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昭和20年代は、少なくとも民主国家の体制を整えるために議員が立法していました。ところが、高度成長に向かう時から官僚が立案して議員の名前で官僚立法に変わってしまったので、現在も官僚が完全に国会を支配しています。
保守党の2世、3世議員というのは、ほとんど官僚上がりです。官僚が行政府を牛耳っているという、こんなおかしなことはありません。一体、本当の政治家はどこへ行ったのでしょうか。
かつては保守政界の中にも松村謙三や、大正時代から一貫して「小国平和主義」を唱えた石原湛山と言う良い政治家がいました。「地方分権」を主唱した三木武夫も良かったと思います。だが、本当の政治家が現在はいません。それは官僚によって政治が支配されていることに、最大の原因があるのです。
日本は民主主義国家ではなく似非民主主義国家のように思えます。この似非民主主義を支えている柱があります。それは、憲法の前文に「主権在民」を謳いながら、第一条に象徴天皇を掲げ、戦争放棄・非武装という世界に誇るべき項目は第九条になってからやっと出てきます。
民主憲法だったら象徴天皇というのは後で出てくるべきで、まず不戦・非武装が第一条に来るのではないでしょうか。この憲法第一条と第九条の矛盾が似非民主主義を支えていると思うのです。第一条の象徴天皇についての議論を日本のインテリは深めませんでした。第九条があるから、これでよかったのであろうか。
しかし、第九条が完璧かというとそうではなく、第九条の解釈によっては軍備を持てるのです。現実に吉田茂が狙い続けていた再軍備の方向へ日本は進んできているでしょう。警察予備隊・保安隊はマッカーサーの指示によると言いながら、実は吉田茂自身が軍備を持ちたかったのです。
沖縄の基地問題に対しても強く言えないのは、日本自身がアメリカの要求に応える形で再軍備の方向へ進んでいる証拠です。日本の技術をもってすれば、いつでも原爆を造れる訳だし、アメリカはそれを恐れているから駐留しておく必要があるという見方もあるくらいです。
しかし、日本に置いておく必要はない。そういう日本の民主主義の中にある似非民主主義の部分というのは憲法のなかにある根本矛盾の問題なのです。さらに、官僚が日本を支配しているという官僚制度の問題があります。どんどん堕落し続けていく日本のマスコミの問題。殆ど何の批判もなくなっています。
何も革命を起こせと言っているわけではなく、せめて堕落し、退廃した国家権力と、それを強力に支えている政・官・財の腐敗した癒着構造を批判して、抵抗ぐらいすべきでしょう。抵抗することによって自らがわかるということがあるのです。抵抗しないから自分がわからないのです。
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