されていて、勉強になりました。最上階は、展望台になっていて、360度、広島市内を見渡すことができます。

ただし、周りはビルが多く、絶景という感じではなかったです。ものすごく暑かったのでかき氷のアイスがとてもおいしかったです。いったん、ホテルに戻り一休みしてから晩飯にはホテルのとても感じよい良心的なフロントの女性に地元のものが食べさせてくれる美味しいところを2件紹介してもらったので、もう一軒に行くことにしました。

近くの「浜ケン」という居酒屋です。よく考えてみると昨日の夜は「イチケン」で今度は「浜ケン」とどちらもケンがついていました。広島駅近くに存在感十分の外観が渋い居酒屋でした。入り口の目の前に大きな白黒の魚河岸の写真が貼られ、その横には水槽がおかれている。1階はかなり賑わってして満席でした。

2階へ案内されました。古びた木造の階段を上がると4人掛の少し大きめの木のテーブルとベンチシートがある。早速、乾杯です。付き出しの雑魚のさつま揚げみたいなものはとてもおいしかったです。ハマチの刺身はびっくりするほど大きい。広島の醤油で食べる。刺身の盛り合わせにさらに追加して新鮮なお魚をいろいろ食べました。

店内は団体客で随分と騒がしい。大きな声で話さないと聞こえない。戦後のバラックのような建物がある。不思議な光景です。和食なので地酒がうまい。刺身は新鮮で美味いし、分厚く切った鰤刺身は食べ応え充分で皆さん、お代わりするほど満足していました。食いまくり値段は往復の新幹線代より高かったが、丁寧な仕事が伺える良い居酒屋でした。なにより、皆さんが非常に喜んでくれて、私はそれだけで大満足でした。

 





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広島の旅行記1日目
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/13(水) 14:05
No. 7945
 
 
東京駅から新幹線で広島に向かう前に東京駅で好きなお弁当を購入して、東京駅改札内の鬼滅の刃大規模広告キャンペーンを撮影しました。ボックスシートでお弁当を食べながら広島駅に向かいました。いつもは飛行機で広島に行くのですが、新幹線は初めてです。

広島駅についたらフリーきっぷを購入しようと路面電車事務所をうろうろしました。それもそのはず、あと3日で新幹線の近くまで路面電車が入り込む工事をしている最中だったのです。なんとかフリーキップを手に入れてからグランドインテリジェンスホテルに向かいました。ホテルまでは徒歩3分です。

エントランスに入ると中世ヨーロッパをモチーフとしているようで、シャンデリアがキラキラしていてテンション上がりました。とりあえず荷物を預けて観光に出かけます。ホテルのフロントの優しい女性に最寄り駅を教えてもらい長崎でも何度も利用した路面電車に乗って、本日の目的地である原爆ドームまで出かけました。

乗り心地は長崎と一緒でした。走る事、数分ほどなくして原爆ドーム前駅に到着しました。1945年8月6日に広島市に原爆が投下され爆心地から160mにあった、大正初期に建てられた楕円形ドームのあるレンガ造り3階建ての洋風建築物で当時の広島県産業奨励館は爆風と熱線で大破したが中心部は奇跡的に残り被爆の悲惨さを後世に残しています。

終戦から80年以上が経過した現在も、核兵器の廃絶と世界平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑としての役割を果たしています。核兵器の廃絶と恒久平和を世界に訴えるシンボルとして世界三大負の遺産「原爆ドーム」が1996年世界遺産に登録された。

ちなみに世界三大負の遺産とは、セネガルのゴレ島、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所、広島の原爆ドームです。これらは、奴隷貿易、大量虐殺、核兵器という人類の負の歴史を象徴する場所として、後世への教訓とするために世界遺産に登録されています。

戦争や人種差別など、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件を指す言葉です。その後の予定としてはお昼を有名な「長田屋」のお好み焼きを食べる予定でしたが、めちゃくちゃ行列が出来ていたので断念しました。

お好み焼き村のお好み焼き屋さんに行ってみました。時間が中途半端だったので、ギリギリ入れたという感じです。外国人ばかりでした。チーズのお好み焼きを頼んだところでかくておなか一杯になってしまいました。

お昼を食べた後は、『原爆の子の像』を見ました。像の高さは9mで頂上に折鶴を捧げ持つ少女です。少女は被曝して1000羽以上の鶴を折ったが亡くなってしまいました。石碑の碑文。これは僕らの叫びです。これは私達の祈りです。世界に平和を築くための。

この像は2歳の時に被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3200余りの学校や世界9か国からの寄付などにより1958年5月5日完成したものです。

次に『平和記念公園』平和公園一帯は、学生生活を広島で送られた、丹下健三氏による設計だそうです。平和記念公園内『平和の鐘』は、原水爆禁止の思いをこめて原子力マークにし、その反対側には、鐘をつく人の己の心を写し出す鏡が入れられています。平和の鐘の天井には戦争の原因のひとつである国境線のない世界地図が書かれてあります。

すべての核兵器と戦争のない平和共存の世界を達成することをめざし、その精神文化運動のシンボルとして作りました。この梵鐘、鐘堂は平和を願う万人の心と浄財を結晶させてつきました。鐘の音を広島から、世界のすみずみまでひびきわたらせ、全人類の1人ひとりの心にしみわたらせることを願っています。

次に『原爆供養塔』は、犠牲になった無縁仏を供養するための原爆供養塔。身元が判明した段階で犠牲者表に名簿が記載されるそうです。『折鶴奉納場』の脇に、原爆供養塔納骨名簿が貼られています。

『平和記念公園』の献花台は、テレビでいつも映し出されているところです。平和祈念式は、毎年、広島県広島市に原爆が投下された8月6日の原爆忌・平和記念日に平和記念公園で行われます。そして資料館の中は外国人でいっぱいでした。

資料館は原爆前の広島市民の様子、当日、その後、復興への道、現在と順を追って見られます。一度は行くべき場所だと思います。そして気分は沈みます。何故こうなったのか。それを知る資料館は戦争において中々ありません。広島の復興について街の中はエネルギーに溢れています。広島の方は優しく明るくエネルギッシュだと感じました。

観光から戻って夕方にホテルに到着。荷物はすでにお部屋に運んでおいてくれました。エレベーターもおしゃれです。お部屋はツインルーム。ヨーロピアンクラシック調のお部屋です。ベッドサイドにはコンセントが2個あり、便利でした。お風呂はバスタブと洗い場もあり、入浴剤も置いてありました。ホテルの湯船に浸かったのは久しぶりです。

洗い場付きのバスルーム。洗面所も使いやすいです。洗面所の引き出しの中には入浴剤にコットン、綿棒、ヘアゴムのセットとアメニティも豊富でした。トイレもセパレートで使いやすい。クローゼットにはハンガーが4本とズボンプレッサー。スリッパは通常のものと使い捨ての両方ありました。ソファーもあって、くつろげました。

小さいテーブルもあったので、朝食を食べたりできて便利でした。晩飯にはホテルのとても感じよい良心的な女性に地元のものが食べられる美味しいところを紹介してもらったら2件教えてもらいました。まずは、近くの「イチケン」という居酒屋でした。行ってみると「予約していますか」と言われましたが、ひとテーブルだけ開いていました。

ギリギリ入れました。隠れ家的な居酒屋さんです。店内は和風でカウンターにテーブル、奥はお座敷といったかんじでした。隠れ家的なのにお店はお客さんでいっぱいになりました。飲み物は一通りあります。私の好きな地酒もそろっていました。店員さんの対応もすごく丁寧でハキハキしており気持ちよくすごすことができました。お料理も本当においしいです。

基本的には和食かなと思いますが洋風などもありました。一番びっくりしたのはごぼうの天ぷらです。隣の方が注文していたので驚いたところ、おすそ分けしていただきました。お隣さんは実は川崎の方でした(笑)がぶがぶ地酒のんでかなりの料理を注文しましたのでおなかいっぱいです。その後は広島の夜の街を散策してからホテルに帰りました。

 





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星々の生と死が繰り返される
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/12(火) 19:00
No. 7944
 
 
星間ガスから様々な質量の星が生まれ、それぞれの一生を終えて、再び物質を星間ガスに返します。これが銀河の中で何世代にもわたって繰り返されています。それはあたかも、地球上で人間をはじめとする様々な生命が生まれ、やがて命が尽きると土に還ることを彷彿とさせます。また、生命の活動はその母体である地球の環境にも影響を与えます。

過去数十億年にわたって徐々に地球大気の中で酸素が増えてきたのは、植物による光合成のおかげでしょう。そして今、産業革命以降の人類の活動のために大気中の二酸化炭素が増え続けています。銀河もまた、星が生まれ続けることで徐々にその姿を変えていきます。

星間ガスは星に転化することで徐々にその量を減らします。一方で、超新星爆発から放出された重元素のために、星間ガス中の酸素や鉄の量は徐々に増えていきます。星が生まれ死ぬことで、銀河の進化が進むのです。

宇宙の年齢が約1億年の頃に最初の星が誕生します。これが、銀河形成の歴史が始まる瞬間です。一方で、宇宙大規模構造の形成は暗黒物質の重力によって脈々と進行しています。重力を支配し、星や銀河を作る原動力となりながら、自分自身はあくまで黒子として粛々と我が道を行くといった風情であろうか。

より大きなハローが登場し、より多くのバリオンガスがそれらに取り込まれることで、星形成の原料となる物質が増えていくのです。このため、宇宙全体での星形成活動はどんどん活発になっていくのです。

遠方の銀河の観測から、宇宙全体での星形成活動がそのピークを迎えるのは、ざっと宇宙誕生後20億年から50億年といったところ、赤方偏移で言えば3から1程度の時代であることがわかっています。

初代の星や銀河が誕生してから現在までを朝から夕方までの1日になぞらえて、この時代を「宇宙の正午」 (cosmic noon)という言い方が研究者の間で最近流行っているといいます。初代の星が生まれた頃は「宇宙の夜明け」 (cosmic dawn) です。

このピークを過ぎると、宇宙全体での星形成活動は下火になっていくわけですが、それにはいくつかの理由があります。暗黒物質ハローに取り込まれたガスは、時代とともに高温で低密度になっていきます。

そのようなガスは冷えにくいため、星が生まれることもなくなります。このような状況になっている典型的な例が、銀河団です。我々の銀河系のような立派な銀河が数百あるいは数千という数で、重力で束縛されて密集している領域を銀河団といいます。

重力で束縛された一つのシステムとしては宇宙で最大のものです。その総質量は実に太陽の1000倍にも及び、その大半が暗黒物質です。もちろんバリオンガスも存在し、銀河団の強大な重力のために1億度もの高温にまで加熱されて、X線で輝いて見えるのです。

 





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星々の生涯
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/12(火) 18:21
No. 7943
 
 
主系列段階を終えると、星は急速にその一生の終わりに向かって突き進みます。太陽の約8倍より軽い星は、赤色巨星という低温で表面が膨張した星となり、外層の一部を放出します。その放出した外層は中心星からの放射に照らされて惑星状星雲という実に美しいガス状の天体となるといいます。ハッブル宇宙望遠鏡で撮られた画像を掲載されています。

やがてこの惑星状星雲のガスも霧散し、中心には白色矮星という、質量が太陽程度ですが大きさが地球ほどしかない、密度の高い星が残されます。不思議なことにこの星は、他の恒星のように自分の重さを支えるためにエネルギーを出し続ける必要がないのです。

その秘密は、電子の縮退圧という量子力学的なものです。エネルギー生成を必要としないので、白色矮星になってしまえばあとは単に星が冷却するとともに暗くなっていき、ひっそりと、存在し続けることになるのです。

太陽の約8倍より重い星は、中心部において水素からヘリウム、さらには炭素、酸素、ケイ素といった重い原子核の核融合が進行し、やがて核融合で生まれた鉄を成分とする中心コアができます。

鉄は、それを知らぬ人はいないほど我々にとってごく身近な元素でありますが、実は100種類以上存在するあまたの元素の中でも特別な存在であることはあまり知られていないのです。鉄の原子核は最も強く結合した安定な原子核です。

一般にエネルギーの高い状態は物理的に不安定で、より安定でエネルギーの低い状態に移ると同時に余分なエネルギーを外界に捨てます。鉄より軽い元素は合体(核融合)してより重い原子核になることでエネルギーを出します。

一方で、鉄より重いウランやプルトニウムは、原子力発電所で起きているように、より軽い元素に分裂(核分裂)をすることでエネルギーを出します。そして、鉄より安定な元素が存在しないため、鉄はもはや原子核反応でエネルギーを取り出す事ができない燃えかすです。

間もなく最期を迎える大質量星の中心にできた鉄コアは、燃え尽きた真っ白な灰になります。だが、自然界にはさらに効率の高いエネルギー発生メカニズムがあります。重力エネルギーです。核反応で取り出せるエネルギーは、核反応を起こす物質の静止質量エネルギーの1パーセントに満たないです。

しかし重力エネルギーは、ブラックホールになるほど高密度になるまで物質が落ち込んだ場合は、静止質量エネルギーに匹敵するエネルギーを生み出すことが可能です。燃え尽きたかに思われた大質量星は、このエネルギーを使って超新星と呼ばれる華々しい爆発でその最期を飾ることになるのです。

鉄コアが太陽質量程度にまで成長すると、重力に対して支えきれなくなり、やがて潰れてしまいます。太陽質量の場合、半径3キロメートル以下のサイズにまで潰れてしまうとブラックホールになるわけですが、多くの場合はその一歩手前、半径約10キロメートルで重力崩壊が止まり、中性子星と呼ばれる星が誕生するのです。

この星が重力に対して持ちこたえられる密度は、1立方センチメートルに1兆キログラムという超高密度にあります。この密度は実は、陽子や中性子で構成される原子核の中の密度に近いのです。このような状態では、原子核の中で働いている核力によって、中性子星はその強大な重力に逆らって存在できるのです。

いわば中性子星は、一つの巨大な原子核と言ってよいでしょう。なお中性子星内部では、陽子と電子が合体して中性子になった方がエネルギー的に安定します。そのため陽子や電子はほとんどなく、中性子が主成分となっています。中性子星と呼ばれる所以でしょう。

さて鉄コアが潰れて中性子星になると、巨大な重力エネルギーが解放されます。どれくらい巨大かというと、例えば太陽がその一生(100億年)のうちに放射するエネルギーの300倍と言えば実感が湧くだろうか? この巨大なエネルギーを使って、中心部を除く外側の物質を吹き飛ばしてしまうのです。これが超新星爆発です。

といっても、爆発の運動エネルギーに転化するのは重力エネルギーのわずか1パーセント程度に過ぎません。それでも、太陽質量の10倍もの物質が秒速数千キロメートルで吹き飛んでいくのです。そして中心には中性子星が残されます。

その質量は太陽の1〜2倍といったところです。この中性子星は1兆ガウスを超える強力な磁場を持ち、1秒間に数十回も回転します。それによって生じる周期的なパルスが電波やX線で観測されていて、パルサーと呼ばれています。

ただし原子核力で支えることができる星の総質量には上限があり、中心に残った星が太陽のおよそ2〜3倍を超える場合は、さらに潰れてブラックホールになると考えられています。元の星の質量で言えば、太陽の数十倍を超えるような超大質量星が、ブラックホールの生成源と考えられているのです。

超新星爆発で吹き飛んだ物質は放射性物質を含み、それが原子核崩壊を起こして熱を出すことで輝き、超新星として観測されます。その明るさは太陽の100億倍という、一つの銀河に匹敵するものであり、それが1ヵ月以上続くのです。

それでも、この光として放出されるエネルギーは爆発エネルギーの1パーセント、重力エネルギーのわずか1万分の1に過ぎません。そしてこの吹き飛んだ物質は、新たに核融合で生成された炭素や酸素、鉄などの重元素を豊富に含んでいます。これがやがて星間ガスに溶け込んで、次の世代の星に取り込まれ、やがては地球型惑星や我々の体の原料となるのです。

 





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ボーア戦争が日英同盟の伏線
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/12(火) 18:19
No. 7942
 
 
1899年、 南アフリカでボーア戦争が起こります。ネーデルラントから入植したボーア人は、大英帝国にケープ植民地を奪われ、北の奥地に移動して、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国をつくったのでした。

そこで金鉱やダイヤモンド鉱山が発見されたのですが、それをまた大英帝国が奪いにかかったことから、ボーア戦争が勃発しました。この戦争に大英帝国のインド洋における兵力がほとんど投入され、50万人という大軍が南アフリカにくぎ付けにされます。

ボーア人は恨み骨髄で徹底抗戦します。そのために大英帝国は、兵力をアジアに展開する余裕がなくなります。これが日英同盟に結びつきます。ところで大英帝国は南アフリカで1879年、黒人国家のズールー王国とも戦っています。

この戦争にはナポレオン3世の息子、ナポレオン4世が、英兵として従軍し、戦死しています。ナポレオン4世は、もう皇帝の時代じゃないとわかっていて、担がれるのは嫌だと思っていたのではないでしょうか。死んでも構わないという気持ちで志願したのではないかといわれたりしています。ナポレオン2世と4世の生涯は、気の毒に感じます。

徳川幕府は朝鮮とは国交を結んでいました。なので、明治維新の後、明治政府は対馬藩を介して、「日本には新しい政府ができたので。王政復古して天皇が主権者になった」という手紙を送ります。しかし、朝鮮は受け取りを拒否しました。

なぜなら天皇の「皇」という字は皇帝の「皇」です。「こんな漢字は中国以外、使ったらまずい」と考えたからです。 冊封体制、朱子学の発想です。一方、明治政府は、ネーションステートに乗り遅れたのを挽回するため必死です。

「日本国民」という意識を人々の内面に生み出し、ナショナリズムを鼓舞したい。そのために天皇を中心に据えた神話を称揚します。ヤマトタケルや神功皇后などの神話です。神功皇后の神話には、朝鮮半島を討伐した話が出てきます。

そうすると、ネーションステートという文脈を理解しない人たちから、「神功皇后が討伐した朝鮮半島は、また征伐してしまえ」という話が出てくる。征韓論で勢いづきます。神話を必要以上に持ち上げたことが、のちの不幸のきっかけになります。

ナショナリズムは使い方を誤ると大変です。征韓論は、1894年の朝鮮出兵につながり、 これが日清戦争に発展します。日本は勝利しますが、ロシア、フランス、ドイツから三国干渉を受けて、遼東半島をしぶしぶ清に返します。

一方、この戦争で「日本は結構使える」と考えた大英帝国が、日英同盟を持ち掛けるわけです。清では、西太后が権力を握り、明治維新のような革命が起きませんでした。だから、 中国は後れをとります。その清で1899年、秘密結社の義和団が蜂起します。

スローガンの「扶清滅洋」は、「清を助けて外国を滅ぼす」ですから、日本の尊王攘夷そのものです。西太后は愚かにも、この動きに乗っかります。日本の「尊皇攘夷」は、旗として掲げながらも、「こんなものは建前で、本当にやったらえらいことになる」と、大久保利通や伊藤博文はわかっていました。 だから、明治維新は無事に済んだのだと思います。

薩長も明治政府も、本音では、王政復古でも尊皇攘夷でもなく、阿部正弘の「開国・富国強兵」という理念が正しいという認識を共有していたことが、 明治維新の一番大きな成功要因です。開国して、世界に学ぶ謙虚さを、明治の日本は持っていました。

1871年に出発した岩倉使節団はその象徴です。明治政府が成立してまだ3年、国家の形も出来上がっていないのに、新政府首脳の約半数が2年も日本を離れて、徹底的に海外に学んだのです。

 





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太陽はどうして輝いているのか
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/12(火) 18:18
No. 7941
 
 
銀河の中の星間空間ではなく、銀河系の外、つまり宇宙に散らばる銀河と銀河の間の空間はどうなっているのだろうか。これを銀河間空間と呼んでいます。可視光で見てもなにも見えないし、星間空間よりさらに空っぽという印象を持つ人が多いでしょう。確かに、銀河内の星間空間よりさらに密度が低いというのは正しいです。

だが、宇宙において、銀河間ガスとして存在する物質の量が、銀河の中に存在するものに比べてずっと少ないというのは全くの間違いでしょう。現在の宇宙に存在するべき全バリオン物質の平均密度は、ざっと10立方メートルあたりに水素原子が2個程度といったところです。

典型的な銀河内の星間ガスの密度に比べてさらに1000万倍も薄いことになります。このバリオン密度はどうやって見積もったのだろうか? 直接観測することは実は難しくて、まだできていないといいます。だが、ビッグバン元素合成や宇宙マイクロ波背景放射の精密観測によって、宇宙初期にどのような粒子反応が起きてきたかはよくわかっています。

そこから高い確実性を持って、現在のバリオン密度をはじき出すことができるといいます。一方、銀河の中に存在する星やガスの質量から、銀河の中に取り込まれた物質量を見積もることができます。

すると、銀河の中の星や星間ガスは、宇宙に存在するべき全バリオンのざっと10分の1程度にしかならないのです。では、残りの30パーセントのバリオン物質は今、どこにあるのか。それは銀河間に漂う希薄で高温のガスとして存在すると考えられています。

宇宙の膨張で温度が低下するのだから、銀河間ガスは非常な低温になっているのではないかと思われるかもしれません。だが、重力によって宇宙大規模構造の形成が進み、重力エネルギーがガスに与えられるため、典型的な銀河間ガスの温度は現在1000万度にもなっていると予想されています。

初代の星や銀河の形成に始まって、現在のように様々な銀河が存在するようになるまで、銀河の形成と進化の歴史について説明をしたいのですが、その前に銀河を構成する最も代表的な成分である恒星について簡単に説明しておかなければならないでしょう。

正確には恒星と呼ぶべきですが、以下では単に星と呼ぶことにします。星間ガスが収縮して、やがて中心部で核融合反応が始まるのが恒星誕生の瞬間でした。最初の核融合反応は水素をヘリウムに燃やすもので、これにより安定に輝いている星を主系列星と言恒星は一生のほとんどをこの状態で過ごします。 太陽なら約100億年です。

ちなみに、太陽がどうしてこのような長期間にわたり安定して輝くことができるのかというのは長年の謎でした。そのエネルギー源が核融合であると判明したのは20世紀に入って原子核物理学が発展したからです。

それ以前に人類が考えつくエネルギー源といえば、モノが普通に燃える、つまり化学的な燃焼反応か、あるいは重力エネルギーぐらいしかなかったのです。だが化学的燃焼反応で今の明るさを維持できるのはわずかに2万年程度、重力エネルギーでもせいぜい数千万年になってしまう。

地質学的に太陽が少なくとも数十億年以上の年齢を持っていることは明らかだったから、これは大変な難問だったのです。人類文明発祥以来、いや生命発生以来の長きにわたりお世話になっている最大のエネルギー源を人類が理解したのは、たかだか100年前ということになるのです。

 





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外交の天才ビスマルク
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/12(火) 18:16
No. 7940
 
 
フランスの第2帝政が崩壊すると、新生ドイツ帝国が樹立されます。初代皇帝となったヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿で戴冠式をします。この場所を選んだのは、かつてベルリンをナポレオンに占領され、プロイセンの領土が半減した仕返しです。

これがまた第1次世界大戦後にひっくり返るわけです。 怨念は怖いです。ビスマルクは大変賢い人で、この戦争でフランスがドイツを恨んでいるということを十分認識していたので、フランスを孤立させようと考えます。

まず、1873年にオーストリア、ロシアと三帝同盟を結びます。そして、オーストリア、 イタリアと三国同盟を結びます。オーストリアとイタリアは、ヴェネツィアとロンバルディアを巡って争っていた仇敵です。

それでも、ビスマルクの口車に乗ると同盟を結んでしまうのです。ビスマルクは外交の天才です。こうしてビスマルクは、ロシアとオーストリア、イタリアと上手に同盟を結んでフランスを孤立させることに成功しました。

ビスマルクは外交の天才でしたが、大変わがままな人でした。自分が提案したことに対して、皇帝が決断を渋ると、田舎の領地に帰ってしまいます。皇帝が折れるまで2ヵ月でも3ヵ月でも引きこもっています。ひどい部下です。

ヴィルヘルム1世は名言を残しています。「ビスマルクの下で皇帝であることは困難である」でも、誰よりもすごいのは、こんなわがままな部下でありながら、その能力を認めてずっと使い続けたヴィルヘルム1世です。 ドイツ帝国の幸運です。

ヴィルヘルム1世が没すると、 子どものフリードリヒ3世も即位してすぐ死去します。そこでヴィルヘルム1世の孫のヴィルヘルム2世が即位しますが、このころからプロイセンはおかしくなります。

ヴィルヘルム1世は「ビスマルクを大事にしないといけない」と遺言を残していましたが、 ヴィルヘルム2世は我慢しきれず、即位から2年後の1890年にビスマルクをクビにします。ヴィルヘルム2世には高度な外交が理解できませんでした。 ビスマルクはロシアの南下政策を牽制しながらも、 同盟や条約を結ぶことでなだめていました。

そんなロシアとの関係を、ヴィルヘルム2世は、 直情的に断ち切ってしまいます。心配になったロシアは1894年、フランスと同盟を結びます。露仏同盟です。今度はプロイセンが、ロシアとフランスに挟まれ、「サンドイッチの具」になってしまったのです。

 





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銀河系の外に広がる宇宙
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/12(火) 18:14
No. 7939
 
 
人類が、我々の住む銀河系の外側にも同じような銀河が多数あることを認識し、しかもそれらが宇宙膨張によって遠ざかっていることを知ったのは1920年代のことだから、まだ100年も経っていないことになります。

銀河系を出てその外の宇宙を観測した時に見えるのは、広大な宇宙空間に浮かぶ無数の銀河です。望遠鏡で夜空を観測すると、望遠鏡の角分解能では分解できずに「点」にしか見えない天体と、ぼうっと広がった天体に分かれます。

前者のほとんどは、銀河系の中に浮かぶ恒星です。ごくたまに、星のように点状でありますが実は宇宙論的な遠方にあるクェーサーという天体が混じっているのです。そして後者は、星団や惑星状星雲などの銀河系内の天体もありますが、そのほとんどは銀河系の外にある遠くの銀河です。

これから、人類の認識する宇宙がどのように銀河系の外に広がっていったかを見ていきますが、その前に「そもそも銀河とはどのようなものだろうか?」という事がとても気になります。この問いに対する最も一般的な答えは、銀河とは星の集合体であるというものです。

確かにそれは間違ってはいないし、特に、可視光線で銀河を見た時はそれ以上の何物でもないのですが、宇宙初期に銀河を作る材料は暗黒物質と通常物質(バリオン)のガスしかないのです。これらが星を生み、さらに多数の星が集まった銀河を生んだ母体です。

当然のことながら、現在の銀河にも暗黒物質やバリオンガスが存在しているのですが、可視光線では見えないだけのことなのです。一つの波長の電磁波だけで物事を見ても、その本質と全貌はわからない。とはいえまずは、我々の目に見える星の集団としての銀河の特徴をしることは大切なことでしょう。

よく知られているように、我々の銀河系は渦巻き銀河と呼ばれるタイプで、中心部にはバルジと呼ばれる球状の星の集まりがあり、その周りにディスクあるいは円盤部と呼ばれる円盤状の星たちの集合が回転しています。

円盤の中で星は渦状腕と呼ばれる美しい渦巻き模様を作ります。バルジ領域では最近の星形成活動がなく、年齢が数十億年以上といった古い星々が多い。一方ディスクには豊富な星間ガスも存在し、現在でも活発に星間ガスから星が生まれ続けています。

我々の銀河系が属する渦巻き銀河は銀河のタイプとして代表的なものでありますが、他にも様々なタイプや大きさの銀河が存在します。楕円銀河は、渦巻き銀河からディスクを取り除いて楕円体のバルジだけになったような銀河です。このタイプには非常に巨大なものもあり、我々の銀河系の10倍以上の質量を持つものもあります。

楕円銀河にも渦巻き銀河にも属さず、形が崩れた不規則銀河も存在します。また、我々の銀河系より100倍も小さいような矮小銀河も知られています。南半球に行くと夜空に雲のように見える大小二つのマゼラン雲は、銀河系がその周囲に従えている矮小銀河の一つです。

ぱっと目に見える星の集団としての銀河の性質はだいたいこんなところですが、その星々の細かな運動を解析すると、目に見えないより巨大な存在が明らかとなります。星の運動を決めているのは重力であり、重力を決めるのは銀河内に存在する物質の総質量です。

したがって星の運動を解析することで、銀河の中にどれだけの物質がどのように分布しているかがわかります。そのような研究から、どうも星として光っている質量よりはるかに大量の「光らない物質」があることがわかってきました。

このことに最初に気づいたのは1934年、フリッツ・ツビッキーという米国の天文学者でした。ただしそれは銀河の中の星の運動ではなく、銀河が集まった銀河団の中の銀河の運動であったのですが、理屈は同じです。彼はそれを「暗黒物質」と名付けました。

その後、銀河の中の星やガスの運動、特に銀河円盤の回転速度を調べると、銀河の中心から離れるにつれて光っている星の数は減っていくのに、重力を発揮する物質はそれほど減らず、銀河の端の方では星よりもざっと100倍もの質量を持つ「光らない物質」があることがわかってきたのです。これが、「暗黒物質ハロー」を人類が認識した瞬間でした。

 





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核施設や核物質について
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/07(木) 08:26
No. 7938
 
 
核施設や核物質に対する謀略的なテロ行為や、内部破壊活動(サボタージュ)は、実災害以上に社会的パニックを引き起こす可能性があるので、特別の防護措置が必要であり、被害が拡大しないような炉設計上の本質的工夫も求められています。

また、時代と共に、そうした事件をおこす心理的誘惑が強まりつつあるとも考えられるので、その可能性を今まで以上に公開して、起きうる事態への適切な認識・対応能力を高めるべきだと思います。さらに重要なのは、そのような行為を誘引する対象物をできるだけ排除もしくは低減させることです。その最大のものは「プルトニウムの存在」なのです。

これには核爆発問題の他に次の問題があります。万一体内に摂取されると、プルトニウムはアルファ放射線元素として高い発がん性物質を示します。プルトニウムは空中の微細浮遊物として吸入摂取された場合には、その一部が、肺や血液を介して移行した肝臓や骨に長時間溜まります。

その結果、組織細胞がアルファ線で照射され、通常十数年以上経過後に、ガンが晩発効果として発生するのです。同じアルファ放射体であるウラン235やウラン238よりもプルトニウムが危険とされるのは、その比放射能すなわち単位質量当たりの放射能の強さが極めて高いからです。

プルトニウム239の比放射能は、ウラン238の約19万倍で、ウラン235の約3万倍なのです。こうした発がん性以外に、猛毒の化学物質として取り沙汰されたこともあります。

このことから、テロリストが脅迫のためにプルトニウムの散布を試みても、その効果はほとんどないと主張する人もいますが、しかし、たとえその毒性が吸入による晩発の発がん性に限られても、テロリストは不安を拡大させるのが目的なので、散布の方法や量などを明らかにしないでしょう。

プルトニウムは、ガンマ放射線が弱くて検地が困難な上に運搬も容易であるから、人を恐怖に陥れる効果は極めて高いと見るべきでしょう。昨今、中国海軍の原子力潜水艦による領海侵入により日本領海が脅かされています。我が国の軍事力と日本政府の弱腰を見切り、バカにしているように思えます。

毅然とした態度で謝罪要求しなければ沖縄上陸の危険性を意味するのです。沖縄に駐留する米軍がいなければ、中国は、もっと過激な軍事行動を、行っていたに違いありませんが、だからといって、米軍基地を沖縄県民に押し付け続けて日本政府が沖縄を防衛しないのかと思うのです。

さらに北朝鮮は、日本全土を射程に収めるノドンミサイル約200発を日本に向けて配備しています。アメリカが軍事行動にとれば、米軍基地を抱える日本が北朝鮮の直接の攻撃対象になることは間違えないでしょう。

そうなれば、原子力発電所や重要施設を狙ったテロリストの攻撃もありえます。逆に、ネオコンのアメリカが、北朝鮮を攻撃してしまえば、いずれの場合も日本にとっては最悪のシナリオなのです。

こうした事態を避け、北朝鮮問題を平和的に解決するためには、日米同盟関係を強化しておかねばならないと考えたのは外務省です。外務省にとって、アメリカが行う戦争は支持する以外の選択肢はなかったのです。現在の日米同盟と言うのは日本国民を守るために各国の無辜の民を犠牲にするほど不安定ということなのです。

 





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胃がんの最大の危険因子
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/07(木) 08:25
No. 7937
 
 
癌とは、何らかの遺伝子の変化によって細胞が無秩序に増殖する病気のことです。周囲の臓器を破壊するなどして大きくなり、時に命を脅かします。多くのガンは、さまざまな要因が重なってできていて、原因は単一ではない。とはいえ、それぞれのがんについて罹患リスクを上げる危険因子は多く知られています。

例えば、肺がんは喫煙者に多いがんです。喫煙者の肺がんは非喫煙者より4.8倍も多く、喫煙は肺がんの最大の危険因子です。ちなみに、喉頭がんは5.5倍、食道がんは3.4倍、喫煙者に多いです。では、胃がんはどうだろうか?

胃がんの危険因子としては、食塩や塩蔵品が知られています。塩蔵品とは、漬物のような塩漬けの食べもののことです。また、喫煙が胃がんリスクを高めることも知られています。だが、近年、もっと大きく、かつ確実な危険因子の存在が明らかになりました。

ヘリコバクター・ピロリ (以下、ピロリ菌)という細菌です。胃にピロリ菌が感染すると、胃の粘膜に慢性的な炎症を引き起こします。長い年月を経て萎縮性胃炎と呼ばれる胃粘膜の萎縮に発展し、胃がんが発生しやすい状態になると考えられています。

ピロリ菌に感染していても必ず胃がんになるわけではなく、ピロリ菌感染は一つの危険因子である。とはいえ、感染者の胃がんリスクは非感染者の15〜20倍以上であり、ピロリ菌感染のない胃がんは1パーセント以下とされています。

では、ピロリ菌はどのように人に感染するのだろうか?実はほとんどが家庭内感染です。乳幼児期に、親から口を介した感染が多いのです。一方、大人になってからは、キスなどによる感染や食事による感染はないとされています。

胃にピロリ菌がいるかどうかは、さまざまな検査で調べることができます。よく行われるのは、尿素呼気試験という検査です。尿素を含む検査薬を飲んだあと、口から吐く息を調べるものです。ピロリ菌は、尿素を分解するという特徴を持っています。

尿素が分解されてできるのが、二酸化炭素とアンモニアです。よって、胃の中にピロリ菌がいれば、検査薬中の尿素が分解され、発生した二酸化炭素が呼気に含まれます。逆にいえば、この二酸化炭素を検出できれば、ピロリ菌の存在を証明できるのです。

ところが、ピロリ菌感染の有無にかかわらず、そもそも誰の呼気にも二酸化炭素は含まれています。どのようにして、「ピロリ菌が発生させた二酸化炭素」を識別すればいいのだろうか?実は、検査薬の尿素中の炭素原子Cを、同位元素であるに置き換えておき、1CO2を検出するのです。

自然界には、質量の異なる炭素原子Cが複数種類あり、約99%があります。したがって、検査薬を内服した後、呼気に含まれる二酸化炭素にCO2が多ければ、ピロリ菌の存在を証明できるのです。もちろんは人体に害はありません。

ピロリ菌は、胃がん以外にも胃のポリープやリンパ腫、胃・十二指腸潰瘍など、さまざまな病気と関連しています。胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因は何かと問うと、多くの人が「ストレス」や「暴飲暴食」と答えますが、実は95パーセント以上が「ピロリ菌か痛み止め」です。ピロリ菌が発見されたのは、1982年のことです。

それまで、胃の中に細菌は生息できないと思われていました。pH1という極めて強い酸性の環境だからです。だが、オーストラリアの医師、ロビン・ウォレンは、胃に未知の細菌が存在することに気づき、培養を試みました。この細菌が生きていることを証明するには、培養して増やす必要があるからです。

この研究には、同じくオーストラリアの医師であるバリー・マーシャルも加わりました。培養は、胃の表面をこすりとって得た検体を培地の上に撒き、細菌が増えるかどうかを確認することで行う。培地とは、細菌が生きるのに必要な栄養を豊富に含む素材のことです。

ところが、予想に反して実験は難航しました。何度試みても、細菌は培地の上で全く増えなかったのです。彼らを成功に導いたのは、一つの偶然でした。復活祭の休暇を取ったマーシャルが、うっかり5日間も培地を放置してしまったのです。

意外なことに、この長期間の培養が決め手になったのです。増殖スピードの遅いピロリ菌は、彼の休暇の合間を利用し、培地の上に見事な塊をつくったのです。顕微鏡で観察すると、そこにはこれまで報告されたことのない、らせん状の細菌が存在していました。

ウォレンとマーシャルは、らせん状 (helical) の細菌(bacteria) であることと、幽門 (pylorus)に存在したことにちなみ、この細菌をヘリコバクター・ピロリ(helicobacterpylori) と名づけたのです。

とはいえ、胃にピロリ菌がいるというだけでは、病気の原因になるとは言い切れません。ピロリ菌が本当に胃の病気を引き起こすのか。それを証明するためにマーシャルが行ったのは、自らの体を使った人体実験でした。

1984年、マーシャルは、ピロリ菌が胃炎と関連することを証明するため、自らピロリ菌を飲み込んだのです。その結果、ひどい胃炎と胃潰瘍を引き起こしたため、これを論文として報告したのです。細菌の存在に懐疑的だった周囲の人たちを納得させるのに十分な結果でした。

のちにピロリ菌は、胃がんを含めさまざまな病気とかかわっていることが知られ、公衆衛生に与える影響が非常に大きいことがわかってきたのです。ウォレンとマーシャルは、ピロリ菌を殺す除菌療法の研究も行いました。

現在は、2種類の抗生物質と一種類の胃薬を1日2回、1週間内服するという除菌療法が行われている(3剤が1パックになった製品がある)。マーシャル自身も併用療法を受け、ピロリ菌の除菌に成功したといわれています。2005年、マーシャルとウォレンは、これらの功績によってノーベル医学生理学賞を受賞しました。

ところで、なぜピロリ菌は強酸性の環境でも生きられるのだろうか? 実はそのヒントは、これまでの説明の中にあります。ピロリ菌は、アルカリ性であるアンモニアを産生するため、自らの周囲の強酸を中和できるのです。敵もさるもの。厳しい環境で生き延びるため、独自の進化を遂げていたのです。

 






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