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アメリカが第2次世界大戦に参戦した時、大統領のフランクリン・ルーズベルトは、大戦終結後の世界の見取り図をつくっていました。その見取り図に従って戦後、国際連合ができて、国際通貨基金(IMF) と国際復興開発銀行 (IBRD) も発足します。
世界大恐慌後のブロック経済で、「金融がおかしくなると怖い」とわかったからです。国際連合には5つの常任理事国があります。アメリカと連合王国、フランス、中国、ソ連です。いわば5人のポリスで、この5カ国で世界を仕切ろうと考えたわけです。
連合王国を率いるのはチャーチル、フランスはド・ゴール、中国は蒋介石で、ソ連はスターリンでした。連合王国とは、かつての大英帝国です。第2次世界大戦で大英帝国は植民地の多くを失ったので、連合王国と呼びます。
ところが、ルーズベルトの死後、5人のポリスのうちの2人、アメリカとソ連の関係が悪くなっていきます。自由主義・資本主義を掲げるアメリカと、共産主義・社会主義のソ連の対立です。1946年3月、チャーチルが「鉄のカーテン」演説をします。
ソ連から鉄のカーテンを下ろされてしまった以上は、こちらも反共連合が必要だという訴えです。東ヨーロッパ(東欧)と西ヨーロッパ (西欧)の分断が進み、冷戦が始まります。1946年、中国では、蒋介石の国民党政府と毛沢東の共産党がまた喧嘩を始めました。
国共内戦です。普通に考えれば、国民党政府が勝つはずでした。国民党政府は国土の3/4を押さえていましたし、アメリカの支援で武器弾薬も豊富でした。しかし、この頃の共産党は大変しっかりしていて、毛沢東が「三大紀律八項注意」というルールを軍に守らせていました。 例えば、「お百姓さんからは何一つ奪ってはいけない」といったルールです。
一方、蒋介石の国民党は戦争のためといって村から物資を勝手に持ち出します。ですから共産党の方が支持されて、蒋介石を台湾に追い払ってしまいました。5人のポリスのうち、早くも1人が脱落して、アメリカは目算が狂いました。
アメリカは1947年にマーシャル・プラン(欧州復興計画) を発表します。アメリカがお金を出すから、みんなでヨーロッパを再建しようという計画です。アメリカのいう「みんな」には、ソ連や東欧も含まれていたのですが、「アメリカからお金をもらうなら、アメリカのいいなりだろ」といぶかるソ連、東欧は、初めから不参加でした。
ドイツは敗戦後、連合国4カ国に分割占領されていました。ソ連、アメリカ、連合王国、フランスの4カ国です。ドイツの東側はソ連の占領地域でしたが、そのなかで首都ベルリンは特別扱いで、4カ国の分割占領でした。
マーシャル・プランを実行するため、アメリカは西側3カ国(米英仏) が占領するトライゾーンを統合しようとします。すると、これに反発したスターリンが1948年6月、ベルリン封鎖に出ます。トライゾーンとベルリンを繋ぐ道路と鉄道を封鎖してしまったのです。
西ベルリンの食料などはトライゾーンから運ばれていたので、こうすれば西ベルリンは干上がるだろうと考えたわけです。アメリカは飛行機をがんがん飛ばして対抗しました。ベルリン空輸です。陸路がだめでも空路があるというわけです。1年ほどでスターリンはあきらめ、封鎖を解いたのでした。
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