| |
第1次世界大戦は「3カ国 対 3カ国」の構図で始まります。両陣営を工業生産力で比べてみると、中央同盟国のドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国と英仏ロシアの連合国3カ国の工業生産力は、かなり拮抗しています。
中央同盟国にオスマン朝が加わることも考えれば、ほぼ互角といっていいでしょう。しかし、この2つの陣営とほぼ同じか、それを大きく上回る工業生産力を、アメリカ1カ国が持っていました。まとめれば、ドイツ組: 大英帝国組:アメリカ=1:1:1強の3強です。
実際に戦ってみるとドイツが強く、東のロシアをタンネンベルクの戦いで勝利します。次にドイツは、西のフランスを倒そうとしますが、フランスは意外にしぶとく、西部戦線は膠着するのです。西部戦線が膠着すると、大英帝国がひらめきました。
「ドイツは強い。だったら、中央同盟国のなかで一番弱い国からやっつけよう」ということで、オスマン朝に狙いを定めます。英仏は、イスタンブールの占領を目指して、ガリポリの戦いを仕掛けます。
ところが、オスマン朝にはムスタファ・ケマルという若い英雄がいて、全然勝てません。ムスタファ・ケマルは、のちのケマル・アタテュルクです。目算が狂った大英帝国は焦ります。
そしてアラブの指導者フサインに「フサイン=マクマホン往復書簡」と呼ばれる手紙を出します。「アラビア半島で、オスマン朝に反乱を起こしてくれ。そうしたらアラブの国をつくってあげよう。パレスチナへの居住も認めよう」と。
このとき、アラブ側に立って活躍したのがアラビアのロレンスです。大英帝国の「三枚舌」 外交が、中東に禍根を残すのです。ドイツに苦しめられた大英帝国は、「三枚舌」外交に出ました。ユダヤ人の大富豪ロスチャイルドには「戦争はお金の勝負です。
だから、お金を出してください。そうしたら、パレスチナにユダヤ人の国をつくってあげます」と約束しました。「バルフォア宣言」です。しかし、その一方で、フランスには「戦争が終わったらシリアをあげる」「パレスチナは国際管理地にしよう」と約束していました。
「サイクス・ピコ協定」です。そして大英帝国は、アラブの人たちとも、往復書簡で「フサイン=マクマホン協定」を結んでいました。この協定に従って、アラビアのロレンスは、アラブ人と一緒にシリアのダマスカスに入りました。
同じ土地を三者にあげると約束したわけですから、三枚舌です。学者のなかに、アラビア半島やパレスチナ、シリアの地図を精緻に読み込んだら、「この三枚舌は成立する」という人もいるのですが、どう考えてもおかしいです。
第1次世界大戦の終結後、フランスはサイクス・ピコ協定に従って、シリアを手に入れます。シリアに入っていたアラブ人は、突然「ここはフランスのものだ」といわれて激怒します。激怒したアラブ人をなだめるため、大英帝国は「では、イラクにアラブ人の国をつくってあげる」といいました。
第1次大戦後、大英帝国はイラクとパレスチナを手に入れていました。イラクが建国されて、フサインの子どものファイサルがイラク国王になります。イラクの人たちにしてみれば、びっくりです。今日の中東の混迷の原因のほとんどは、大英帝国の「三枚舌」にあると考えていいです。 苦し紛れに、みんなにいい顔をしたからでしょう。
|
|