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船医のフィリップ・フシエーレは「20人を安い値段で買い取った」が、1人として生き延びた者はいなかったといいます。1672年のジャマイカからの別の報告では、3カ月の航海を終えて入港したばかりの船から奴隷を買った、 ジェームズ・タラーズという船長の話です。
「ほぼ全員が飢えと赤痢に苦しんでおり、船長はカビの生えたトウモロコシ以外に奴隷たちにほとんど食べ物を与えていなかった」とあります。しかし、それだけでは状況の説明がつかず、報告書には次のような意見が付け加えられています。「これほど大勢が命を落としたからには、何か尋常ではないことがあったに違いない」
赤痢の流行はこのような限られた場所だけではなく、一般社会にも広がっていました。1840年代にアイルランドで起こったジャガイモ飢饉の間には、赤痢など発疹チフスが貧しい人々の間で蔓延し、飢餓赤痢と呼ばれるようになりました。19世紀後半に牛乳を飲む習慣が広まり始めると、赤痢が流行しました。
加熱殺菌されていない牛乳は赤痢菌の格好の温床となり、赤痢の主因の一つになりました。 トーマス・シデナムもロンドンの赤痢について書いています。1669年には10年間で最悪の流行があったといいます。1658年以降のロンドンの死亡統計表では赤痢による死亡が際立っており、「腹痛」の項に死因として記載されています。
赤痢の英語名 dysentery は、ギリシャ語で「悪い腸」を意味します dysentra に由来します。これは腸の炎症や細胞壊死などを引き起こす病気を総称する言葉です。血や粘液が混じった下痢が症状として表れ、世界保健機関(WHO)は「はっきりとわかる鮮血が混じった軟便または水様便を伴う下痢症」と定義しています。
治療をしなくても自然に治癒する軽症もありますが、命を落とすこともあります。赤痢は大きく分けて2種類のタイプがあります。一つは赤痢菌によって引き起こされる細菌性赤痢で、西洋諸国で一般的な赤痢はこちらです。もう一つのアメーバ赤痢は、赤痢アメーバと呼ばれる単細胞寄生虫が原因で、主に熱帯地域で発生しています。
アメーバ赤痢は、感染者の殆どが無症状ですが、血性下痢、倦怠感、体重減少、場合によっては発熱などの症状が表れることがあります。アメーバは腸以外の臓器(たいていは肝臓)にも広がり、腫瘍ができることもありますが、死に至ることは滅多にないです。例外はHIV患者がアメーバ赤痢にかかった場合で、重篤な症状を引き起こすことがあります。
志賀赤痢菌1型は最も重症化しやすく、流行の原因となる細菌です。日本で赤痢が大流行していた1897年に細菌学者の志賀潔が発見したことでこの名が付いたのです。実際、19世紀末の日本では赤痢がよく流行しました。1897年には半年の間に9万1000人以上の患者が出て、2万人が亡くなりました。
赤痢は熱帯地方からヨーロッパに入ってきたと長らく考えられていました。しかし、2016年に世界中から集めた300種類以上の赤痢菌の研究結果から、症状が最も重篤で地域的な大流行を引き起こす志賀赤痢菌1型は、ヨーロッパで誕生した可能性が高いことが明らかになっています。
この赤痢菌は19世紀の終わりに出現し、世界中に広がったようです。おそらくは、移民労働者たちによって米国へ、植民地への入植者たちによってアフリカ、アジア、中米へと運ばれたと考えられています。現在、赤痢は世界各地で風土病となっています。
毎年およそ1億6500万人の重症患者が発生し、100万人以上が死亡していると考えられています。患者の大多数は途上国で発生しており、5歳未満の子供たちが犠牲になっています。アメーバ赤痢も世界中で報告されていますが、衛生状態が悪い地域で発生しやすく、特に熱帯地域に多いのです。
1960年代後半以降は、サハラ以南のアフリカ、中米、南アジア、東南アジアの、政変や自然災害が起こった地域で流行してきました。 1994年のルワンダ虐殺では、ザイールに逃れた難民のうち約2万人が最初の1ヵ月で赤痢により死亡しました。
米国では毎年50万人前後の赤痢患者が発生しています。2010年の流行ではシカゴ近郊の小さな町で328人の患者が出ました。感染源は地元のファストフード店で働く2人の店員でした。他の感染症にも共通することですが、最近では薬剤耐性菌の出現が懸念されています。
ルワンダの難民の間で流行した赤痢菌は、これまで使われてきた一般的な抗生物質すべてに耐性があることがわかっています。抗生物質への耐性を持つ菌は現在では珍しくなく、その場合は別の薬を選択することになるのですが、最近では新しい薬にも耐性を持った新種の菌が増えてきています。赤痢菌は驚くほどの勢いで耐性を獲得しているのです。
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