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フランスがヒトラーに降伏したのをいいことに、日本はフランス植民地のインドシナに進駐します。1940年に北部インドシナへ、1941年には南部インドシナへ。ヨーロッパの混乱に乗じた火事場泥棒です。
これに怒ったアメリカから石油を全面禁輪にされて、日本は千上がります。石油の備蓄は約2年分しかありません。備蓄は刻一刻と減っていくわけですが、「後になるほどしんどくなるから、1日でも早く戦争を仕掛けなくては」などという倒錯した議論になっていきます。
戦争を仕掛ける必要なんてなくて、要は、アメリカに禁輪を解いてもらえればいいわけですから、インドシナから軍を引き揚げるか、引き揚げたふりをするだけでもよさそうなものです。しかし、外交力が落ちている日本にはそれすらできず、1941年12月、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まります。
1941年8月、フランクリン・ルーズベルトは大英帝国の首相チャーチルと会談して、大西洋憲章を発表しています。この時点では、アメリカはまだ参戦していませんでしたが、 領土の不拡大や民族自決、国際経済協力などをうたう8カ条の憲章を通じて、ルーズベルトは、すでに戦後のビジョンを描いていました。
1942年1月、ナチスはヴァンゼー会議を開いて、ユダヤ人を絶滅させる方針を決めます。ここから絶滅収容所がフル稼働します。この頃にはもう、戦争に勝てないことが薄々、 わかっていたのでしょう。6月には、ミッドウェイ海戦で、日本が大損害を受けます。
8月には、アメリカが科学者を総動員して原子爆弾を開発するマンハッタン計画を始めます。1943年には、ソ連とドイツの間で、スターリングラードの戦いやクルスクの大戦車戦があり、ドイツの劣勢が鮮明になります。
この年の7月、ムッソリーニが失脚して、イタリアは9月に降伏し、10月にはドイツに宣戦布告します。賢い判断です。ドイツが勝ちそうなときに戦争にぱっと入って、ちょっとおいしい汁を吸い、負けそうになったらいち早く降伏して許してもらう。こういうところがイタリアの賢さです。
1944年、ルーズベルトは、ブレトンウッズ会議を通じて、国際通貨基金(IMF) 国際復興開発銀行 (IBRD) の設立を決めます。世界恐慌後、各国が自国本位に展開したブロック経済が、第2次世界大戦を招いたことへの反省です。
さらに、ダンバートン・オークス会議で国際連合憲章の草案を話し合います。1945年2月、 アメリカのルーズベルト、大英帝国のチャーチル、ソ連のスターリンが集まり、戦後処理の方針を決めました。ヤルタ会談です。
4月にアメリカ軍が沖縄に上陸し、ルーズベルトが死去。トルーマンがアメリカ大統領に就任します。同じ月 (1945年4月) に、連合国50ヵ国が集まってサンフランシスコ会議が開かれ、その結果、6月に国際連合憲章が調印されています。
ルーズベルトはドイツや日本が降伏する前に亡くなりましたが、その前に国連発足の道筋をつけていました。 戦後の見取り図を周到に描いて、 参戦に踏み切ったという意味で、傑出した政治家だと思います。
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