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新規投稿 ] 
  世界初となる洋上風力発電  仲條拓躬2025/03/17(月) 16:56 
  太陽光発電の推移について  仲條拓躬2025/03/17(月) 16:53 
  心の病の急増  仲條拓躬2025/03/12(水) 16:46 
  フランス人の旅行のやり方  仲條拓躬2025/03/12(水) 16:43 
  ヒラメについて  仲條拓躬2025/03/12(水) 16:41 
  自分自身の過去を見ることはできない  仲條拓躬2025/03/11(火) 09:04 
  この世の終わりについて  仲條拓躬2025/03/11(火) 09:00 
  特設法廷での石原莞爾  仲條拓躬2025/03/03(月) 15:58 
  地震は三つのタイプ  仲條拓躬2025/03/03(月) 15:57 
  お互いに歴史を学ぶ  仲條拓躬2025/03/03(月) 15:56 






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世界初となる洋上風力発電
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/17(月) 16:56
No. 7770
 
 
今、再生可能エネルギーのフロンティアは「海」にあります。1991年のことです。北欧の小国デンマークのバルト海に浮かぶロラン島の沖に、11基の風車が立ち並びました。これは、世界初となる「洋上風力発電」のプロジェクトだったのです。

そこから30年をかけて、洋上風力は、世界の再エネの「フロンティア」となっています。人口わずか600万人弱のデンマークは、世界に広がるこのイノベーションを牽引してきました。1970年代のオイルショックをきっかけに、エネルギーの国産化をめざしたデンマークは、洋上風力発電を軸に新たなエネルギー源へとシフトしていったのです。

ロラン島の洋上風力プロジェクト「Vindeby」は、浅瀬にコンクリートを敷いて、そこに陸上の風力タービンを建設する程度のものでしたが、その後、技術的な改良を経て、徐々に設置場所を沖合へと広げていくのです。

2002年にはデンマーク西方の北海で、海岸線から1キロメートル離れた場所に洋上風力発電所を建設し、一気に洋上への可能性を引き上げていきます。興味深いのは、これらの洋上風力プロジェクトを手掛けたのが、デンマークの石油会社だったということです。

1972年にデンマークは、石油の中東依存度を下げ、北海における石油開発を進めるために「デンマーク石油ガス (Danish Oil & Natural Gas、通称 DONG)」という会社を設立します。

しかし、DONGは洋上風力プロジェクトが成功すると同時に再エネへの傾注を進めていき、2008年には「化石燃料から再生可能エネルギーへの転換」を宣言するようになるのです。この転換においては、洋上の油田開発で培った海上プロジェクトの技術を、洋上風力の開発にも活用していったのです。

そして2017年、DONGはついに石油・ガス事業の売却を決め、社名を19世紀のデンマークの電磁気学者の名前にちなんで「Ørsted (オーステッド)」に変更します。「2008年は明確な転換期でした。当時は化石燃料の比率が55%で、再エネが15%でしたが、この数字を逆転させる目標を立てました。」

「さらに2025年には20年近い前倒しで再エネ比率がほぼ100%になります。このシフトの背景には、政府や投資家からの影響もありましたが、大きなマインドセットの変化がありました。石油ビジネスの未来を考えると、ビジネスとしても合理的な判断であり、今や完全に再エネに注力しています」と、オーステッドでアジア地域を統括するマティアス・バウゼンバインは打ち明けています。

ここで重要なのは、オーステッドはまだ石油や天然ガスで稼げているうちに、すでに未来を見越して再エネへと舵を切っているということです。オーステッドが沖合いへと進んでいくに従い、欧州全域で洋上風力が広がっていく。特に積極的だったのが、英国です。

2000年を皮切りに、わずか数年で110万キロワット分のプロジェクトを手掛けると、一気に世界トップの洋上風力発電国家へと躍り出ます。これと同時にコストも下がり続け、北海には、風車が数十本〜200本単位で立ち並ぶプロジェクトが50件近く動いている。

今や世界の洋上風力の導入量は、欧州を中心に3400万キロワットにまで伸びました。オーステッドは現在にいたるまで、世界トップの洋上風力事業者であり続けています。さらにデンマークには洋上向け風力タービンメーカーのヴェスタスもあり、独シーメンス系メーカーとトップ2を分け合っている(シーメンス系の工場もデンマークに存在している)。

つまり、デンマークは石油企業を再エネに完全シフトさせることで、これまで世界に存在しなかった市場を作り上げるだけでなく、さらに国を支える産業へと育成したのでした。今やオーステッドは、時価総額でオイルメジャー英BPと競り合う「グリーン・ジャイアント」の一つになったのです。

約7兆円に上る時価総額は、日本の電力10社を足した額を大きく上回るほどです。さらには2025年までの「カーボンニュートラル」を宣言しており、2023年までに石炭火力を全廃させることも明言していました。オーステッドの試算によると、洋上風力の発電コストは、今や石炭・ガスの火力、そして原発よりも優れているというのです。

 





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太陽光発電の推移について
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/17(月) 16:53
No. 7769
 
 
太陽光発電の起源は、1839年のアレクサンドル・エドモン・ベクレルによる「光起電力効果」の報告とされていますが、そこから1905年、アルバート・アインシュタインの光量子仮説(1921年のノーベル物理学賞受賞)で理論の礎ができました。

ようやく1954年に世界のITテクノロジーの源流としても知られる米国のベル研究所によって実証されました。これが現在の太陽光発電の始祖です。太陽光発電が産業化され始めたのは70年代ですが、実は大きな役割を果たしたのが日本だったのです。

1973年の第一次オイルショックを経て、エネルギーの国産化へと乗り出した日本は、原発への傾斜を進めると同時に、太陽光発電などを開発する「サンシャイン計画」に約4400億円をつぎ込みます。

京セラ、三洋電機、シャープなどのメーカーが高効率化、低価格化を進め、1994年には住宅用太陽光発電への助成金も始まったことで、21世紀に入るまでは、日本は技術でも導入量でも世界のトップを走っていたのです。

ビル・ゲイツは、この当時をさして「日本は、太陽光発電というイノベーションにおけるカタリスト(触媒)だった」と繰り返し発言しています。しかし、2000年代に入ると、この構図は一気に塗り替わってしまいます。

まずドイツが、2000年に「再生可能エネルギー法を導入する」これは、まだ単価の高かった再エネを送配電会社が優先的に買い取ることを義務付け、その費用を 電気利用者が薄く広く支払う「FIT (固定価格買取制度)」とよばれる促進策の先駆けでした。

その後、世界中がこの仕組みを取り入れていくことになるのです。ドイツの家庭向け電気代はEU内で最も高くなったものの、一気に太陽光や風力の導入が進むようになります。これにより、ドイツに巨大な市場が生まれることになったのです。

1999年、国内太陽光パネルメーカー「Q−Cells」が登場し、旺盛な需要を背景に一気に生産能力を増やしていくと、2007年には日本メーカーを抜き、世界トップの太陽光パネルメーカーとなった(のちに韓国ハンファに買収される)。

だが、ちょうどその頃、ドイツ以外にスペインやイタリアにも生まれ始めた欧州の巨大市場をめがけて、一つの国が動き出していました。 それが中国です。中国では、2000年代の後半から、地方政府や中央政府による巨大な補助金を背景に、各地で太陽光パネルのメーカーが生まれ、2010年までに、123ものメーカーが乱立することになりました。

すでに太陽光発電の技術は確立し始めており、主要原料のシリコンを調達して、欧州メーカーの製造装置を用いれば、比較的容易に太陽光パネルを作れるようになっていました。 2018年までには中国の生産能力は5倍に伸び、今や世界のパネルの7割を生産しているというのです。

さらには市場としても、2013年に中国はドイツを抜いて世界のトップに立ちました。一方で、この頃から、太陽光産業における日本のプレゼンスは見る影もなくなったのです。 原因の一つは、2005年に国内の太陽光助成が一旦終了し、国内市場が一気に冷え込んだことです。

もう一つは中国の赤字・倒産覚悟の物量作戦にどのメーカーも対抗できなかったことです。福島原発事故の翌年の2012年には「再エネ特措法」が始まり、一気にバブルに沸き立ちましたが、日本を席巻したのは中国メーカーのパネルだったのです。

いずれにせよ、中国の圧倒的な製造攻勢で、太陽光発電の単価は凄まじい勢いで下がりました。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)によると、2010年からの10年間で発電コストは一気に2%落ちました。

2019年の平均価格は1キロワット時当たり、0.068米ドル(約7・5円)で、日照条件にめぐまれたUAE(アラブ首長国連邦)では2円を切っています。国の自然条件によって異なりますが、すでに火力や原発より低いコストになっている国もあります。2020年までに、世界では2010年の10倍に当たる7億キロワット以上が導入されているのです。

 





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心の病の急増
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/12(水) 16:46
No. 7768
 
 
体の病気があるように体と同じように心の病気が急増しています。気分が滅入る、なぜか体がだるい、憂鬱だと感じることは誰にでも経験があるのではないでしょうか。そのような暗い気分をうまくコントロールする事が出来ず、さらに落ち込んでしまうのが「心の病」というもので、鬱病の始まりかもしれません。

うつ病は誰にでも罹る可能性のある身近な病気なのです。以前は、心の病というと何か特別な人が罹る危ない病といった印象がありましたが、最近では生活習慣病のひとつであるという認識に変わりつつあります。

病気の症状としては、うつ感、無気力、不安な心、疲労感、集中力の低下、焦り、睡眠障害、食欲低下などが挙げられます。我々は生きる限り、毎日色々な出来事と直面して、その度に何かしら傷ついては立ち直るという事を繰り返しています。

その傷ついては立ち直るというバランスが崩れてしまった時、人は心の病になるのです。心の病とは自分にとっては無関係と思っている方も多いことでしょう。だが、心の病に罹っている方は厚生労働省による「うつ病疫学調査」の結果によると、成人のうち6.5%、つまり15人に1人は、うつ病に罹った経験があるのです。

この数字から、いかに心の病が我々に浸透しているのかお分かり戴けると思います。ちなみに心の病に罹りやすい方は次のようなタイプです。何事に対しても真面目。正義感が強い。いつも他人に気を配る。几帳面。相手の気持ちに敏感。完璧主義者です。

あなたは当てはまっていますか。真面目で責任感が強いのはとても良いことですが、その反面、周りに頼りにされてつい無理をして、気を配り過ぎてストレスを溜めてしまうのです。少しずつストレスが積み重なり悪循環を招いてしまうのです。

心の病は、誰もが罹る可能性のある身近な病気ということをお忘れなく。疲れが蓄積するとマイナス思考を起します。すると心の病をひきやすい状態になるのです。自分で出来る心の病からの脱却法としては、休養をとり気分転換を図ることです。

今まで体験した事のないようなことに挑戦するのも良い気分転換方法かもしれません。これはあくまでも私の経験上のことです。恐ろしい暗闇が襲ってくる前に、日頃、頑張り過ぎている方は、たまには一休みしてみてはいかがでしょうか。

 





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フランス人の旅行のやり方
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/12(水) 16:43
No. 7767
 
 
フランス旅行での過ごし方が注目を集めているものがあります。それはベビーシッターではなくホームシッターだそうです。旅行で留守中のご自宅に滞在して、植物や動物の管理・家の中や庭の掃除などを行う代わりに、無料でその家に滞在できるというものです。フランス人の旅行先は、南フランスが圧倒的人気ですが、パリで過ごす南フランス人もいます。

そのため、南フランス人の中には、ご自宅を旅行客に貸す場合も少なくないのです。有料で貸せば、それなりに気を使うので、お金儲けを考えていない方は大都市から旅行客に訪れる方に無料でご自宅を貸す代わりに、管理を行って貰うというホームシッターを探すケースが増えていると言います。

ご自宅を貸す方の多くは、夫婦なので子連れは好まれません。少子高齢化が進むフランスでは、旅行客も高齢者が急増しています。退職した年金生活者の夫婦は、なるべくコストが低く旅行を過ごしたいので、ホームシッターを探している方も増えているのです。

もちろん、往復の交通費や食事は自前ですが、中には南フランスの豪邸という場合もあり、ホームシッターを行いながら、ゴージャスなバカンスを過ごす人もいるのです。また、そこの方がパリを旅行する場合は、家やアパートメントを交換して、互いにホームシッターをする場合もあると言います。

旅行が大好きなフランスでは、日本人が考えるようには、ホテルにお金を掛けないのが普通です。1カ月近く滞在する場合は、旅行先ではスーパーに買い物に行き、普通に生活しているのです。ホームシッターの旅行大国ならではの知恵です。

 





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ヒラメについて
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/12(水) 16:41
No. 7766
 
 
お寿司屋さんなどに行くとヒラメは時価などと書かれており高級魚のイメージが強いですが、最近では、養殖や輸入物の増加で、購入しやすい値段に近づいています。小売店ではお刺身ばかりではなく、切り身として並んでいることもあります。

ヒラメとカレイはよく似ていますが、見分け方は、左ヒラメに右カレイといい、目の位置で見分けるのです。腹を手前にした時に目が左側にあるのがヒラメで右側にあるのがカレイです。

ヒラメはカレイ目ヒラメ科に分類されます。世界には85種、日本近海には10種が分布しています。北は千島列島から南は南シナ海まで、水深10〜200mの砂底が住みかです。夜行性で昼間は砂に潜って目だけを出しています。

ヒラメは成長の早い魚で、半年で20cmにもなります。ふ化後1ヶ月で右目が頭頂部を超して左目の方に移動するのです。ヒラメは海底で生活するので、目のある側の皮は保護色として砂の色と同化し、黒っぽくなり、裏側は真っ白です。

夏ヒラメはネコも食わないといい、産卵のため栄養分を卵巣に取られて味が落ちます。エンガワは脂肪分に富み、コラーゲンが含まれています。身は淡白で低脂肪です。ヒラメは何といっても刺身がうまい。ポン酢醤油とアサツキ、もみじおろしで食べるのです。

上身の方が肉厚ですが、一般的に下身は身が締まって脂の乗りもいいです。バターを使った洋風料理にも最適です。ムニエル、グラタン、ホワイトソース煮、フライなどにもOK。しゃぶしゃぶもいいです。

 





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自分自身の過去を見ることはできない
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/11(火) 09:04
No. 7765
 
 
私は、タイムトラベルの物語が大好きです。描かれているタイムマシンの物理学にはついついケチをつけたくなるし、ストーリーの中で出現するさまざまなパラドックスにはいくらでも疑問があります。

そうやって、「間違っています」と片付けるのは簡単ですが、過去と未来を開放して、それを知り、それに介入できるようにする「技」を、どうやってかはともかく、見出せるかもしれないと考えるのはなかなか魅力的です。

そんな「技」が実在すれば、この「いま」という、未知の運命に向かって容赦なく突進する暴走列車から降りることができるでしょう。線形的な時間は、あまりに制約的で、浪費的にすら感じます。どうして時間というもののすべて、これらのさまざまな可能性のすべてが、時計の針が2〜3度先に進んだだけで、永遠に失われなければならないのだろう?

時間という厳格な制約にもはや慣れっこになってしまったとしても、それを嬉々として受け入れなければならないわけではないのです。幸い、ここで宇宙論が役に立ちます。もちろん、実際的な意味においてではありません。

我々は、物理学のなかでも難解な部類に入る一分野について話をしていることには変わりなく、昨日電車に置き忘れた傘を宇宙論が取り戻してくれるわけではありません。「役に立つ」というのは、自分の暮らしは少しも変わらないでしょうが、存在に関する他のすべてのことは永遠に変わってしまう、という意味においてです。

宇宙論研究者にとって過去とは、「失われてしまって決して手が届かない領域」などではないといいます。それは実際の場所であり、宇宙の観察可能な領域で、我々が出勤日のほとんどを過ごすところだといいます。

我々は静かにデスクの前に座ったままで、数百万年、あるいは数十億年も昔に起こった天文学的事象の展開を見守ることができます。そして、このからくりは、宇宙論だけのものではなく、我々が暮らしている宇宙の構造に本来、備わっている性質なのです。

それは、つまるところ、「光が進むには時間がかかる」という事実からきています。光速は途方もなく速いです。およそ秒速30万キロメートルで、決して瞬間移動ではありません。日常的な言葉で説明すると、こうなります。

懐中電灯をつけると、そこから出てくる光は、1ナノ秒ごとに約30センチメートル進むが、その光が、あなたが照らしている相手から反射して、あなたの下に戻る際にも、まったく同じように時間がかかります。

実際、あなたが何かを見ている時、あなたが見る像は、対象物から反射して目に届いた光に過ぎないのですが、その光は目に届くころにはすでに少し古くなっているのです。カフェで、あなたとは反対側の隅に座っているあの人は、あなたの視点から見ると、数ナノ秒の過去にいるのです。

その人の表情が物憂げでファッションセンスが流行遅れなのも、それで少しは納得できるかもしれません。あなたが見るすべてのものは、あなたからすれば、「過去」にあるのです。 あなたが月を見上げるとき、1秒と少し前の月の姿を見ています。

それが太陽なら、8分以上前の姿です。そして、夜空に見える恒星は、数年から数千年前の遠い過去の姿です。光速が有限であるために生じるこのような遅れについては、もうすでにお気づきかもしれないが、それが意味するところは重要です。

それは、天文学者としてみれば、空をじっくり見ることで、宇宙の進化が起こるのを観察できるという意味なのです。誕生直後の初期から、現在にいたるまで。天文学で「光年」(約9兆5000億キロメートル)という単位が使われています。

それが非常に大きくて便利だからというのみならず、観察している対象物からの光が、どのくらいの時間をかけて宇宙を伝わってきたかを教えてくれるからです。10光年離れた恒星は、我々の視点からは10年昔の姿です。

100億光年離れた銀河は、100億年昔の姿です。宇宙は約138億歳にすぎないので、その100億光年離れた銀河は、宇宙がまだ若かった頃の状態を教えてくれる可能性があります。その意味で、宇宙を遠くまで見る事は、我々の過去を覗き見る事に等しいのです。

重要な注意点を申し上げておきますと。理屈からして、我々は自分自身の過去を見ることはできないということです。光速が有限であるがゆえに遅れが生じるということは、対象物が遠いほど、それは時間的にも遠い過去にあるということであり、この関係は厳密です。

つまり、我々は「自分自身の過去」を見ることができないのみならず、「遠く離れた銀河の現在」を見ることもできないのです。何かが遠ければ遠いほど、宇宙の時間軸の上でも、それは遠い過去にあるのです。


 





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この世の終わりについて
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/11(火) 09:00
No. 7764
 
 
世界はどのように終わるのかという疑問をめぐっては、歴史を通して詩人や哲学者たちがさまざまに考え抜き、議論を交わしてきました。もちろん、我々はいま科学のおかげでその答えを知っています。火で終わるのは間違いないでしょう。

今後50億年ほどのうちに、太陽は膨張して赤色巨星となり、水星は軌道全体が呑み込まれるだろうし、おそらく金星もそうなるといいます。地球はマグマで覆われ、生物などまったくいない、ただの黒焦げの岩になってしまうのです。

この菌すらいない燻ぶった燃え殻さえ、やがては太陽の外層に落下して、死にゆく恒星の激しく渦巻く大気の中へと、原子となって散っていくことでしょう。そのようなわけで、答えは火です。問題は解決済みで、フロストの詩の最初の推測が当たっていたのです。

だが、彼は十分に大きくは考えていませんでした。「私は宇宙論の研究者だ。私は宇宙を、その全体として、最大のスケールで研究する。その観点からすると、この世界など広大で変化に富んだ宇宙の中に埋もれてしまって、どこにあるかもわからない」

「ちっぽけで哀れな塵のようなものだ。 私が、プロとしても個人としても気になるのは、もっと大きな疑問だ。宇宙はどのように終わるのか?というのがそれである。」という論文から十分に大きく考えていなかったことが読み取れるかもしれません。

宇宙に始まりがあったことはわかっています。約138億年前、宇宙は想像を絶する高密度な状態から、一つの火の玉の状態になり、そこから冷えていくうちに、物質とエネルギーが元気に動き回る流体となりました。やがてその中にたくさんの種子ができ、成長して、いま我々を取り巻いている恒星や銀河になりました。

惑星が形成され、銀河と銀河が衝突し、光が宇宙を満たしました。そしてついに、ある渦巻銀河の辺縁部で、ごく普通の恒星の周りを公転している一つの岩石惑星に、生命体、コンピュータ、政治科学、そして、気晴らしに物理学の本を読む、二足歩行の哺乳類が誕生した。

だが、「次」はどうなるのだろうか? 物語の最後には何が起こるのだろうか? 理屈の上では人類は、一つの惑星の死、あるいは、一つの恒星の死さえも、耐えて生き延びられる可能性はあるだろう。人類はこの先何十億年も存続する可能性があるでしょう。

現在とは似ても似つかない姿になっているかもしれないが、大胆に宇宙の彼方まで行って、新しい住み処を見つけ、新しい文明を築いているかもしれません。しかし、宇宙そのものの死は決定的です。宇宙のすべてがついには終わってしまうなら、それは我々にとって、すべてのものにとって、何を意味するのだろうか?

科学論文にも、古典とされる非常に面白いものはありますが、万物の終わりについての研究を指す「終末論」という言葉に私が初めて出会ったのは、宗教について読んでいたときのことでした。

終末論、あるいは、もっと具体的にいえば「この世界の終わり」は、世界の多くの宗教にとって、神学のさまざまな教えを具体的な状況にあてはめて説明し、それが何を意味するのかを圧倒的な説得力で信者の心に深く刻ませてくれるものです。

キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教は、神学上はあれこれ違いがあるものの、世界に最後の再構成が起こり、善が悪に打ち勝ち、神に愛された者たちが報われるという終末観を共有しています。これらの報いが、誰に対してどのように配分されるかの詳細は、宗教ごとに異なるでしょう。

正しく生きる人々が人生を価値ある善いものにしたくても、不完全で不公平で恣意的な現世は、それを保障してはくれません。最後の審判という約束は、ある意味この現実を埋め合わせる働きをしているのかもしれません。

小説が、その最終章の良し悪しで「終わりよければすべて良し」式に一挙に挽回できたり、逆に振り出しまで遡ってすべて台無しになってしまったりすることがあるのと同様に、多くの宗教哲学には、世界に終わってもらう必要があるのです。そして、「正当に」終わってもらうために、世界にはそもそもの始めから意味があったことにする必要があるようです。

 





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特設法廷での石原莞爾
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/03(月) 15:58
No. 7763
 
 
山形県酒田市のホテルで、検事A・ダニガンは極度の渋面のまま、むっつりしていました。ダニガン検事は、ニュージーランド代表判事エリマ・ノースクロフトを長とする石原莞爾中将に対する特別出張訊問団の主任検事です。

一行は、弁護側からF・ウォーレン(土肥原、岡被告)、F・マタイス(松井、板垣被告)、M・レビン(鈴木被告)、岡本敏夫(南被告)、板埜照吉(板垣被告補助)、笹川知治(板垣被告補助)、金内良輔(大川被告補助)弁護人も加わり、総員56人で特別列車を仕立て、上野駅を出発したのです。

石原莞爾は、満州事変の際の関東軍作戦参謀であり、また昭和の陸軍きっての逸材と認められています。満州事変段階とは、事変の内幕を知る最重要証人として出廷を期待されていましたが、59歳の石原莞爾は「膀胱嘴腫及癌変性乳嘴腫」、つまり「膀胱ガン」のため、「膀胱通り膀胱出血、尿失禁尿意頻繁、頑固ナル軽熱、濃尿」を起し、出廷は不可能だったので、異例の出張訪問となったのです。

石原莞爾は、酒田市郊外の吹浦駅から約20分の山形県飽海郡高瀬村の吹浦海岸に夫人と2人で閑居していました。松林の中の小さな一軒家です(私も小さいころ、石原莞爾の実弟六郎氏が住むこの家によく遊びに行きました)。

石原莞爾は午後、私の父が引くリヤカーで松林をぬけ、さらに自動車で酒田ホテルに移り、2日間、酒田市商工会議所の特設法廷でダニガン検事の反対訊問をうけたのです。占領軍を恐れる日本人が多い中、石原莞爾は違っていました。

検事の質問に対して、石原莞爾は、満州事変は陰謀ではなく、本庄関東軍司令官の承認と意思に基づいた自衛権の発動だ、と主張してゆずらず、しかも、その返答ぶりは、明らかに検事をからかっているとしか思えなかったのです。

ダニガン検事が、当時の日本人は「大海軍国」であると同時に「大陸軍国」であったろう、というと、石原莞爾はとくに許されてヒザ横においた火鉢で手をあぶりながら、「いや、中陸軍国でしょうな」それでも関東軍がわずか1万で満州の中国軍10万を撃破したのは、じつはもっと準備を整えていたのではないか、とダニガン検事が質問すると

「どんな少ないものでも訓練よく団結よく作戦よろしければ、必ずしも数を恐れることはありませぬ。例えば今次太平洋戦争において、日本の戦力はアメリカに対して非常に劣勢であったが、作戦よろしきを得れば必ずしも敗北しなかったと、私は信じておる」

奉天攻撃のさい、旅順から二十八センチ砲二門をはこんだ事情について、ダニガン検事は、記憶が判然としない、という石原莞爾に、「ひとつ最善の努力で記憶をたどってもらいたい」と皮肉をこめたつもりで追求したが、石原莞爾の答えはさらに皮肉っぽく「思いだせぬものは、最善の努力をつくしても思いだせませぬな」

満鉄線爆破の状況はどうか、その程度はどうであったか、「イエスかノーかで答えてください」とダニガン検事がいうと「日本語では、程度を然りか否かで答えることはできませんね」ダニガン検事は、かろうじて理性を保持したが、とにかく面目を失うことははなはだしいものでした。

ノースクロフト判事も、記者団も、石原莞爾の即妙の回答に快笑をもらし、検事は、質問すればするほど、自分が道化役をつとめさせられている想いにとらわれたのです。おまけに、ノースクロフト判事は、次第に石原莞爾が気に入ったとみえ、しばしば検事の質問に対して、それは重複だ、その点には直接答える必要はない、などと、石原莞爾をかばうかのごとき態度をさえ、みせたのです。

石原莞爾は、尋問に対してすべて即答した。部屋は、爆笑で満たされ、ダニガン検事は完全に士気を阻喪した。午後の訊問は中止して、午前中だけで石原莞爾の審理を終え、そのあと、酒田市を出発して帰京するまで、ダンガン検事は完全な不機嫌状態を示し続けたのでした。

 





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地震は三つのタイプ
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/03(月) 15:57
No. 7762
 
 
日本列島周辺で発生する地震にはいくつかのタイプがありますが、そのうち地震動や津波によって大きな被害が生じる地震は三つのタイプに分けられます。一つ目は大陸プレートと沈み込む海洋プレートの境界で発生するプレート境界地震(プレート間地震)で、海溝型地震と呼ばれることもあります。

規模の大きな地震が多く、地震動による建物の被害や崖崩れ、津波がおもな被害の要因です。2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)はこのタイプの地震でした。二つ目は大陸プレート内で発生する浅い地震(内陸地震)です。

私たちの足下で発生するため「直下型地震」と呼ばれることもあります。地震の深さは10qほどと浅いため、一度大きな地震が発生すると甚大な被害をもたらします。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や2016年の熊本地震がこのタイプの地震です。

三つ目は沈み込む前の海洋プレートで発生する地震です。この地震は海溝やトラフよりも海側で起こります。一般に震源が浅く、地震にともなって大きな津波が発生することがあります。

海溝の海側のアウターライズと呼ばれる地形の高まりの下で起こることから、「アウターライズ地震」と呼ばれることもあります。1933年に岩手県沖合で発生した昭和三陸地震は、最も有名なアウターライズ地震です。 なお、沈み込んだプレートの内部で発生する地震もあります。

M7を超える大きな地震が発生することもありますが、震源が深いため(おおよそ深さ60qより深い)、一般に規模のわりには被害が少ないことが知られています。しかし、1987年の千葉県東方沖地震(M6.7)、1993年の釧路沖地震(M7.5)、2003年の芸予地震(M6.7)のように犠牲者が出た地震も多く発生しています。

 





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お互いに歴史を学ぶ
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/03/03(月) 15:56
No. 7761
 
 
日本が中国に学ぶために海を越えた歴史は古く、奈良時代・平安時代にまで遡ります。中国は隋・唐時代です。実質十数回に及んだ遣唐使は、1回の派遣で約500人が大海原の荒波を越えて中国をめざしました。

航海知識の未熟さから難破が相次ぎ、中国に到達できたのは7世紀から9世紀の250年間で約6000人と見られています。この数を、少ないと見るか、多いと見るか、見解は分かれますが、いずれにしても日本人は命を賭けて中国文化の吸収につとめたのです。

現在は、中国と日本の間は飛行機であっと言う間です。法務省発表の統計では、日本に留学に来た外国人登録者総数の1位が、中国人留学生です。中国経済が低迷しているなか、今後、中国からの留学はさらに多くなるだろうと予想されています。

これだけ多くの留学生交流が実現して、日中の相互理解が進まないはずがないと思いたい。どちらの留学生にも、言いたい事は、「歴史の真実」という既成概念の落とし穴にはまるな、ということです。

日中の歴史文化は、お互いの歴史文化を同種と思う錯覚から、日本人は中国を、中国人は日本人をよく知っていると思い込んでいます。謙虚に双方の国の歴史文化を見つめて欲しいのです。違うところを確り見て、見抜く力を留学中に心して培って欲しいのです。

その上で日中交流史の遺産を継ぎ、さらなる前進をして欲しいのです。今、日本の大手企業の3分の2は、中国に進出していると言われています。中国歴史文化を真摯に学んだ姿勢や、中国語ができるということは、現地採用のための最大の強みです。

このことにおいては、若者だけではないリタイアされた中高年の方が、第二の人生を中国に求めるケースも少なくないのです。かつて日本に留学に来た中国人は、活躍の場を、そのまま日本に求めて就職するケースが多かったのだが、ここ数年は、再び中国に戻って世界経済の渦の中に飛び込む中国人が増えました。

中国の大都市には、世界経済を動かす巨大な市場があります。しかし、経済は日本ほどに成熟していないから、そこにはたくさんの空白があり、可能性が潜んでいます。日本で得られない発展の天地が横たわっているからこそ、若者に有難い環境となっているのです。

日本に比べれば制度の不完全、ルールの不備、それに生活の不便が目立ちます。日本のシステムになれた人には厳しい条件であろうが、自己改革には最高な環境です。日本とまったく違う環境で生き抜くことが出来れば、その体験のない人より倍以上の戦闘力を持てると思います。

同じ時空においても二重の能力を身につけられるのです。大志を抱くなら、是非とも苦しい環境には試練として挑戦して前向きに生きていければ幸福は心のうちに芽生えると思うのです。

 






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