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フルシチョフはキャンプ・デービッド会談からの帰路、北京に立ち寄り、毛沢東と会談をしました。この頃のソ連は絶好調でしたから、「あと15年でアメリカを追い抜いて、世界一の大国になる」という意気込みを見せていました。
それに毛沢東が反応します。GDP の世界1位はアメリカですが、2位は当時、連合王国でした。「ソ連がアメリカを抜くのなら、私たちは連合王国を抜いて、3年で抜いてやる」と考えます。特に根拠はありません。毛沢東という革命家は、詩人気質の夢想家でした。
ここから大躍進政策が始まりますが、大躍進政策とは、簡単にいうと、鉄をたくさん生産して連合王国を追い抜くという政策です。そして鉄をつくることがすべての目的になってしまいました。鉄であれば何でもいいと、農村でも木を切り倒しては燃料にして、鉄くずを溶かし、粗悪な鉄をつくりました。
大躍進政策は大失敗に終わり、飢餓などから数千万人の死者を出したともいわれます。しかし、こんな馬鹿げたことを毛沢東がやってくれたおかげで、日本はその間に工業国として成長できたわけです。もっと早くにケ小平の時代になっていたら、中国はもっと早くに日本のライバルになっていたでしょう。
1960年は「アフリカの年」といわれていて、アフリカの国々がたくさん独立しました。1961年1月、ケネディがアメリカの大統領に就任します。アメリカはキューバと断交します。この年の4月、ソ連が人類初の有人宇宙飛行に成功し、ガガーリンは「地球は青かった」という言葉を残します。
これに対抗して、ケネディは有人での月面着陸を目指すアポロ計画をスタートさせます。フルシチョフは意気軒昂でしたが、経済ではアメリカに追いつけません。東ヨーロッパの復興は進まず、ベルリンでは東ベルリンから西ベルリンにどんどん人が逃げ出します。
そこで8月に「ベルリンの壁」を築きました。1962年には、キューバ危機が起きました。キューバにソ連がミサイル基地を建設しているということで、米ソは核戦争の一歩手前までいきました。けれど、ケネディの要請を受けた形で、フルシチョフがキューバからの「攻撃的武器」の撤去を命じ、何とか収まりました。
当時は米ソ冷戦でしたが、2020年代の今日は米中冷戦といわれます。米ソ冷戦と米中冷戦には大きな違いがあります。米ソ冷戦には、ベルリンの壁が象徴するように、人と人との交流がありませんでした。米ソ冷戦の特徴は鎖国にあります。一方、米中冷戦の今、中国とアメリカの人材交流はすさまじいです。
新型コロナウイルス禍で渡航が制限される前、中国からアメリカには約37万人が留学していました。アメリカにいる約100万人の留学生のうち、4割ほどが中国人だった計算です。一方、日本からアメリカへの留学生は2万人を切っていました。同じ冷戦でも、人の交流が途切れないところが、米中冷戦と米ソ冷戦との大きな違いです。
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