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公式に記録されている最初の患者はコンゴ民主共和国のシスター・ビータですが、彼女が死亡する3カ月ほど前から南スーダンにある地域の工場作業員たちの間で出血熱が流行していました。この町はコンゴ民主共和国との国境のすぐ北に位置します。
1976年6〜11月の間に284人が発症し、151人が死亡しました。のちにこの病気はエボラ出血熱と確認され、コンゴ民主共和国の流行との関連が疑われましたが、結局のところはっきりした結論は出ていません。
1976年以降、エボラ出血熱はアフリカ (特にコンゴ民主共和国とウガンダ)で定期的に発生しました。エボラ出血熱が発生する地域は、人口が少なく孤立した場所が多かったため、記録のない流行もあったことは疑いないでしょう。
1989年から1994年にかけて、米国やイタリアの先進国の研究所でレストンウイルス株の感染事例が4件ありました。これらの感染例は、研究に使用されるサルがウイルスを所持していました。そのうち2件ではサルの感染で人間への感染はなかったのです。他の2件では研究所の職員にウイルスの抗体ができていましたが、症状は出なかったのです。
2014年3月に状況は一変しました。エボラ出血熱が過去に患者が出たことのない西アフリカ地域を襲ったのです。最初にギニアがやられ、次にリベリア、シエラレオネへ感染が広がりました。それからの2年間で、エボラ出血熱は世界を巻き込んだのです。
マリ、ナイジェリア、セネガルに広がった後、アフリカを出てイタリア、イギリス、米国にも飛び火し、研究所職員以外の患者を出しました。2014年の夏に先進国はパニックに陥った。何か月もの間、エボラ出血熱のニュースは大々的に報道され、中世の大疫病さながらの様相を呈しました。
2014〜16年に世界で2万8616人がエボラ出血熱に感染し、1万1310人が死亡しました。大騒ぎしていたのは欧米諸国だったのですが、患者の圧倒的多数は西アフリカで発生しており、流行が長引くことで現地社会には壊滅的な影響が及んだのです。
2016年に世界保健機関(WHO) は2014年から始まったエボラ出血熱の大流行の終息を宣言し、少なくとも欧米諸国から当面の脅威は去ったのだが、2017年夏にコンゴ民主共和国の奥地で再びエボラ出血熱が発生し、8人が感染してうち4人が死亡した。
WHOの終息宣言は出ましたが、エボラ出血熱のような強力な病気の流行が終息した後に起こる小規模な流行は、流行の最後の名残なのか、新たな流行の発生なのか、非常に判断が難しいところでした。
最初の感染者、つまり第一号患者がこのようにエボラウイルスに感染したかは現在も謎に包まれています。オオコウモリやサル、類人猿など自然宿主さして知られる動物と接触した可能性が指摘されていますが、これらの流行を引き起こしたと思われる動物は見当たらなかったのです。
自然宿主は病気を媒介しますが、自らが病気にかかることはなく、症状も出ません。つまり、彼らは感染していても彼ら自身に害はないのです。ヤンブク村の第一号患者は、教会病院でマラリアの注射を受け、その後エボラ出血熱の症状を示した男性ではないかと考えられています。
徹底的な調査が行われたにもかかわらず、コンゴ民主共和国とスーダンの流行の間にはっきりした関連は見つからなかったのだが、ンザラヤンブク地域は4日ほどで移動できる距離です。ンザラからヤンブクに行った感染者が患者として病院で注射を受け、注射器の針にウイルスを付着させた可能性は否定できません。
2014年の流行時の第一号患者は、2013年12月にギニアで死亡した2歳の男児だったとされています。男児から母親、そして3歳の姉、祖母に感染し、祖母の葬式に参列した別の村の人々にも感染が広がりました。男児がどこでエボラウイルスに感染したのかはわからないのですが、動物に噛まれた可能性が最も高いと考えられています。
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