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1958年、ソ連のスプートニク1号の打ち上げから1年もたたないうちにアメリカは、米航空宇宙局NASAを設立しました。カイパーは何年も前から地球を一つの惑星ととらえていたが、科学がようやくそれに追いついたのです。
現代の私たちには当たり前のように思えるが、死もためらわない熱狂的な愛国主義が沸騰していた当時の人びとにとっては、知性も魂も揺るがす衝撃的な発想だったのです。その頃、カイパーとユーリーは、それぞれ産声をあげたばかりの宇宙探査計画を主導していましたが、確執は激しくなる一方でした。
二つの研究室を行ったり来たりしていたカールは、むき出しの敵意にすっかり参り、親が離婚した子どものようだと嘆いたこともあるといいます。両方の研究室に所属する大学院生はカールだけで、彼が唯一の橋渡し役だったのです。
ユーリーはNASAの月到達計画のために献身的に働いていました。太陽系の形成過程を知りたいとようやく思い始めたのです。月面は雪をざくざく踏むような感じだろうというのがカイパーの予測でした。その後月面を初めて歩いたニール・アームストロングは、その通りの感触だったと語っています。
ユーリーとカイパーの下にいたおかげで、カールも偉大な冒険に参加することができました。子どもの頃に描いたポスターの見出し、宇宙船が月に到達がとうとう実現します。しかも自分もそこに加わっている。
カールは、月に向けて出発するアポロ計画の宇宙飛行士たちに指示を出しました。宇宙探査で得た情報を吟味するために、科学者たちが集まった最初の合同会合の場にもいました。生物学者、地質学者、天文学者、物理学者、化学者が一堂に会して議論するなど、かつてないことでした。もっともそれは議論というより、怒鳴り合いに近かったのです。
そんな会合の席で若きカール・セーガンが立ち上がり、こう言ったのは有名な話です。「皆さん、僕たちはこんな宝の山をもらえる最初の世代なのです。みんなで一緒に頑張ろうじゃありませんか」彼は惑星科学の創成期に道筋をつけ、それが現在も生きています。
分野の垣根を越えた惑星研究を扱う初の科学論文誌「イカロス」で編集長を務めたのも彼です。この雑誌は今も続いています。カールは、地球以外の世界生命が存在する可能性のある惑星や、地球外の生命や知的生命の探査を、確かな科学の眼で追究した数少ない研究者の1人でもあります。
彼はまた、科学者以外のすべての人にわかりやすく研究成果を伝える為に、生涯努力を惜しまなかったのです。太陽系外惑星が最初に観測されたのは1995年。ジェラルド・カイパーとハロルド・ユーリーは既に死去していたし、カール自身も翌年世を去っています。
NASAのケプラー宇宙望遠鏡や世界各地の地上望遠鏡の観測で、太陽系外惑星が何千個も存在することが確かめられたのはずっと後のことです。この3名をはじめとする多くの研究者の努力で、ガスと塵の雲から一つの恒星が生まれ、その残り物が合体して惑星や衛星ができる、つまり太陽系が形成されるのに、1000万年以上かかる事がわかりました。
惑星形成は、ずいぶんと長い時間を要するが、珍しいことではありません。天の川銀河の中では、ほぼ毎月どこかで起きています。観測可能な宇宙には、おそらく1兆個の銀河があり、1兆の1000億倍個の恒星が存在し、もしかすると毎秒1000個もの新しい惑星系が誕生しているかもしれないのです。
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