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☆★☆最新情報7☆★☆

 
新規投稿 ] 
  日本人を理解できるのか  仲條拓躬2025/02/12(水) 17:03 
  原子爆弾が投下された経緯  仲條拓躬2025/02/12(水) 17:02 
  民間が開発した宇宙船  仲條拓躬2025/02/12(水) 17:01 
  満州建国の理念  仲條拓躬2025/02/12(水) 16:59 
  フェイスブックのメカニズム  仲條拓躬2025/02/10(月) 15:58 
  顧客の欲求を直感する  仲條拓躬2025/02/10(月) 15:54 
  ロシアのプーチン大統領の歩み  仲條拓躬2025/02/08(土) 10:00 
  日本の食物について  仲條拓躬2025/02/08(土) 09:57 
  「ハル・ノート」を回避できたのか  仲條拓躬2025/02/08(土) 09:54 
  マッカーサーは日本を理解した  仲條拓躬2025/02/08(土) 09:40 






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日本人を理解できるのか
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/12(水) 17:03
No. 7744
 
 
実際、外国人にとって、日本文化を根っこから理解するのは難しいところがあると思います。宮沢賢治を例とすると。宮沢賢治の作品は、国や民族を超えたコスモポリタン型文学としてよく知られていますが、作品を理解するうえで一般の外国人の感覚からは不可解に思うところがあるでしょう。

『烏の北斗七星』は、烏と山鳥の戦いを展開した戦争物語です。主人公の烏が敵の山鳥を殺す前の日に殺生のため苦しみ、何度も祈ります。「どうか憎むことの出来ない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなくなりますように、そのためならばわたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」。

山鳥を敵としたのになぜ、征伐に躊躇してしまうのか。そして殺した山鳥をなぜ、涙を流して丁重に葬ったのか・・・。いずれの場合も、正邪をはっきりさせなければ気がすまないという外国人のごく一般的な価値観からは、烏がなぜ悩むのか、不自然な行為に映る。これが外国人の大方の素直な印象でしょう。

日本で勉強している外国人は、宮沢賢治への不可解な疑問を潜在させたまま、日本の社会・文化を勉強しています。その中で、ようやく宮沢賢治が書こうとしていた烏の心境が理解できるようになると言います。それは日本人の独特な死生観や思考が慣習に常にありながら、常に見えにくい部分であると言うことに気がつきます。

宮沢賢治の作品の根底にある一貫したものとは、日本独特の価値観です。「死の美学」という日本文化全体に通じる1つの特長でしょう。死を神聖視し、美化しています。この死生観はおそらく、仏教、神道、それに武士道の3つが醸成しあっているように思えます。

宮沢賢治の作品はこういう日本の死生観を前提にして成立しているのです。その作品は国境を越えた響きを届けながら、よく理解を深めなければ、文章の奥に隠れた部分は見つからないと思います。

日本人は外国人にこうした日本独自の死生観について説明をしていません。『烏の北斗七星』が日本固有の死生観ないしは日本的な思考を前提にしていることを知るのは、外国人には至難なことでしょう。異文化理解の課題として受け止めてほしいと思うのです。

多くの外国人が日本人について研究すると、異質な死生観への認識に到達するのに十数年かかったといいます。半世紀前の戦争で悲惨な経験をさせられたと近隣諸国は、日本に対してある種の感情的な抵抗感が根強いです。

戦前、日本が占領したところでは神社を建て、日本式の礼拝を強制する愚をおかしました。それは、日本人の死生観・生活観などの思考の押し付けであったと、多くの日本人が反省しました。文化の発信が、他国固有の文化を無視した押し付けであってはいけません。異文化の相互理解は、違う文化を尊重した上で成り立つものだと思います。

日本と中国の間では昔から「同文同種」と言う思いが強くあります。お互い分かっているという思いが先入観になり、往々にして誤解を生んでいるのです。同文同種が錯覚であるという認識抜きには、交流を積んでも逆効果になりかねません。

両国間には、理屈ではなかなか説明できない文化の違いが横たわっています。文化や歴史を学ぶ点で模索を繰りかえし、時には失敗や誤解を招きながらも、理解をより深めていき知識更新していくことが大切だと思います。

 





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原子爆弾が投下された経緯
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/12(水) 17:02
No. 7743
 
 
世界に門戸を開いた1905年から40年後、日本は終戦によってすべてを失いました。原子爆弾を日本に落とすマンハッタン計画は、1944年9月18日、アメリカとイギリスの覚書で始まりました。それは、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の間に存在した機密文書です。

1945年2月、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者はヤルタ会談で、対ドイツ戦争終結のヨーロッパや太平洋について話し合いました。この時、日本について重大な取り決めが行われました。ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して日本攻撃に加わり、日露戦争の恨みを晴らすことでした。

だが、4月12日ルーズベルトは突然死亡して、副大統領のトルーマンが大統領に就任したのです。トルーマンは、知らされていなかった原子爆弾の存在をスチムソン陸軍長官から聞いて知ってしまうのです。

5月8日、ドイツは無条件降伏して、ヨーロッパの戦争は終わりました。トルーマンは、ソ連より優位に立ちたいために原子爆弾を日本に対して使用すると決定するのです。トルーマンは原子爆弾実験成功の報告を手中にし、7月17日、ポツダム会談に臨みました。

トルーマンは、ソ連が8月8日に参戦する通告を受け取っていたので、アジアでのアメリカ主導権を握りたい一身でソ連参戦より早く原子爆弾を使用したかったのです。7月26日、アメリカ・イギリス・中国のポツダム宣言が発表されました。

「日本政府に対し無条件降伏を宣言し、これ以外の選択は迅速かつ完全な壊滅があるのみ」という最後通牒でした。日本の鈴木首相は、それを聞いて「ただ黙殺するのみ」と新聞発表しました。だが、黙殺は翻訳では、「拒否」という英語となり連合国に伝わってしまったのです。トルーマンは喜んだ。

それはポツダム宣言発表の前、7月25日、極秘に原子爆弾投下命令をしていたからなのです。第1目標は広島、第2目標は小倉、第3目標は長崎、第4目標は新潟と決められました。B29エノラ・ゲイは、8月6日広島上空で原子爆弾リトルボーイを投下しました。

8月9日、B29ボックス・カーは、小倉上空に到着しましたが、厚い雲にさえぎられて目視できず、長崎に向かいました。同じく長崎も厚い雲に覆われていましたが、1カ所だけポカーンと穴が開いており、プルトニウム爆弾ファトマンを投下したのです。

私の両親にとって終戦の記憶はそうとう生々しかったでしょう。平和を望む気持ちも今以上に切実なものであったと想像します。21世紀に生まれた子どもたちにとって、1945年は遠い昔のことでしょうが、子供らが生まれた後でも、9.11事件やイラク戦争、スペインやロンドン・インドネシアなどでテロ事件が発生しています。

21世紀の子供達も戦争とは無縁ではありません。世界に目を向けるとロシアのウクライナへの軍事侵略が止まず、イスラエルでは人道無視の殺戮が続いており、ロシア、中国の独裁化が強化されております。力対力、力による服従は何も生み出さない事に思いを馳せ、英知を出し合って平和裡に解決が図られる事を願うばかりでございます。

加えてアメリカの権益を強烈に追及するトランプ政権の発足により、今後の世界経済政治がどのように影響を受けるのか、まったく目が離せません。世界に平和をもたらすにはどうしたらよいのでしょうか。終戦から多くの年月が過ぎた今、戦争を経験している方が生きているこの時代に、真剣に恒久平和を考える必要があるのではないでしょうか。

 





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民間が開発した宇宙船
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/12(水) 17:01
No. 7742
 
 
Space X は、イーロン・マスクが2002年に創設した航空宇宙メーカーです。現在の本拠は、アメリカ・カリフォルニア州ホーソーンです。民間企業としては初めての宇宙船の打ち上げ、国際宇宙ステーションへの有人飛行などの実績を持っています。

民間企業による火星探査などを目標に掲げている。創設者のイーロン・マスクは、電気自動車ベンチャー「テスラ」のCEOも務めています。2021年4月20日現在で、マスクの保有資産額は1741億ドルで、世界第3位とされていました。

2020年5月30日(現地時間)に民間初の宇宙船有人飛行を成功させたイーロン・マスク。 コロナ禍に沈むアメリカを大興奮させました。この偉業の陰には、倒産寸前の財政破綻やNASAとの1万回にも及ぶ実証試験など、数えきれない苦労があったといいます。

成功までの道のりをマスクの評伝『イーロン・マスク 未来を創る男』(邦訳は講談社)の著者が取材しています。南ア移民の「ロケットマン」2020年5月30日、アメリカ人宇宙飛行士ボブ・ベンケン、ダグ・ハーリーの2人は「テスラ」社のEV(電気自動車)に乗り込み、フロリダのケネディ宇宙センタ―にあるロケット発射台へと向かいました。

到着後、2人は車から元気よく飛び出し、イーロン・マスクがCEOを務める宇宙スタートアップ「スペースX」の新型宇宙船「クルードラゴン」に搭乗しました。宇宙船を天上まで運ぶのは、同社製のロケット「ファルコン9」です。

座席に座った宇宙飛行士たちの前に並ぶのは、ツルツルのタッチスクリーン。冷戦時代の宇宙船のような、 やぼったいボタンやノブはありません。クルードラゴンは現地時間の午後3時22分に打ち上げられ、約1時間後に国際宇宙ステーション(ISS)にドッキング。

これは民間が開発した宇宙船による初の有人飛行で、アメリカ人宇宙飛行士が国産の宇宙船で本土から飛び立つのは実に9年ぶりとなります。南アフリカ移民である「ロケットマン」のマスクが、勇敢な愛国者を宇宙へと送り届け世が世なら、この一大イベントは大興奮で迎えられただろう。

生配信を見た何百万人という子供たちがアドレナリンを放出したに違いないでしょう。ところが悲しいかな、現実はいまとんでもない状況にあります。ツイッター(現在X)で暴言を吐きまくる大統領に、宇宙軍の創設を発表する米軍。そして年初からは新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) が、世界で猛威を振るっている。

マスク自身にも「ツイッターの失言王」という側面があるため、偉業達成の瞬間を手放しで喜べないという人もいたでしょう。2020年5月17日の夜遅く、マスクは著者に電話をかけて「けっこうハードな毎日だったよ」と言った。居場所には触れず、夕食に2時間も遅れたと愚痴ったといいます。

NASAがスペースXと手を組んだのは、同社のロケットが安全性にコストの安さ、飛行管理能力に優れていると証明されたからです。この有人宇宙船の打ち上げの成功は、世界がいま猛烈に必要としている無上の喜びが共有される瞬間でもあったのです。

少なくとも政府機関であるNASAが安全基準を維持しつつ、民間企業と提携するという大胆な冒険ができるということは確認できたはずです。マスクによれば、打ち上げまでに「会議も実証試験も、1万回くらいはやったんじゃないかな」とのことです。

過去10年でスペースXは約100基の無人ロケットを打ち上げ、その多くを無事に地上に再着陸させています。同社は民間宇宙企業のトップに上り詰め、その企業価値は400億ドル(約4兆4000億円)に迫る勢いなのです。

 





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満州建国の理念
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/12(水) 16:59
No. 7741
 
 
満州国建国の理念を集中的に示した文書としては、「満州国建国宣言」「執政宣言」「建国に関する対外通告」の3つが挙げられます。これらの文書は全体を通して、第一に、なぜ満州国が建設されなければならないか、という建国の必要性をまず東北軍閥と国民政府に対する非難として並べ挙げています。

第二に、それに対抗して満州国が建設される正当性を建国理念として提示し、そのうえで、第三に、そうして建国された満州国が国際的にいかなる地位を持ちうるかを宣言するという構成を持っていると読むことが出来るでしょう。

具体的には、まず辛亥革命以後20年にわたって東北三千万民衆が苦しみを味わってきた元凶として軍閥の悪政が指弾されます。兵乱を好み、遊興にふけって人々の生活の安定など与えず、民を奴隷のように扱い統治しています。

そこでは紙幣は乱れ、産業は廃れ、道徳は地を落ちてしまい、盗匪は横行して至るところで強奪や殺人が行なわれ、道には餓死者があふれていたのです。また対外的にも排外を事として信用を失っていました。

この残暴無法の軍閥が支配している限り、満蒙三千万の民衆はただ座して死を待つのみであり、どうしてこの窮状から抜け出すかだけを、願って生きていたのです。しかし、時は来ました。

いまや何の幸ぞ、手を隣師(日本軍)に借りてここに醜類(人非人たち)を駆り、積年軍閥盤踞し、秕政萃聚せる地(永年にわたって軍閥がいすわり、悪政の極みを尽くした土地)を挙げ一旦にしてこれを廓清す。これ、天、我が満蒙三千万の民に蘇息(息をふき返す)の良機をあたえしなり。

(「建国宣言」)要するに見るに見かねた日本軍の仗義扶助によって軍閥つまり張学良政権を追い払ったことにより、ようやく夢に見た安居楽業の大地で生きていく望みが出てきた、これこそ天が与えた絶好の機会である、というのです。

和田清教授の『東亜史研究』の序文には、「満州は、もともと極東の地であるから、世界の田舎であったといえる。歴代の中国王朝からすれば、そこは化外の地であり、清朝の中国征服後にも、満州はその発祥の地であったという関係から、発跡の秘事を暴かれることを恐れ、その研究を弾圧した。だから、満州史は従来、もっとも閑却され、日本学者のひとり舞台となった」と書かれています。

しかし日本では戦後の満州研究は、「日本の満州侵略史」研究の潮流が渦巻くことになり、日本の満州侵略の犯罪性を検証する侵略史や、「殖民地侵略」の研究にとって代わられたのです。

戦前の実証的研究は、「偽満州国」という中国にしか見られない著書までが、日本に出現したのです。満州国の成立を日本に続いて承認したのは、中南米のエルサルバドルです。その後、ローマ教皇庁が承認し、イタリア、スペイン、ドイツ、ポーランドも満州国を承認しました。

さらに、ハンガリー、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、クロアチア、デンマークといった北欧・東欧諸国が承認して、ドミニカ、エストニア、リトアニアは正式承認しなかったが、国書を交換しました。

大東亜戦争期にはタイ、ビルマ、フィリピン、自由インド仮政府も満州国を承認した。満州国を日本の植民地、傀儡国家だと見なすのは、明らかに建国の背景を無視した結果であり、歴史の歪曲です。日本人が満州国の建国に最大の情熱を傾けたことは事実であり、ただ単に関東軍の陰謀という「陰謀史観」で語り尽くせるものではありません。

満州国建国後13年半にして、そこは北東アジアの重工業の中心地となり、自動車や飛行機まで作られる一大近代産業国家にまで成長しました。それは人類史上、奇跡としかいいようがない王道楽土で日本人の開国維新以来のすべての情熱と技術の枠をそそぎ込んだ結晶です。日本人は誇りに思わなければならないと思います。

 





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フェイスブックのメカニズム
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/10(月) 15:58
No. 7740
 
 
インターネット上では、人を「自分たち」か「あいつら」かに分類しようとする強い衝動が、人間に内蔵された災害や危険への恐怖と同じように明らかな効果を発揮します。今は新聞やテレビよりもフェイスブックでニュースを読んでいる人の方が多いのですが、そこには決定的な違いがあるのです。

新聞やテレビのニュース編集局は、どのニュースを報じるかを選択し、それが面白いかどうかだけでなく、真実かどうかも精査しています。さらに政治家の顔色迄うかがい真実を覆い隠すこともあります。一方、フェイスブックのタイムラインに流れてくるニュースは、コンピューターのアルゴリズムが選んだものです。

つまり、拡散される記事に書かれていることが真実かどうか、そこに責任を持つ編集局はフェイスブックには存在しない。私たちが「興味を持つだろう」とアルゴリズムが思ったニュース、つまり友人たちが読み、拡散したニュースが目に入ることになるのです。

内容が正確かどうかはまったく関係ないし、真実を隠してしまったニュースなどは目に入ることがないのです。人間の歴史のほぼ全期間、人口の1〜2割が他の人間に殺されてきた結果、私たちは紛争や脅威のニュースに格段の関心を持つようになりました。

それが生死にかかわる情報だからです。フェイスブックのアルゴリズムはニュースの選定は、私たちが読んで拡散するかどうかだけで決まります。ということは、紛争や脅威に関連したニュースがとりわけ速いスピードで拡散される可能性があるのです。

コロナワクチンの接種などは意図的に流していましたが、コロナワクチンを摂取してお亡くなりになっている方の驚くべき人数は覆い隠していました。極端に明るいニュースについても同じです。それが真っ赤な嘘で固められた内容だとしても。

まさしくそうなのです。SNS上で拡散された10万件以上のニュースを調査したところ、フェイクニュースのほうが多く拡散されていただけでなく、拡散速度も速いことがわかりました。一方でテレビや新聞のニュースは、拡散されるまで6倍の時間がかかっていました。真実に忠実である情報が高年齢者に届くのは時が経ってからなのです。

読まれるからアルゴリズムに優先され、タイムラインのいちばん上に出てくる。しかも政府や官僚もテレビ・新聞も関与してコロナワクチン接種を拡散するのですから、アルゴリズムのせいだけではない。アルゴリズムがまずそのニュースを私たちにしっかり届け、その後は私たち自身が友人にそれを転送しているのです。

それに、読む人が多ければ多いほど洗脳されてしまうのです。人類史上最大のニュース発信源フェイスブックは、拡散される内容の信憑性に編集責任を取っていないという批判を受けています。人間に備わった恐怖や争いへの興味を食い物にして、私たちの注目を引きつけているかもしれません。すべては広告を売るためです。

こんな指摘をする人もいます。SNS上のニュースは軍事紛争を煽っているし、民主主義を揺るがしている。いやそれどころか、すでに決定的な影響を与えてしまってもいると。そろそろデジタル・デトックスをしなければいけないのではないだろうか。

SNSがストレスを与え、嫉妬させ、ニュースを拡散しているわけだから、「フェイスブックする」 時間を減らすのはいい考えでしょう。米国で150人近くの大学生に精神状態についての質問に答えてもらったところ、予想通り結果が二分しました。

元気な人と軽いうつ状態の人です。学生たちは無作為に2つのグループに分けられ、片方のグルー ブはSNSを普段通り使い続けました。もう片方はフェイスブック、インスタグラム、スナップチャットを1日最大30分、1サービスにつき10分までと制限しました。

3週間後、利用を30分に減らしたグループは精神状態が改善していました。調査開始時にうつ症状のあった人たちは、以前ほど気分の落ち込みや孤独を感じなくなっていました。つまり、SNSが私たちをうつにする可能性があるのです。

鬱の人がSNSをよく使う、というわけではなくて。またこの研究のポイントは、被験者たちがSNSを完全にオフにしたわけではなく、時間を制限しただけで調子が良くなったことです。悪影響を受けないようにするには時間をどのくらい制限すればいいのか、それは正確にはわからない。研究者が無作為に30分と指定しただけですから。

減らすだけでなく、一時的に止めたり、完全に止められるなら、もっとよい効果を得られるだろうと思います。デンマークの実験では、1000人近くが丸1週間それを試してみています。その結果、人生に満足を感じ、ストレスが減り、自分の周りの人たちと「顔を合わせる」時間が増えたという。

この実験は、SNSから受ける影響は人によって違うということも示しました。フェイスブックで嫉妬を感じていた人たちへの影響がとりわけ顕著だった。とはいえ、コメントもせず他人の投稿を読んでいただけの消極的なユーザーにも効果は現れているのです。

 





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顧客の欲求を直感する
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/10(月) 15:54
No. 7739
 
 
数学には、必要条件と十分条件というロジックがあります。必要条件はNecessary Condition、十分条件は必要条件Sufficient Conditionです。顧客起点はこれまで見てきたように、人間が持つ根源的な欲求を感じるところから始まります。

それは計算と分析では到達できないものです。この直感力は必要条件です。1970年代、家電産業の王者、松下電器産業にソニーが挑んでいたとき、ソニーはモルモット (実験に使われる小さなネズミ)と呼ばれ、松下電器産業は「マネシタ電器」と揶揄されました。

しかし、日本全土に張りめぐらされたナショナル・ストアのチャネル力は、家電量販店が出現する1990年代までは圧倒的な力を持っていました。この物理的なチャネルの支配力が競争上の優位になる時代においては、顧客のニーズの直感力は顧客起点の必要条件ではなかったのです。しかし、インターネットが物理的なチャネルの価値を破壊しました。

良いものはすぐに売れる、そして勝者が総取りします。優れたモルモットになることは、顧客起点の必要条件なのです。人間の根源的なニーズ、普遍的なニーズとは何でしょうか。 アマゾンが捉えた「便利さ」、グーグルが捉え 「知の探究の容易さ」、フェイスブックの「友達」、アップルの「格好良さ」。その他、いろいろあります。

「生きたい」「安心したい」「希望を持ちたい」「勝ちたい」「美しくありたい」、そして「暇を潰したい」などなど。「生きたい」は、地球上に存在するすべての生き物に共通する普遍的なニーズです。150億年前に誕生した地球に生命が生まれたのは40億年前。

恐竜が繁栄した1億5000万〜9000万年前まで地球は、破壊的な変動を繰り返してきました。すべての生き物は「生きる」ための壮絶な闘いを繰り返してきました。そのなかには、生き物の必要条件である「核酸」とそれを覆うタンパク質の殻だけに身を削ぎ落とし、宿主の細胞に寄生することで生き延びるウイルスという存在もあります。

「安心したい」も人類の普遍的なニーズです。哺乳類の祖先、小さなネズミが恐竜時代の最後に生まれたとき、彼らは安心できる場所を必死に探しまくっていたと思われます。私たちの多くが蛇を恐れるのはネズミの脳の中枢に残った記憶が影響しているという話を、ある科学者から聞いたことがあります。

2020年代 には、「安心したい」は「生きたい」と並んで重要なニーズになります。先ほど、マネシタ電器という失礼な表現を使ったパナソニックには、「安心・安全」という価値観があります。多くの商品・サービスの紹介にこの言葉が使われています。

「希望を持ちたい」も、人類の普遍的なニーズです。ギリシャ神話に出てくるパンドラという女性が人間界に持ってきた箱の話はご存じでしょうか。パンドラの箱とは触れてはいけないもの、開けてはいけないものを意味します。この箱には多くの災いの種が入っています。パンドラが箱の蓋を開けるとその種が一斉に飛び出しました。

争い、疾病、悲観、不安、憎悪、犯罪、欠乏などすべての災いが、人間界に解き放たれます。しかし、箱のなかに最後に残ったものがあります。それは希望です。この普遍的なニーズは、映画・演劇・音楽の世界で多くの人々が取り組んでいるテーマです。

「勝ちたい」も普遍的なニーズですが、「希望を持ちたい」と比べると危うい面を持っています。パンドラの箱から飛び出した「争い」に通じる面があるからです。サッカー、野球、様々な格闘技を見る観衆は、勝つという快感を求めているのです。

古くはギリシャのオリンピック、ローマの闘技場、スポーツの世界はこのニーズを満たすものです。ゲームの世界も勝ちたいという人間の欲求を満たすものです。チェスは紀元6世紀頃にインドで始まり、その後、ペルシャ、アラビアを経て欧州に広がったと言われます。また、中国、朝鮮を経て、日本には11世紀、平安時代に到来したと言われます。

「美しくありたい」も人類古来のニーズです。1820年、エーゲ海のミロス島で農民の手によって発掘された大理石の女性像は、ミロのヴィーナスと命名され、ルーブル美術館に鎮座することになります。この像がつくられたのは紀元前1世紀頃と言われます。

宝石の歴史は人類の歴史とともにあります。青緑色のトルコ石には5000年の歴史があると言われます。日本でも翡翠が縄文時代の遺跡から発掘されています。「暇を潰したい」はどうでしょうか。

英語のスクールの語源は、ギリシャ語のスコラからきていると言われ ます。スコラとは暇という意味です。暇な時間からアリストテレスやソクラテス、プラトンなどの偉大な哲学者が生まれているのです。労働を離れた時間が人間に知的なインスピレーションを与えるということです。

アマゾンは、買い物のための無駄な時間を徹底的に除いてくれます。AIやロボットも記憶や計算、 肉体的な作業の時間を除いてくれます。暇な時間がますます増えます。このニーズに企業はどのように応えていくのか、興味深いテーマです。

 





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ロシアのプーチン大統領の歩み
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/08(土) 10:00
No. 7738
 
 
KGB出身の切れ者、ロシアのプーチン大統領はさすがに賢明で、テロの被害に遭わないためにはその思想を消すのではなく共存する得策をとっています。ウラジーミル・プーチンは、ソビエト連邦共和国時代にレニングラードの大都市サンクトペテルブルグ市に生まれ育ちました。

1975年にレニングラード大学の法学部国際関係学科を卒業して、KGB(ソ連国家保安委員会)に入りました。KGBは、国内では秘密警察、国外ではスパイ活動を行う諜報機関です。プーチン大統領は、最初はレニングラード市の反体制活動家の監視活動などを担当していました。

その後1985年〜1990年まで、東ドイツに派遣されて1989年末にベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツの統合により、サンクトペテルブルグに戻り市長の国際問題の顧問団のひとりとして、成功を収めて1994年にサンクト市の副市長に抜擢されました。

その後プーチンは、1996年にエリツィン大統領に気に入られてモスクワに異動して、エリツィン大統領の側近として、ロシア連邦政府の高官を歴任したのです。1999年に首相となり、その年の暮れに行われた議会選挙で、プーチン政党を擁立して最有力のエリツィンの後継者となり、大晦日に大統領職をプーチンに譲ったのです。

プーチン大統領の側近にはKGB出身者が多いといいます。スパイの出身ですから、人物の過去や経歴、日々の行動や人脈などを調べ、盗聴して脅迫して密告者に仕立てることなども、部下に命じているといいます。プーチン大統領は、反抗的な地方の州知事の汚職を摘発して、辞任させているのです。

プーチン大統領が一番、力を入れたのは経済の建て直しでした。ロシアからドイツへの直結ガスパイプラインが2010年に開通するほか、シベリアから中国への石油パイプラインが稼働しています。同じルートで天然ガスを売り込む構想が日本や韓国にも、対象となっています。

過去にプーチン大統領が訪日したのも、主な目的はロシアのエネルギー産業が石油やガスの売り込む事だったのです。現在のロシアは、経済と政治をプーチン大統領という秘密警察出身のマフィアが一人で握っているような独裁国家です。だがロシアの世論は、プーチン大統領を、強く支持しています。

それは、エリツィン時代は、ロシア政府を私物化して混乱させるばかりだったのに対して、プーチン大統領はロシアを再び世界の強国にするという国家理念を持って独裁政治をやっているからです。ロシアの多く人は、強かったソビエト連邦共和国を崩壊させたゴルバチョフより、自国が米国対等の強い国に戻ることを望んでいるのです。

廃止になっていたソビエト連邦共和国時代の国歌や紋章などを復活させる政策を採用して、多くのロシア国民に支持されています。プーチン大統領は2004年の大統領選挙で71%の得票で再選され圧勝してから現在まで支持され続けているのです。

 





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日本の食物について
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/08(土) 09:57
No. 7737
 
 
日本人は昔何を食べていたのかというものが発掘や書物の研究などにより解ります。人間が食物を得たのには、思考力を働かせて、道具を作り出す事が出来たからだと思います。歴史は食文化、食生活の向上が出発点だと言っても過言ではありません。

ヘブライ語聖書では紀元前4000年前に遡りますが、日本では紀元前2000年位の縄文時代に遡るのが一般です。弥生式、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和で食生活史を調べる事が出来ます。

古文書には食物を中心に書かれた物があります。貝塚や遺跡など万葉集など書いた物から拾い出され調べられています。平安時代以降より飲食に関係する記述は詳細にする風潮があったのではないかと推測されます。古来より年中行事に付いてまわる食事です。

「縄文時代」新石器時代で発掘される人骨より血液酸性度が低いので、肉より内蔵を食べていたようです。骨格の発達が良好でカルシウム・ビタミン・ミネラルバランスがよかったと推測されています。焼き石が発見されているので火を用いた調理法であったようです。

「弥生式時代」静岡県の登呂遺跡のように水田稲作農業を特徴としています。稲作が普及して動物の内臓から有機塩補給、藻類から食塩が使用されるようになっています。野草・果実・魚介・鳥肉を副食としています。社会的分業が行なわれ遺跡より杏、ハスが出土されています。

「古墳時代」高度な農法、鉄製農具、牛馬の利用が行われ稲作が取り入れられています。醸造法の輸入で濁酒が飲まれていたようです。杉や笹の葉で防腐の技術が行なわれるようになっています。

「飛鳥時代」中国より胡瓜が伝来していますが栽培は江戸時代とされています。食用菊が薬用、観賞用として伝来しています。ネギの日本への伝来は、8世紀以前であると日本書紀で記されています。

「奈良時代」骨格の発達は身長が高くなったのに反し骨組織は、貴族において徐々に低下、血液酸性度が上昇してきて死亡率も高かったのでは思われています。香辛料、調味料、発酵食品、菓子などが作られるようになりました。牛の飼育が行われ、牛乳からできるヨーグルトらしいものを食べています。うどん・紅花が中国の唐より伝来しています。

「平安時代」中国から食文化の影響を強く受け、乾燥食品・油・薬物が入ってきて日本で利用されるようになってきました。貴族の間で仏教の影響を受けるようになり食品のタブーが著しくり哺乳動物の摂食が戒められるようになりました。庶民は仏教の教えは浸透していないので栄養バランスはよかったと思われています。正月の七草粥など伝統的行事は、現在まで引き継がれています。

「鎌倉時代」武士の時代となり、玄米食を取ることにより、エネルギー・ビタミン・ミネラルの補給のバランスがよくなりました。健康的食事が考えられるようになり、粥が普及し今の御飯のもととなったと言われます。しかし宮中での食生活は、飲酒、米ばかりで片寄りが多くひ弱で体調不良を訴えるものが多かったといわれています。中国より小松菜が伝わっています。末期に納豆の記載の書物があります。

「室町時代」公家と武家文化の融合がはかられ西欧より砂糖・菓子が、中国より饅頭・豆腐・シナ料理・味噌・醤油・清酒が入ってきます。刺身としての料理法、日本料理の主流とされる懐石料理が始まったと言われています。鉄砲・キリスト教伝来等の南蛮船渡来でカボチャ・ジャガイモ・トウモロコシ・パン・天ぷら・カステラ・金平糖・タバコが日本に伝えられました。

「安土桃山時代」文化が地方や庶民へ普及して、貨幣経済が台頭し商工業者の生活向上。武士階級も白米食となり清酒・砂糖の普及で栄養不足で健康食から遠ざかる結果となって
います。茶事が流行しています。スイカ・サトウキビ・とうもろこし・唐辛子・イチジク・トマト・サツマイモ・バナナが南蛮船によって伝来しています。

「江戸時代」貨幣経済が浸透して町民により日本食の集大成が行なわれ和食の完成に至っています。食卓(しっぽく)料理・南蛮料理・会席料理・漬物・蕎麦・饂飩・鰹節などの飲食店などが出現してきました。精白米の利用が進んで、また上流階級で行なわれてきた年中行事が一般にも浸透します。

現代に伝えられる食事の回数が3回に間食と食習慣が固定してきました。飢饉などもあり備蓄する食物も工夫した食べ方が研究されています。だが、庶民の食事は、汁かけ御飯、一汁1菜程度のものが長い間続きます。ヒジキが食用としてよく食べられたという記録が残っています。

大陸から伝来した食品は、アスパラガス・インゲン・ホウレン草・タマネギ・キャベツ・高麗人参・コンニャクイモ・韃靼蕎麦・ダイコン・ゴウヤなどです。枝豆を食べるようになったのは江戸時代になってからです。パセリ・落花生・サフラン・苺などはオランダが伝来しています。

「明治時代」鎖国による文化の立ち遅れを取り戻そうと欧米の文化水準を真似して牛肉・ミルク・コーヒー・紅茶などの洋風の食品、調理法、食事作法が急速に進展していきました。カシス・オレンジ・洋ナシ・オクラ・カリフラワ・クレソンが伝来しています。

「大正時代」国立栄養研究所が設立、一般家庭への栄養の知識の普及がはかられています。リンゴ・サクランボ・ピーマンが栽培されています。

「昭和時代」日本の昭和30年代からの食生活が最も健康によいのではないかと世界中から注目を集めました。後期には、欧米化した食事の弊害が指摘され肥満が増加して、ダイエットと戦前では考えられない事態の発生を見るに至りました。キウイ・サニーレタスを導入しています。ステビア(パラグアイ)・ズッキーニ(アメリカ)が、中国野菜としてチンゲサイが千葉県柏の高島屋と中国料理の地味斎によって紹介されています。

「平成時代」少子化とともに伝統的よき食文化を伝える為の未来の子供達のための食品添加物の摂取に気をつけるようにと叫ばれています。残留農薬のない自然食品を求める消費者が増えていますが、まだまだ高価なものなので一般家庭では手が出ない状態です。エリンギが日本に紹介されています。

「令和時代」日本人は自然食時代から主穀時代を経て近代的食文化を築き上げてきました。民族的に穀物などの草食性の食物を多く取っている民族は一般に冷静で気性が穏やかであるのに対し肉食性の食物が多い民族は気性が激しいと言われています。

21世紀は、危険な添加物や危険な牛を無理やりに輸入してしまう世の中です。自分の家族は自分たちで守らなければならなくなりました。食について大いに語り、危険の食べ物からは極力離れようと情報交換をして健康な体を目指しましょう。

 





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「ハル・ノート」を回避できたのか
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/08(土) 09:54
No. 7736
 
 
アメリカ側から日本への最後通牒、「ハル・ノート」が野村吉三郎駐米大使に提示されるのは、1941年11月26日の事です。須藤眞志「ハル・ノートを書いた男」(文春新書)によれば、この文面にある「チャイナ」という語の、従来の解釈には問題があるというのです。アメリカはチャイナに満州を含んでいなかったというのです。

日本側が見落とした重大な岐路があった可能性があります。もし満州国をアメリカが容認したら、日本はハル・ノートを呑めたかもしれません。そうであれば石原莞爾が今は絶対にやってはいけないという日米戦争は回避できたと思うのです。

「チャイナ」がどこまでを意味するのか、日本は照会しようともしなかった。ハル・ノートが来ただけで、頭に血が昇ってしまい精神状態が既に冷静ではいられなかった。それまでの経過を無視した強圧的な要求だったから無理もありませんが。

たとえ、チャイナに満州が含まれないとしても、三国同盟を反故にするとか、シナ・仏印からの全面撤退なども盛り込まれていますから、その場合でも、ハル・ノートを受諾できたとは考えにくいかもしれません。国内がもたないことははっきりしています。

一大クーデターが起こる可能性が高まったでしょう。これこそ開戦を促し続けた国民の最大の要因でしょう。また、アメリカの情報網は、日本政府の最高レベルにも浸透していましたから、開戦の時期としては最も挑発しやすいという事が、わかっていたと思います。

むしろハル・ノートに行くまで、アメリカの方がよく我慢していたという意見もあるのです。戦争準備でアメリカが時を稼ごうとしてたけだという見方もありますが(笑)ifがあるとすれば、ハル・ノートは呑めばよかったのです。呑んで実行はしない、という考え方です。それは中国外交のやり方と同じです。

だが、昭和天皇が一番嫌いだったのはそういう二枚舌外交でした。しかし、ハル・ノートは放ったらかしにしておくという手もあったのです。研究中と称していれば、何ヶ月かは向こうも回答を催促してこないでしょう。その間に戦争準備をどんどん進めるだけです。

アメリカは、いずれ大西洋でドイツと戦うことになっていたから米独戦が始まれば、大国でフリーハンドを持っているのは日本だけになりますので、じっくり考えて、いちばん有利な手を打てばよかったのです。

米内前首相はアメリカからの最後通牒、「ハル・ノート」を受け取った後でも、何もしないでじっと待っていて時間が解決する問題が多分にあるという事です。ところがハル・ノートが提示されたちょうどその日、連合艦隊は南千島湾からハワイに向かって出発してしまいます。

ルーズベルトが日本に対してもっとも不信感を持ったのは、一方では交渉しながら、もう一方では軍事行動を準備していたことなのです。アメリカは日本の暗号を解読していたから、それがわかっていました。

日本側からすれば、交渉がうまく行かなかったときに備えたつもりですが、アメリカ側からすれば日本ははじめから妥協するつもりがないのだ、となる。これはどちらも成り立つ理屈ではありますが、実はハル・ノートが出る前夜まで、アメリカはより穏便な暫定協定案を準備していたのです。

ところが26日の朝、ルーズベルト大統領は急に心変わりして、国務長官ハルもこれに同調するのです。中国がこんな生ぬるいものじゃだめだとアメリカに迫ったという、フィリピンの偵察機から、台湾の沖を日本の大船団が南下中といった情報がもたらされ、ルーズベルトを激怒させたというのです。

これはマレー半島上陸のための船団で、交渉決裂の場合はすぐに作戦開始の手筈になっていた。日本軍にしてみれば、当たり前の感覚なのです。日本の外交電報は大使館に届く前にすべてアメリカ側に読まれていました。

日本の手の内を全て読めていたことで、アメリカはいっそう疑心暗鬼にとらわれることになります。敵の情報を読みすぎることによって、過度に悪意に取ってしまった。これも外交や戦争においては、よくあることなのです。

 





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マッカーサーは日本を理解した
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/02/08(土) 09:40
No. 7735
 
 
ダグラス・マッカーサー元帥は、東条英機の扱いを深刻に熟慮しました。東条大将は、明らかに愛国心と国家主義の高揚を訴えています。戦争犯罪人の指定と裁判の狙いのひとつは、日本における旧来の極端な国家主義を打破することにあります。

指導者を法廷に連行することは、指導者たちの権威を引き剥がし、その権威が基礎を置いていた理念を否定させる効果が、期待できるからです。ところが、戦争指導者が、法廷に出頭せずに自決したらどうなってしまうか、日本の超国家主義を支える最も根強い精神構造は、「天皇神聖」理念であると、マッカーサー元帥は信じています。

その「天皇神聖」理念をさらに具体的に支えるのは、死を賛美する武士道精神のはずで日本では、死者が敬われ、非があっても、死ねばその非は許されると考える傾向にあるから日本国内には、敗戦により、旧指導者に対する批判の声が高まっています。

その声を背に戦犯裁判を行えば、日本国民の思想改革にも有効ですが、指導者が事前に自決しては、国民はあっさりとその指導者の罪を許し、さらにその指導者の発言を受け入れてしまわないだろうか。

しかも、天皇を守れ、国家につくせ、と日本国民が反対し得ない主張を残して指導者が死ぬ場合、日本国民の眼には、その指導者は殉教者として映りかねないと危惧していたのです。さらに日本の軍事行動が、一方的に私利私欲に駈られた「侵略」だったろうか?そうでなかったことは明らかです。

それでは大東亜戦争あるいは日中戦争は自衛戦争か、それとも過剰防衛だったのか。当時の日本人はそれを、中国の反日侮日の理不尽な挑戦や米・英との衝突における正当防衛だったと考えているものが多かったのです。

東京裁判を命じた「敵の将軍」ダグラス・マッカーサーは、後に日本の大陸進出を肯定した発言をしています。戦後の朝鮮半島で南下してくるソ連に中国共産主義の巨大な脅威を目のあたりにして、日本の大陸進出が、平和を守るための自衛の戦いだったことを理解するに至っています。

マッカーサーは対中国強硬姿勢に転じてトルーマン大統領から最高司令官を解任された後、米上院外交委員と軍事委員会の合同会議で、「太平洋戦争は日本にとって正当防衛の戦争だった」と発言しています。理論・情緒・政治的配慮から歴史を語ってはならない。大切なのは、歴史の「現実」を直視することなのです。

日本から朝鮮半島に回した米軍の穴を埋めるため、吉田茂首相に7万5000人の警察予備隊の創設を命令しました。これが現在の自衛隊になるわけですが、マッカーサーは連合国軍総司令部(GHQ)が作成した米国製の日本国憲法第9条を伺うものともいえます。戦争放棄を定めた日本国憲法第9条は、どこから見ても米国製です。

日本に戦争を放棄させ、安全保障をアメリカ頼みにさせたのはマッカーサーなのです。日本の指導者よりも、広島、長崎に原爆をおとし、東京、神戸を始めとする大都市に焼夷弾による爆撃をかけ、女性、子供、老人といった非戦闘員を何十万人と焼き殺した、トルーマンにこそA級戦犯とう事を言う事を石原莞爾は東京裁判で「私に証言させろ」とマッカーサーへ言ったそうです。

我々の石原莞爾平和思想研究会の前身である「東亜聯盟」の書籍はマッカーサーによって発禁に追い込まれました。石原莞爾が書き記した日記を長い間、私の父が隠し持っており後世に残すべきと判断して世に出した。幸い、石原莞爾平和思想研究会の同志には作家や書店・出版社、流通業者などがいるので多くの資料が集まっています。

私は保管するだけで、理解も出来ず目を通せませんが、個人所有の本だけでも莫大な資料が保管されています。今も古本屋や図書館に寄贈した本まであります。古い本は、朽ち始めてしまいます。価値のある史料として、恒久平和の礎を築くためにも多くの方と研究を重ねていきたいと思っています。

 






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