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1551年にフランシスコ・ザビエルが京都まで来ています。この間わずか14年で、その後にフロイスが来て、時の権力者・足利義輝将軍に会う。と中央公論社から翻訳されている『日本史』を書いてあるのです。
それを読むと、「応仁の乱」が終わって京都は大混乱した後でも実に立派な都市だったということがわかるのです。フロイスを読んでいて彼がよく日本を理解していて、しかもその日本人像が、我々の今の常識の感覚から見て気持ちがいいのです。
フロイスは日本に5年位いたのですが、その間にどんどんキリスト教徒が増えます。その過程を追うフロイスの観察は正確で、「いちばんの強敵は法華宗だ」と言っています。また、「真言宗の坊主は大日如来をゼウスにたとえている」というのも正確な比喩で、実はゼウスを「大日」と訳す案がありました。
それから、禅宗の坊さんが瞑想の中で把握するカオスと言っているのですが「空」だと思う。それは、キリスト教の「神」と同じだと言っています。しかも、「日本人は論理的である」と言います。
たとえば、日本人を改宗させるのに、どんな武士でも公家でも利益を持って誘導してもだめだ、日本人には世界観を教えろ、理論的な論争になり勝てば必ず改宗すると言っているのです。それから都市も家庭も個人も、実に清潔にして均整がとれていると言っています。
この清潔は日本人とユダヤ人の最大の特色らしいのですが、彼らはずっとアジアを見てきた後で、「日本には自分達と同じ人間がいた」と思うのです。また、「均整」は西洋ルネッサンスで讃えられた最も高い徳目の1つですが、一方で三十三間堂へ行くと、阿弥陀様じゃなく隅っこにいる婆相仙人を見ている。
これはやせ衰えて苦しんでいる老婆の姿なのですが、フロイスはこれを実に見事な彫刻だと褒めています。彼らがそこに見出したのは、後期ルネッサンス・リアリズムだったのです。その後に「支那人、インド人とこんなにも違う日本人が、それでも邪教に迷っているのはどうしてことであろうか」と。(笑)日本人の清潔好きは大変なものです。
明治になり衛生思想が受け入れられたのもその価値があるからです。その頃の日本人はイギリス人がお手洗いで手を洗わないって、びっくりしたという記録もあります。当時の室町時代は面白いです。京都のあちこちに戦乱の跡が残っているとフロイスは書いていますが、それでも非常にきちっとした生活が営まれていたというのですから。
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