|
人間のあらゆる活動は顎を掻くことから、原子爆弾を爆発させることまで、たったひとつの欲求の結果でしょう。その欲求とは、胸の内の精神状態を変えたい、というもの。そこを出発点にして、私たちは感情に支配されています。
脅かされると、怯えるか怒るか、逃げるか攻撃に出るかです。身体にエネルギーが足りなくなると、お腹が空き、食べ物を探そうとします。ここが完璧な世界で、その人が直面する選択肢の情報をすべて得ることができるとします。サンドイッチを食べようかどうか悩んでいる人は、栄養素、味、パンが焼き立てかどうかをちゃんと把握しています。
今自分の身体に栄養を補給しなければいけないこと、それにはサンドイッチが最適だというのもわかっています。そういった情報をすべてまとめ、サンドイッチを食べるか否かを合理的に決定することができます。
もし私たちの祖先がこんな完璧な世界に暮らしていて、蜂蜜がたっぷり詰まったハチの巣の前に立ったら、蜂蜜が秘める危険性と可能性についてあらゆる情報を手に入れられたわけです。その巣に入っている蜂蜜の量とカロリー、自分の貯蔵エネルギーが今どれくらい残っているのか。巣から蜂蜜を奪うために、負傷する危険性はどのくらいあるか。
ハチ以外に危ないものはないか? 簡単にすべての情報をまとめ、蜂蜜を取るべきか否かを合理的に決定することができます。問題は、祖先がいたのはそんな完璧な世界ではなかったし、私たちがいる世界もそうではないことです。ここで感情が登場するわけです。私たちに様々な行動を取らせ、瞬時に全力で行動に出られるようにするのが感情です。
意識ある自分が充分な情報を持ち合わせていない場合、もしくは決断に時間がかかりすぎる場合、脳は即座に大まかな見積もりを取り、感情という形で回答を返してくれます。「すごくお腹が空いた、だからサンドイッチを食べよう」 私たちの祖先も同じように、空腹を感じて蜂蜜を取ったのです。
それで大変な目に遭う可能性は低いと判断した場合、もしくは究極に飢えていた場合は。危険が大きすぎると判断すれば、恐怖を感じてやめておきます。スーパーのお菓子売り場の前に立つと、餓死を回避すべく進化したアルゴリズムが素早く見積もりを取り、私たちに答えを与えてくれます。「お菓子が食べたい!」そんな激しい欲求という形で。
食べ物が溢れるほどある現実に、脳は追いついていないのです。だからお菓子の棚の前に立つと、多くの人は合理的な判断を下せなくなります。私たちがカロリーを欲しがる子孫である可能性は非常に高いです。
こんなふうに、感情は良くも悪くも人間に様々な判断をさせます。ところで、それは独立した現象ではありません。感情が湧くことで、身体と脳に連鎖反応が起こり、それが各器官の動きに影響するだけでなく、思考のプロセスや、周囲をどう解釈するかにも影響してきます。恐怖を感じた瞬間に、脳はコルチゾールとアドレナリンを放出する指令を出す。
心臓が速く強く打ち始め、筋肉に血液が送り出されます。逃げるにしても、攻撃に出るにしても、最大限に力を発揮できるように。お腹が空いているときに食べ物を見ると、脳がドーパミンを放出し、食べたいという欲求を促す。ドーパミンはオキシトシンと同様に、性的に興奮するときにも放出され、他人との絆も感じさせます。
そのおかげで、テレビ画面ではなく隣にいる人に集中できるのです。ネガティブな感情はポジティブな感情に勝る。人類の歴史の中で、負の感情は脅威に 結びつくことが多かった。そして脅威には即座に対処しなければいけないのです。
食べたり飲んだり、眠ったり交尾したりは先延ばしにできるが、脅威への対処は先延ばしにできないのです。強いストレスや心配事があると、それ以外のことを考えられなくなるのはこれが原因です。
私たちの祖先は、明るい希望よりも脅威の方がはるかに多い環境に生きていたのでしょう。負の感情を頻繁に感じるのは、ほとんどの言語で負の感情を表す言葉の方が多数あることからも見て取れます。そもそも、普通の人は負の感情のほうがずっと気になるのです。争いや修羅場のない映画や小説を読みたい人なんているのであろうか。
|
|