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東京総合指令室管内で起きた一番大きな輸送障害と言えば、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で、東京圏の在来線の復旧においてこの指令室が大きな役割を果たしました。そのときの様子を、資料から記載してみます。
東日本大震災は、2011年3月11日14時45分に発生しました。気象庁によれば、地震の規模(マグニチュード9.0)は国内観測史上最大で、東日本を中心に広範囲で大きな揺れや津波が観測されました。私は都内におり、北千住駅のシャッターが閉められたのを覚えています。震源からはるか遠く離れたこの地でさえも津波注意報が出ていました。
この地震ではJR東日本管内の鉄道が大きな被害を受けました。とくに深刻な被害を受けたのは、津波の被害を受けた太平洋岸を通る線区ですが、東北をはじめ関東・甲信越を通る広範囲の地震計で一定以上の地震加速度が観測されたため、多くの列車が運転見合わせとなり、鉄道輸送が麻痺しました。
東京圏でも多くの鉄道が一斉に停まり、鉄道で帰宅できなくなった帰宅困難者が道路にあふれました。東日本大震災による鉄道の被害や対応について記した資料には、JR東日本が編集し、2013年に発行した『東日本大震災対応記録誌』や『東日本大震災証言集』があります。どちらも当時の様子の詳細を知ることができる貴重な資料です。
後者の証言集は、当時さまざまな職場にいた社員が記した証言をまとめたものですが、その中には「施設指令が一丸になって取組んだこと」という保線課副課長(施設指令)の証言があり、地震発生時における東京総合指令室の様子が詳しく記されています。
該当部分は長いので要約します。地震発生後には大きな揺れがあり、天井の照明設備から埃がヒラヒラ降りてくるのを見て、天井が落下しないかと感じた。棚からはファイルや資料が落ち、「ガタンガタン」と聞き慣れない物音がした。誰かが「余震がくるので注意しろ、天井にも注意しろ」と言った。
東京総合指令室管内に設置された2カ所の地震計のすべてが、運転中止か速度規制の規制観測値を観測し、プレダスの警告音が鳴り響いた。頭が真っ白になり、しばらく何をしたらいいのかわからない放心状態だった。上司から「まず家族および同僚の安否確認をすること」と指示を受け、電話で安否を確認し、少し落ち着いた気分になれた。
そのあと東京総合指令室内に対策本部が設置され、まず列車などにいるお客さまを救出し、そのあとに線路点検を行ない、運転再開させるという指示が出た。細かい部分は省略しましたが、この証言を読むと、このような非常時でも冷静な判断をして指示を出し、部下を落ち着かせようとした人がいたことがよくわかります。
この指令室が震災後の復旧作業で重要な役割をしたことがよくわかります。それは日頃の訓練の成果なのだろうが、動揺しやすいときでも「お客さまのために」という考え方が徹底されていたようです。なお、震災当日は、東京圏の在来線のほとんどの線区で運転再開ができなかったのです。
観測された地震の規模が大きく、線路に異常がないかを施設の担当者が徒歩で確認しないと運転再開できなかったからです。たとえば山手線は、郊外に向けて放射状に延びる鉄道のハブとして機能しており、鉄道としての重要性がとくに高い線区ですが、線路点検が夕方までかかった上に、新宿から新大久保間で線路の一部が沈下したのが発見され、復旧工事に時間を要したことも一部影響し、翌朝まで運転再開できなかったのでした。
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