| TOP | ホーム | 携帯用 | 過去ログ/検索 |

☆★☆最新情報7☆★☆

 
新規投稿 ] 
  他国から見た日本人とは  仲條拓躬2025/08/20(水) 15:53 
  発症リスクを高める動脈硬化  仲條拓躬2025/08/19(火) 16:19 
  富士山最大級の噴火  仲條拓躬2025/08/19(火) 16:18 
  早期発見できる心臓ドッグ  仲條拓躬2025/08/19(火) 16:16 
  心臓の異常を示す6つの危険信号  仲條拓躬2025/08/19(火) 16:14 
  糖尿病治療薬を飲んでも透析に  仲條拓躬2025/08/15(金) 13:51 
  仙台・松島の旅行記-2  仲條拓躬2025/08/15(金) 13:49 
  仙台・松島の旅行記  仲條拓躬2025/08/15(金) 13:48 
  日露戦争から満州事変まで  仲條拓躬2025/08/14(木) 14:28 
  マッカーサーが許さなかった本  仲條拓躬2025/08/14(木) 14:26 






[ 一覧 ]
他国から見た日本人とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/20(水) 15:53
No. 7958
 
 
1551年にフランシスコ・ザビエルが京都まで来ています。この間わずか14年で、その後にフロイスが来て、時の権力者・足利義輝将軍に会う。と中央公論社から翻訳されている『日本史』を書いてあるのです。

それを読むと、「応仁の乱」が終わって京都は大混乱した後でも実に立派な都市だったということがわかるのです。フロイスを読んでいて彼がよく日本を理解していて、しかもその日本人像が、我々の今の常識の感覚から見て気持ちがいいのです。

フロイスは日本に5年位いたのですが、その間にどんどんキリスト教徒が増えます。その過程を追うフロイスの観察は正確で、「いちばんの強敵は法華宗だ」と言っています。また、「真言宗の坊主は大日如来をゼウスにたとえている」というのも正確な比喩で、実はゼウスを「大日」と訳す案がありました。

それから、禅宗の坊さんが瞑想の中で把握するカオスと言っているのですが「空」だと思う。それは、キリスト教の「神」と同じだと言っています。しかも、「日本人は論理的である」と言います。

たとえば、日本人を改宗させるのに、どんな武士でも公家でも利益を持って誘導してもだめだ、日本人には世界観を教えろ、理論的な論争になり勝てば必ず改宗すると言っているのです。それから都市も家庭も個人も、実に清潔にして均整がとれていると言っています。

この清潔は日本人とユダヤ人の最大の特色らしいのですが、彼らはずっとアジアを見てきた後で、「日本には自分達と同じ人間がいた」と思うのです。また、「均整」は西洋ルネッサンスで讃えられた最も高い徳目の1つですが、一方で三十三間堂へ行くと、阿弥陀様じゃなく隅っこにいる婆相仙人を見ている。

これはやせ衰えて苦しんでいる老婆の姿なのですが、フロイスはこれを実に見事な彫刻だと褒めています。彼らがそこに見出したのは、後期ルネッサンス・リアリズムだったのです。その後に「支那人、インド人とこんなにも違う日本人が、それでも邪教に迷っているのはどうしてことであろうか」と。(笑)日本人の清潔好きは大変なものです。

明治になり衛生思想が受け入れられたのもその価値があるからです。その頃の日本人はイギリス人がお手洗いで手を洗わないって、びっくりしたという記録もあります。当時の室町時代は面白いです。京都のあちこちに戦乱の跡が残っているとフロイスは書いていますが、それでも非常にきちっとした生活が営まれていたというのですから。

 





[ 一覧 ]
発症リスクを高める動脈硬化
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/19(火) 16:19
No. 7957
 
 
心臓病は56歳以上の高齢者が圧倒的に多い病気です。厚生労働省から公表されている最新データは、2017年9月に公表された、2016年の人口動態統計(確定数)です。それによると、心疾患で亡くなった人は計1万8006人です。

そのうち、56歳以上が1万2097人を占めています。とりわけ、心臓病のリスクを高める悪い生活習慣がある人は注意が必要です。暴飲暴食、睡眠不足、運動不足、喫煙などの習慣が肥満につながり、高血圧、脂質異常症、糖尿病といった生活習慣病を引き起こします。これが動脈硬化を招き、心臓病の発症リスクを高めるのです。

親が高血圧、脂質異常症、糖尿病の人はさらに要注意です。そうした病気になりやすい体質を受け継いでいるからです。体の構造が未熟な若い頃には、そうした症状は表に出てきませんが、成熟した年齢になると、暴飲暴食、睡眠不足、運動不足、喫煙といった生活習慣が発病を促進させます。

病的な状態から、診断がつく、「病気」になってしまうスピードを速めてしまうのです。心臓の大きさは「握りこぶし二つ分」なかでも、30代から兆候が出始める高血圧は、遺伝的素因が強く日本人に多い病気で、私たちが手がける心臓手術のうち、70歳以上の患者の3分の2は高血圧です。

心臓の大きさを変えてしまう一番の要因となり、それによって心臓病の発症リスクをアップさせます。心臓の大きさはよく、「握りこぶし大」といわれますが、実際は握りこぶしを二つ合わせたくらいの大きさです。

身長が2メートル近い大柄な人でも心臓が大きいわけではなく、むしろ体格の割に小さいことが多い印象です。そもそも心臓は、「小さい」ことよりも、「大きい」ことのほうが病的だといえます。

心臓が小さい人は、その大きさでも全身に血液を送り込めているということですし、何かトラブルが起こっても対処のしようがいろいろあります。一方、心臓が肥大するのは、心機能が衰えるなどして、大きくなければ全身に血液を送り込めないという状況なのです。

血圧が高い人は、心臓が血液を送り出す際に大きな力が必要になります。心臓はそれだけ強い抵抗を受け止めなければならないため、肥大していくのです。さらに、肥満体型だと腹部の内臓が上部にも出っ張ってきているので、心臓は横方向にしか大きくなることができません。そうなると、横向きに寝た状態に変形してしまうのです。

 





[ 一覧 ]
富士山最大級の噴火
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/19(火) 16:18
No. 7956
 
 
1707年12月16日の昼前に富士山の南東斜面で大噴火が発生しました。朝まで続いた激しい噴火は徐々に低調になり、16日後の翌年1月1日に一連の噴火活動をほぼ終えました。貞観噴火は粘性の低い溶岩がゆっくりと噴出し、広い範囲が溶岩に覆われる噴火でしたが、宝永噴火は煙とともに砕屑物を上空高く舞い上げる爆発的な噴火でした。

噴煙は高度20kmまで舞い上がったとされています。このような大量の軽石・火山灰を放出する爆発的噴火は、富士火山の噴火史の中でも特異的な噴火でした。このときの噴火口は宝永火口(宝永山) と呼ばれ、その周囲に遊歩道が整備されています。

宝永火口から噴出した火山礫や火山灰は、偏西風に乗って江戸や房総半島にまで降り注ぎました。現在の御殿場市では約3mもの火山灰が降り積もり、江戸でも降灰がありました。昼の噴火だったにもかかわらず、降灰により周りが薄暗くなり、行灯が必要になったという記録が残っています。

富士山周辺で厚く降り積もった火山灰が農業に大打撃を与えました。神奈川県西部を流れる酒匂川では、流れ込んだ火山灰により洪水や土石流が相次ぎ、流域に甚大な被害をもたらしました。

宝永噴火は噴火形態という意味でも特異でしたが、大地震との関わりでも注目されている噴火です。宝永噴火の4年前の1703年には元禄関東地震が発生し、関東地方南部に甚大な被害をもたらしました。

また宝永噴火の4日前には南海トラフでの過去最大級の地震として知られる宝永地震が発生しました。この例では大地震のあとに富士山の噴火が起こりましたが、864年の貞観噴火ではその5年後に東北地方の太平洋沿岸で貞観地震が発生しました。

このように日本列島の大地震と富士山の噴火が時期を同じくして起こった例があることから、2011年東北地方太平洋沖地震の発生後にも「富士山が噴火するのでは」という憶測が広がりました。現在の知見では東北地方太平洋沖地震が富士山の噴火の引き金になるかどうかはわかりません。

しかしながら、富士山は過去何度も大噴火を起こしてきた火山であり、宝永噴火から300年以上、目立った火山活動は観測されていません。地下では次の噴火への準備が着々と進んでいると考えるのが自然でしょう。いずれ富士山が噴火することは間違いありません。火山噴火の備えは必要だと思われます。

 





[ 一覧 ]
早期発見できる心臓ドッグ
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/19(火) 16:16
No. 7955
 
 
定期的に職場や協会関係、自治体の健康診断を受けているという人も多いでしょう。ただ、心臓病を早期発見するには、それだけで十分とはいえません。生まれつき心臓にトラブルを抱えている先天性心疾患では、特徴的な心雑音を有することが多いため、健康診断でも発見されやすいといえます。

しかし、大人になってから発症する後天性の心臓病の多くは、もっと踏み込んだ検査をしないと早期発見できないのが現状です。とりわけ、早期の弁膜症、糖尿病による冠動脈疾患の多くは、病気が進行して症状が強くなるまでなかなか発見できません。

そこで、有効なのが「心臓ドック」です。一般的な健康診断では、心臓病にかかわる検査は心電図や胸部レントゲンくらいしか行われませんが、心臓ドックでは、もっと専門的な検査を受けることができます。

「心臓画像診断」(心臓CT、心臓MRI)、「心臓超音波検査」(心エコー)、「BNP検査」を含む血液検査の三つを受けておけば、病気かどうか、治療が必要かどうかを、まず間違いなく判断できるでしょう。

心臓CTでは、心筋の状態、弁の動き、冠動脈まではっきり映すことができます。心エコーは、心臓に超音波を発信して返ってくるエコーを再構築して、心臓の様子を画像に映し出す検査で、最近はカラー化と3次元描写でわかりやすく判別できるようになりました。

BNP検査は、血液検査でのチェック項目です。心臓に負荷がかかると心室から分泌されるBNP (脳性ナトリウム利尿ペプチド)というホルモンを測る検査で、その数値によって心臓病の有無や重症度がわかります。

ほかに、自転車をこぐ、ベルトコンベヤーの上を歩くといった運動をして、心電図を記録する運動負荷試験という検査もあります。安静時は異常がなくても、運動をして心臓に負担がかかったときに表れる心疾患を発見できるケースがあるので、できれば受けたほうがいい検査といえます。

ただし、患者にとって負担が大きいので、前述した三つの検査でも十分です。60〜66歳になったら、年に一度は検査を心臓ドックなどの心臓に特化した検査は、すでに胸痛や息切れといった軽い自覚症状が出ている人はもちろん、健康労働年齢である60〜60歳を越えたら、1年に1回程度のペースで定期的に受けることをお勧めします。

心臓の状態は高齢になると変化してくるので、病気を早期発見するためには、一般的な心電図検査だけではカバーできなくなってくるからです。ただ、予防のために受ける心臓ドックは健康保険が適用されないため、5〜10万円程度を自己負担しなければなりません。

それでも、定期的に心臓に特化した検査を受けて予防に努めておいたほうが、検査を受けずに病気になってしまったときにかかる費用を考えると、コストパフォーマンスに優れているといえるでしょう。もちろん、検査を受けるだけで安心するのではなく、心臓病を予防するための生活習慣の改善も大切です。

心臓病につながる高血圧、脂質異常症、肥満、糖尿病などの危険因子をなくすために、カロリーの過剰摂取や偏食の改善、運動不足の解消、禁煙に努めてください。すでに心臓病と診断されている人は、運動が無理な負担になってしまうケースがあるので、その場合は主治医に相談しながら実施してください。

 





[ 一覧 ]
心臓の異常を示す6つの危険信号
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/19(火) 16:14
No. 7954
 
 
心臓病は早期に対処を行えば、元どおりの生活を取り戻せる病気だといいます。「ひょっとしたら・・・・・」と感じたら、早めに循環器内科を受診することをお勧めします。放置しておくと、突然、発作を起こして命にかかわる恐れがあります。

心臓病に罹患した友人などに聞いてみると、大きな発作が起こる前に、心臓から「危険信号」が出ていたようです。その典型的な初期症状は、@胸痛や腕があがらない A動悸や脈拍の異常 B息切れや呼吸困難 Cむくみ D めまい E一時的な失神の6つです。

思い当たる場合は、「少し様子を見てみよう」などと病院に行くことを先延ばしにしないようにしましょう。なかでも注意が必要なのは、命の危険があり、最も多く見られる心筋梗塞や狭心症のサインです。典型的な症状として、激しい胸痛が起こります。

胸の付近が焼けるように痛んだり、握りつぶされるような痛みが出たり、左の肩や腕、あごやみぞおちに痛みを感じることもあります。普段とは違うな、と思っているうちに意識を失って命を落とす場合もあるので、激しい胸の痛みを感じたら、迷わず救急車を呼んでください。

強い痛みとともに吐き気やめまいを感じたり、冷や汗が出たりするケースも、ショック状態に陥りつつある危険な状態です。動悸や脈拍の異常は、脳梗塞の発症につながります。動悸や脈拍の異常は、不整脈の恐れがあります。

心臓が「しゃっくり」する期外収縮から、心室細動のように突然死を招く危険な不整脈になることもあるので、甘く見てはいけません。脈拍が不規則になったとき、急に激しい動悸を感じたり、突然の全身倦怠感が起こったりする場合には、心房細動などの病気が疑われます。放っておくと、脳梗塞のリスクがあるので危険です。

運動の直後に動悸を感じても、すぐに治まるようなら問題ありませんが、歩いたり階段を上ったりしているときに、激しい動悸と息苦しさを感じる場合は要注意です。心房細動のほかには弁膜症の方に合併しやすく、その場合は心不全を起こしやすくなります。

安静にしているのに息切れを感じたり、寝ているだけで呼吸が苦しくなり、前かがみに座って肩でやっと息をできる状態(起座呼吸)になったりする人も、心臓病の可能性が高い。とりわけ、一度でも起座呼吸を経験したことがある人は、すぐに診察を受けてください。

また、仮に自覚症状がなくても、糖尿病、高LDLコレステロール(悪玉コレステロール)による脂質異常症、高血圧、肥満、喫煙といった冠動脈疾患の危険因子があり、若い頃とはちょっと違う息切れや、心臓に負担がかかっているように感じる人は、循環器内科を受診したほうがいいでしょう。

胸部レントゲン検査、心電図検査、血液検査(BNP検査を含む)を行い、心臓超音波検査(心エコー)までやっておけば、たとえ自覚症状がない無症候性心筋虚血の患者だったとしても、早期治療によって突然死する確率を低くできるのです。

 





[ 一覧 ]
糖尿病治療薬を飲んでも透析に
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/15(金) 13:51
No. 7953
 
 
糖尿病は初期には痛くもかゆくもありません。基本的に自覚症状はないまま進行していきます。では、何のために糖尿病の治療が必要なのかと言えば、合併症を防ぐためです。糖尿病腎症、糖尿病網膜症、糖尿病神経障害の三つが三大合併症としてよく知られているほか、心筋梗塞や脳血管障害といった命に直結する病気のリスクも増やします。

そのため、「自覚症状がなくても治療しましょう」と言われるわけですが、ところが、頑張ってインスリン注射を毎日打っていても、日々糖尿病治療薬を飲んでいても、HbA1cが十分に下がり切らず、結局は三大合併症を引き起こしてしまう人がいます。

なかには、目が見えなくなったり、透析治療が必要になったりする人もいます。インスリン治療や飲み薬による治療を受けていても、です。それはなぜか。軽微な動脈硬化がずっと進んでいて、年数が経てば経つほど抑えきれなくなるからです。

平均寿命が50歳の時代ならハッピーなまま最期を迎えられたかもしれませんが、今の平均寿命まで生きようとすれば、60歳くらいから動脈硬化が進み、末梢血管が障害され、失明や透析ということになりかねません。

血糖値を下げる治療さえ行っていれば安心というわけではないのです。糖尿病は本当に薬を飲み続けなければいけないのか?今、一般的に行われている糖尿病治療の基本は、血糖をコントロールすることです。

血糖降下薬やインスリン製剤を使って血糖値をコントロールすれば、治ったのと同じ状態が保てますよ、というものです。つまり、治す治療ではありません。治ったのと同じような状態を保つために、一生、薬を飲み続けるか、インスリン注射を打ち続けなければいけない。それが、今行われている糖尿病治療の基本です。

患者も、「そういうものなのだ」と納得しているのでしょう。なぜなら、「この薬さえ飲み続けていれば副作用もなく、病気の進行を止めることができ、天寿を全うすることができますよ」と言える病気はあまりないからです。

一般的に、病気というのは一旦なったら治らず、じわじわと悪くなっていくものが多いので、「インスリンさえ打っていれば治ったのと同じ状態を保てる」という説明は、患者たちにはおおむね好意的に受け止められたのでしょう。

ところが現実的には、頑張ってインスリン注射を打ち続けても、HbA1cが10%前後にしか下がらない人もいます。そういう方は、じわじわと毛細血管の動脈硬化が進み、やがて三大合併症を引き起こしてしまうのです。

 





[ 一覧 ]
仙台・松島の旅行記-2
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/15(金) 13:49
No. 7952
 
  仙台に到着して、のどが渇いたので、まず最初に訪れたのが、「ずんだシェイク」で有名な『ずんだ茶寮』です。仙台駅の新幹線中央改札口を出たすぐ近くにあります。ずんだシェイクだけなら、レジのところで受け取り、テイクアウトできます。

大きさはレギュラーとラージの2種類です。クリーミーでミルクーテイストのシェイクに、枝豆の風味がほわ〜んと舌触りはわずかに枝豆の粒感が残っていますが、さら〜りさっぱりとした飲み心地。初めて飲みましたが、これは美味しいです。

仙台といえば、伊達政宗公の騎馬像ですが、仙台城跡(青葉城址)以外にもありました。仙台駅3階牛たん通り奥です。仙台駅構内にも伊達政宗公の騎馬像があるのです。牛たん通りという牛たんのお店が集まった通りの中に、ガラス越しに見られる騎馬像があります。

仙台城跡では大きな台座の上にある伊達政宗公の騎馬像ですが、こちらではガラス越しとはいえ至近距離からその姿を眺めることができます。よく見ないと普通に通り越してしまいます。私が写真を撮っていると次々に観光客が集まってきて撮影会が始まりました。

続いて、仙台駅西口を出て右手に行くと、PARCOがあります。のぼりには大きく「3F ポケモンセンタートウホク」と書いてあります。入口向かって右手にはポケモンセンタートウホクガーデンがあり、大きなピカチュウのトピアリーとツタージャやニンフィアなどのオブジェが飾ってあります。

撮影スポットという感じで、写真を撮っている人も多くいました。エスカレーターを上がったら右手がポケモンセンターです。上った直後の右手にはまずビクティニとピカチュウのオブジェがあり、その向かって右に大きなモニターがあります。この日は子供たちと一緒にイベントを行っていました。

夕方になり、仙台の郊外にあるホテルシーラックパル仙台にチェックインしました。ホテルの運営はシーラックパル株式会社(本社:東京都港区新橋)各地に数店舗あるチェーン店のようです。雰囲気は悪くありません。お値段三流、設備は一流というのがシーラックパルのモットーのようです。

ホテルから徒歩10分弱の場所に、和食のお店があるのでお土産屋さんで購入した伊達政宗のTシャツを着て、晩飯を食べに出かけました。新鮮なお刺身や仙台名物の牛タンなどがあり、地酒で一杯やり、無事に一日が終わりました。

 





[ 一覧 ]
仙台・松島の旅行記
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/15(金) 13:48
No. 7951
 
  上野から新幹線で仙台まであっという間です。仙台駅から松島海岸駅へ向かいました。満員電車です。今回乗るのは「仁王丸コース」約50分のコースです。乗船チケットは松島海岸駅前のチケット売場で購入しました。この時の出航時刻は9:00、10:00、11:00、12:00、13:00、14:00、15:00です。

私は11時の船に乗ります。遊覧船待ちに最高金賞受賞の日本一牡蠣カレーパンを食べることにしました。二日酔いの最初の食べ物です。一個購入してみました。店内で手作りしている手作りパンのお店なのですが、すでに出来上がっていたので温かくはなかったです。

基本はカレーパンとメロンパンで、カレーのほうは牛タンと牡蠣で、メロンパンはずんだ餅入ということでした。中には休憩所のようなものもあって、エアコンが効いています。外はものすごく暑いので、中で食べることにしました。割ってみると、ゴロッと牡蠣が二個入っています。甘口カレーで牡蠣の風味は少しするかな。

外のカリカリと中の甘口カレーの組み合わせは結構いいかも。牡蠣はぷりっとした牡蠣。物は試しに購入して食べてみましたが、案外普通に美味しいパンでした。松島に来たら一つは食べてみたいパンだと思います。場所も遊覧船乗り場のすぐ目の前なので待ち時間ができたら是非一個購入して食べてみてください。

牡蠣カレーパンを食べた後、遊覧船出発15分前くらいに船の近くへ行くと、すでに乗船する人の行列ができていました。5分前くらいから乗船が始まり、とりあえず1階席、進行方向左側の窓際に座りました。既にすごい人でした。2階へ行くにはグリーン料金600円がプラスでした。船上から見る島々は美しくて50分があっという間でした。

船内では「左側に見えるのは・・・」という風にガイドアナウンスが流れています。手元のコースマップと併せて見ると現在地がわかります。出航して10分ほどで、大小さまざまな島が次々と現れ、島が多い場所なのだと実感しました。

下船するとお昼時なので、どこもお客さんでいっぱいなので、慌てて南部屋というお店に入りました。前回来たときは友人の結婚式で夜は、松島で一泊したのですが、牡蠣のフルコースだったので、本日は、美味しい海鮮丼を食べようと松島までやって来ました。座席はあっという間に満員となりました。早速、注文したのはこの店、一番のおすすめも海鮮丼です。

鮪・甘海老・うに・いくら・帆立・イカ・きゅうりです。一見すると、関東で食べるのと大差ないかな。小鉢、少ない。香の物は、沢庵少し。お味は、ウニとイクラは美味しかったが、あとは、うーん。小ぶりのどんぶりで値段の割には地元のすし屋の方がはるかに美味しいかな(笑)

お昼を食べた後は、五大堂へ行ってみることにしました。すぐにお土産屋さんで伊達政宗のTシャツを購入しました。五大堂は坂上田村麻呂がお堂を建立したのが始まりとされ、現在の建物は1604年に伊達政宗公が再建。東北地方現存最古の桃山建築で、国の重要文化財とのことです。海外からの観光客で大変にぎわっていました。

五大堂前に近付くとすかし橋は2本あることに気付く。数m下には海面が見えている。踏み外しても落ちることはないと思いますが、ふざけていると痛い思いをすることになるかもしれません。近くの五大堂横に建つ、「東日本大震災慰霊祈念碑」がありました。

兄がここで行方不明になっているのでお祈りできて心が落ち着きました。3.11東日本大震と同じくらいの大規模な津波は、平安時代の貞観津波(869年)、江戸時代の慶長三陸津波(1611)と過去2回ほど記録が残っています・

次にひときわ目を引く赤い橋、出会い橋と言われている橋の向こうにあるのが福浦島です。見た目よりは思いの外、広い島で、島内散策で1時間くらいかかるといいます。それでも島から見える景色や福浦橋を渡り福浦島へ。松島海岸と福浦島を結ぶ、全長250mの赤い橋です。 橋を渡るには、大人200円、子供100円です。

松島の赤い橋は、福浦橋以外に渡月橋、透かし橋とあり、総称『松島三大橋』と呼ばれています。橋を渡って福浦島へ上陸。坂を上ると遊歩道になっていまして、景色が眺められる見晴らし台が良い眺めです。茶屋もあります。どんどん進むと遊歩道では無くなり、ハイキングコースのような道になります。

所々に見晴らし台があり、松島湾の島々を陸よりも近くで眺める事が出来ます。立派な杉並木も見えますが、東日本大震災時の津波による塩害で多数伐採されてしまったのだとか。現在は新たに植えられた杉がすくすくと成長中です。あまりの暑さに二日酔いで命の危険を感じたので、ハイキングコースは断念して引き返してしばらく休憩所で休みました。

落ち着いてから、伊達政宗の菩提寺ということで瑞巌寺に行ってみました。歴史の空気を感じるすばらしいお寺です。こちらも五大堂と同じく伊達政宗公によって建立されています。1609年に完成、国宝に指定されています。豪華絢爛な本堂内や庭を見学、さすがお洒落な政宗公、見ごたえがありました。そして、松島海岸駅へ戻り、仙台へ向かいます。


 





[ 一覧 ]
日露戦争から満州事変まで
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/14(木) 14:28
No. 7950
 
 
日露戦争の開戦時、日本には幸運なことに伊藤博文という明治の元勲が生き残っていました。伊藤は戦争が始まるや金子堅太郎をワシントンに送り込みます。岩倉使節団に随行した金子はアメリカ暮らしが長く、ハーバード大学の学生時代に無二の親友を得ていました。

その親友がセオドア・ルーズベルトです。金子の親友が大統領になっていることを、伊藤は知っていました。ロシアは弱っているから最初は勝てるかもしれないけれど、日露では国力が違いすぎることを、伊藤はわかっていました。

最後はアメリカに仲介を頼む以外に戦争を終わらせる方法はないと考えていました。だから金子をアメリカに派遣したのです、終わらせ方を計算したうえで戦争を始めたのです。伊藤の読みは当たり、セオドア・ルーズベルトの仲介で日露戦争は終わります。

日露戦争の間、日本政府は「勝った、勝った」と世論を煽りましたが、実際は苦戦続きでした。もともと無理をして仕掛けたので、多くの兵が亡くなりました。ロシアにはあと何年も戦争を続ける体力が残っていましたが、日本は陸軍も海軍も兵站が延び切っています。

そこでルーズベルトの仲介で、停戦交渉を始めます。小村寿太郎という有能な外務大臣が粘り強く交渉して、講和条約は日本に有利な内容になり、ロシアは南樺太を日本に割譲しました。ただし、賠償金はとれませんでした。国民は怒りました。

日清戦争で多額の賠償金がとれたので、同じくらいとれると思っていたのです。「日比谷焼き討ち事件」が起きて、新聞も政府を批判する記事を書きます。逆恨みで「こんな仲介をしたアメリカはけしからん」という論調も出てきます。

セオドア・ルーズベルトはどう思うでしょう。「何という国や。友情からえこひいきしてやったのに恨むなんて。こんな国は信頼できない」と思います。日米関係がおかしくなっていきます。日露戦争後、日本は朝鮮進出を加速します。

伊藤博文は、「朝鮮民族は誇り高い。韓国の外交と内政をコントロールできれば十分で、韓国を併合したらだめだ。それをやってしまうと禍根を残す」と考えていました。ところが、その初代総理大臣の伊藤博文がなぜか韓国に暗殺されて、日本は歯止めが利かなくなり、1910年に韓国を併合します。

この年には、冤罪をでっち上げて社会主義者を処刑した大逆事件も起きて、日本は暗黒時代に入っていきます。明治時代の日本は進取の気概にあふれていました。だから中国から革命を志す人がどんどん留学にやってきました。

孫文もそうですし、周恩来も日本で勉強しています。孫文と深い友情を結んで、資金提供をした梅屋庄吉という実業家もいました。渡したお金は、今の貨幣価値にして兆円単位になるともいわれています。

孫文たちは清を打倒するため、何度も蜂起しますが、失敗が続きます。ついに成功したのが1911年、辛亥革命です。孫文は南京で臨時大総統になり、中華民国が成立します。しかし、北京にはまだ、満洲族出身の清朝最後の皇帝、宣統帝 (溥儀) がいます。

孫文は、軍閥の宰相、袁世凱と取引します。「宣統帝の退位と引き換えに臨時大総統の座を譲る」と。しかし、袁世凱はとんでもない人で、自分が皇帝になろうとします。その結果、 中国では、南京に成立した孫文の政府と北京の軍閥政府という対立の構図ができあがります。石原莞爾は立ち上がり満蒙問題の解決には石原莞爾の描いた満州事変を行ったのです。

満州国は決して植民地国家ではなく、欧米の帝国主義支配を排してアジアに理想国家を建設する運動の場でありました。満州国建設は一種のユートピア実現の試みで建国育成は、歴史上前例のないトライアルです。侵略、植民地化万能の歴史的時代にあって、満州の地に民族協和する理想国家を作ろうとしたことは、日本民族の誇りだと思うのです。

 





[ 一覧 ]
マッカーサーが許さなかった本
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/08/14(木) 14:26
No. 7949
 
 
ヘレン・ミアーズという米国人女性が書いた、『アメリカの鏡・日本』という本があります。1948年という占領中に原書は出版され、日本で翻訳出版の動きがあった時、マッカーサーが禁止した本です。

その中でミアーズ女史は「アメリカおよび北欧は、日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と繰り返し書いています。多くのアメリカ人は、日本人が「凶暴で貪欲」だと非難しているが、それはヨーロッパとアメリカから、「遅れてきた国、日本」が学んだ事ではないか?

「国際関係のルールとは、実は暴力と貪欲を合法化したようなものだ。基本原則の中で大国がきちんと守っているのは唯一、各国の政策立案グループが設定した『国益』だけではないのか。日本人が学んだのは、そういうことだった」とヘレン・ミアーズは言うのです。

終戦直後に、堂々とこういう正論を述べたアメリカ人がいたのは素晴らしい事です。マッカーサーがこの翻訳や東亜連盟(現・石原莞爾平和思想研究会)を許さなかったのもよく分かる素晴らしい本です。是非、読むべきだと思います。

 






     + Powered By 21style +