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アメリカ合衆国陸軍省がマンハッタン計画の拠点に選んだのは、ニューメキシコ州ロスアラモスでした。辺鄙なこの場所を推薦したのが、責任者で物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマーだった。10代の頃、療養で滞在したことがあったのです。
計画に参加したエドワード・テラーにとって、原子爆弾は通過点に過ぎませんでした。彼が夢見ていたのは破壊力が桁違いの兵器、水素爆弾です。これに比べれば、原子爆弾など導火線に点火するマッチぐらいのもの。テラーは水素爆弾を「スーパー」という愛称で呼んでいました。
テラーと好対照だった人物がいるとすれば、それはジョセフ・ロートブラットです。ワルシャワの裕福な家に生まれましたが、テラーと同様戦争ですべてを失った経験を持っています。1939年夏、ロートブラットは英国リバプール大学で研究をすることになりました。ところが出発直前、愛妻トーラが急性虫垂炎に罹患してしまいます。
回復するまで渡航は無理でした。トーラは、ロートブラットだけ先に行って新居の準備をしておいてと言いました。2、3週間もすれば自分も行けるからと。マンハッタン計画で科学者たちが直面した課題は、レオ・シラードがロンドンの交差点で思い描いたような原子核連鎖反応を、化学的にどうやって引き起こすかでした。
計画に参加していた科学者も技術者も、かつてない破壊力をもつ爆弾を実現すれば、重大な危機を回避できると自らに言い聞かせていました。我が国はもちろん、他のどこの国も、そんな兵器を攻撃に使うはずがないと思っていました。
つまり彼らは、核兵器をつくる事が、それを使わせない抑止力になると考えたのです。ヒトラーが原爆をもったらどんなことになるのか。その恐怖が開発の原動力となり、マンハッタン計画には連合国の科学者数千人が参加しました。
だがその後ドイツが降伏してヒトラーが自殺しても、大勢の科学者が研究を続けたのです。降伏前に離脱した1人を除いて。それがジョセフ・ロートブラットです。後年、倫理を優先した決断かと問われるたびに、ロートブラットは笑顔で否定して、妻が恋しかったんですと答えました。
ロートブラットが出発した直後にナチスドイツがポーランドに侵攻したため、トーラはワルシャワに足止めされ、混乱のなかで連絡が取れなくなりました。欧州での戦争が終わり、ようやく消息を辿る事ができたが、妻の名前は死亡者名簿に載っていたのです。
ベウジェツ強制収容所でホロコースト(ナチスによるユダヤ人大量虐殺)の犠牲になったのです。ロートブラットはその後60年生きながらえるが、再婚はせず、核兵器廃絶の活動を精力的に続けました。
戦時中に原爆開発を始めた3カ国のうち、終戦までに完成させたのは米国だけでした。歴史家は、米国が多くの移民を受け入れたことを成功の要因にあげています。マンハッタン計画の中心となった研究者のなかで、米国生まれはわずかに2人です。
米国の大学で博士号を取得した者は1人だけでした。科学者たちの抑止力信仰は誤りでした。米国は広島と長崎に原爆を投下して戦争を終わらせました。トルーマン大統領はホワイトハウスの執務室にオッペンハイマーを招き、謝意を伝えようとしました。
しかしオッペンハイマーは喜ぶどころか、部屋に入るなり「大統領閣下、私の両手は血にまみれています」と口走りました。大統領はむっとした表情を浮かべ、見下した口調で言いました。「バカを言いたまえ。両手が血まみれなのはこの私だ。だが私は気にしない」
オッペンハイマーはさらに食い下がります。「ソ連が原爆を手に入れるまでどのぐらいかかると思われますか?」「絶対無理だ!」トルーマンは言下に否定しました。オッペンハイマーが辞したあと、トルーマンは補佐官に怒りを爆発させました。「あんな軟弱科学者を二度と私に近づけるな! わかったか!」
それから4年もたたないうちに、ソ連が初の核実験を行いました。 ハルテック、シラード、フレロフ。3名の科学者の手紙が示唆した通り、核兵器競争は恐怖の第2段階に突入したのです。桁外れの殺傷能力を実現したいというエドワード・テラーの夢は、戦後ようやくかなうことになるのです。
米国で赤狩りの嵐が吹き荒れた1950年代初め、テラーはかつての上司であり、マンハッタン計画を成功に導いたロバート・オッペンハイマーの経歴に問題ありと匂わせ、公職追放へと追いやりました。オッペンハイマーは「スーパー」の開発に反対していたのです。
さらにテラーは、大気圏内実験は「核兵器の維持と改良に不可欠」と誤った主張を展開して、包括的核実験禁止条約の批准阻止に中心的な役割を果たしました。核兵器の数は大幅に減ったとはいえ、核戦争の恐怖は今も我々につきまとっています。
世界全体を破壊してもまだ余るほどの核兵器が、現に存在しているのです。噴煙を上げている火山の麓で、枕を高くして寝られるはずがないでしょう。そんな底知れぬ危険に直面して、夢のなかで金縛りにあったみたいに、身動きが寂れない人たちがいたのです。
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