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明るいところから急に暗いところに入ると、最初は何も見えないのに、徐々にものが見えるようになってきます。このことは、誰もが経験的に知っていることでしょう。この現象を「暗順応」と呼びます。主に働く細胞が、錐体細胞から桿体細胞にゆっくりと切り替わるのです。逆の経験もあるでしょう。
暗いところから急に明るいところに出ると、最初はまぶしくてものが見えにくいのですが、徐々に普段の見やすさを取り戻してきます。これは、「明順応」と呼ばれる現象です。暗順応と逆の作用が起こっているのです。
明順応と暗順応は、完了するまでにかかる時間が大きく異なります。明順応は約五分とすみやかに起こりますが、暗順応は三十分ほどかかるのです。実は、この興味深い現象の本を読んで学んで以来、私はこれを日常生活に生かしています。
夜中に尿意を催し、暗い寝室からトイレに向かう、といった経験は誰しもあることでしょう。このときに、廊下の電気をつけて両目を光にさらすと、あっという間に明順応が完了してしまいます。再び暗い寝室に戻ると、部屋の中が見えにくくなってしまうのです。
そこで、片目をつむった状態で電気をつけ、一方の目は暗順応を維持したまま、もう一方の目を明順応させます。すると、暗い部屋に戻って両目を開けたとき、片方の暗順応が生きているため部屋の中をスムーズに移動できるのです。
もちろん、片目をつむって歩くと距離感がわかりづらいので注意は必要ですが、意外に便利な方法です。足元がよく見えなかったために、机や家具に小指をぶつけて痛い思いをすることもないのです。
むろん、もう一度寝室の電気をつければいいではないか、といわれれば反論のしようもないのですが、臓器の持つ特性を知り、それを大いに利用し、その成果を自ら体感することは、この上なく心地よいものです。
ちなみに、アニメや映画で出てくる海賊は、決まって片目に眼帯をしています。その理由については諸説あるようですが、一説によると暗順応を維持するのが目的なのだそうです。明るい甲板から暗い船倉に入った際、眼帯をずらすだけで中の様子がわかるというのです。
明るい場所で作業している最中に突然船倉で戦闘が始まっても、暗順応が生きている片眼を使えば困ることはないでしょう。確かにこれが真実なら、目の特性を生かした便利なテクニックだといえることでしょう。
ここでまた1つの実験をしてみます。本を両手で左右に細かく揺らした状態で文字を読もうとしてみてほしい。文字が左右にぶれて、とても読み進めることはできないでしょう。では逆に、頭のほうを左右に細かく揺らすとどうだろうか?
先ほどと同じ幅で、かつ同じ速度で左右に振りながら、文字を読もうとしてみてほしい。本を揺らすのと比べると、はるかに読みやすいのではないだろうか? 頭を左右に振っても、意外に視野はぶれないのです。
これには、私たち動物が持つ「前庭動眼反射」という機能がかかわっています。耳の奥にある前庭や半規管という器官が頭の動きを感知し、瞬時に逆方向に(打ち消す方向に)眼球を回転させ、視線のブレを防いでいるのです。
試しに鏡で自分の顔を見つめながら、頭を左右に振ってみよう。目を動かそうと思わなくても、顔の向きとは反対方向に眼球は自然に動くはずです。道を歩いているときも、あるいは走っている最中ですら、私たちの視野は安定しているのです。
頭がどれだけ揺れていても、周囲の景色をくっきり認識できます。走りながら道路標識の文字を読むことすらできるはずです。顔の動きに合わせて、自動的に眼球が動いてくれるからです。この機能は、あらゆる動物が生きる上で大切です。
逃げるシマウマを追いかけるライオンが、シマウマを視野の中央にしっかり捉えたまま高速で走れることを考えれば、その重要性がよくわかるはずです。こうした反射は、意図とは関係なく常に行われているため、私たちはそのありがたみに気づきにくいのです。
だが、例えば走りながらカメラで周囲の景色を撮影すると、どんな映像が撮れるかを想像してみてほしい。上下左右に激しくぶれて、とても見るに耐えない映像になるはずです。もし私たちに前庭動眼反射がなかったら、こういう景色の中で生きることになるのです。
ちなみに、近年のホームビデオには、「光学式手ぶれ補正」と呼ばれる高度な機能が搭載されているものがあります。カメラの動きに合わせてレンズが逆方向に動き、映像のぶれを軽減するのです。しくみとしては前庭動眼反射と同じです。昔に比べると、ホームビデオの進歩は本当に凄まじいのですが、もっと「凄まじい」のは私たちの眼球なのです。
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